【最強】最高の空手技術書はどれだ?2【実用的】 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>43
一度は放出しましたが、たまたまご縁で友人から貰いました。
もう2度と手放しません。
本では隠された護身技があるので、本を元に工夫ですね。 わんぱく空手があれば
マス大山カラテスクールは必要ない >>74
マジで名著
特にステップ・間合い・見切り・護身の項は実用一点張り
全編で地味にしつこいくらい「出だしの間を捉えて先に動け」
「掴まれる前に動け」と “先を取る”事を重視しているのも素晴らしい
諸々の事情で3巻以外は復刊できないのが悔やまれてならない本 ラーメンおごらさせられる
DVDつきの本じゃダメか? ユニークで個性的なネットで稼げる情報とか
一応書いておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
N8O1X 山崎照朝の実戦空手
DVDもあった。
後ろ蹴りアドバイスで「、、馬の蹴りだよ、ヒヒーンと蹴るんだ」と山崎先生。 倉本成春氏の「波の術理」
けっこう実用的なのに、以外と安いのが良い (6 lゝ、_ .ノ ヽ、__ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
http://twitter.com/ibuki_air
09058644384 >>12
字が違うようだと思ったけど...本当なんだ
お爺さんばかり話題にしてるけどこっちのがびっくりだな >>11
肝心の技術論は従来の議論を一歩も出ていない平凡なものだったような 映像見たことあるけど
なんかドッシリ感が無いんだよね。 ドッシリ感というよりは、身軽に挙動なしでフッと竹槍で突かれる感じで何気にヤバイよ
一見軽いけど、カチカチに乾いた冬の硬い竹を研いだ槍先みたいな突きだすんだよ
あの爺さん パーフェクト空手面白かったが滋も美幸も もういないよ.. 人間の身体って不思議ですね、部位や技術や力があっていくら強いと言っても頭の骨の
中味はとうふと同じなんだもの。金ちゃんや目もそうだからみんな同じいくら強くても
いくらでも弱いのが人間である、のが本当のところ。そっからですよ。
この技術書でないもんは人間に制限設けてるだけのもんだから。続秘伝極真空手なんて最悪だ。 死んではないが自分の流派立ち上げたんじゃなかったっけ >。70 >>71 それ書かれたとおりに出来る人いるの? >>105
やったことない他競技まで口出ししちゃあかんわ 倍達の秘伝極真空手と続秘伝極真空手を再販しろや
シミだらけで汚い古書に1万も出せない >>105
神保町で買ったわ
結構求めていた内容が書かれてそうなので即買った。まだ読めてないが >>124
昔買ったがもうどこにもないから捨てたんだろうなあ
大して中身なかったような
冨樫さんは妙に評価していたけど >>109
よくご存じでw
まさしくその通りなんだけど、個人的な感想としては
先細りのどでかい丸太棒に正面衝突した感じでした
見た目の軽さで判断して、不用意に当たると、不具にされかねない危なさがある
一度肩口に当てられてから以降は、恐ろしくて構えられた拳の正面には立てなくなったす >>127
富樫さんは基本独学だから本位しか空手の情報無いからだろ 空手と禅
という本見たら
空手は型をただひたすらやるもの
と前提しててわろたわ >>130
そりゃそうだろ
自由組手なんて近代になってからの発明だからな 型は何のために生まれたかなんて想定すらしていないのがいっそすがすがしい
てかw 精説沖縄空手道 その歴史と技法
沖縄伝剛柔流空手道
この二つはけっこう読んでるな 安里安恒が言ってるように型は元々舞踊として生まれたんだから
実戦経験の技術が詰まって無いのは当たり前だし唐手に組手の歴史がないのも当たり前 無くなった横山和正氏曰く、沖縄の稽古でも最初はひたすら型を打つことが強調されているそうだ
「沖縄空手の学び方」は良い本だと思うし、つぐつぐ惜しい人を無くした 最初はひたすら型を打つっていうか、最初も最後も型をただやる、それしか無いしそれが唐手
それでもモノ足りない人はマキワラ突いたり重しを振ったりして終了
ハナっから対人に使うようには出来てないんだよ。武術っぽい気分に浸れて満足するための装置。 「空手と禅」でもヨガや太極拳との違いは武術かどうかで
武術かどうかはそれを見て武術と人が思うかどうかで決まるとか書いてあってワロタ ロー山さん実戦極意か日々研鑽かワールド空手だかで顔を突かせたり帯で叩かせたりしてた
凄いな どれだけ強い武術家が型を演じていても
本人が踊りだと思ってやってれば踊りだろうし
パフォーマンス程度のモノとしてやってればパフォーマンスになるのだろう
逆に。どれだけゆっくりとやって、戦いになど使えないだろうと思われても
そこに様々な経験の蓄積や武術の高度な原理が現わされていれば武術であるとも言える
本人からの視点もあれば
それを見て理解できる人間の視点や理解できない人間からの視点もあるので
それぞれにとっての意味や価値しかないとも言える
人によっては踊りが武術かも知れない >>140
>そこに様々な経験の蓄積や武術の高度な原理が現わされていれば武術であるとも言える
まあ少なくとも唐手の型の成立時にそんな高度なものは埋め込まれてないし
伝承過程においても付加される事は無かったってことだな。
だって成立時も成立過程もどの時代も近代まで組手やってこなかったんだし。組手どころか約束組手すら満足になかった。 >>142
だから元は武術をモチーフにした踊りだよ
男女の恋仲と別れをモチーフにしたり、漁業をモチーフにしたり、踊りっていっぱいあるだろ?
唐手の型(というか踊りの一種)も元はその一環だよ。 ドジョウ掬いって踊りだるだろ? 泥土の中でドジョウを掬う様をモチーフにした踊り
踊りじゃなくて本当にザルを使ってドジョウを掬う昔ながらの作業を見たことある?
当たり前だけどドジョウ掬いの踊りとは違うよね。ドジョウ掬いはあくまで誇張して抽象的にやってるだけ。
当然ドジョウ掬いの踊りをいくら練習しても、実際に泥土に行ってドジョウ掬えると思ったら大間違い。
そんなのは本当にドジョウを掬うのを仕事にしてる人達から見れば笑われるくらい稚拙で現実を知らない動作。
でも、それでいいんだ。何でかというと、別にドジョウ掬いの踊りは本当に泥土の中に入ってドジョウを掬うためのものじゃないから。
そして、ドジョウ掬いの踊りを作った人も、別にドジョウを掬う極意を踊りの動作に詰め込んだりした訳じゃない。あくまで見せるためのものなんだ。
唐手の型も一緒。モチーフにしただけであって技術の結晶だとかは後世の人が都合よく夢見ただけで絵空事なんだよ
本当にプロの人達がドジョウを掬う技術の結晶を後世に残したいなら、当然書物に技術を残すよ。
現に琉球の舞踊に限らず音楽や料理なんかも技術は書物に残してある。
これは本土も同じ。大切なことは口伝にしても、残さなきゃいけない基本的な技術はごまんとあるんだから書物に残してる。
唐手は踊りから生まれたため戦う技術がそもそも詰まってないから、記す技術も無く、故に書物が昔から存在してないのもそのため。 平安初段の第一動作すら糸州が何と教えていたのか分からないのもそのため。
平安二段の第一動作すら大勢の弟子が居たのに教えが伝わっていない。
平安三段の第一動作すら松村や糸州や屋部や花城や知花や船越がどう教えていたのか伝わってないのもそのため。
平安四段の第一動作すらあんなに大勢の弟子や高弟が居たのに伝わっていないのもそのため。
平安五段の第一動作どころかほぼ全ての型の使い方が伝わっていないなんていう不自然な現実も
元々使い方なんてのが型が作られた時点で技術が存在しなかったし伝承過程においても付加されなかったから。
それもこれも組手をやってこなかったから技術が育たなかったのは自然の道理。
現在みんなの道場に大した内容が伝わってないのもそのためなんだよ。
それを誤魔化すため「失伝した」と言いつくろってるだけ。現在古伝を名乗ってるほとんどの系統は
型に技術が無いから近年になって自分達で創作してこじつけた人達の系統。あとは「古くから伝わる技術です」って言ったもん勝ちの世界。
長々と書いたけどそろそろスレ違いだからやめるわ。ごめんね。 そうなるとそもそも基本の突きや受けの動作すら
想像の賜物で実際にそれを使って何か有意な効果があったという証明にすら
ならんな
実際に朝鮮人や中国人は素人的発想で硬いものをぼこぼこ殴って
板や石を割ったりしてこれが当たれば相手は死ぬ
とかいって達人だと称したりする人が多いが
空手もその類のフィクションということだな まあ大山倍達もその一種で試割りや指立て伏せとかで鍛えて
戦う技術は素人に結果売ってぶっ飛ばして俺最強
って言っているだけとも言えるな 昔の格闘家は現代の法律上は雑魚
今の格闘家は高度に進歩してるから強い 戦前や戦後の昔の空手家って、刃牙に出てくる宮本武蔵みたいな感じで現代より強いイメージあるんだけどどうかな?
そりゃ体格や新しい技とかは現代のほうが優れてるのだろうが、
昔ながらの間合いとかタイミングとか虚実の取り方の上手さとか、
喧嘩も今より身近だったから昔のほうが強い上手いとかはないのかな? 沖縄の唐手家が、本土の空手はダメだ何だというけど
本来なら自分達がサボってやってこなかった技術開発や組手方法など
戦えるように体を張って試行錯誤してバージョンアップしてくれた協会とか極真とかに
感謝しなければいけないんだよ。
寸止めにしろフルコンにしろ、組手というアドバンテージがあるけど
沖縄唐手にはそれらの開拓をサボってて差がつけられたから、仕方なく
我々のやってるのは古伝の型で〜とか、古い動作はこうで〜、とか
○○先生の直系の道場で〜、とかいう組手と関係ない部分での自慢しか出来ない。
もう一度言うけど、唐手というただの踊りを実際に使えて戦える空手にしてくれた
寸止めやフルコンの本土の先人や現役の先生方にこそ感謝しなければいけない。 >>150
>昔ながらの間合いとかタイミングとか虚実の取り方の上手さとか、
そういうのは対人稽古をしなければ身に付かないものだから。
そして対人稽古をやってこなかったのだからお察し。
それでも喧嘩が避けられない場合は「空手に先手無し」の精神だからな。
昔の唐手家は暴漢にからまれたけど平気で頭を下げて難を逃れた、さすがだ!
みたいな逸話多いけど、実力が周囲にバレずにそれでいて衝突を回避して株も上げれる
唯一の苦肉の策が、唐手をやってるのに平気で頭を下げるなんて立派だ!という作戦
だからその手の話が多いんだよ
実戦はそうだったけどじゃあ稽古ならどうかというと
弟子に自由組手で稽古をつけてくれた唐手家の例が極端に少ない時点でこれもお察し。
逆に言えば、その当時において対人稽古や喧嘩などをしまくってた唐手家は強いと思うよ。
他が実際の殴り合いという体験をしてない中、顔面ありのガチの殴り合いを研究してたら沖縄で無双できるよね?
それがおそらく本部や屋部。あとは幼少の頃だけとはいえ殴り合いの稽古を経験したのは宮城と許田くらいのもんじゃないかな。 座波仁吉さんは、
寸止め試合出てた若い頃の宇城さんの高速突きを見切ったとかいうけどやっぱり凄いの? 近代の空手家は知らんけど、修行次第でいけるんじゃねーの?
それより空手書スレだからそろそろやめようぜ キンバスの欠点は
お高い月謝を払って高名な先生に習ってないこと
金にものをいわせれば
いろいろ教えてもらえる そうそう、金にものをいわせてお高い月謝を払えば
高名な先生に最近創作したこじつけ技術を教えてもらえるよね
それで満足する人はそれでいいんじゃないですかね? >>158
お前は話に加わることが出来ないから毎回後から出てきて遠吠えするしかないもんなw 踊りはバカにはできないよ
人をどつく蹴る動きや必要な基礎体力やバランスだって養うし、
そもそも使い方が違うだけ 動いて人を魅せるか、倒すかの違いだけで
西洋でも良く言うでしょ 見かけのチャラさやなよなよしさだけに騙されて
ダンサーやバレリーナとはケンカするなって
カポエラだってダンスのフリをして政府から禁止された技術を後世に伝えたし、
沖縄舞踊も捏ねり手や取手や歩法の習得にはかなり役立つ
坂東玉三郎も、ただ歌舞伎舞踊の型を取るだけで、受け手をぶん投げたりする事が
出来るという
自分に理解できないからって、それは役に立たないモノだと安易に断ずるのは
数学者の研究発見した数式を理解できないからって、ただの数字と記号の
羅列としてしか認識できないのと同じこと
自分のモノ知らずさを誇らしげに他人に語るのは、お世辞にも賢いとは言い難い 唐手は何も積み重ねてこなかったから
われわれは中国拳法伝来で〜とか中国拳法の「権威」に頼ったり
でも型は沖縄人の創作で中国拳法伝来説が否定されたら
今度はわれわれは示現流の影響も受けており〜、と剣術の「権威」に頼り
でも示現流とは似ても似つかず剣術の影響も否定され
型は踊りでしょ?と指摘したら、型は踊りじゃない!とか言ってたのに
いや、舞りはバカに出来ない、歌舞伎やバレリーナは〜と、舞踊の「権威」に頼り
哀れッスなあ。自分に何もないから何かの権威に頼りたがるんだよなあ。
小学生の頃にも居たじゃん、うちの家は三階建てだの、親戚に有名人が居るだの自慢するヤツ。
いや、家が豪華なのは両親のおかげだし親戚は有名人だけどお前は有名ではない。
君の価値は何?って問われたら何も個性も価値もないから、自分以外の他の権威に便りたがる。
唐手も同じだね。
中国拳法の権威、示現流の権威、踊りの権威、次は何の権威に頼るのかな。
有名アスリートがしてる身体操作と型に内包されてる身体操作は一緒で〜、とかスポーツの権威に頼るのかな?
「型に大した技術詰まってないので、自分が使える技術をこじつけました。実用的ですよ?」
って何の権威にも頼らず、しいて言うなら「自分の権威」に頼るのが本道だし健全だと思うんだけどなあ。 唐手の型は技術の結晶の積み重ねです。
みなさま今後も引き続きすばらしい空手ライフをお過ごしください >>161
空手や型にどの様な持論を持とうが、それは個人の自由なのだが、
ここはあくまでも良き空手技術書について語る場所
お勧め本が無いというのなら、いくら滔々と語ろうがディスろうが
このスレ上では情報として一銭の価値もなく、便所の落書きにも
等しく無価値
なんならここではなく便所の壁にでも書き込んでくださいな 何か武道として使えるものなら型を一つ二つだけ老後の楽しみにマスターしたいんだけど
何か技術論が見えない
空手と禅とか書いて糸東流講談社の学者先生も型は何も考えずに雑念を
払うためのものとかいって武術性を全く説明出来てないし >>164
おすすめ本かあ
手塚一志のバッティングの科学とかかな
>>165
空手と禅にも書いてあったじゃん
船越先生が言ってたように、逃げ道を事前に詳細に調べておくのが唐手
もともと殴り合いの技術を昔の唐手に期待するのが間違いなんだよ 芦原英幸の3分冊かな。ページはじっこにパラパラ動画がついてる。
道着を脱いだマッチョな二宮師範がカッコいい。 勝つための空手 石井館長は文章書いても読みやすいしやっぱり商売人として長けてる 今日書泉グランデ行ったらやたらと宇城さんの著作があった
この人の本はいいの? >>170
スピリチュアル全開なのと、
お弟子さんが何も教えてくれないからってやめていくと聞いて、
著作を読む気がしない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています