尾張柳生の場合、代々の宗家は結構いじっているみたい。
けれども、「元々の遣い方はこう」も残してはいる。それは一応上泉伊勢守の遣い方とされている。
新旧を並行して伝えているね。
過去の宗家や補佐家も、今の自分らの遣い方とそれまでに伝えられている、昔の遣い方を比べて検証しているしね。
確かに改良されてそれだけを伝えられたら、始祖を否定する事になり、おかしな事になるけど新陰流の場合は違うみたい。
この事は変てこりんな伝承が多い現代、自分が新陰流を選んだ理由の一つだけど。