柳生厳周師も武士だった訳だし、明治維新もあった。
新陰流に限らず、けっこう他の流派も秘匿していたのではないかね。維新までは。
尾張柳生に江戸柳生に対する、新陰流へのライバル心があったのは否めない。
ただ、早々に江戸柳生の新陰流は細くなって、継承者がいなくなってしまったからね。
せめて明治まででも、継承があればまた面白かったのに。
江戸柳生の詳しい資料を発掘してきて、世間に広めた人も厳周師の弟子だったという皮肉。
それまでは厳周厳長親子も、江戸柳生についてはあまり知らなかったのだろう。
江戸と尾張では、進化の過程が違うから最新型は違うのだろうけど、江戸は途中で進化せず絶滅しているから、比較的初期の新陰流に近いのだろうと予想できる。
尾張では初期のカタも伝わっていて、実際に絵目録などと比較してみても納得のできる伝承なので、それをもって江戸も同じだったのではという話。