>>693
そもそも、江戸柳生の資料ってのが、どれほどあるのかと。
思うに江戸柳生が明治に消滅したのは、実際のところ
幕末あたりまでに、すでにろくに機能してたんじゃないだろうか。
すでに廃れてたから、明治になってまで
無理に存続させようって気が翁方tんじゃないかと(想像だけどね)。

むしろ、尾張柳生の残り方のが不自然に思う。

とくに厳長の言い分だと。大前提として、
宗家に残ってる資料のが正しいという前提にしてるけど。
そんな事は無い訳だ。

宗家の資料だろうと、火事にあったり、カビてしまったり
地震なり災害なり人為的ミスで資料が消えてしまう事はある。
逆に、無名の地方のどこかの写本のが真実に近い形で
伝わってる可能性もある訳だ。
そういう事情が一切なく、自分ところに伝わってるのが
絶対、正しいってスタンスだよね?

で、正直、残り方が怪しい。
ものを残すってのは大変な訳で、上の様に
残そうと思っても、様々なアクシデントで
残せなかったケースは、ままある。

一言で言うと、尾張柳生の伝書の残り方は残り過ぎてて
不自然な上に。公開の仕方も不自然。(現代まで残せたのなら、
むしろ電子化して後世まで残そうって気になりそうなもの)

写真以外でどんだけ外部の人間が資料をまの当たりに
出来てるのかね?……って話。そもそも、資料として本当に貴重なら
出し惜しみせず全部みせても良いんじゃないかと。