宝山寺にある天狗抄の絵目録は、石舟斎が上の人が言ってる「もう一人」にあげたモノでは?
もらった時点では絵だけだった筈。口伝で足りているから。しかもその人、宗矩ではなく石舟斎の弟子ですよね。
後に竹田七郎の子らが、注釈をつけてもらいたくて、天狗抄を知る人を探したが誰もいなくて、断りきれなかった旗本に無理矢理書いてもらった説が有力だと。
宗矩には天狗抄は伝わっていないのだから、江戸柳生の人はそりゃ皆断りそうです。