新陰流総合【ワッチョイ】 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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変な政治レスに荒らされたので新しく立てました。
前スレ
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/budou/1455535036/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 需要があると勘違いして居座るからGIF考察君のことはもう無視しなよ
新陰流は正しく継承されてないって前提で書物だけを頼りに個人研究してる人だから、その発表会に私たちが注釈を加えてもまともに取り合ってくれちゃいない >>566
違うよ。
先に禅語があってその雰囲気の技を考えたのでは無いから。
技名と技の内容は合致しているよ。
新陰流が発生した時期に、武士達がどの様な兵法を目指していたのかを考えれば、素肌剣法は無いと思うけど。
こんな事教えるとキミの研究、一からやり直しになっちゃうかもだけど、長短一味の長短は自分の得物の長さの事だよ。
どういう事なのか考えてみてね。 >>569
>新陰流が発生した時期に、武士達がどの様な兵法を目指していたのかを考えれば、素肌剣法は無いと思うけど。
根拠は無くて想像って事? その人の想像かって…
日本の学校の義務教育では、その頃は戦国時代で鎧着て戦ってる絵とか見て、勉強するけどな。
同時期に発生している流派も、どこも甲冑剣法なのでは? 取り敢えず武道は一方通行でダメなので
GIFさん オフしましょう
交流会してお互いの考察を技術交換しながら検証するのが良いです >>571
例えば戦国時代の伝書に載ってる技に甲冑着けてる箇所を狙う技はないとか
戦国時代の兵法者が書いた伝書に剣術は普段着の相手は想定してないという言葉が残ってるとかの根拠を示せるならともかく
甲冑着て戦ってた絵を見たって言われてもそれがなんの根拠になってるのかよくわからんな
>567さんが甲冑着た相手に使えなさそうな技挙げてるけどそこに反論はないの? >>573
実際に当時の技術として伝わっているモノが、甲冑用だからとしか言い様が無いな。
理合も技法も納得できるから、説得力がある。
知らない人に説明するのは困難だけど。
あと、やればわかるけど、甲冑剣法は素肌が相手でも何ら問題なくつかえる。
それから、567さんの所は僕等の所とは遣い方が違うし、その意味もわからないのでコメントはできない。
全然違う技を例に出して、甲冑剣法では無いと言われても…という感じ。
本物の天狗抄本伝はガチな甲冑剣法だよ。 >>574
あなたのところだと
柳生石舟斎が残した「謀りと矢留め甲置く長具足多勢に無勢兵法のほか」って句はどう解釈してるの?
一般的には「策にはまった時、敵が飛び道具、鋼鉄の鎧、長もの、多勢に無勢では、剣では無理」という意味で捉えられてる事が多いみたいだねど 伊勢守は天狗抄については、石舟斎と宝蔵院ともう一人くらいにしか伝えてない。
柳生に伝わったものも石舟斎の時点で、最晩年に名称等を変更している。
技の名称が変わった火乱房と同じ技で、柳生の技では二刀を遣うのは打太刀すなわち敵。
尾張では打太刀もするので二刀も遣うが、火乱房はここでは基本的には対二刀の対処法。
口伝では対処した後、仕留める所まである。トドメ方は対甲冑で間違いない。 因みに石舟斎は柳生宗矩には伝えなかったようなので、江戸柳生には天狗抄は無い。
が、三厳は何故か知っていたという話。こういう話イイね。 >>578
宗矩が書いた型目録は元和四年に鍋嶋元茂に与えたものと兵法家伝書(進履橋)の二つしか現存してないが
二つとも天狗抄はある 率直な感想として伝承が、
「尾張柳生すごい! 江戸柳生は2流」
……みたいな印象なんだよね。
根底にルサンチマン的な物を感じると言うか。
「そのうえ、居合いまでありますよ」とか
売り込みたい感もすごいあると言うか。
……こう、骨法的なものを感じる。
ともかく歴史があって、
その他も充実してるスゴイスゴイ流派。
甲冑剣術……
あれから考えるに足先でも狙うのかな?
よろわれてない、つらぬきを刺し貫くとか? >>579
宗矩の伝書に残っているのは、天狗抄ではなく奥義の太刀。
六ツノ切合は奥義の太刀の事。添截乱截があるし。 宝山寺の宗厳の目録に注釈書いた人、宗矩の弟子なんですが。天狗抄の技を解説できるひとが天狗抄を習ってないわけないでしょ 天狗抄を知らない人が注釈つけたから、間違った認識が書かれているんでしょ。
尾張柳生の目録には口伝が付くのだから、注釈は必要無いし。
当時、石舟斎の目録に尾張の人が宗矩の弟子に、注釈を頼むとかあるかな? >>581
それは宗矩の「見之巻」には
天狗抄は型名だけで太刀名が書いておらず
逆に奥義の太刀は型名がなく太刀名だけ書いてるから混同してるんだと思う
ちなみに宗厳の目録も同様に奥義の太刀という名前は明記してない
一枚目の画像が宗厳の二枚目が宗矩が書いた目録に記された太刀名と型名の一覧表
https://i.imgur.com/A0UH7Kv.jpg
https://i.imgur.com/M0bVlBy.jpg 宝山寺にある天狗抄の絵目録は、石舟斎が上の人が言ってる「もう一人」にあげたモノでは?
もらった時点では絵だけだった筈。口伝で足りているから。しかもその人、宗矩ではなく石舟斎の弟子ですよね。
後に竹田七郎の子らが、注釈をつけてもらいたくて、天狗抄を知る人を探したが誰もいなくて、断りきれなかった旗本に無理矢理書いてもらった説が有力だと。
宗矩には天狗抄は伝わっていないのだから、江戸柳生の人はそりゃ皆断りそうです。 >>578
宗矩は天狗抄を知らなくて十兵衛は知ってたという話は月之抄や武蔵野にそう判断する記述があったの? >>584
2枚目の天狗抄の技名は、石舟斎が晩年に技名
を変更した後のモノですよね。
う〜ん…宗矩の伝書に?…
現在尾張に伝わる天狗抄の技名と合致します。
と、言うことは…
家に帰ったら、資料見てみます。 >>587
ごめん説明が分かりにくかったかも
一枚目の画像の2つの表が宗厳の目録
表の1-5(1596年) 天狗抄は太刀名がなく、奥義の太刀は型名がない
表の1-6(1602年) 天狗抄に具体的な太刀名が記され、奥義の太刀は型名がない
二枚目の画像の2つの表は宗矩の目録
表の1-7(1618年)天狗抄は太刀名がなく、奥義の太刀は型名がない
表の1-8(1632年以降)天狗抄に具体的な太刀名が記され、奥義の太刀は型名がない(太刀数六と説明だけある)
※ただし1602年の宗厳の目録と1632年以降の宗矩の目録で天狗抄の太刀名は全然違う 伊勢守も石舟斎も免状を誰かにあげる時に、人によって内容を変えてますからね。
現存してる免状にその技が書かれていないから、その人には記載された技しか伝えていないだろうという見解。今迄は。
そうは言っても、尾張柳生の口伝も相当重みがあると思いますので、難しい所。 確かに相手によってここまでしか教えないという事もあるけど
宗矩が晩年に発行した目録では奥義の太刀の構成を宗厳のものと変えたように
教える側も教わった側も技を変える事があるのが難しい
江戸柳生の資料は江戸で保管してた分は江戸時代の大火と空襲でかなり焼失したから、はっきりとした事がわかる事は永久にないでしょう多分 >>585
その旗本が宗矩の弟子だよ。
宗矩が天狗抄を知らないなら、なんで小城藩や宗矩や柳生藩のからわかれた系統の覚え書きに天狗抄があるの? http://up2.cache.kouploader.jp/koups24374.jpg
奥義の太刀だのを
秘伝しても仕方ないんじゃないかと。
そもそも、このスレでも「奥義之太刀・奥義の太刀」って
何度も名前があがってるけど、その呼称、どこが出典なの?
>>584見るに、有名な古い書にはついてない様だけど?
まさか、撃剣叢談からじゃないよね?
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24375.png >>592
出典は現在の尾張柳生の人や研究者の本なり論文だと思うけど
現存する尾張柳生の目録で「奥義の太刀」という名前が出てくる一番古いものは長岡房成の刀法録
ちなみに利方の目録では「奥位七之伝」、厳春の目録ではまた名前を秘すようになってる 宗矩に天狗抄が伝わっていないって、柳生厳長師が著書に書いてるよね。
でも、十兵衛や佐野嘉内の著書では、欠伝したのではなく、秘する為に欠いたと表現されていると、うちの師匠(尾張柳生系)は言ってる。
謎だよね。 厳長さんが正伝新陰流書いた後に発見されたり公開された江戸柳生の資料がかなりあるから
現代の人間から見て変なこと言ってるのは仕方がない
十兵衛には長い伝書がないみたいなこと書いてるしおそらく月之抄も読んでない 奥義の太刀も同じ理由で書上では、秘していたのではと。
尾張柳生での稽古上では、奥義の太刀は上泉以前からとなっています。
天狗抄奥、七太刀、奥義之太刀は公開を禁じられています現在でも。
公共の場だけでなく、関係者のみの演武会でも許可されません。 厳長師は親父さんと一緒に、十兵衛杖研究の為江戸柳生家を訪ねて、随分江戸の史料を見ていたらしいです。
月之抄は彼的には短かったのでは(笑)。
色々研究した挙句、あの見解かもしれないので謎なのです。尾張の口伝は貴重ですし。
ま、どっちでもいいけど(笑)。 正確には、”奥義”じゃなくて”奥儀” なんだけどね
” 堅く請段をもって九箇までご指南候、 基の上の儀は真実の人によるべく候 ” >>597
東京の江戸柳生家を訪ねたの?
奈良の柳生の里じゃなくて
興味深い話だけどその情報はどこに載ってたの >>597
つじつまが合わないなら、当時出版されてなかった江戸柳生系の資料はあまり見てないって事でいいんじゃない
月之抄を短いって言うよりはよっぽど合理的かと >>597
上でも一回聞いたけど
>578の天狗抄が宗矩には伝わってなくて十兵衛には伝わってたって話は何から判断したの? >>569
>先に禅語があってその雰囲気の技を考えたのでは無いから。
>技名と技の内容は合致しているよ。
そういえば、何気に意味が分からなかった言葉。
むしろ、先に禅語が有って、
それに技の形を合わせた場合なら、名と技が一致するだろうけど。
先に技があって、禅語を借りて名づけたなら
正確な一致はしないだろう。
(比較的、技に似ている名称を持ってきてるとしても)
やはり、二刀で無いんだろうな
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24396.gif
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24397.gif
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24398.gif >>602
Twitterに二刀流の話するのが大好きな連中が集まってるからTwitterアカウント作って投稿してみたら? う〜ん、Twitterやらないんで
まあいいかな(名無しのが気楽でいい)
剣術スレはあるから、あっちでよさそうだし >>604
Twitterも名無しみたいなものだよ。
残念だなあ、Twitterの連中がどんな感想を持つか気になる。 そもそも、天狗抄の太刀名が内容に対応してないとは思わないけどな
そう感じるのは間違った内容を見たか妄想してるかが原因ではないの? >>602
天心流さんのスレで出してた文献は、どなたの執筆?
自分は尾張柳生系なんだけど、あの資料の発言について、信じられない妄言と感じるんだ。
自分が教わってきた尾張柳生家の認識は、全く違うモノなので…
執筆者が気になる… 厳長先生の著書は、厳長師の弟子でさえ尾張柳生サイコー!に、盛り過ぎじゃね?感持ってる位だからネ。
厳長伝を継承している所は、別に厳長先生マンセーではないし…
敬意はメチャ払うけど…
しかし、あの本の新陰流の技術的な説明は正しいゼ。
甲冑は斬ることができない部分が多い。
だから、斬る事だけが攻撃では無いのよネ。
手首、行くよ。良く行く。
だけど、斬る為ではないヨ。別な攻撃手段だネ。 で、手首を狙って来るのは敵も同じなので、なるべく敵から遠い位置にこちらの手首は置いておきたい。
そして、廻剣の要領でやはりこちらも敵の手首を狙う。初めは。
それが車。 それより気になるのは……
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24403.png
江戸柳生と絶交したせいで
江戸柳生関係者に間違ったことを書かれ、
当時の学者は江戸柳生の資料によってたんで、
江戸時代の尾張柳生の資料は、みな間違っている。
明治まで、うちが門弟に出してた伝書はことごとく返納させてたし。
進上した書物も明治維新以後、厳周・厳長家にお預けとして家蔵し、
資料が外に出ない様にしてたから
明治までの資料も間違った書かれ方をされてる。
そんな訳で、世間じゃ間違った事ばかり書かれてきた。
とくに江戸が正統な新陰流としてるけど、
正しくは、尾張こそ正統な新陰流。
その証拠は、明治まで秘匿してきた、うちにある資料
……って解釈で言いのかな?
正直、すごいうさん臭いものを感じるんだけど……。
しかも江戸時代以来からあった名古屋の道場も
空襲で焼けちゃったんでしょ?
明治年間を通じて、(御流儀の御覧以外の)他藩へは
決して公開しなかった。
つまり、大正だか昭和だかに資料を公開するまで
一般には、ろくに知られてなかったのが尾張柳生なわけ?
厳周の先代の相伝者が徳川慶恕になってるけど、
明治16年に亡くなってる人だから
うがった見方すると関係者が亡くなってから公開したようにも見える。
とりあえず、当人には直接、確認できないよね。 どうでもいいが、著作物のページを丸々コピーして掲載するような事は感心せんな 柳生厳周師も武士だった訳だし、明治維新もあった。
新陰流に限らず、けっこう他の流派も秘匿していたのではないかね。維新までは。
尾張柳生に江戸柳生に対する、新陰流へのライバル心があったのは否めない。
ただ、早々に江戸柳生の新陰流は細くなって、継承者がいなくなってしまったからね。
せめて明治まででも、継承があればまた面白かったのに。
江戸柳生の詳しい資料を発掘してきて、世間に広めた人も厳周師の弟子だったという皮肉。
それまでは厳周厳長親子も、江戸柳生についてはあまり知らなかったのだろう。
江戸と尾張では、進化の過程が違うから最新型は違うのだろうけど、江戸は途中で進化せず絶滅しているから、比較的初期の新陰流に近いのだろうと予想できる。
尾張では初期のカタも伝わっていて、実際に絵目録などと比較してみても納得のできる伝承なので、それをもって江戸も同じだったのではという話。 江戸の資料が間違っているという表現は、例えば絵目録に註釈を書き込んだ人が、その技を知らなかったのに書き込んだとか、そういう事なのではと思われ。 江戸でも尾張でも、伝承が続いていれば互いにリスペクトして共存していただろうに。
でも、江戸は途絶えてしまったから、新陰流を知るには今では尾張しか選択できない。
近代になって、途絶えているのを良い事に、自分達は江戸柳生を知っていると商売する団体が出て来て、なんかなぁと思う。
尾張を継承している所はけっこう秘匿しているから、奇しくも厳長師の著書と一緒の状況(笑)… >>613
>江戸柳生の詳しい資料を発掘してきて、世間に広めた人も厳周師の弟子だったという皮肉。
今村嘉夫でしょ体育学者の
尾張柳生無関係じゃないの その今村さんに近づいたのが、大坪志方という人。柳生厳周の弟子。 それほど、尾張柳生に興味は無いんだけど
>>235の暴露本っぽいののタイトルだけ
聞いておこうかなぁ……と。
わかる人にはわかるんだろうけど、
部外者にはどんなタイトルで何に触れてるのか
ぜんぜん見当がつかない。 太刀(カタ)に興味なくて尾張柳生にも興味なくて、むしろどういう角度から新陰流の何を理解しようとしてるのか分からない・・・
あんた面白い人だな むしろ、尾張柳生が新陰流の顔って訳じゃないだろうし
そもそも、兵法家伝書や絵目録を読んでも
本来、型重視の流派とは思えない >>620
「むしろ」とか「そもそも」とか頻繁に文頭につけるが、いつも否定するだけで会話になってないんだよ。
貴方なりの推測的な結論があるのかもしれないが、言いたいとこを小出しにするばかりでそれがこちらに見えてこない。
>尾張柳生が新陰流の顔って訳じゃないだろう
別に顔だなんて誰も啖呵切ってないじゃないか。
たしかに厳長師の残した文章にはそういった色が濃く見受けられるが・・・
ただ上泉流祖からの新陰流が尾張柳生氏を宗家として受け継がれてきたのは確かだし、
江戸柳生が一度失伝しているのも事実だ。
>本来、型重視の流派とは思えない
これに関しては言っている意味がイマイチ分からない。
ネットで見た動画をして実践的でないということかもしれないが、それについてはみな誤伝だと反論を受けてるじゃないか。
勝ち口を伝承するために太刀(かた)の形式をとっているだけで、我々が受け継いでるのは別にお決まりのダンスではない。
現に貴方がGIFに書き起こしているのも、貴方なりの太刀(かた)の研究ではないの? >>621
>ただ上泉流祖からの新陰流が尾張柳生氏を宗家として受け継がれてきたのは確かだし、
その言い方だと尾張藩以外で伝わってた新陰流でも宗家として扱われてたように聞こえるからだいぶ語弊がある >>618
新陰流道業六十年回顧録という、転会の渡辺忠成氏の著書ではないだろうか。 >>622
確かにそうかもしれない。
出過ぎたことを言った、これについては謝罪するよ。訂正ありがとう。 >>623
それか、ありがと
正直、読みたいとは思わないけど
一応、名前だけは覚えとく
>>621
>ただ上泉流祖からの新陰流が
>尾張柳生氏を宗家として受け継がれてきたのは確かだし、
それが本当か疑ってるんだよね。
そんな重大な事、明治が終わるまで隠してられる?
むしろ、江戸柳生が滅びたからこそ
後だしで言い出し始めたんじゃないかなぁって
だって尾張が宗家って根拠は、尾張の資料だけなんでしょ? >>621
>現に貴方がGIFに書き起こしているのも、
>貴方なりの太刀(かた)の研究ではないの?
型ではないんじゃないかなっと。
文中でもAだった場合、Bだった場合に分かれる事もあるし。
型のように決まりきったもんじゃないはず。
相手が斬りかかってきたら
こう返す……と言うのはあるけど。
当然、斬りかかってこなかった場合もあるはず。
その場合は常識の範囲で対処すれば良いだけ。
たとえば、相手の太刀を上から太刀で抑え
相手が振り上げようとしたら逆らわずに太刀をどけ、
隙をついて斬る……と文書ではあっても。
相手が振り上げようとしない可能性もある。
その場合は、自分の太刀がすでに上にあるんだから
そのまま相手を斬ってしまえば良いだけ。
ロボットじゃないんだから、自分で考えて行動できるはずだ。
技を活かそうと、こだわるのも病気に過ぎない。 尾張に新陰流の主流が移動したのは、石舟斎が江戸にいる人では無く尾張にいる人に、次世を譲ったからではないかな。
別にどちらが柳生流の宗家とか、そういうのは無かったのではないかね。
あと、自分は様々な創作・復元流派を経験して新陰流にたどり着いたけど、本物の新陰流のカタは他流と比べても、大きな技術の理念を包有したもので、相手がこう来たらこうとか、そういう単純な技術説明では無いかな。
斬り合いの技術の根幹をカタから学ぶ感じ。だから、色々と応用が効くと思う。 あと、新陰流には活人剣という考え方があって、相手の剣を振り上げさせたかったら、そのように相手を誘導してしまうんだ。
だから、その技を使うと相手は剣を振り上げてしまう。不思議と。
そういうのも、カタの中で口伝として伝承されている。
古代の技術とは、本当に凄いと痛感するよ… YouTubeとか見ていても、踊りの様にカタの手順のみ演じている残念なトコ多いよね。 >>625 >>626
なるほどね。
主張の意味がようやく分かってきたよ。捲くし立てて悪かった。
>むしろ、江戸柳生が滅びたからこそ
>後だしで言い出し始めたんじゃないかなぁって
>だって尾張が宗家って根拠は、尾張の資料だけなんでしょ?
逆に疑問なのだけど、貴方が「尾張柳生があとから言い始めたのでは」と思うきっかけになったのは何なの?
特に理由も無くホンマかいなとはなりにくい気がするけど・・・。
>ロボットじゃないんだから、自分で考えて行動できるはずだ。
>技を活かそうと、こだわるのも病気に過ぎない。
そうなるといよいよ、やっていることは剣術じゃなくて本当にダンスだよね。
そういう人たちの演武を見て、そう思うのは当然だろう。
ただ、再三再四言うけどそれはちゃんと受け継がれていない人々のものを見た感想に過ぎないよ。 >>627 >>631
U.S.転会の演武。
https://www.youtube.com/watch?v=RLvlSjbq8hk
1:16〜が転会でいう「本伝の三学」ですよね?
これは「ちゃんと受け継がれた」ものなのでしょうか? 始終不捨書とか没滋味手段口伝書とかが
全文のってる書籍は、なんなのかね?
「正伝 新陰流」でも、活字が部分しか載ってなかったし
写真掲載も、ほんのちょっとされてたけど
白黒な上に画像が小さかったりする
今さら、出し惜しみせず載っけて欲しいもんだ
その写真にしても古いものにしては、
ずいぶんと綺麗すぎないか?……って印象
しかも、二百数十年間も隠されてた柳生連也の口伝書を
大正時代に厳長が見つけっちゃったって!?
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24561.png
率直な感想として実に、うさんくさい
……代々の伝承者も誰も知らなかった書を
つごうよく見つけちゃうんだぁw
そういう大発見した後は、ちゃんと学術的な所で
鑑定してもらったりしてるのかねぇ?
他の資料もさ
「資料があるある」言ってる割りには
出し惜しみしてる感があるんだよねぇ
ぶっちゃけ、ローカルな印可状なんて
正式なものかなんて部外者…と言うかおそらく、誰にもわからんのだし
それを根拠に正統だと主張するのもどうなのかなって思う >>632
なんか、このスレでさんざん
「他の流派と違う」的なこと言ってたのに
みたら、たいして違わないんで……わりとガッカリだな
https://www.youtube.com/watch?v=RLvlSjbq8hk#t=82
>>631
>逆に疑問なのだけど、貴方が「尾張柳生があとから
>言い始めたのでは」と思うきっかけになったのは何なの?
>特に理由も無くホンマかいなとはなりにくい気がするけど・・・。
単純な話、厳周系流派のどの演武もお粗末すぎるってのが根底にある
あきらかに、ところどころで絵目録を読み違えている
それも、尾張に独自の資料があってそっちに合わせていると言うより
あくまで絵目録を参考にしている感じで
で、調べるとどうも他にも、うさん臭く感じる
それこそ、厳長の書籍に準拠しても
尾張柳生じたいが古武道界において、ポッとでの存在のようだ
(自分らが正統だと江戸新陰流を下げつつ。柳生十兵衛など
都合のいい時には江戸新陰流の圧倒的な知名度に乗っかってる。
これは現代でも、そう見える)
蓋然性として、尾張だけ資料が豊富ってのも怪しい事の一つで
それまでの外部の資料がろくなくて
さらに唐突に新しい資料が大正時代に見つかるってのも
……正直なところ、でっちあげてる可能性を真っ先に疑ってしまう >>634
>始終不捨書とか没滋味手段口伝書とかが
>全文のってる書籍は、なんなのかね?
公刊書としては『柳生新影流道眼』(島津書房)くらいでしょう。
ただ尾張柳生のカタの説明文を探しているのなら、柳生兵庫助の兄・柳生利方の『打太刀目録』や柳生連也の『口伝書内伝(通称)』、長岡房成桃嶺の『刀法録』を読まれた方が良いと思います。 始終不捨書、没滋味手段口伝書は原文を写したモノがたまにヤフオクに出てるよ。
あと、厳長師が見つけたと言っても自宅にあったモノでしょう?
街の古本屋でたまたま見つけたのとは、違うと思うけど… 柳生新陰流道眼は延春さんの意訳だから。
一年位新陰流を習った人の意訳。
さて…
原文を見た方がいいよ。 GIF研究君みたいな人を信用できない人は、原文を見ないことには… >>636
ありがと
う〜ん、でも正直、値段的に手が出ないなぁ >>641
>う〜ん、でも正直、値段的に手が出ないなぁ
原文のみで良ければ、Web検索でも出てきますよ。
『柳生新陰流道眼』(柳生延春 著)には解釈も載っていますが、その元ネタは柳生厳長師範の講義録でしょう。講義録の誤記も訂正せず、そのまま載っていたりしますから。
柳生厳長氏の講義は、柳生連也や長岡桃嶺の著作(注釈書)に基づいています。 うん、まあ、ネット上で読めるのも知ってたんだけど
できれば書籍でも確認したかった
https://aucview.aucfan.com/yahoo/k282270751/
柳生新陰流道眼に載ってるのは
こういう感じで、すでに活字本なんだろうか?
それとも影印も載ってるのかな?
長岡桃嶺って人の文書が正直よくわからない。
実在の人物ではある様だけど
この人の文書も柳生家が管理してる感じなのかな?
なんか、これもちょっと怪しい印象……公開されてるのは限定的なのかな?
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24583.png
https://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/budo1968/20/2_20_7.jpg まぁなんでも調べずに信じちゃうから古武道界にも歴史詐称が溢れてる(言い過ぎか)わけだし、GIF武蔵くんみたいに疑ってみるのも悪くないのかもしれないけどね・・・。
ただ彼のいう「絵目録の読み違い」も、どこまで行っても彼の脳内にある正解と比較してるに過ぎないよね。
しかもGIF武蔵くんは何か武術の心得があって想像してるわけでも無いんでしょう? 疑ってかかるのは結構だけど、それじゃ何で宝山寺の目録絵図だけは信用できるのかと
それも疑ったらいいんじゃないの?w 筋トレはどうなんだろ...
うちの師範からは体捌きや剣を振る動きの中で付く筋肉以外は特別求めないって言われてるけど、こっそり個人的に自重トレーニングだけはしてる
新陰は柔術の動きも取り入れてるからムキムキである必要はないんだろうけど、外勢法とかのエネルギッシュな太刀には無関係ともいえないかなって... >>644
前にもいったけど、演武は
あきらかに読み飛ばしてる箇所があるからね
自分の読みが正しいかどうかはともかく
演武が間違ってるって事だけはわかる
演武は、序盤にすごい安直な読み方して
それで後半に矛盾が出ると気にしないか、
読み飛ばす行為を平気でやる
矛盾が出たなら立ち返って、
序盤の読みが怪しいんじゃないかって
振り返る行為をしない
(古語は大雑把な表現が多いから、矛盾が出たなら、
なにか表記が省略されてる可能性を考えて、頭から戻った方が良い)
たとえば、目付と言うのを柄と解釈して
柄を斬った後に左手首を斬ったりする。
常識で考えたら、柄が斬れるなら
その時点で左手首だろうと右手の指だろうと斬れる。
「さらに左手首を斬りなおすなら、そもそも
目付けは柄の事じゃ無いんじゃないか?」っと
普通は考えそうだけどそういう事は一切、考えず。
機械的に左手首を斬る。
(それも、切られる側がわざわざ左手首をさらして) というか正直、詐欺師なんじゃないかって思うんだよね
言ってる事が、ところどころ矛盾してる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%9F%E6%B0%8F#%E3%80%8C%E6%9F%B3%E7%94%9F%E5%AE%97%E5%AE%B6%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
>現在、利厳の子孫である尾張柳生家は、正しい柳生宗家(本家)は
>嫡流の自家であり、宗矩の家(江戸柳生家)は分家であると主張している。
>その一方、この主張に対して以下の問題点が指摘される。
>.『徳川実紀』『寛政重修諸家譜』などの江戸時代の記録において、
>柳生宗家とされているのは一貫して宗矩の江戸柳生家である。
>.この尾張柳生家が柳生宗家であるとする主張は、
>当の尾張柳生家の史料でも確認できず、資料上に登場し始めるのは、
>第20世当主・柳生厳長による著作
>(『柳生流兵法と道統』『正傳新陰流』など)が出始めた大正以降である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%9F%E6%96%B0%E9%99%B0%E6%B5%81#cite_note-2
>皇宮警察で新陰流を伝習するため
>(流派内部では明治天皇の聖旨によるものと伝えられている)、
>厳周と長男の柳生厳長(後の第二十世)は宮内省済寧館へ出仕した。
>ただし、後述の通り1921年(大正10年)に宮内省だけで
>新陰流の伝習の取りやめを決定できたことから、
>明治天皇の聖旨があった可能性は低い 上にある通り、柳生家の主張には怪しい話が多い。
で、わりと重要な事でウソが発覚したら全体も疑ってかかるよね?
当人自身がウソつきで有る可能性が出てくるから
(3割ウソついてたのが確認出来たとしたら、
確認出来なかった残り7割りが正しいはず……って解釈は出来ない。
個々の事実が正しい事が証明されない限り)
2ちゃんだって、「証拠があるある」言ってるのに
ソースを出さなければ疑われる訳だ。
あるいは、「ある」事だけをやたら強調してるのに
部分的な物しか出さず、それもなにかコラ臭いとなると、また怪しい。
正直、柳生家の資料ってそんな感じだよね。
すごい物証が有ると主張してるのに、公開してる範囲が限定的。
しかも、急に2百数十年も未発見だった資料が見つかたっとか言い出したり。
そんなすごい資料が出たのに写真も公開しない。
中途半端に公開するなら、いっそ全部を学術的な所に公開すればいい。
本当なら歴史的にも貴重な物のはずだ。
(思うに、適当な事を言って鑑定させたりはしてないんだろう。
↓の例でも、公開が限定的だったなようだし。写本しか渡さないとかもありそうだ)
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24583.png ウソつきってのはウソをつく事が最大の武器であり。
最大の弱点はウソが発覚する事だ。
だから、なるべく物証は「有る」と主張し、
なおかつ、その物証をなるべく見せつけたいけど、
ボロが出てしまうのを最も恐れる訳だ。
中途半端な写真を掲載するのも。そもそも、まだ該当の捏造品の現物が
出来てなかったり。あるいは、あんまり作って見せつけると
ボロや矛盾が出る危険を恐れてるんじゃないかと。 伝書にしても、明治以前は弟子には返納させてたし
自分らよりもえらい家系の人達に渡した場合さえ、
「お預け」と言う形で返してもらってた。
だから外部に一切、証拠がない…・…と主張してるけど。
(そもそも、本当にそんな事出来るの?)
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24403.png
それでいて、大正以降には
免許状だの伝書の写しだのとか平気で出してる訳でしょ?
これもまた随分、中途半端な変移だよね?
詐欺師にとってはウソこそ最大の武器だから
免許状発行するのも戦略だし(ぶっちゃけ、元手がタダだしね)。
明治以前は伝書を返してもらってたのがウソの歴史なら、
そんな捏造の伝統にこだわって、律儀に返納をさせる必要もなかったろう。
インチキ剣術にインチキな免許状を発行するだけなんだから。 今の尾張柳生家の当主に、是非ガツンと反論してもらいたいなぁ。 後からでてきた江戸柳生に伝わる石舟斎の伝書と整合性があるから、さすがに一から捏造してることはないと思う
正当性に関る部分で公表してないものもあるかもしれんけど 整合性とかは逆じゃないかなぁ……っと
明治ごろ、すでに公開されてた資料を参考にしてるとかで
燕飛は燕飛で疋田流あたりを参考にしてたりとかね
で、そういうのは
そのまま映したとされない様に
内容をちょっと変えてみるとかね
(で、うちこそが正しいと)
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24402.png ちゃんと伝わっている所は、昔の伝書と照らし合わせても納得のいく伝承だからなぁ。
新陰流の人って、結構他流から来ている人も多いし、皆全くの素人でも無い。
だから疑わしいなら、とっくに逃げ出してると思う。月謝だってあるし。
その中にいる人は、関係の無い人が疑おうがDisろうが、どうでもいいんじゃないかな。
伝書とか持っている人が、公表するしないはその人の自由だろうし。
現代口語訳でも出版すれば売れるのだろうけど、延春さんの時で既に親父さんの受け売りなら、現在では意味さえ不明かもね。 疋田の燕飛と尾張柳生の燕飛は凄く違うよね。
元が同じ人からというのが信じられないくらい。
長い年月での伝言ゲーム的差異と、もしかして上泉師が違う燕飛を、それぞれに伝えていたかもしれないし…
そういうの厳長師の頃って情報無かったんじゃない? 尾張柳生が保持してる上泉が石舟斎に与えた伝書と石舟斎が兵庫に与えた伝書
史料柳生新陰流で公開された東京の江戸柳生が保持してる石舟斎の伝書と宗矩の伝書の間で
時系列的な内容の変化に特に矛盾がないからなあ
厳長さんはそういう視点無しに江戸と尾張の伝書の違いは上泉が秘匿した技術が尾張にしか伝わらなかったって言ってたけど
逆に現在公開されてる江戸柳生の資料のかなりの部分を知らなかったことと尾張柳生の資料自体は本物なことを示してると思う さて、それはどうかね
明治の段階でどの程度、公開されてたかはわからないし
演武なら、他流の奉納演武とかが見れたかも知れない まぁ確かにこれに関しては、現当主やその直近の関係者がもっと情報開示しなけりゃ、真実は門徒にも門外の人にも分からないだろうな。
どれだけ我々が調べようが今ある情報の範疇でしか判断できないわけだし。
身も蓋も無い言い方ながら現代じゃ生業として剣を伝えてるという面があるから、すべての技術を公にするべきというのは無茶な論だと思うけど、個人的にも正史くらいは広く追究されてもいい気がするな。
新陰流ほどの大きな流派にメスが入り始めたら斯界では大きな波風となるだろうけど・・・ よく考えたら、非公開にしてたってのは尾張柳生だけで
他の新陰流はとくに秘密主義では無かったんじゃなかろうか?
全国に新陰流の分派は数多くいたんだから秘密もなにも無い。
個々の新陰流は、、真偽はともかく、新陰流の分派でしか無かったんだし。
(実際は無関係だけど。新陰流の分派を名乗ってた流派もいただろう)
しかし、他の新陰流の書籍にも
一切、江戸時代の尾張柳生の事は載ってないんだろうね。
(載ってたらそれこそ話題にされるはず)
宗家の尾張柳生との交流はまったく無かったんだろう。
雷刀とかも伝わってる様子、一切ないもんね?
おそらく、他の新陰流にとっては
大正までまったく知らなかった新陰流が突然、現れて
「オレがお前らの親分なんだぞ。
お前らの新陰流は中途半端な技術だ」って
訴えてきた感じだったんだろうね。 >>665
何が言いたいってそのままだよ
正伝新陰流を読んだ上での疑問なのかそうじゃないのか知りたいだけ
それによって意見も違ってくるでしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています