◆◆◆野太刀(薬丸)自顕流2◆◆◆ [転載禁止]©2ch.net
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野太刀自顕流研修会
薬丸野太刀自顕流保存会
薬丸自顕流近江道場
薬丸自顕流顕彰会
野太刀自顕流兵法会(旧奥田派)
設立順 刀が身近に無い現代だからこそ、木刀木剣による型を真剣にてフィードバックできているかを披露することは有意義でっしゃろ。まぁ見解が人によって違うのは仕方ないから、それぞれ研修会や顕彰会など選んで行けば良いだけの話。 真剣でのフィードバックはわかるよ。
でも、人前で演武する意味はどこにある?
流派として伝承されてないのに。
単なるパフォーマンス。
稽古の中で、研鑽すればいいだけの話 人前で真剣の技、特に抜きとか見てみたいなぁ。
そう思わない人は研修会とか行けばいいし。研修会と保存会とは、何を基準に選べばよいかね。 結局、古伝を守り伝えるか、自分達のオリジナルを付け加えるかの違いになるね。 蜿、豬√→縺?縺」縺ヲ繧ゆセ阪?サ蛻縺ョ譎ゆサ」縺ァ縺ッ縺ェ縺?繧薙□縺九i縲√◎繧後r陬懊≧諢丞袖縺ァ繧ゅ∝?縺ョ貍疲ュヲ遞ス蜿、縺ェ縺ゥ縺ッ諢丞袖縺後≠繧九□繧阪≧縲?
閾ェ鬘墓オ∬?ェ菴灘ョ、逕コ蠕梧悄豎滓虻譛溘→螟牙喧縺励※繧九@縲∝・・逕ー蜈育函繧ゅ∵?斐?ッ縺ェ縺九▲縺滓ョオ菴榊宛蠎ヲ謖√■霎シ繧薙□縺励? 示現流はフィードバックとかいって真剣で演武
なんて絶対にしないだろうねぇ 刀が身近に無い、触ったことすら無いのが一般的な現代だからこそ、真剣に関わらせる流派は素晴らしいと思うなぁ。そう言えば、この件で色々聞いてたら、昔、誰だか稽古の時、真剣を使おうとして手を斬っちまって「真剣は禁止!」となった会派があったと聞いたが笑えるね。 論点がずれてる。
真剣使って稽古するのは全然構わないが、
居合の型としては伝わってないので
昔から伝わってる技のように演武するのは
おかしいよ。ということ。 示現流じゃないけど、伝承されてる技を継承する
のが古武道だからね。
それに、ただ抜きの型を稽古するだけならわざわざ
真剣じゃなくても模擬刀で十分と思うけどね。
真剣使うなら試斬の時でいいと思うよ。 真剣の抜き技って昔から伝わってるからこそ木刀でやるんじゃん。頭わるいね。 わざわざ、高価な真剣買ってまですることじゃのということ。
代用品で十分。
伝わってるのは、木刀で長棒と対峙する型。 刀の存在が生活の中に普通にあった時代と現代の環境の違いを考慮すれば、木刀で稽古したことを生活の中で、例えば抜き技など、庭でやってみるくらいは常識であっただろうね。そうでない現在、真剣での稽古や演武は意味があると私はかんがえる。
そうでないと考える人は研修会に行けば良いし、どちらが正しいとかでなく、見解の違いなんだから争うのは無意味。 個人の見解の違いを流派の伝承技に持ち込むのはナンセンス。
稽古は別に真剣で抜こうが、試斬しようが自由。
しかし、演武は伝えられてるものを披露するもの。
抜刀術である、抜きの技に刀礼や納刀・血振いなどといった居合のような作法も伝わってる?
ないよね。
ないのに、それぞれ自分達のオリジナルで納刀し刀礼したりする。
それはただ人前で真剣を見せつけたいだけだよね。
一種のパフォーマンスにすぎない。
伝承されてるのは、木刀で長棒と対峙する型があるのみ。 それと、研修会に保存会・顕彰会・兵法会
どこも、みんな真剣やら居合刀やら使って稽古してたりしてるよ。
ただ、それを会としてやるか、また人前でわざわざ披露するかの違い。 演武は伝えられてるモノを披露する。なんてのも個人の見解。 オリジナルを組み入れて演武として行ったら
もはや古武道じゃないね 勝手にオリジナルを付け足して、流派の先人達に申し訳がたたないね。 後世に足した部分をちゃんと公言してたらいいんじゃないの?
無外流居合も田宮神剣流も近世になって再編成したんだしそういうポジション明らかにして活動するなら 実際に帯刀していた時代で、戦などの経験から
新しく型に組み入れたりするならともかく
この現代で新しく型に追加してなんの意味がある?
百歩譲って体術なら、現代社会にマッチしたものとかわかるけどね。 結局、人前で自分の持っている真剣を見せたいだけだよね。
真剣の扱い云々というなら、稽古でコツコツと練習したらいいだけのこと。 持ってるよ(笑)
数振り。
パフォーマンスと見せびらかすのが嫌いなだけ。 真剣パフォーマンスも必要だとの見解の人は顕彰会へ、真剣での演武は否定の人は研修会へ。というだけの話。
ちなみに保存会の東さんは真剣で稽古しようとして手を斬ってやめたので、本来は真剣否定派ではないと、その場にいた別府さんがむかし言ってた。 研修会もその東さんと同じ見解だね。
ということは…
自分達のオリジナル型で真剣パフォーマンスしたい人は顕彰会
昔ながらの型を自分達で変えることなく演武したい人は研修会と保存会 結局型を伝承するとか、技を極めたいとかじゃなくて
単に真剣を人前で見せたいというだけなんだから
抜刀道みたいな、真剣だけを扱う流派を立ち上げたらいいんじゃないの?
抜刀道みたく真剣使うなら、抜きで試し斬りでも披露すれば盛り上がるんだろうけど。 >>710
え?研修会も、真剣で稽古しようとして、刀で手を斬って真剣禁止という見解になったの? 真剣否定派ではないということ。
演武でしてないということ。 そもそも、奥田先生が真剣使って演武したなんて聞いたことない 真剣使ってどうのこうのいうけど、ただ逆袈裟で抜くだけでしょ?
そんな難しくないよね。 >>713
真剣での稽古はまず間違いなく昔の人もしてただろうしね
とってつけたような礼式を加えてさも伝わってる稽古法のように演武するのがいかんのでは また、堂々巡りだね。
だから、稽古はしても構わないが演武は伝承されてないのでおかいしよと。
真剣での操作方法が型として伝わってるなら
鯉口の切り方や血振に納刀刀礼
刀の差し方など細々と伝わってるはず。
先人たちが伝えてきた型を「とってつけたような」なんて口が裂けても言えないね。
それは先人達、ひいては歴代の宗家に対する冒涜だ。 もと保存会の東京だけど、東さんは真剣の稽古も否定してましたよ。
つか、何人かで、真剣でもできなきゃ意味ないってんで、刀を買ったこと報告したら激怒りして、その話タブーになった。
その頃、ANAに乗ったらたまたま義秀さんと曽木さんが真剣で自顕流やってんのが画像で何枚も掲載されてた。演武はダメで全国に載る冊子ではいいの? わざわざ報告しなくていいのに
一人稽古すればいいこと。
島津義秀さんはでべそだからね(笑) あと、薬丸ノ流が実戦に効力ありそだってんで、斉興の前で「東郷ノ流と薬丸ノ流が試見とナリタリ」って古文書に出てくる。
演武なんて言葉もないし木刀か真剣かなんて書いてないから、真剣での試見(演武)があったと仮定できるかと。 水戸の自称関口流宗家の土チンピラが
体験入門で遊びに行った時に
そのまんま東が
俺の刀貸したら怪我しやがったギャッハッハ
だから真剣の話は駄目なんだよ
って話を拡散しているのは聞いた事があるな。
真剣使うなはある意味正論。
懸賞とかは
引っこ抜いて満足してるだけだったから
満足に納刀すら出来ないから危なくて見てらんなかったぞ。 >>演武なんて言葉もないし木刀か真剣かなんて書いてないから
で、答え出てるよね。
なのに、なんで真剣での演武があったと推測できるの? >>721
確かに納刀むちゃくちゃ。
練習しないとね。 古流や居合上がりの人の
抜きならまあ危なくないかな?
と見てられたけど
抜刀の所作が他流の転用であって
本当の抜きではないような気がしたけど
正直どれが本当とも言い切れんのよな
真剣での抜きはあくまでも自己流みたいな感じだし。
今はもう住んでいる場所の関係でジゲン流やってなくて
一応5段の居合しかやってないけど
そのまんま東の言う真剣禁止は一理ある。
居合しかやらない流派だって
模擬刀で何年か稽古してから真剣使うからね。
自己流でいきなり真剣抜きはかなり無謀。 >>722
「試」という字を使う時は、大抵は実際に刀を使うものだからね。「演」という字を使う時は木刀とか木剣だけど。 そうとは限らないんだよ。
江戸時代の試斬りはもっぱら罪人で「様斬」と、 試斬の事をいっていたしね。
試見と書いてあるから、真剣使用したなんて
のは妄想の域を出ないね。
それに、自分で試見(演武)とかいてるし(笑) それはサービスだよ(笑)。木刀でやったというのも妄想。どちらか分からない以上、それぞれの見解のもとに集えばよい。真剣肯定派を批判するのはおかしい。木刀派を批判してないのにな。好きにすれば良いというスタンス。 いやいや〜どうもわからないなら「わからない」というのが正しい見解でしょ?
わからないものを、基準に考えること自体に無理があるよね。
なので、斉興の前で云々の古文書は特に薬丸流が真剣で演武したという根拠付けにはならないということになるね。 木刀で演武したという裏付けにもならないんじゃない? 真剣否定派、肯定派という区分けじゃなくて、
みんな真剣を使うのは肯定的だけど
演武で真剣使うか使わないか、
という区分けじゃなかったけ?
古伝の型のみするでんとう どっちにしろ、今真剣使ってる人たちは納刀やら危なっかしいので居合刀でしっかりと練習してからがオススメ >>731
いや、東さんは演武どころか稽古も否定。買ったこと自体に怒られた。 素人が触んなって話だろ
今のジゲン流なんて棒体操だからな。
指導者としてはとても触らせられないような状況だろうから
怒られて当然かと。 いや。怒られた中には剣道部出身者で元々、刀も持ってて居合い経験者もいた。東さんも始めから真剣禁止の方針というわけでなく、稽古でやろうとして自分が手を斬ってからそうなったことが判明して、ちょっとがっかりだった。
そのできごと以来、ぎくしゃくして辞めた人もいた。 剣道してるのと真剣の扱いは全く関係ないよ。
剣道家が使うのは竹刀だから。
居合してるから、みんな真剣の扱いなれてるのも別。
怪我した経験があれば、尚更会員で怪我しないようにと努めるのは自然だと思うけどね。 俺はそう思わないよ。だから辞めた。何人かいるけど、フェードアウトする感じで離れた場合と、けんか別れみたいなのといるけど。
ちなみに模擬刀すら否定された。
辞めたMさんが、先頃亡くなられた和田さんらに再会して聞いたら、誰も刀で怪我した人いないって言ってた。 和田氏は居合やってたし、真剣抜きやってた連中は元居合や古流多いぞ。
だからある程度は抜刀の指導が出来たんだけどな。
中には指で切っ先摘んで納刀する奴とかもいたけど。
そのまんま東の考えはある意味正しい。
だって指導者がいないんだからな。 そのわりにはあまり上手くないよね。
とにかく、そこのトップがそういう見解ならし方がない。
そこを出るしかない。
それは、企業でも何処でもそうだと思うが。
というか、そもそもわざわざ真剣購入したとか
いわないで個人で真剣で抜くなり
試斬りするなりしたら済む話だと思うがね。
個人で稽古するのは自由なんだから 結局、自顕流には刀の納刀や血振いなどの所作や扱い方が伝わってないから仕方がない。
それでも、したい人は居合なり習いにいって、真剣使えるくらいの高段になって
抜くしかないね。
なので、真剣を使うと他流の転用とならざる得ない。
だから他流の転用を自顕流に伝わってるかのように演武するのはおかしいよという話 また堂々巡りだな。抜きは真剣でこそやる技だし研修会の義秀さんも披露してる。島津本家も顕彰会に神社の演武で真剣演武認めてるし。
とにかくそれぞれの見解に合う所へ行き、そうでない所を批判するなよ。少なくとも和田さんらの所は、真剣使わないとこを批判してないんだから。 たから。
抜きはじゃなくて、剣術自体真剣を前提にしたものだよね。
だけど、真剣で稽古できないから竹刀やら木刀やら代替品でしてるんだよね。
それは、その流派の風格や理念に乗っ取って創始者らが体系づけたんだよね。
それを流派が、伝えてきた技のように他流派の技を転用してまで演武として披露するのはおかしいということ。
道理が通らないということ。
だれが披露しようと関係ないよ。
薬丸流の宗家やらが認めて型として組み込まれているなら別だけどね。 だから、一人稽古ですればいいって。
他流派の納刀や血振や刀礼などの所作を参考にして、刀の差しかたや下げ緒の扱い方も転用してすればいいって。
逆に奥田先生なんかも、しなかった真剣での演武を何故そこまでしたいのか?と
抜きの技を向上するためなら居合刀でも構わないし、真剣でもいいけど人前でする意味はないよね? 意味があるとか、ないとか、関係無いんじゃないかね。 ようするに、真剣じゃないといけないという意味を持たないけど真剣を使って抜きをするところを一般の人に見て欲しいということね。 いっそのこと、抜きだけじゃなくて続け打ちとかも全部真剣でしたら?
打ち廻りも、立木を立てるのではなく巻き藁を立てて、試し斬りしていけばいいよw 続け打ちとか真剣でやれなぞと言ってるのは、木剣での稽古の意味が分かってない人だね。
まぁ売り言葉に買い言葉で出たうっかりなんだろうけど。
研修会は伊藤自顕流だし顕彰会は和田自顕流、保存会は東自顕流、奥田派は別府自顕流。江戸期も色々変遷あって極めて私的な存在で、時代時代で変わるからこれでいいじゃん。 だよね〜。
木剣での意味がわかってないから、抜きの型稽古ろくにしないで、
真剣でどうしたこうしたいってるんだね。 >>749
長く師事した者が奥田先生の影響が出てる焼けね。
そう考えたら和田さんはほとんど師事してないよね。
ちなみに、研修会は他にも奥田先生に師事した者がいるよね 江戸時代は分派が進んで、それぞれの名前で流派を立ち上げてるので
今とはまた違うよね。 結局
真剣賛成派と否定派というのは建前で、
本当は
他流派のものを転用してオリジナリティを付け足す改革派と
古伝の伝承されてるのみ継承する保守派の
争いってことだよな。 >>751
伊藤氏以外に奥田先生に師事した人って誰? >薬丸家の自顕流を「薬丸自顕流」としたのが始まり
初期に「示現流」と改名したのに、兼吉氏か奥田氏かは分からないけど、「自顕」という名称をよく知っていたものだねぇ >>755
?
薬丸半左衛門兼義の時代には自顕流と名乗っていたけど? 結局のところ幕末に示現流から分派した比較的新しい流派じゃないの?
平安から伝わる野太刀の技って本当にあるの?そんなものが長いあいだ流派名も体系も公にされず伝わってたって俄かに信じられないわ じゃあ示現流にはない薬丸独自の部分てどういうとこなの?居合?
それとも本当に立木を横に寝かせただけ? 加治木の戦前の町史の本に薬丸示現流って書いてあった。 それ、まだ薬丸ついてるからいいほう。
ほとんど示現流って書いてあるからね。
昔は今より区別ついてなかったから みんみんぜみ曰く今の形になったのは幕末あたりでそれ以前は普通に十二の打やってた所もあるらしいけどどうなんでしょね 示現流にも薬丸流にも詳しくない奴はスルーでいいでしょ 結局どこが正統なのかわからん
やっぱり古武道協会に加盟している研修会なのか? >>765
てことは以前から薬丸には示現流との明確な差異があったってこと?
自分も正直な印象として江戸後期まではほとんど同流別派くらいの差しかないと思ってたわ
家伝の野太刀のわざを云々ってのは後世の箔付けくらいかなって考えてた 野太刀も南北朝時代の本当の野太刀じゃなくて、定寸より長めの刀くらいの感じだろうな。 といっても、構えやら打ち方やら薬丸流と示現流とじゃ全く違うな。 宣伝するのは大いに結構
ただ、今の薬丸流みたいな剣術が千年前から鹿児島で脈々と受け継がれている、
なんて誇大広告は止めて頂きたい、と言っているだけ そんなもん、どこの古武道でもしていることをいちいち目くじら立てなくても。
千年だろうが何年だろうが、世間はそんなこと気にしてないぞw w 来年の大河の番組案内本がNHKから出てるけど、薬丸自顕流表記で統一してあるんだけど…。 千年前から伝わる家伝の技かどうかはともかく江戸中期〜幕末あたりで分派した際になにがしかの他流の技を取り入れたんじゃない? 他流派の技を取り入れたというより、示現流の発展型と取れるな。 それ+野太刀の操法
あんな低い構えで、右手と左手を離して肘をつける握りかたは打ち刀ではないからね でも、言うほど、動いている最中肘を柄に着けているかねぇ 最近ツイッターで示現流と新陰流(タイ捨流)の共通する動きまとめてる人がいたけど薬丸は特にそういうのないやね 横に薙ぐ技は無いんだね
示現流には横打ちのがあるけど、上級編っぽくて、例外と見て良さそうだ なんで上級者向けだと例外になるんけ?
ていうか普通に十二の打の中に横に薙ぐ動きあるだろ 結局自分で信頼出来る本や動画を見るしかないんだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています