どうもここで言った身体操作がアイソレーションのみで捉えられてしまった気がしますがアイソレーション自体は料理で言えば包丁遣いです。
みじん切りや隠し包丁が上手く細かく出来るというだけの話しで、身体操作の本チャンは細かくなった身体を如何に協調して動かすかが重要でしょう。
それ等が鍋振ったり味付けしたりと料理(技)になる訳です。
だからどちらかと言うと細かく割るのは精度を上げる為で、全身を協調させて動かす方の、言うなれば纏める身体操作が無ければそれは細かい動きの寄せ集めでしかないのです。
それが>>803とかで観る、受けが間に合わない突き等です。
よく小魚の群れの方向転換等で説明されますが、あの小魚が一つの群れとして行動出来なければ結局は一匹のバラバラな集まりに過ぎません。
「一塊で動かない様に」と言うのは大きな一匹の魚にしないという事です。
手足を一塊にしたままでは重く自由度が小さい為、大きな筋肉で動かしタメを作らないとスピードもパワーも出せず、モーションが大きくなるので読まれ易い。
しかし身体を割れて速く打てても、当てる為には別の身体操作で移動し、エネルギーを伝える為には違う身体操作で重さを生み出さなければ、ただ届く距離に気付かれにくく手が届くというだけになってしまいます。

包丁遣いが上手くなくても料理は出来ますが、料理人に包丁の修行が無駄な筈はありません。