剛柔流空手道©2ch.net
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なんでやる意味がないとかいう発想になるのかわからない。
鍛錬、それで十分やる意味を見出せるわけなんだが。
鍛錬自体は他にもあるけど、三戦での鍛錬をやり続けてきた先人がいる。 三戦が使えないから空手をやる意味がない、というのはようするに
殴り合いの技術を第一に考えてるからだよね。
それを第一に考えるのなら、別に三戦が使えなくても道場で教えてる組手の技術が使えるのなら
やめる必要はないわけで。型が使えない = やる意味がないだとか、開祖はバカだとかという
論理がいまいち分からない。逆に、三戦の締めが使えないのは現実なんだし、昔の唐手家たちが
組手を経験したことなかったのも現実なんだし、そんな人たちが作った型に大した意味なんか
込められていないのも自明の理。そんな当たり前のことを認められないというのもよく分からない。
三戦の締めは使えない、大した意味もつまってない、まずこの現実を認めることから始めようよ。
>>83
>鍛錬自体は他にもあるけど、三戦での鍛錬をやり続けてきた先人がいる。
その三戦の鍛錬をやり続けて膝壊したり肺壊したり血圧に異常出た人も当然居るよね。
壊れるのと引き換えに得られる技術があるなら、まだ救いがあるけどさ。三戦の締めに
大した意味なんかないんだから、道場でやる時や式典で演武をする時などは仕方ないにしても、
自主トレでやる時は「締めない」という方向でこれからの時代は行ったほうが絶対良いと思うんだ。 >>35
ふーん、で君は何のために剛柔流やってるの?
やってないのに、こんなマニアなスレにいるとか言うなよ。 三戦は自分で力加減を調整できるんだから、それで怪我したとか具合悪くなったとか言われても、それはその人が自分の身体の限界を把握してないだけでは?
ランニングして膝痛めた、ランニングは意味のないトレーニングだ、みたいな発想だよ。
だから、鍛錬は三戦以外にもあるけど、三戦は鍛錬になる。自分には合わないと思うなら、違う鍛錬なり練習をしたらいい話。 なにをきっかけでもいいけど(それこそ型が使えないから、とか)
意味ない意味ない言って次から次に実戦で使える格闘技なり武術なりを
探して乗り換えていったら、結局「ピストルに勝てないじゃん」とか
「権力には勝てないでしょ」とかに行き当たると思うんだけどなあ。
もちろん、空手(唐手)が素手の闘争の武術である以上は殴り合いの技術が
求められるのは当たり前だけど、昔と違って今は空手をやるのは色んな目的が
あるからねえ。それらに対して型が使えない=やる意味ないって切り捨てるのは
さすがに無理でしょうよ。型は使えないけどやる価値はある、というスタンスが最善。 型が使えないってのがわからない。使うのは技でしょ。 >>87
>ランニングして膝痛めた、ランニングは意味のないトレーニングだ、みたいな発想だよ。
ランニングは心肺機能も上がるし大腿の筋肉の発達にも充分な科学的効果が認められてる。
仮にそれで怪我をしたとしても本来得られるものが明確に定まってるから問題ないわけさ。
三戦の締めは得るものが妄想な上に関節や心肺にランニングかそれ以上の負担をかけるから、やるだけ無駄むしろ害、って言ってるわけさ。
>自分には合わないと思うなら、違う鍛錬なり練習をしたらいい話。
そう、だから貴方はこれから一生無駄に膝や各関節に負担を掛け続ければいいんじゃない?って話。
何度も言うけど、得られるものがあるなら救われるけど、
実際はただ自己満足で得るモノが無いのに、関節に負担かけ続けてるだけだよねってこと。 >>87
>三戦は自分で力加減を調整できるんだから、それで怪我したとか具合悪くなったとか言われても、それはその人が自分の身体の限界を把握してないだけでは?
そもそも自分がどう思ってようが、師範がパンパン叩いてくるわけだし、締めろ締めろダメ出ししてくるのに自分のペースもクソも無いよな。
だけど、それはそれで仕方ない。道場での三戦は建前として締めるのでもいいと思う。負担がかかるかもしれないけれど、それも含めての唐手だから。
>>89
>型が使えないってのがわからない。使うのは技でしょ。
そう。だから型が使える使えないってのはクソ程どうでもいいんだよね。
意味があろうが無かろうが大したことでもない。ようするに型とは別に
教えてもらう技が使えるのなら、結果オーライなわけだからさ。
でも、何故だか型が使えない= 空手をやる意味ないじゃん とかいう人が居てね。理解に苦しむんだよ。 >>83
鍛練っていうけどさ、形をやることで組手で強くなるの?
単なる筋トレならウェイトトレーニングとかのほうがいいんじゃない。
今日さ、たまたま亀田のトレーニングをYoutubeで見たんだけど、3分間ひたすらフットワークの稽古をしてるだよ。
めちゃくちゃきつい奴。
でも、あっちのほうが三戦でバンバン殴られるより確実に効果的だなと思ったよ。
あなたはどう思うの? だから壊れるまで膝に負荷をかけてるのは三戦がどうとかじゃなくて、個人の問題。
得るものがない、過負荷だってのはただのいいがかりだし、それこそ妄想だよ。
それに膝、膝って、膝しか締めてないのかい?それは三戦っていうより膝締めなんじゃない?そりゃあ膝を壊してるだけであって、三戦じゃないよ。どんな教わり方したのか知らないけど。 >>93
>だから壊れるまで膝に負荷をかけてるのは三戦がどうとかじゃなくて、個人の問題。
だから自分がどう思ってようが、師範がパンパン叩いてくるわけだし、締めろ締めろダメ出ししてくるのに自分のペースもクソも無いよな? >>92だから、鍛練の1つなんだって。それも先人が考えた初歩的な方法。っていうことも知らないから、そういう見当違いの疑問が浮かぶんだろうね。
他の筋トレもするよ。三戦だけやってればいいなんて言ってる人がいるのか?自分は聞いたことないよ。
初歩的な鍛錬だけで間合いだの当て感だのを磨けるわけがないでしょ?他の練習もするよ。
鍛錬の1つ。他の練習もする。 剛柔の話に亀田の練習が出てくるってのは、亀田に蹴りの練習はしないの?投げの練習はしないの?っていうくらい同じ見当違い。
やってることが違うんだから。剛柔の人が亀田の練習したっていいし、亀田が蹴りとか投げの練習したっていいと思うけど、目的が違うから練習も違う。
そういう基本的なことがわからずに、畑違いのものを比べてることがわからないから、練習の目的も効果もわからずに意味がないの連呼になるんだよ。意味がないんじゃなくて、意味を理解できない頭の問題。 >>93
>得るものがない、過負荷だってのはただのいいがかりだし、それこそ妄想だよ
自分がやってる事を否定されたら、そりゃ例え正論で現実的な意見であってもムカつくよな。
当然、反論したい気持ちは分かるけど、元々三戦に大した技術的な根拠が無いんだから
科学的かつ現実的な主張が出来ず、仕方なく相手の意見を違う違うと言うしかないのも分かる。
でもさ、論より証拠、例えばこの動画見てよ? ↓
https://www.youtube.com/watch?v=u9iqsfIbwLQ
過去にyoutubeで無作為に拾った三戦の動画なんだけどさ。
どう考えてもこれ、健康に悪いだろ? これで過剰な負荷がかかってないって、どんだけ現実逃避してるんだ?
この先生の強さにケチつけるつもりは無い。というか強いか弱いか知らないし興味もない。
ただね、根拠がないけど正しいという思い込み(感情論)で三戦の締めが正しい正しい言っても説得力が無いわけさ。
自分でも苦しい主張してるって気づいてんだろ? 締めを無くしたって組手の強さに何も直結しないんだから、安心してやめちゃいなよ。貴方のためを思って言ってんだ。 >それに膝、膝って、膝しか締めてないのかい?
さあ? 真っ先に来るのがヒザだからね。歳食って、三戦で痛めた膝痛が出てから後悔しても遅いんだよ。
>それは三戦っていうより膝締めなんじゃない?そりゃあ膝を壊してるだけであって、三戦じゃないよ。どんな教わり方したのか知らないけど。
どんな教わり方も何も、剛柔流やったことないからなあ。ただ王様は裸だって言いに来ただけだし。
まあ、部外者に正論言われ続けても面白くないだろうしそろそろ消えるよ。
最後にもう一回言っとくけど、三戦の締めって自分のヒザや肺と引き換えにしてまでやるもんなのかな?
開祖ですら20代以降はやってないし、そもそも昔の唐手家は自由組手の経験したことないんだから
組手に直結する締めの技術なんてハナっから存在しないよ。それでもまだ自分を痛め続けて締めるの?
やらない方がいいと思うけどねえ。これ以上は自己責任でどうぞ。じゃ、さいなら。 やったことがないことを否定するなんて、「自分はいいがかりをしてます」宣言してるってことじゃん。しかも動画勢。
武道に限らずスポーツでもなんでも、自分の身体でやったことのないものがわかるはずない。だから、何を言っても憶測、妄想でしかない。以上。 そいつは平安の動作が
キンニクバスターだと主張する
通称「キンニクバスター」
剛柔流どころか空手自体未経験の素人
キンニクマンを読んでるだけのヲタ
やったことがないから理解できてないだけだと
なぜ気づけないのかが謎
やったことがないものを
見ただけで否定するとは武板に反している ∧ ∧
(・∀ ・) < 三戦に深い意味なんてぜ〜んぜん無いし組手にも繋がってない!
ノ( )ヽ
< > 膝や肺を壊すだけで得るモノなんてほとんどありませんよ!
∧ ∧
ヽ(・∀ ・)ノ <バーカバーカwww
(( ノ( )ヽ ))
< > >>101
とうとう正体をあらわしたって感じですね。
自分がアホだと宣伝してるようにしか見えない。 もう中年で20年間剛柔流三戦で身体を傷めたことはないのだけれどね
組手での身体を締めない不注意のケガはあるけれど
三戦で身体を痛めるとか初めて聞いた(笑) ただの動画勢が自分の理解できないことを「きっと身体に悪い動きに違いない」と、あたかも事実のように声を大にしてホラ吹いて自爆しただけの話。
食べたことのないものを「あれは美味しくないにきまってる」と根拠のない大嘘をついたのと同じレベル。 はじめてサンチン(形じゃなくて立ち方)を教わったとき
「膝から下が内股。膝から上ががに股。膝でねじれる。痛い」
こう思った。でも、我慢して何度もやってると慣れてくる
「あ、いままでは身体ができてなかっただけなんだな」
こう思ったよ。というか、そこまで宮城先生を馬鹿呼ばわりするなら、剛柔流を辞めればいいのに。そうしないのが俺には不思議だ そのくらいのことは練習していけばわかるけど、身体を作る段階でやめちゃう根性なしにはわからないんだよ。
自分にはできなかったから文句並べてるだけ。その程度の弱者が動画みて文句垂れてるだけであって、経験者から見ればただのピエロって話。 ||【総括】
||
||昔の唐手家は自由組手したことなかった!
||
||技術も稚拙だった!
||
||普通の人よりちょっと強い程度だった!
||
||型にも大した意味が込められて無かった!
||
||
|| このスレの 。 ∧_∧ いいですね。
|| 結論です \ (゚Д゚,,)
||________⊂⊂ |
∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧ ( ∧ ∧ ( ∧ ∧ | |
〜(_( ∧ ∧ __( ∧ ∧__( ∧ ∧ ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_( ∧ ∧_( ∧ ∧ は〜い、先生。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ だいたいさあ、突いたり蹴ったりする空手の練習で三戦でピシピシたたくのが
体に悪いとか締め付けるのが体に悪いとか言うのは滑稽だね。
突き蹴りをもらう方が体に悪いよね。 他の格闘技だってスネ鍛えたり腹鍛えたりしてるしね。
その程度のことで騒いでるアホは、レスする前に身体と頭を鍛えてこいって。 __
.-´ ``ヽ
/ ⌒ `ヽ
/ `ヽ ヽ
(( / (●) ヽ
|::⌒(__ (● ) | いい加減
ヽ 人__) ⌒:::: |
ヽ(__ン | 三戦の締めに意味が無いって認めちゃえよ
人 / | |
/ _ノ ノノ
| 完全に論破されてる上に意見も言えず煽るだけとか、相当ダサい。 サンチンの突きには何か重要な意味が!
サンチンの呼吸には何か深淵な意味が!
サンチンの締めには何か奥深い意味が!
____
/ \
/ ─ ─ \
/ (●) (●) \
| (__人__) | ないない。
\ ` ⌒´ ,/
r、 r、/ ヘ 本当に意味があるなら現代でも伝わってるよ。
ヽヾ 三 |:l1 ヽ
\>ヽ/ |` } | | 失伝したんじゃなくて、元から無いんだよ。
ヘ lノ `'ソ | |
/´ / |. | だから現在貴方の道場でも大した意味が伝わっていない。
\. ィ | |
| | | >>106
これ。剛柔の型は嫌いなのに、なぜ剛柔流をやってるのか。
人生は有限なのだから、自分が有益と思うものに、時間をかければいいのに。これはっきり言って一番役に立つアドバイスだと思うよw 宮城先生をバカにするヤツって最低だよなー。空手家の風上にも置けん。 よし、流れをぶった切って質問!
転掌ってどの段階で習うの?
スーパーリンペイ(最高峰)と転掌(基本理念)だと
どっちを重要視してるの? 俺に剛柔流を教えてくれた先生がふたりいる
A先生。当時の道場主
B先生。このお方はA先生の助っ人(弟子が多かったので)。同じく剛柔流の、同じ会派の別支部の先生。いまはA先生のあとをついで道場主
A先生は、三戦も転掌も教えてくれなかった。撃砕とかサイファとか、ほかの形は教えてくれたのに。俺だけじゃなくて、ほかの誰にも三戦と転掌は教えなかった
「基本中の基本だからこそ、軽んじてはならん。シンプルなものほど奥が深い。だからスーパーリンペイのあとに教える」
こういう考えだったのかもしれないと、俺は勝手に想像している。現在、A先生は天国で休憩中なので確認できないが
B先生は、俺が青か緑くらいのときに教えてくれた
同じ剛柔流の師範でも、これほどの違いがある なるほど
何は無くとも真っ先に三戦は習うと思ってたけど
そう考えない先生もいらっしゃるのですね。
同じ組織内でそれなら、教えるのは組織内に
カリキュラムがある訳ではなく
各先生の判断任せなんですね。 とりあえずサンチンについて
剛柔の基本型で、呼吸と技法を一致させるという基礎の基礎を学ぶ目的が大きい
スポーツやってる人には常識だが、呼吸を止めると力が入らない、素早く動けない、すぐに息が切れるという弱点があるので
要は呼吸によって力の抜き入れを意識的に行う(所謂"キメ"を作る)ための訓練であって、そんな神秘的だったり高度で複雑なもんじゃないよ
テンショウについては上級者の学ぶ型で、攻防に転じる手技の基本が学べる
たまに初心者にもやらせている道場もあるが、本来はサンチンを三か年は修行した者でないと高度過ぎてまるで鍛錬にならない
テンショウの手技は剛柔のすべての技に繋がるので、自由組手の上手い人ほどテンショウを重視してたりする
(ちなみにテンショウの動きは詠春拳を参考にしたと言われており、実際に手技のほとんどが同じものだったりする)
セイサン、サンセイルー、スーパーリンペイについてはサンチンの応用・発展形であり
サンチン・テンショウの基礎ができて始めてまともになる技術の集大成なので
重要視するのは基本・基礎なのは今も昔も変わらないよ
ひとえに「基礎ができるならこのくらいできて当然だよねーwww」ってだけである
スーパーリンペイの技を使わなくとも強い人はゴマンといるのがその理由だと言えばわかりやすいかな たしかに、テンショウの手技はある程度他の基本技ができないと形を追うだけになりがち。
うちのとこはどっちも早い段階で教えるけど、有段でも理解が足りてない人もいる。 ヒマだったので連続カキコ
剛柔の型はサンチン・テンショウの2つの基本型と、普及型と言われるゲキサイ1・2
そしてそれら以外の開手型の3つに大別できるわけだけど、これらの違いについて厳密に理解している人は意外と少なかったりする(もちろん師範クラスの方は知っているが)
まずサンチンテンショウの基本型は剛柔の根幹であって、ぶっちゃけるとこれをなくしたら剛柔である意味がない、まるでない
剛柔はこの2つの型から基礎を作っていくので、極端な話をすればこの2つだけを鍛錬してさえいれば剛柔といっても差支えはない
次にゲキサイ1・2の普及型だ
これらは空手の型を部分的に取り出して宮城先生が再構築した型で、もともとは学校体育用に作られたもの
現在では初心者用の型であったり、準備運動の一環として取り入れたりされており、その名の通り最も普及している剛柔の型であろう
筆者もこの型はお気に入りであり、小学生からご老人、ご婦人まで、ご入会いただいた方の入門用として教えております(実際、一番最初に習った方も多いのでは?)
ちなみにこの型は剛柔の技にはもともとなかった技(上げウケ(上段ウケ)や手刀ウケ・ウチなど)が組み込まれており、宮城先生が唐手の大家・糸洲安恒先生の手解きを受けた際に習得したとも言われております
最後の開手型ですが、これらは応用技術の部類に入り、本来ならば有段者のみが任意で修行を行うべきものです
現在では広く初級者でさえ学んでおりますが、本来の技の使い方などは隠したり、はぐらかしたりしてカタチだけを学ばせています
(実際に大会演武用にデチューンされた所謂"指定型"は、技のつながり方があえて不自然になるようになっております)
本来の型を学びたい方は、その実力が認められればご自分のお師匠様がご教授してくださるはずですので、稽古に励みましょう
(本当に実力さえあれば、自分で型を分解・解裁して応用させることもできますが……)
長文失礼いたしました 競技重視の道場だと、サンチンやテンショウは余りやらないよ。競技で使えないからね。
極端な道場だと、型は指定型優先で、ゲキサイ、サイファ、セーパイ、セーサン、クルルンファ、スーパーリンペイという順に教える。 巻藁、カキエ、小手鍛え、チーシーなどを使った補助鍛錬、サイや棒などの武器までやった上で組手もやってる道場って東京にある? >>124
悪く言うつもりはありませんが、その道場は武道ではなくスポーツとして行っているのでしょう
かつて柔道が辿ったそれと同じように、空手界も今や歴史的な転換期を迎えております
ですが守っていくべき伝統というものも確かにあるはずです
伝統派空手として技術の継承を行う道場も残さないといけない立場なんですが、どうしても目先の利に行ってしまうのは悲しいものです(自分含め)
>>125
カキエや小手鍛えは昔は当たり前でしたが、最近は競技主体の風潮のため有段者でも知らない人がいる始末です(なんと悲しいことか)
武器などの器具を扱った補助鍛錬は、修行者が任意で行うものです(気前の良い先生なら教えてくれますが)
基本さえできていればそれらの扱いは普通にできますので、サンチンでは物足りなくなった上級者が任意で行うものです(その気になればペットボトルでも出来ます) T先生の会派です。カキエ、チンクチ、ガマク、小手鍛え、このへんはまったくわかりません
ただ、小手鍛えにとても良く似た練習はしてました
「打撃系は、肘から先、膝から下を鍛えておけば、防御は大丈夫」
師範にこう教わってましたので。それはいいけど、宮城先生から直接教わったT先生の会派なのに、カキエが伝わってないっていうのが不思議で不思議で
やっぱり、どこかで切り捨てたお人がいるんでしょうか。お恥ずかしい限りです チンクチとかガマクみたいな用語は、沖縄でも使っていたのは、せいぜい明治生まれの人までで、それ以降は使われていなかったと聞くよ。方言だから使用は憚られたのかもね。
チンクチとかガマクとかは、最近、伝統とかオリジンをありがたがる風潮の中で、本土の人が「再発見」した概念だから、普段道場で使わない方が普通じゃないかな。 チンクチもガマクも、本土の言葉で平たく言えば単に「腰を入れること」ですからね
その腰の入れ方には明確な違いがあり、縦方向と横方向でそれぞれ分けて名前がつけられていると考えればいいです
サンチンを正しく行えば無意識のうちにこれらチンクチ・ガマクの用法は習得できますが、最終的には意識的に行うことで他の技へ応用させることが目的です
なので(少なくとも)有段者はこれらを意識的に行えるよう鍛錬に励むのがよいかと存じます
>>127
カキエは密着時における技の返しに非常に有効な技術を養う鍛錬法なのですが
近年のスポーツ競技化においてはまったく不要の技術と化してしまっている現状なのです
なので有段者であってもカキエによる稽古は行わないといった風潮になってしまっています、もの悲しいですね
余談ではありますが
沖縄では剛柔の組手術はもともとなかったか、あるいは既に失伝しています
現在復元されている組手術は湖城流の動きとほぼ同じで、型を分解・解裁すれば自ずと再現できるようになっているものと思われます
(本土では接近戦における猫足・鷺足の有効性が確かめられ、存分に稽古されましたが)
なので私見ではありますが、やはりもともと剛柔に組手術は併伝されていなかったと解釈するのが妥当かと >>127自分は他流から剛柔にきたんだけど、最初はチンクチ、ガマクって言葉を聞いても何かわからなかった。
サンチンとか剛柔の型を練習してるうちに何となく剛柔の動きに合う力の入れ方、使い方がわかってきたら、自然とチンクチ、ガマクを動きに取り入れてたことがわかったよ。
あえてチンクチ、ガマクって言葉を使わなくても、悲観しなくていいんじゃない?ただ、興味が出たら自分で意識してやったらいいと思う。 >>125
無心館とかどうよ
組手までやってるかは書いてないけど 宮城長順の直弟子が戦後何人も生きていて、誰一人宮城の組手がどうだったか証言がない。
ってことは、剛柔流にはもとから組手術はなかったということだろうな。 宮城安一と東恩納盛男が書いた、宮城長順の直弟子に聞き取り調査した本の中に、色々エピソードが載ってなかったっけ?
フィリピン人や米兵をボコったとか、腕試しに来る連中が多過ぎて辟易して不意打ち食らわしたとか。
宮城長順は、自分が寝てるところに入ってくる奴は刺客とみなして無意識で殴ってくるので、奥さんが起こすときは棒で突いて命がけで起こしてた話が好き。 あの本はフィクション混じりだから。
だいたい著者の経歴も…… 宮城先生の頃に組手の練習が盛んじゃなくても、弟子の先生方がそれぞれに考えて今の剛柔があるんだから、自分のやりたい方向性の先生の元で稽古に励めばいいだけのこと。
原点で未完成だったものが発展してきた、それでいいんじゃない? 中国拳法伝来説がウソだとバレて、那覇手も首里手も沖縄人が型を量産して創作してたことがバレてしまった。
じゃあ当の沖縄人(昔の唐手家)がどれほどの実力があったかというと、ほとんどの唐手家が組手をしたことなかった。
無いから、仕方なく本土の学生に自由組手や約束組手の形式を作っていただいて、ありがた〜く逆輸入してる始末。
つまり昔の自由組手をしたことない唐手家に大した実力無かったんだから、そんな人たちが作った型も大した技術つまってないのは当たり前の話。
分解が伝わっていない → 伝わっていないんじゃなくて、唐手家は分解すらロクに思いつけないレベルだった。だから現在の道場に伝わっていない。
三戦の締めが伝わっていない → 伝わっていないんじゃなくて、唐手家は身体操作と呼べるまともな締めの技術なんて思いつかなかった。だから現在にも伝わっていない。
有名な唐手家は流派を問わずいっぱい居るのに組手の目撃談が無い → 元々沖縄の唐手は型やって終わり。組手どころか約束組手すらほとんど無くて、深い技術も智慧も伝わっていない踊り以上武術未満の存在だった。
しかし、嘆くことはない。>>136が言ってるように、開祖達が組手をしたことなくて弱くても、組手をしたことない人間が考えた非現実的な中身のない型ばかりであっても
何の問題もない。高弟達が近年独立して色々と創作してこじつけてくれた。高弟達のおかげで使える武術になった。多分。
だから、伝統と呼べる歴史なんか全然ない昭和になって発展した近代創作拳法こそが剛柔流、いやさ流派を超えた沖縄の唐手の正体そのものだけど
これからは胸を張って練習していけばいいと思う。何も後ろめたいことも恥じることもない。>>136さんが言ってるように、それでいいと思う。 三戦に安定感がないと先生に言われて決行練習したんだけど、
アドバイスを受けて三歩進んでクルッと方向転換する時、膝を柔らかく使ったらスムーズかつビシッと決まってだいぶ良くなった。 >>138
訂正です
決行練習したんだけど
↓
けっこう練習したんだけど 「組手」が、競技空手の試合形式の練習みたいなのを指してるなら、戦前の師範たちがそんなん練習してなくても別に問題ないんじゃないかな。
金的、目潰し、関節蹴り、髪の毛掴んで引っ張りこんで殴打、腕関節を極めて折る、アバラ打ち、こんなんどうやって対人練習するんだ。
中拳も剣術も柔術も、大体の流派で試合形式の稽古ができたのは比較的最近では? 剛柔流には、筋トレで筋肉ダルマみたいな体型を作ることを推奨している先生が多い。
「筋量や体格の前には、生半可な技は無力」という現実を直視してるんだろうね。
剛柔流は、柔道や琉球相撲の経験者が学ぶことを暗に前提にしているような気もする。 >>140
>金的、目潰し、関節蹴り、髪の毛掴んで引っ張りこんで殴打、腕関節を極めて折る、アバラ打ち、こんなんどうやって対人練習するんだ。
まあ、練習で出来ないことが実戦で成功するなんて都合の良い事ある訳ありませんからねえ。
どっちにしろ唐手家達は殴り合いの稽古を経験したことなかったってことですよ(笑)
宮城に限らずね。東恩納にしろ糸州にしろ許田にしろ花城にしろ、
名前は有名だけど組手の話も記録も残ってないでしょ? つまりはそういう事です。現実を認めましょう(笑) >>141
>「筋量や体格の前には、生半可な技は無力」という現実を直視してるんだろうね。
というか、生半可とさへ呼べる技そのものが当時の琉球唐手界には存在し無かった。
あったとしても拳を捻って突き出す(これが正拳だ!)程度?
だから技術が無い同士で闘争をするなら、当然筋力がある方が有利っつーことだったと思うよ。
宮城先生は殴り合いの経験がないから技術は教えてあげれなかったけど、弟子闘争になったときに
少しでも勝てるよう生き延びれるように、考えてくれてたんだと思う。ありがたいし優しいよね。 筋力があるとないじゃ、あるに越したことないのは明らかだし、1人でもトレーニングはできるから、推奨すべきってことだったのかな?
シンプルでわかりやすくて、個人的には好き。 >>144
というか、宮城そのものがパワーに自信あったんじゃないの? あの体格だしさ。
だから弟子たちにも筋力あれば取り合えず何とかなるよってことで勧めたとか。
もちろん、健康という面から見ても筋骨隆々で損をするってことはあまり聞かないし。
ただ宮城自身は筋トレはそこまで熱心にはしなかっただろうね。
多分室伏みたいに、生まれつきパワーを持ってる側の人間だったろうから。
さんざん組手したことないと言ったけど、可能性でいえば宮城は実は組手の経験をしてた可能性はある。
許田と上半身裸で取った小さい頃の写真は有名だけど、今と違って昔のそこまで煩くない時代なら
まあ普通の指導者なら「良し、ちょっと殴りあってみな」ってけしかけるんじゃないかな?
子供同士の殴り合いなら、成人してないしそこまで重大な怪我はしないだろうし
おそらく入門してから17、8くらいまでは軍鶏の喧嘩みたいに組手させてた
可能性はあると思うよ。本部はあの時代にハワイに唐手を普及に行ったけど、
実は宮城もハワイに行ってる。その後、中国にも行ってる。本部はあの当時珍しく
自由組手を経験していた唐手家(だから沖縄で無双できた)だけど、いつ腕試しを
申し込まれるか分からないハワイに行ったのは、殴り合いの自信があったからだろう。
船越はハワイ行きの話を断ってる。だからお鉢が宮城に回ってきた。で、宮城は行ってる。
ハワイにしろ中国にしろ、単身乗り込めたのは船越と違ってやはり本部のように宮城も腕に
自信があったからではないか?という考え方も出来る。
それもこれも、ようするに幼少の一時期とはいえ定期的に殴り合いの経験を(おそらく許田)と
積んでいたことに起因するんじゃないだろうか。あと相撲も強かったらしいしね。いずれにせよ
自由組手の経験は今の空手家には及ばないけど、闘争になれば強かったんじゃないかと思う。
で、自分が強くてもそれを他の人に同じようにさせる事は出来ないから、まあとりあえず筋骨鍛えろって事に落ち着いたと。 沖縄だと、昔から昇段審査のときにだけ組手をさせる道場もあるよ。
その際の組手は特にルールなどは決めず、投げも目突きも投げも関節も特に制限されてない。相手との阿吽の呼吸で寸止めかライトコンタクト。
危険だから、昇段審査の時しかやらない。
型などの中で練習してるのだから、「練習してないから決まらない」というのは頓珍漢。
「対人稽古でないとできない稽古」って、実はそんなにないよね。
間合と歩法の実践的応用、投げ、崩しくらいじゃないか?
後二者に関しては、沖縄の空手の先生は、結構な確率で、柔道か琉球相撲の名人なんだよな。
例えば、宮里栄一は沖縄柔道のトップだった。
実践的と言われるキックやボクシングも、練習の多くはシャドーやミットやサンドバッグ。対人練習はせいぜいマスくらいで、スパーの頻度は意外に無いよね。
組手ガーとうるさい奴は、学生の部活空手か、フルコン空手のイメージで語ってんじゃないのか。
しかも実践者じゃなさそう。 >>146
>沖縄だと、昔から昇段審査のときにだけ組手をさせる道場もあるよ。
そりゃ時代が下がって高弟達の年代になれば自由組手くらいするでしょ。昔じゃあるまいし。
いつの時代をメインに話てるのかも理解できず、自由組手したことないという現実にだけ過剰反応してレスする頓珍漢にはうんざりッス┐('〜`;)┌. 昔の唐手家達はほとんど自由組手をしたことないけど、高弟達の時代にはやってた。
これで済む話なんだけど、それのいったい何が気に入らないんだろう?
戦前のあったこともない沖縄の人間が自由組手したことなくても、それがそんな大事なことか?
宮城や比嘉が自由組手の経験なくて素人と同じかちょっと強い程度だったとしても、それが何の問題あるんだ?
開祖が自由組手をしたことないって認めたら、急に貴方達の自由組手の勝率が下がってしまうんですか?
宮城が自由組手をしたことないって認めたら、昨日まで使えてた道場で教えてもらった技が急に使えなくなっちゃうんですか?
もう一度言うけど、会ったこともない昔の沖縄人が殴り合いで弱かろうが経験無かろうが、今の自分の実力や道場のレベルに
これっぽっちも影響ないんだから、そんなムキになることでも無いと思うんだけどね。
ああ、でも道場で大した技術教えてもらってなくて自信持てない人は、
開祖は組手してて強かった!(俺はその拳法を練習してるんだ!)とかいう「権威」にこだわりたくてムキになるかもね。可哀想だけど。
>>136や>>141や>>144は道場で実用的なものも教えてもらえてる自信があるし、心の強さもあるんだろう。だから認められる。
>>140や>>146は道場の技術に自信が持てないからそれ以外の権威にこだわるんだろうね。開祖が弱いと権威が落ちるからさ。 >>146
まあ、マスが何か分かってないのは伝わった >>137
言い方は非常に過激だが、基本的には事実だと思う。そして、それでいいと思う。なぜかと言うと、空手が劇的に進化したからだ
近年では、寸止めで弱体化した空手が極真でフルコン化し、さらには、そこから独立したキックが15年でムエタイに追いついた
むしろ素晴らしいことだろう。伝統が問題じゃない。開祖に敬意を払う。この一点を変える気はないが 勝たなきゃいけないって発想が、なんか短絡的な感じがするんだよな
競技で勝てば強い、とか、実戦で使えなければ意味がない、とかよく聞くけど
いつまでたっても子供から卒業できないような何かを感じる
おれもはっきり説明できないのがもどかしいが
勝って嬉しい、負けて悔しい、(ケンカが)強ければエラい、というね >>151
済まんけど、煽りでもなんでもなく、何を勘違いしてるのか教えてくれないだろうか
元極真で、そこから独立してキックの世界に行った人なんて、いくらもいると思うんだけど >>150
戦前本土に唐手家達が普及に来たけど、船越とか結構歳食ってた。
でも、柔道の世界だとあれくらいの年齢なら弟子相手に普通に乱捕する。
もちろん、血気盛んな学生相手にガチの乱捕りしなくても、投げ技や寝技をかけて体験させることは出来る。
唐手家はほんど弟子相手に組手してないし、組手どころか攻防を教えるとか技をかけるとかも見当たらない。
船越より年齢の若い宮城とか摩文仁なら尚更の事。あんなにいっぱい弟子や学生が居たのに、組手をしてもら
ったとか、あるいは打撃の威力を理解させるため腹に打ってもらったとか、そういうのも無い。
現代の空手家の先生ならセミナーで当たり前のように体験させてることだけどさ。
だから、船越や宮城や摩文仁の組手スタイルはおろか、どういいう性質の突きでどういう目的を狙ったものなのかも不明。
ロクな突き持ってなかったと思うよ? もちろん組手の経験も乏しいし、型の分解とか使い方も指導者でありながら
知らなかったと思う。でも、だからといって、それを以って悪いとも怠慢だとも言わないし、普及に来た唐手家達の
功績に傷がつく事ももない。評価も敬意も変わらない。そもそも強いから偉い、弱いから悪いとかいう考え方のほうが不健全。
次の代のどの流派の高弟達も、抜けていた技術の補完をしてくれたんだから、
賞賛されることこそあれ批難されるいわれは一切ない。むしろ自分達は感謝すべきなんだよね。 >>153
「キックが極真から独立した」と「極真から出てキックに行った人間がいる」は雲泥の差だよ
分からないなら、日本語を勉強したら?
済まんけど、煽りでも何でもないよ フルコン(他)空手をやってる人がキックに走るのはよくあることだが、それは
「こういう戦い方だったらキックの方が合理的」という発想も含むと思われるが、
それなら最初からキックやればよかったってことになるのでは?
空手そのものがしっかりした体系で学べていれば、キックに目移りすることもない
気がする。 >>154
うん、それでいいと俺も思う。大体、ほぼ同じ意見。俺も
>>155
あ、すまん。俺の書き方が悪かったか。それでいい。すまなかった。俺が間違っていたってことで >>156
雑誌で極真の人がキックに行くとき、こう言っていた
「やはり、自分が行くべきはプロの世界だ」
極真は、どれだけ強くてもアマチュアだからな。入門したあとで、考え直して、そういう選択もあっていいと思う キックの魔裟斗をボロボロにやっつけた
ブアカーオのムエタイが強い 自分が所属してるところが自分に合ってるのかもしれないけど、素拳(稽古では拳サポ)で頭から足まで特に制限もなく、掴んでも投げてもいい。
ただ相手の生活に支障がでるような大怪我させて一生ものの傷を負わせたりしないようコントロールしなさい、っていうスタイルが好きだなぁ。
組手に他の武道や格闘技の技を取り入れてもいいし、逆に今のどうやったの?って質問しあえる、教えあえる。「それはうちでは教えてない」なんて言われない。
子供やおじさん達とはほどほどに、20代30代はバチバチやっても止めがかかれば笑いながら礼ができる。
剛柔に限らないだろうけど、自分はそういう稽古のスタンスが好きだから、他流から来たけどすごくありがたい。 実力の強い方が、弱い方に合わせて教えながら練習できる。一方的に痛めつけない。
それが武道ってことだと思ってる。 >>162
ハ _
___ ‖ヾ ハ
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/ 聞 え | ||:::::::|| ||:::||
| こ ? | |{:::::‖. . .||:::||
| え | _」ゝ/'--―- 、|{::ノ!
| な 何 | / __ `'〈
| い ? ! /´ /´ ● __ ヽ
ヽ / / ゝ....ノ /´● i
` ー―< { ゝ- ′ |
厶-― r l> |
∠ヽ ゝ-― `r-ト、_,) |
レ^ヾ ヽ>' ̄ LL/ 、 /
.l ヾ:ヽ ` 、_ \\ '
l ヾ:ヽ ト`ー-r-;;y‐T^
| ヾ `ニニ「〈〉フ /‖. j >>163
分かりやすく書くと、「書いてる中の人が同一人物なのに、妄想で持ち上げて妄想でこき下ろしてるのが、痛さ全開だね」。
全部の先生を把握してるわけじゃ無いが、「沖縄唐手研究倶楽部」に参加してた先生たちの中に、いわゆる自由組手を稽古体系に組み入れて自ら鍛錬してた、または生徒に教授してた先生っているのかね?
実践派に位置付けられてる本部朝基だって、彼が研究してた「組手」は、約束組手で、自由組手じゃなかった、という人もいるよね。
このスレには、「宮城長順が自由組手を稽古体系に取り入れてた」と主張している人はいないと思うけど。藁人形相手に批判を展開してドヤ顔されても困るよね。 >>164
分かりやすく書くと、「書いてる中の人が〜
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ヽ/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ Y ヽ__ノ /
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| | | >>160 >>161
剛柔流の流れをくむ、あの団体ですか? >>125
王子にある琉武館。試合に出たい人には試合用の練習も教えてくれるし殴り合いがしたいわけじゃないって人には伝統的な練習を教えていたよ。
ただ、武器術は教えてないかも。ホムペがあるからググって ,-'"ヽ
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{ ノ "' ゝ /( ゚ )( ゚ )ヽ \ /
/ "' ゝ /::::⌒`´⌒::::\ < ピカチュー!!>
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いまいち説得力ないなあ。型無駄スレとかで繰り返し同様のことが書かれてるみたいだけど。
「見つからない」イコール「無かったことの証明にはならない」という点で。
かといって形の動作のこじつけを盛んに行っているのも、これまた説得力ないけど。
なぜ形が存在するのか?そもそも形は何のために作られたのか? >>171ここは剛柔スレだから、それは型のスレで聞いたらいいと思うよ。
納得いく答えをもらえないとと練習できないって話なら、考える時間がもったいないから筋トレでもしたらどうか。
でも、強い人達(先生や指導者、第一線で活躍する選手)は自分なりに咀嚼して練習方法を考えて答えを見つけてるけど。 >>172
他のスレ、特に無駄スレなんてどうしようもない。ただの一人として、なぜ形が残って
いるのか、真面目に考えようともしてない。そしてここも、やはり駄目だったか、、、。
それぞれが自分で答えを見つけろ、ということですかね。今日も形を練習しよう。 >>171
>「見つからない」イコール「無かったことの証明にはならない」という点で。
悪魔の証明だね。だから、自由組手があった証明を貴方が出せばいいんじゃないの?
自由組手が普遍的に行われていたなら、やってた記録なんがごろごろ見つかるハズでしょ。
試しに、宮城先生はどんな自由組手をしてたのか、東恩納は、船越は、糸州は? >>174
始まった。「貴方が出せば」。私は「あったことも無かったことも、どちらも証明できない」
と言っているのに。両方とも説得力がないと言っているのに、そこは読めないんだなあ。
組手または実戦?との関連性は、あったともなかったとも、どちらも言えないんですよ。 >>175
>私は「あったことも無かったことも、どちらも証明できない」と言っているのに
あったと主張するなら、主張する側が物証を出す証明責任が発生する。
根本のそれをが出来ないのであれば、証明云々ではなくまた有る無しでもなく
一律「無い」と判断されるのが常識なんだよ。証明以前の話なんだが、理解できる? 例えば
お前「糸州はムエタイ習ってましたー」
俺「ありえないだろ」
お前「いやでも、糸州がムエタイを習ってなかったっていう証明は出来ないんですよね?
習ってたか習ってなかったかはどちらも証明できない。ですから習ってた可能性もあります」
って言ってんのと同じなんだよ。証明が出来ないのであればそもそもの可能性が潰える。
c
可能性が無くなる以上、証明どうこうの場にすら立てないんだよ。それを無理やり立って、ムエタイ習ってた可能性もありうるとか言ってるのがお前。 歴史には隠されたことも多々ありますからね。我々の知らないことはたくさん
あると思いますよ。また事実無根なのに突然変なことを主張しだす人もいますしね。
何も残ってないなら、それは無い、というのは考察する面白さがなくなるじゃないですか。
「スタッ○細胞はあります」と言う人には証明する責任が生じますけどね。
形がどのように形作られていったか自分の目でみた人は誰も生き残ってないのだから。 >>178
>何も残ってないなら、それは無い、というのは考察する面白さがなくなるじゃないですか。
ええ、ですからあった証拠を出してくださいな。
そもそも無かった論拠をこっちはいくらでも挙げてるのに、あった論拠は全然あがらない。
その時点ですでに対等ではないんだよ。お前の頭の中では、対等かもしれないけどな。
どんなに願望を持ってても、糸州はムエタイ習ってない。習ってない論拠も沢山あげてる。
でも、お前は習った根拠をひとつも挙げてないのに、「あったか無かったかは誰にも分かりませんね」
と言い訳してるわけ。誰にも分からないってことは、ようするにあった可能性も暗に認めてるってことなんだよ。分かる?
>「スタッ○細胞はあります」と言う人には証明する責任が生じますけどね。
ええ、ですから自由組手があった論拠をどうぞ挙げてくださいな。
私は無かった論拠をこのスレでも他のスレでも何年にも渡ってあげています。
自由組手があった論拠も沢山あがっているのなら、「あったか無かったかは分からない」
という見解もなりたちますが、そもそものあった論拠が無いに等しい。だから言ってるんですよ。
貴方が挙げてくださいと。挙げるのが嫌なら嫌で別にかまいませんよ?
そのかわり、自由組手をしていたという信用性のある論拠が全然出てない以上は、あった可能性を口に出すなという話。
現時点で無いってことになってんだから、口出したいなら有った証拠をあげればいいわけ。
証拠や論拠は出せないけど、貴方の意見は否定はしますよ、組手はありますよ証拠はないけど、ってのは筋が通らないことくらい分かるよね?
まあ、この人もおそらく>>148で俺が言ったように、道場で大した技術習ってないから
権威にすがって、昔の唐手家は強かった、自由組手していた、未経験じゃなかったって感情論や脊椎反射で否定してるだけなんだろうけどさ。 >>177
その「例えば」は、内容がバカすぎです(笑)。 >>180
バカ(お前)に分かりやすいように説明したからなあ。
それとも「まだ」難しくて分かりませんか? この一連のバカ君とのやりとりを見た人は、そのまま>>148を読んでもらうと助かる。
果たして彼がどっちの人間か。俺は剛柔流の開祖も剛柔流の修行者達にも敬意や親しみを持ってるから
こんな権威にしがみつくバカばっかじゃないとは思いたいけどね。でも剛柔流にはこういう人多いのかな。 >>179
あなたが感情的になってますね。私にだって何も証拠などあげられませんよ。
嫌なんじゃありません。あなたが言うのは「じゃあ反対の証拠をあげろ」って
ことでしょ?私が言いたいのはそうじゃないんですよ。
あった証拠もなかった証拠もない。私の手元にもない。何度も言ってます。
でも、あなたの言うことには説得力はない。まだ分かりませんかね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています