剛柔流空手道©2ch.net
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なるほど
何は無くとも真っ先に三戦は習うと思ってたけど
そう考えない先生もいらっしゃるのですね。
同じ組織内でそれなら、教えるのは組織内に
カリキュラムがある訳ではなく
各先生の判断任せなんですね。 とりあえずサンチンについて
剛柔の基本型で、呼吸と技法を一致させるという基礎の基礎を学ぶ目的が大きい
スポーツやってる人には常識だが、呼吸を止めると力が入らない、素早く動けない、すぐに息が切れるという弱点があるので
要は呼吸によって力の抜き入れを意識的に行う(所謂"キメ"を作る)ための訓練であって、そんな神秘的だったり高度で複雑なもんじゃないよ
テンショウについては上級者の学ぶ型で、攻防に転じる手技の基本が学べる
たまに初心者にもやらせている道場もあるが、本来はサンチンを三か年は修行した者でないと高度過ぎてまるで鍛錬にならない
テンショウの手技は剛柔のすべての技に繋がるので、自由組手の上手い人ほどテンショウを重視してたりする
(ちなみにテンショウの動きは詠春拳を参考にしたと言われており、実際に手技のほとんどが同じものだったりする)
セイサン、サンセイルー、スーパーリンペイについてはサンチンの応用・発展形であり
サンチン・テンショウの基礎ができて始めてまともになる技術の集大成なので
重要視するのは基本・基礎なのは今も昔も変わらないよ
ひとえに「基礎ができるならこのくらいできて当然だよねーwww」ってだけである
スーパーリンペイの技を使わなくとも強い人はゴマンといるのがその理由だと言えばわかりやすいかな たしかに、テンショウの手技はある程度他の基本技ができないと形を追うだけになりがち。
うちのとこはどっちも早い段階で教えるけど、有段でも理解が足りてない人もいる。 ヒマだったので連続カキコ
剛柔の型はサンチン・テンショウの2つの基本型と、普及型と言われるゲキサイ1・2
そしてそれら以外の開手型の3つに大別できるわけだけど、これらの違いについて厳密に理解している人は意外と少なかったりする(もちろん師範クラスの方は知っているが)
まずサンチンテンショウの基本型は剛柔の根幹であって、ぶっちゃけるとこれをなくしたら剛柔である意味がない、まるでない
剛柔はこの2つの型から基礎を作っていくので、極端な話をすればこの2つだけを鍛錬してさえいれば剛柔といっても差支えはない
次にゲキサイ1・2の普及型だ
これらは空手の型を部分的に取り出して宮城先生が再構築した型で、もともとは学校体育用に作られたもの
現在では初心者用の型であったり、準備運動の一環として取り入れたりされており、その名の通り最も普及している剛柔の型であろう
筆者もこの型はお気に入りであり、小学生からご老人、ご婦人まで、ご入会いただいた方の入門用として教えております(実際、一番最初に習った方も多いのでは?)
ちなみにこの型は剛柔の技にはもともとなかった技(上げウケ(上段ウケ)や手刀ウケ・ウチなど)が組み込まれており、宮城先生が唐手の大家・糸洲安恒先生の手解きを受けた際に習得したとも言われております
最後の開手型ですが、これらは応用技術の部類に入り、本来ならば有段者のみが任意で修行を行うべきものです
現在では広く初級者でさえ学んでおりますが、本来の技の使い方などは隠したり、はぐらかしたりしてカタチだけを学ばせています
(実際に大会演武用にデチューンされた所謂"指定型"は、技のつながり方があえて不自然になるようになっております)
本来の型を学びたい方は、その実力が認められればご自分のお師匠様がご教授してくださるはずですので、稽古に励みましょう
(本当に実力さえあれば、自分で型を分解・解裁して応用させることもできますが……)
長文失礼いたしました 競技重視の道場だと、サンチンやテンショウは余りやらないよ。競技で使えないからね。
極端な道場だと、型は指定型優先で、ゲキサイ、サイファ、セーパイ、セーサン、クルルンファ、スーパーリンペイという順に教える。 巻藁、カキエ、小手鍛え、チーシーなどを使った補助鍛錬、サイや棒などの武器までやった上で組手もやってる道場って東京にある? >>124
悪く言うつもりはありませんが、その道場は武道ではなくスポーツとして行っているのでしょう
かつて柔道が辿ったそれと同じように、空手界も今や歴史的な転換期を迎えております
ですが守っていくべき伝統というものも確かにあるはずです
伝統派空手として技術の継承を行う道場も残さないといけない立場なんですが、どうしても目先の利に行ってしまうのは悲しいものです(自分含め)
>>125
カキエや小手鍛えは昔は当たり前でしたが、最近は競技主体の風潮のため有段者でも知らない人がいる始末です(なんと悲しいことか)
武器などの器具を扱った補助鍛錬は、修行者が任意で行うものです(気前の良い先生なら教えてくれますが)
基本さえできていればそれらの扱いは普通にできますので、サンチンでは物足りなくなった上級者が任意で行うものです(その気になればペットボトルでも出来ます) T先生の会派です。カキエ、チンクチ、ガマク、小手鍛え、このへんはまったくわかりません
ただ、小手鍛えにとても良く似た練習はしてました
「打撃系は、肘から先、膝から下を鍛えておけば、防御は大丈夫」
師範にこう教わってましたので。それはいいけど、宮城先生から直接教わったT先生の会派なのに、カキエが伝わってないっていうのが不思議で不思議で
やっぱり、どこかで切り捨てたお人がいるんでしょうか。お恥ずかしい限りです チンクチとかガマクみたいな用語は、沖縄でも使っていたのは、せいぜい明治生まれの人までで、それ以降は使われていなかったと聞くよ。方言だから使用は憚られたのかもね。
チンクチとかガマクとかは、最近、伝統とかオリジンをありがたがる風潮の中で、本土の人が「再発見」した概念だから、普段道場で使わない方が普通じゃないかな。 チンクチもガマクも、本土の言葉で平たく言えば単に「腰を入れること」ですからね
その腰の入れ方には明確な違いがあり、縦方向と横方向でそれぞれ分けて名前がつけられていると考えればいいです
サンチンを正しく行えば無意識のうちにこれらチンクチ・ガマクの用法は習得できますが、最終的には意識的に行うことで他の技へ応用させることが目的です
なので(少なくとも)有段者はこれらを意識的に行えるよう鍛錬に励むのがよいかと存じます
>>127
カキエは密着時における技の返しに非常に有効な技術を養う鍛錬法なのですが
近年のスポーツ競技化においてはまったく不要の技術と化してしまっている現状なのです
なので有段者であってもカキエによる稽古は行わないといった風潮になってしまっています、もの悲しいですね
余談ではありますが
沖縄では剛柔の組手術はもともとなかったか、あるいは既に失伝しています
現在復元されている組手術は湖城流の動きとほぼ同じで、型を分解・解裁すれば自ずと再現できるようになっているものと思われます
(本土では接近戦における猫足・鷺足の有効性が確かめられ、存分に稽古されましたが)
なので私見ではありますが、やはりもともと剛柔に組手術は併伝されていなかったと解釈するのが妥当かと >>127自分は他流から剛柔にきたんだけど、最初はチンクチ、ガマクって言葉を聞いても何かわからなかった。
サンチンとか剛柔の型を練習してるうちに何となく剛柔の動きに合う力の入れ方、使い方がわかってきたら、自然とチンクチ、ガマクを動きに取り入れてたことがわかったよ。
あえてチンクチ、ガマクって言葉を使わなくても、悲観しなくていいんじゃない?ただ、興味が出たら自分で意識してやったらいいと思う。 >>125
無心館とかどうよ
組手までやってるかは書いてないけど 宮城長順の直弟子が戦後何人も生きていて、誰一人宮城の組手がどうだったか証言がない。
ってことは、剛柔流にはもとから組手術はなかったということだろうな。 宮城安一と東恩納盛男が書いた、宮城長順の直弟子に聞き取り調査した本の中に、色々エピソードが載ってなかったっけ?
フィリピン人や米兵をボコったとか、腕試しに来る連中が多過ぎて辟易して不意打ち食らわしたとか。
宮城長順は、自分が寝てるところに入ってくる奴は刺客とみなして無意識で殴ってくるので、奥さんが起こすときは棒で突いて命がけで起こしてた話が好き。 あの本はフィクション混じりだから。
だいたい著者の経歴も…… 宮城先生の頃に組手の練習が盛んじゃなくても、弟子の先生方がそれぞれに考えて今の剛柔があるんだから、自分のやりたい方向性の先生の元で稽古に励めばいいだけのこと。
原点で未完成だったものが発展してきた、それでいいんじゃない? 中国拳法伝来説がウソだとバレて、那覇手も首里手も沖縄人が型を量産して創作してたことがバレてしまった。
じゃあ当の沖縄人(昔の唐手家)がどれほどの実力があったかというと、ほとんどの唐手家が組手をしたことなかった。
無いから、仕方なく本土の学生に自由組手や約束組手の形式を作っていただいて、ありがた〜く逆輸入してる始末。
つまり昔の自由組手をしたことない唐手家に大した実力無かったんだから、そんな人たちが作った型も大した技術つまってないのは当たり前の話。
分解が伝わっていない → 伝わっていないんじゃなくて、唐手家は分解すらロクに思いつけないレベルだった。だから現在の道場に伝わっていない。
三戦の締めが伝わっていない → 伝わっていないんじゃなくて、唐手家は身体操作と呼べるまともな締めの技術なんて思いつかなかった。だから現在にも伝わっていない。
有名な唐手家は流派を問わずいっぱい居るのに組手の目撃談が無い → 元々沖縄の唐手は型やって終わり。組手どころか約束組手すらほとんど無くて、深い技術も智慧も伝わっていない踊り以上武術未満の存在だった。
しかし、嘆くことはない。>>136が言ってるように、開祖達が組手をしたことなくて弱くても、組手をしたことない人間が考えた非現実的な中身のない型ばかりであっても
何の問題もない。高弟達が近年独立して色々と創作してこじつけてくれた。高弟達のおかげで使える武術になった。多分。
だから、伝統と呼べる歴史なんか全然ない昭和になって発展した近代創作拳法こそが剛柔流、いやさ流派を超えた沖縄の唐手の正体そのものだけど
これからは胸を張って練習していけばいいと思う。何も後ろめたいことも恥じることもない。>>136さんが言ってるように、それでいいと思う。 三戦に安定感がないと先生に言われて決行練習したんだけど、
アドバイスを受けて三歩進んでクルッと方向転換する時、膝を柔らかく使ったらスムーズかつビシッと決まってだいぶ良くなった。 >>138
訂正です
決行練習したんだけど
↓
けっこう練習したんだけど 「組手」が、競技空手の試合形式の練習みたいなのを指してるなら、戦前の師範たちがそんなん練習してなくても別に問題ないんじゃないかな。
金的、目潰し、関節蹴り、髪の毛掴んで引っ張りこんで殴打、腕関節を極めて折る、アバラ打ち、こんなんどうやって対人練習するんだ。
中拳も剣術も柔術も、大体の流派で試合形式の稽古ができたのは比較的最近では? 剛柔流には、筋トレで筋肉ダルマみたいな体型を作ることを推奨している先生が多い。
「筋量や体格の前には、生半可な技は無力」という現実を直視してるんだろうね。
剛柔流は、柔道や琉球相撲の経験者が学ぶことを暗に前提にしているような気もする。 >>140
>金的、目潰し、関節蹴り、髪の毛掴んで引っ張りこんで殴打、腕関節を極めて折る、アバラ打ち、こんなんどうやって対人練習するんだ。
まあ、練習で出来ないことが実戦で成功するなんて都合の良い事ある訳ありませんからねえ。
どっちにしろ唐手家達は殴り合いの稽古を経験したことなかったってことですよ(笑)
宮城に限らずね。東恩納にしろ糸州にしろ許田にしろ花城にしろ、
名前は有名だけど組手の話も記録も残ってないでしょ? つまりはそういう事です。現実を認めましょう(笑) >>141
>「筋量や体格の前には、生半可な技は無力」という現実を直視してるんだろうね。
というか、生半可とさへ呼べる技そのものが当時の琉球唐手界には存在し無かった。
あったとしても拳を捻って突き出す(これが正拳だ!)程度?
だから技術が無い同士で闘争をするなら、当然筋力がある方が有利っつーことだったと思うよ。
宮城先生は殴り合いの経験がないから技術は教えてあげれなかったけど、弟子闘争になったときに
少しでも勝てるよう生き延びれるように、考えてくれてたんだと思う。ありがたいし優しいよね。 筋力があるとないじゃ、あるに越したことないのは明らかだし、1人でもトレーニングはできるから、推奨すべきってことだったのかな?
シンプルでわかりやすくて、個人的には好き。 >>144
というか、宮城そのものがパワーに自信あったんじゃないの? あの体格だしさ。
だから弟子たちにも筋力あれば取り合えず何とかなるよってことで勧めたとか。
もちろん、健康という面から見ても筋骨隆々で損をするってことはあまり聞かないし。
ただ宮城自身は筋トレはそこまで熱心にはしなかっただろうね。
多分室伏みたいに、生まれつきパワーを持ってる側の人間だったろうから。
さんざん組手したことないと言ったけど、可能性でいえば宮城は実は組手の経験をしてた可能性はある。
許田と上半身裸で取った小さい頃の写真は有名だけど、今と違って昔のそこまで煩くない時代なら
まあ普通の指導者なら「良し、ちょっと殴りあってみな」ってけしかけるんじゃないかな?
子供同士の殴り合いなら、成人してないしそこまで重大な怪我はしないだろうし
おそらく入門してから17、8くらいまでは軍鶏の喧嘩みたいに組手させてた
可能性はあると思うよ。本部はあの時代にハワイに唐手を普及に行ったけど、
実は宮城もハワイに行ってる。その後、中国にも行ってる。本部はあの当時珍しく
自由組手を経験していた唐手家(だから沖縄で無双できた)だけど、いつ腕試しを
申し込まれるか分からないハワイに行ったのは、殴り合いの自信があったからだろう。
船越はハワイ行きの話を断ってる。だからお鉢が宮城に回ってきた。で、宮城は行ってる。
ハワイにしろ中国にしろ、単身乗り込めたのは船越と違ってやはり本部のように宮城も腕に
自信があったからではないか?という考え方も出来る。
それもこれも、ようするに幼少の一時期とはいえ定期的に殴り合いの経験を(おそらく許田)と
積んでいたことに起因するんじゃないだろうか。あと相撲も強かったらしいしね。いずれにせよ
自由組手の経験は今の空手家には及ばないけど、闘争になれば強かったんじゃないかと思う。
で、自分が強くてもそれを他の人に同じようにさせる事は出来ないから、まあとりあえず筋骨鍛えろって事に落ち着いたと。 沖縄だと、昔から昇段審査のときにだけ組手をさせる道場もあるよ。
その際の組手は特にルールなどは決めず、投げも目突きも投げも関節も特に制限されてない。相手との阿吽の呼吸で寸止めかライトコンタクト。
危険だから、昇段審査の時しかやらない。
型などの中で練習してるのだから、「練習してないから決まらない」というのは頓珍漢。
「対人稽古でないとできない稽古」って、実はそんなにないよね。
間合と歩法の実践的応用、投げ、崩しくらいじゃないか?
後二者に関しては、沖縄の空手の先生は、結構な確率で、柔道か琉球相撲の名人なんだよな。
例えば、宮里栄一は沖縄柔道のトップだった。
実践的と言われるキックやボクシングも、練習の多くはシャドーやミットやサンドバッグ。対人練習はせいぜいマスくらいで、スパーの頻度は意外に無いよね。
組手ガーとうるさい奴は、学生の部活空手か、フルコン空手のイメージで語ってんじゃないのか。
しかも実践者じゃなさそう。 >>146
>沖縄だと、昔から昇段審査のときにだけ組手をさせる道場もあるよ。
そりゃ時代が下がって高弟達の年代になれば自由組手くらいするでしょ。昔じゃあるまいし。
いつの時代をメインに話てるのかも理解できず、自由組手したことないという現実にだけ過剰反応してレスする頓珍漢にはうんざりッス┐('〜`;)┌. 昔の唐手家達はほとんど自由組手をしたことないけど、高弟達の時代にはやってた。
これで済む話なんだけど、それのいったい何が気に入らないんだろう?
戦前のあったこともない沖縄の人間が自由組手したことなくても、それがそんな大事なことか?
宮城や比嘉が自由組手の経験なくて素人と同じかちょっと強い程度だったとしても、それが何の問題あるんだ?
開祖が自由組手をしたことないって認めたら、急に貴方達の自由組手の勝率が下がってしまうんですか?
宮城が自由組手をしたことないって認めたら、昨日まで使えてた道場で教えてもらった技が急に使えなくなっちゃうんですか?
もう一度言うけど、会ったこともない昔の沖縄人が殴り合いで弱かろうが経験無かろうが、今の自分の実力や道場のレベルに
これっぽっちも影響ないんだから、そんなムキになることでも無いと思うんだけどね。
ああ、でも道場で大した技術教えてもらってなくて自信持てない人は、
開祖は組手してて強かった!(俺はその拳法を練習してるんだ!)とかいう「権威」にこだわりたくてムキになるかもね。可哀想だけど。
>>136や>>141や>>144は道場で実用的なものも教えてもらえてる自信があるし、心の強さもあるんだろう。だから認められる。
>>140や>>146は道場の技術に自信が持てないからそれ以外の権威にこだわるんだろうね。開祖が弱いと権威が落ちるからさ。 >>146
まあ、マスが何か分かってないのは伝わった >>137
言い方は非常に過激だが、基本的には事実だと思う。そして、それでいいと思う。なぜかと言うと、空手が劇的に進化したからだ
近年では、寸止めで弱体化した空手が極真でフルコン化し、さらには、そこから独立したキックが15年でムエタイに追いついた
むしろ素晴らしいことだろう。伝統が問題じゃない。開祖に敬意を払う。この一点を変える気はないが 勝たなきゃいけないって発想が、なんか短絡的な感じがするんだよな
競技で勝てば強い、とか、実戦で使えなければ意味がない、とかよく聞くけど
いつまでたっても子供から卒業できないような何かを感じる
おれもはっきり説明できないのがもどかしいが
勝って嬉しい、負けて悔しい、(ケンカが)強ければエラい、というね >>151
済まんけど、煽りでもなんでもなく、何を勘違いしてるのか教えてくれないだろうか
元極真で、そこから独立してキックの世界に行った人なんて、いくらもいると思うんだけど >>150
戦前本土に唐手家達が普及に来たけど、船越とか結構歳食ってた。
でも、柔道の世界だとあれくらいの年齢なら弟子相手に普通に乱捕する。
もちろん、血気盛んな学生相手にガチの乱捕りしなくても、投げ技や寝技をかけて体験させることは出来る。
唐手家はほんど弟子相手に組手してないし、組手どころか攻防を教えるとか技をかけるとかも見当たらない。
船越より年齢の若い宮城とか摩文仁なら尚更の事。あんなにいっぱい弟子や学生が居たのに、組手をしてもら
ったとか、あるいは打撃の威力を理解させるため腹に打ってもらったとか、そういうのも無い。
現代の空手家の先生ならセミナーで当たり前のように体験させてることだけどさ。
だから、船越や宮城や摩文仁の組手スタイルはおろか、どういいう性質の突きでどういう目的を狙ったものなのかも不明。
ロクな突き持ってなかったと思うよ? もちろん組手の経験も乏しいし、型の分解とか使い方も指導者でありながら
知らなかったと思う。でも、だからといって、それを以って悪いとも怠慢だとも言わないし、普及に来た唐手家達の
功績に傷がつく事ももない。評価も敬意も変わらない。そもそも強いから偉い、弱いから悪いとかいう考え方のほうが不健全。
次の代のどの流派の高弟達も、抜けていた技術の補完をしてくれたんだから、
賞賛されることこそあれ批難されるいわれは一切ない。むしろ自分達は感謝すべきなんだよね。 >>153
「キックが極真から独立した」と「極真から出てキックに行った人間がいる」は雲泥の差だよ
分からないなら、日本語を勉強したら?
済まんけど、煽りでも何でもないよ フルコン(他)空手をやってる人がキックに走るのはよくあることだが、それは
「こういう戦い方だったらキックの方が合理的」という発想も含むと思われるが、
それなら最初からキックやればよかったってことになるのでは?
空手そのものがしっかりした体系で学べていれば、キックに目移りすることもない
気がする。 >>154
うん、それでいいと俺も思う。大体、ほぼ同じ意見。俺も
>>155
あ、すまん。俺の書き方が悪かったか。それでいい。すまなかった。俺が間違っていたってことで >>156
雑誌で極真の人がキックに行くとき、こう言っていた
「やはり、自分が行くべきはプロの世界だ」
極真は、どれだけ強くてもアマチュアだからな。入門したあとで、考え直して、そういう選択もあっていいと思う キックの魔裟斗をボロボロにやっつけた
ブアカーオのムエタイが強い 自分が所属してるところが自分に合ってるのかもしれないけど、素拳(稽古では拳サポ)で頭から足まで特に制限もなく、掴んでも投げてもいい。
ただ相手の生活に支障がでるような大怪我させて一生ものの傷を負わせたりしないようコントロールしなさい、っていうスタイルが好きだなぁ。
組手に他の武道や格闘技の技を取り入れてもいいし、逆に今のどうやったの?って質問しあえる、教えあえる。「それはうちでは教えてない」なんて言われない。
子供やおじさん達とはほどほどに、20代30代はバチバチやっても止めがかかれば笑いながら礼ができる。
剛柔に限らないだろうけど、自分はそういう稽古のスタンスが好きだから、他流から来たけどすごくありがたい。 実力の強い方が、弱い方に合わせて教えながら練習できる。一方的に痛めつけない。
それが武道ってことだと思ってる。 >>162
ハ _
___ ‖ヾ ハ
/ ヽ ‖::::|l ‖:||.
/ 聞 え | ||:::::::|| ||:::||
| こ ? | |{:::::‖. . .||:::||
| え | _」ゝ/'--―- 、|{::ノ!
| な 何 | / __ `'〈
| い ? ! /´ /´ ● __ ヽ
ヽ / / ゝ....ノ /´● i
` ー―< { ゝ- ′ |
厶-― r l> |
∠ヽ ゝ-― `r-ト、_,) |
レ^ヾ ヽ>' ̄ LL/ 、 /
.l ヾ:ヽ ` 、_ \\ '
l ヾ:ヽ ト`ー-r-;;y‐T^
| ヾ `ニニ「〈〉フ /‖. j >>163
分かりやすく書くと、「書いてる中の人が同一人物なのに、妄想で持ち上げて妄想でこき下ろしてるのが、痛さ全開だね」。
全部の先生を把握してるわけじゃ無いが、「沖縄唐手研究倶楽部」に参加してた先生たちの中に、いわゆる自由組手を稽古体系に組み入れて自ら鍛錬してた、または生徒に教授してた先生っているのかね?
実践派に位置付けられてる本部朝基だって、彼が研究してた「組手」は、約束組手で、自由組手じゃなかった、という人もいるよね。
このスレには、「宮城長順が自由組手を稽古体系に取り入れてた」と主張している人はいないと思うけど。藁人形相手に批判を展開してドヤ顔されても困るよね。 >>164
分かりやすく書くと、「書いてる中の人が〜
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‖| / f::::::::::::::::::::::ヤ / ⌒ \
‖ ヽ__/ !::::::::::::::::::::rイ / ⌒ (● ) \ え?なに?聞こえないwww
‖ ヽ::::::::::::::::/ソ / ( ● ) 、_) ヽ
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ヽ/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ Y ヽ__ノ /
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| | | >>160 >>161
剛柔流の流れをくむ、あの団体ですか? >>125
王子にある琉武館。試合に出たい人には試合用の練習も教えてくれるし殴り合いがしたいわけじゃないって人には伝統的な練習を教えていたよ。
ただ、武器術は教えてないかも。ホムペがあるからググって ,-'"ヽ
/ i、 /ニYニヽ _/\/\/\/|_
{ ノ "' ゝ /( ゚ )( ゚ )ヽ \ /
/ "' ゝ /::::⌒`´⌒::::\ < ピカチュー!!>
/ i ,-)___(-,| / \
i 、 |-┬-| /  ̄|/\/\/\/ ̄
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i' /、 ,i..
い _/ `-、.,, 、_ i
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,/ / \ ヽ、 i |
(、,,/ 〉、 、,} | .i
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`ー、ノ ~`ヽ,,_,.ノ `ー、 ..,,_,,,,、、ノ. !,,,、! >>137
いまいち説得力ないなあ。型無駄スレとかで繰り返し同様のことが書かれてるみたいだけど。
「見つからない」イコール「無かったことの証明にはならない」という点で。
かといって形の動作のこじつけを盛んに行っているのも、これまた説得力ないけど。
なぜ形が存在するのか?そもそも形は何のために作られたのか? >>171ここは剛柔スレだから、それは型のスレで聞いたらいいと思うよ。
納得いく答えをもらえないとと練習できないって話なら、考える時間がもったいないから筋トレでもしたらどうか。
でも、強い人達(先生や指導者、第一線で活躍する選手)は自分なりに咀嚼して練習方法を考えて答えを見つけてるけど。 >>172
他のスレ、特に無駄スレなんてどうしようもない。ただの一人として、なぜ形が残って
いるのか、真面目に考えようともしてない。そしてここも、やはり駄目だったか、、、。
それぞれが自分で答えを見つけろ、ということですかね。今日も形を練習しよう。 >>171
>「見つからない」イコール「無かったことの証明にはならない」という点で。
悪魔の証明だね。だから、自由組手があった証明を貴方が出せばいいんじゃないの?
自由組手が普遍的に行われていたなら、やってた記録なんがごろごろ見つかるハズでしょ。
試しに、宮城先生はどんな自由組手をしてたのか、東恩納は、船越は、糸州は? >>174
始まった。「貴方が出せば」。私は「あったことも無かったことも、どちらも証明できない」
と言っているのに。両方とも説得力がないと言っているのに、そこは読めないんだなあ。
組手または実戦?との関連性は、あったともなかったとも、どちらも言えないんですよ。 >>175
>私は「あったことも無かったことも、どちらも証明できない」と言っているのに
あったと主張するなら、主張する側が物証を出す証明責任が発生する。
根本のそれをが出来ないのであれば、証明云々ではなくまた有る無しでもなく
一律「無い」と判断されるのが常識なんだよ。証明以前の話なんだが、理解できる? 例えば
お前「糸州はムエタイ習ってましたー」
俺「ありえないだろ」
お前「いやでも、糸州がムエタイを習ってなかったっていう証明は出来ないんですよね?
習ってたか習ってなかったかはどちらも証明できない。ですから習ってた可能性もあります」
って言ってんのと同じなんだよ。証明が出来ないのであればそもそもの可能性が潰える。
c
可能性が無くなる以上、証明どうこうの場にすら立てないんだよ。それを無理やり立って、ムエタイ習ってた可能性もありうるとか言ってるのがお前。 歴史には隠されたことも多々ありますからね。我々の知らないことはたくさん
あると思いますよ。また事実無根なのに突然変なことを主張しだす人もいますしね。
何も残ってないなら、それは無い、というのは考察する面白さがなくなるじゃないですか。
「スタッ○細胞はあります」と言う人には証明する責任が生じますけどね。
形がどのように形作られていったか自分の目でみた人は誰も生き残ってないのだから。 >>178
>何も残ってないなら、それは無い、というのは考察する面白さがなくなるじゃないですか。
ええ、ですからあった証拠を出してくださいな。
そもそも無かった論拠をこっちはいくらでも挙げてるのに、あった論拠は全然あがらない。
その時点ですでに対等ではないんだよ。お前の頭の中では、対等かもしれないけどな。
どんなに願望を持ってても、糸州はムエタイ習ってない。習ってない論拠も沢山あげてる。
でも、お前は習った根拠をひとつも挙げてないのに、「あったか無かったかは誰にも分かりませんね」
と言い訳してるわけ。誰にも分からないってことは、ようするにあった可能性も暗に認めてるってことなんだよ。分かる?
>「スタッ○細胞はあります」と言う人には証明する責任が生じますけどね。
ええ、ですから自由組手があった論拠をどうぞ挙げてくださいな。
私は無かった論拠をこのスレでも他のスレでも何年にも渡ってあげています。
自由組手があった論拠も沢山あがっているのなら、「あったか無かったかは分からない」
という見解もなりたちますが、そもそものあった論拠が無いに等しい。だから言ってるんですよ。
貴方が挙げてくださいと。挙げるのが嫌なら嫌で別にかまいませんよ?
そのかわり、自由組手をしていたという信用性のある論拠が全然出てない以上は、あった可能性を口に出すなという話。
現時点で無いってことになってんだから、口出したいなら有った証拠をあげればいいわけ。
証拠や論拠は出せないけど、貴方の意見は否定はしますよ、組手はありますよ証拠はないけど、ってのは筋が通らないことくらい分かるよね?
まあ、この人もおそらく>>148で俺が言ったように、道場で大した技術習ってないから
権威にすがって、昔の唐手家は強かった、自由組手していた、未経験じゃなかったって感情論や脊椎反射で否定してるだけなんだろうけどさ。 >>177
その「例えば」は、内容がバカすぎです(笑)。 >>180
バカ(お前)に分かりやすいように説明したからなあ。
それとも「まだ」難しくて分かりませんか? この一連のバカ君とのやりとりを見た人は、そのまま>>148を読んでもらうと助かる。
果たして彼がどっちの人間か。俺は剛柔流の開祖も剛柔流の修行者達にも敬意や親しみを持ってるから
こんな権威にしがみつくバカばっかじゃないとは思いたいけどね。でも剛柔流にはこういう人多いのかな。 >>179
あなたが感情的になってますね。私にだって何も証拠などあげられませんよ。
嫌なんじゃありません。あなたが言うのは「じゃあ反対の証拠をあげろ」って
ことでしょ?私が言いたいのはそうじゃないんですよ。
あった証拠もなかった証拠もない。私の手元にもない。何度も言ってます。
でも、あなたの言うことには説得力はない。まだ分かりませんかね。 剛柔流に疑問を持つならとっとと辞めちまえ
ここのスレでクダ巻くのは迷惑なんだわ >>183
>あなたが感情的になってますね。私にだって何も証拠などあげられませんよ。
じゃあ大人しく黙っててくださいって話ですな。
>でも、あなたの言うことには説得力はない。まだ分かりませんかね。
それこそ感情論でしょう。私はただ、現実を述べてるだけです。
宮城長順の自由組手や東恩納の自由組手、許田や比嘉や糸州や船越や花城や屋比久や
他にもまだまだ昔の唐手家は大勢居るし、その弟子たちや関係者もいっぱい居るのに
誰一人として自由組手の記録が軒並み揃ってない。
だから、自由組手やってなかったんじゃないの? って言ってるわけです。それがそんなに怪しいことかな?
もちろん、これ以外の根拠もいっぱいあるけど書ききれないから省略するけどね。ご所望とあれば当然延々と書き連ねます。
そして、自由組手の記録をやってた記録もほとんど出てこない。私が見てみぬフリをしてる訳でもありませんし
また無茶なことを言ってるわけでもない。というか、無茶な論理であるならどこがそうなのか詳細を是非教えてもらいたいですね。 >>185
自由組手だから、残そうにも残せなかったとは考えられませんか?それと、
一方で空手は最初は空手家どうしの戦いのための術ではなかったということはありませんか?
最近の空手関係の書籍には自由組手のやり方が、試合でポイントを取る映像からの分解
写真なども含め載っていたりしますが、大昔は自由組手は形式のないものとして記録し
なかった可能性についてはどうですか? まあ、自分で言うのもあれだけど、貴方(171)以外の剛柔流の人には納得してもらってると思いますよ?
納得できない人が居るなら、どうぞ自由組手をやっていた証拠を出してくださいってことです。
僕も宮城先生や東恩納先生がどんな自由組手のスタイルで誰と組手してどういう結果になったのか
知りたいです。とても興味がありますから。もちろん那覇手じゃなくて首里手や泊手の唐手家でもいいですよ。
>>184
そうですね。確かに迷惑でした。 じゃあ迷惑だと怒られたから退散するけど、最後にひとつプレゼント。
>>178
>形がどのように形作られていったか自分の目でみた人は誰も生き残ってないのだから。
生き残っていなくても検証すればどの程度の武術レベルだったのか推測できます。
その推測の判断材料のひとつが、作った人たちが殴り合いの経験が無かった、ってことです。
まあ、型がどのように作られたかについては、別スレからの引用だけど次の書き込みを読んで欲しい↓ 13 :名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 93cd-jHMp):2017/04/02(日) 10:16:41.86 ID:FrzCiVjh0
>形は現実にあっていない技で構成されているのが問題って言っていた師範がいたな。
これはとても大事な意見でね。よく考えて欲しいんだ。
現実にあっていない技というのは、そもそも「実戦性」を前提に考えるから
「あっていない」となる。
でもさ、何でわざわざ現実にあっていない技で型の動作を構成する必要があるのよ?
誰が好き好んで現実にあっていない技で構成しようとするんだ?めんどくせえ。
そうじゃなくてさ、むしろこう考えて欲しい。
現実(実戦)にあっていない技で型を構成した、のではなく
現実(実戦)なんてものは創作時から念頭に無かったから
現実(実戦)にあっていない技で動作が構成されているのは当たり前
こう考えた方がよっぽど自然な流れだし、理にかなってるのよ。
型が使えるかどうかっていう問題はここにあるんだ。議論になるとき、それは必ず
型が実戦を想定して作られたことが前提で、しかし使えないから議論になる。
でも、初めっから殴り合いなんて考慮せずに作った(演武や舞踊目的)なら
非現実的な動作も、現在みんなの道場に深い技術がまったく伝わっていないのも、全て道理なんだよ。
この考えを何べんも言ってんだけど、多くの人は受け入れてくれないんだよな。難しいことじゃないのに。
以上
>>184
もう書き込みません。クダまいてすいませんでした。 いい師のマネしてればいいよ。
わたしの知る尊敬する師は、70近いのに毎朝10キロくらい走って、足は頭より高く上がるし、身体バキバキよ。毎日三戦もやるし。
拳は石みたいに硬くて、軽く突かれても骨折れそうなくらい痛い。
何を研究しても自由だけど、わたしはその師の教えてくれることをまず練習するわ。 結局ここでも相手にされなくて
みじめに退散か
ぶざまだなキンニクバスター
そもそも平安がキンニクバスターだと
言ってる時点でただのヲタだが >>189
型は技を様式化したものです
なので現在伝わっているものは実際に使う方法とは違う形になっております
その理由は(やっていればわかりますが)最初からその技を行っても筋肉の使い方が理解できておらず形骸化することを嫌ったわけです
例えば諸手突きなどが顕著な例ですね あれは上段と中段ないし下段を交互に、極めればほぼ同時に打ち込む技ですが、
最初からそのように練習すると体幹を使えず腕だけで行うようになり、ひいては体勢を崩し武術の「嫌う隙を生む」だけの自殺行為となります
しかしながら現在ではその本質的な技の意味が失伝しかかっている状態であり
"形骸化を嫌ったが故の形骸化"という、本末転倒の皮肉になってしまっている次第であります ■組手の話
本来、組手という言葉は手を組むの字のごとく、お互いに掴み合った状態を指す稽古法です
それは柔術、柔道に受け継がれ、明治期の空手道黎明期に柔道を参考に取り入れたというのが実情です
では沖縄ではそれまでどのようにしていたのか
それはカケダメシと言われ、ルール無用のほとんど喧嘩のようなもので実力を競っていたそうです
もちろん公に褒められたものではなかったらしく(当時も犯罪でした)、彼らは互いに合意の元、秘密裡に殺し合いに近いことを行っていたそうです
そんな彼らが武術を学ぶ目的は技を学び、体を鍛えるためです
無暗にウェイトトレーニングだけを行っても実戦では使い物にならないことはわかると思います
格闘技で用いられる筋肉使いは敏捷性や柔軟性がなければ無意味であり、それらは力の抜き入れの微妙な感覚を習得することでしか得られない技術です
又、カケダメシを行う人たちは決して多数派とは言えなかったようで、血生臭い実戦を嫌う人たちは型稽古のみを行って対立していたと聞き及んでおります
現在の自由組手と言われる稽古法が発達したのは明治期――それも皮肉にも本土でした
柔道や剣道などが盛んに持て囃された時代であり、それらを参考に空手道においても同じような稽古法ができないかと考案されたものです
その先導を率いたのが示現流を修めた山口剛玄、松濤館空手を学んだ大山倍達などといった先生方が指導にあたっていたらしいです
(ちなみに当時は剣道の防具を使い自由組手を行っていましたので、首や手足が折れるなどのぞっとしない事故も多かったそうです)
一方沖縄ではカケダメシの文化は廃絶され、従来通りの型の分解としての稽古法を行うのが主流でありましたが
時代の流れによって本土の自由組手や一本組手といった稽古法や競技形式が輸入されてくる形で現在に至っております
今でも伝統性を重んじる道場では自由組手や競技組手は行っていないところもあります、空手はあくまで鍛錬法たるべきとする旨なのでしょう >>182
>果たして彼がどっちの人間か。俺は剛柔流の開祖も剛柔流の修行者達にも敬意や親しみを持ってるから
経緯があったら開祖を呼び捨てにしたりはしない 明治時代の空手道場のカリキュラムには、「体系的な」「自由組手」は無かったと思うよ。
理由の一つは、技の内容が危険だから、競技化しようがない。金的、目潰し、関節蹴りとか。
加えて、子どものレベルだと、チブルサーエのような擬似「自由組手」的な遊びが何種類かあったし、血の気の多い大人には掛け試しの風習があったわけで、道場でわざわざ「自由組手」を指導する必要は無かったんじゃないかな。
今と比べて「実戦」へのアクセスが容易なのに、わざわざバーチャル「実戦」である「自由組手」なんてやる必要あったのか?
実際、「自由組手」を推進したのは、上記のような風習を知らない本土の大学生だろう。
実戦から遠い環境にいたから、「自由組手」のようなものをありがたがる。
上の方でも書いたけど、古い沖縄の道場だと、昇段審査のときに、指導者の思いつきで「自由組手」をやらされるんだよ。
その場合、特にルールは伝えられないので、ルール的にはなんでもありだけど、相手は同門なので、それなりに自制してコントロールされた技の応酬になる。でもこれは、ある意味、技の検証の類であって、同門でも全く知らない者同士がやったら、多分怪我人が続出する。
昔からやってるらしいので、宮城長順時代に遡れるのかもしれないし、そうでないかもしれない。それは分からん。
160が言ってる組手も多分、同じようなスタイルだと思うけど、こういうのは道場内で見知った者同士だからやれる練習だし、カリキュラムにしづらいので、仮にやってたとしても伝承しにくい。 ところで、古い稽古体系に「自由組手」が組み込まれていないことが、なんでそんなに気になるのか分からん。
稽古のカリキュラムのなかで「自由組手」をすることに、何か優位性があるのか。
「自由組手」は「大会」「ルール」とセットだ。
フルコン組手なのか、全空連式の組手なのか知らないが、ルール付きの「自由組手」がカリキュラムに組まれた瞬間から、技術体系がそれに引っ張られて変質していくので、組手練習は弊害の方が大きいんじゃないか?と最近思い始めている。
フルコンルールを採用した団体は、基礎体力や足技などで進化したが、間合とか顔面突きの面では明らかに退化してる。
寸止めもおなじで、競技優先の風潮で失われた技術は多い。金的丸出しのガニ股組手とか、剛柔なのにカキエやらないとか、巻藁突かないとか。
体験から言うと、髪の毛掴んで突き食らわせるサイファの動作は、喧嘩で凄く有効だったけど、「自由組手」の中でこれどうやって練習するんだ?
160みたいな稽古は、信頼できる身内同士で、狭い道場内だからやれる。知らない人間とは無理だし、たまに入門してくる「壊し屋」みたいなやつともできないよね。 160のものですが。
自分が先生クラスの人と組手をした時、おもむろに頭を掴まれて引き込まれて、肘、膝された時に「こういう風にやられることを想定してないと、簡単に掴まれてやられちゃうよ」と教わりました。
それはムエタイの首相撲のような、接近した時に不意に後頭部に手が回ってきて一瞬の出来事。こういう風に教えてもらえると、自分で使うこと、相手に使われることを考えるようになりました。
ほんとに強い人はそういうことを考えてるし、そういう人から学ぶことが視野を広げて自分の知識や技術が伸ばしていく1つの方法だと思います。
自分はこの環境が好きで、他流から来ましたがずっとお世話になってます。 >>196
>昔からやってるらしいので、宮城長順時代に遡れるのかもしれないし、そうでないかもしれない。それは分からん。
そもそも宮城長順は段すら出していないから、昇段審査で自由組手なんてあるはずないんだが。
沖縄の剛柔流で段を出すようになったのは、宮城の死後だよ。
こんなことも知らないで「沖縄では〜」とか言う奴が適当なことを言うから混乱するんだよな。 >>196
>今と比べて「実戦」へのアクセスが容易なのに、わざわざバーチャル「実戦」である「自由組手」なんてやる必要あったのか?
殴り合いの経験も無い人が大怪我する何でもありの実戦にいきなり飛び込みたがると思いますか?
頭悪いね >>199
儀間真謹がカキダメシなんてチンピラが遊郭でたまに喧嘩売りあう
くらいで普通の人はやって無かったって何かの雑誌で語ってた。
だいたいは負けたほうが顔おぼえて後日複数で報復してくる泥沼に
なるからやらないんだってさ。比嘉春潮も似たこと言ってた気がする。
196はそんなことも知らないでカキダメシに夢持っちゃってんだろ。 >>201
本部流のブログによると、掛け試しは
カキエに近い掛け手ルールでやってたらしい。 技を学ぶということはその技に対する防御手段を学ぶということです
掛けることができるだけでは意味を持ちません
自由組手は技の攻防を行うシレミュレーションです
お互いの呼吸、位置、構えによる間合いによって技は変化し、それに対する防御も変化します
型はあくまで手筋や定跡を教えているのに過ぎないことを知ると思います >>202
ブログ見てきたけど、掛け試しは
「金的、目潰し、関節蹴り、髪の毛掴んで引っ張りこんで殴打、腕関節を極めて折る、アバラ打ち」
なんていうどこかの誰かが夢見てる実戦とはほど遠くて、
お互い手を掛け合うという状態のもと、なおかつ「寸止め」で行われる
自由組手とは言いがたい約束組手の延長みたいなものだね。 しかも掛け手からの掛け試しは稽古として行えるけど、本部の一派以外は
教えてる気配がない。夫婦手や十二本組手と同じく、この稽古も本部の創作
なんじゃないかな。本部以外に夫婦手や十二本組手なんて当時誰もやってないし、
賭け試しにしても本土の学生達の間で稽古できるにも関わらず、首里手にしろ
那覇手にしろ大学の部活間で賭け試しの稽古が行われていた記録は見られない。
それどころか自由組手はもちろん約束組手の形式も本土の学生達が作って広まり
沖縄に逆輸入されてる始末。
普遍的に行われていたなら、他の唐手家や唐手家以外の沖縄出身の学生達が知ってるだろうし
一から作る必要はなく「こういう感じでやる稽古あるよ」って勝手に広まってるハズ。
たぶん、掛け試しは今でいう本部だけが自主的にやってた自主トレみたいなもんで
この稽古ですら一般的では無かったと思うよ。掛け手の名で稽古してる道場も、
だいたいは戦後に取り入れられたか、戦前であっても小手鍛えの変形として押したり
引いたりしてた程度。本部がいう掛け試しの稽古が戦前から行われていたのなら、
攻防の技術だけで本が1冊かけるくらいの内容だろうけど、本どころか掛けてをして
攻防を繰り出したという稽古の痕跡すら本部以外にほとんど見当たらない。
ほとんど本部のみがやってた稽古で、本部はそれに飽き足らず自由組手も
(おそらく屋部と)経験していたから、あの当時組手したことない唐手家達が
いっぱい居る中でアドバンテージを確保でき無双できたんだろうな。といういつもの結論。 >>137
知識あるからそこそこ空手やってるのかな?
にもかかわらず嫌いなんやね。やめたほうがいいよ。 そもそも自由組手云々っていう話になってるのは何故?
むしろそんなもん必要ない。今でもやってないとこもあるだろう。 スレ違いなんだよいい加減
荒らしてるヤツもわざわざその荒らしにレスつけるヤツも
専用のスレがあるんだからこれ以上はもうこっちでやれや
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/budou/1491088329/l50 荒らしてるヤツもそれにレスつけるヤツも、みんなの迷惑考えろよ少しは なんだか、長文連発の寂しい人、いますね。それも酒飲みながら誰かと語っても
「マニアさんご苦労さん」て感じで敬遠されるんじゃないかという内容ばかり。
ちょっと否定のレスがあればすごい噛み付きかたしてるし。 >>137
べつにいいだろう。空手(唐手)は、琉球の格闘技「手」と、伝来した中国拳法が融合して、独自の進化を遂げたものだ
だから沖縄で形を量産しても、何の問題があるってことになる。原点の中国拳法をやりたかったら中国拳法をやればいいんだ
それに、たとえばボクシングも柔道も、発祥した瞬間からいまの形だったわけじゃない。いろいろ試行錯誤して強くなったはずだ
空手も同じ。原点が強くなかったことなんて、べつに恥じることじゃない。あたりまえのことを言って揶揄されても困る 五代目宗家のように、政治活動に精を出してる剛柔流指導者はいますか?
ちなみに千葉氏は宮城県内では与野党問わず人脈が広く、一定の影響力があるみたいです。
故人ではありますが、名誉館長は横審委員長まで務めた一力一夫氏ですね。 どうしても自分が正しいと言わなきゃ気が済まない2ちゃん中毒のおっさんは
放っといてみなさん楽しく剛柔流を学びましょう >>213
頭大丈夫?
中国拳法の伝来自体を否定した相手に対する反論にしてはあまりにとんちんかんだぞ
しかも後半を読んでないのがバレバレ 退散すると言っておきながら、またやってきて中毒症状か チンコがデカくて女とヤリまくってる男に俺は憧れる
いろんな女とヤリまくらずに何の為の人生か? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています