◆◆◆野太刀(薬丸)自顕流2◆◆◆ [転載禁止]©2ch.net
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野太刀自顕流研修会
薬丸野太刀自顕流保存会
薬丸自顕流近江道場
薬丸自顕流顕彰会
野太刀自顕流兵法会(旧奥田派)
設立順 沖縄戦慰霊祭がある度に、自顕流の宗家を継承するはずだった薬丸兼教が惜しまれる。
この方さえ存命であれば混迷する今日の自顕流界ではなく、
兼吉から兼教と 薬丸本家の嫡流としての相伝が伝えられ宗家制度が
保たれていたであろう。
この上なく残念である。
合掌 >>585
そうか?陸大出のエリートが稽古してる暇なんて無かったと思うぜ(^_^;) じげんりゅう使いが木魚を叩くとどうなるの?
太鼓でもいいけど >>586
そうか?嫡流としての自顕流が残るほうがよっぽどいいだろ?
今の分家筋が勝手に宗家名乗るよりも >>588
分家も血脈だよ。所詮血縁関係の無い会派は野良犬だよ。
康夫氏の業も神域に入りつつあるしね。 >>589
血筋なら他にも薬丸はあるが、嫡流だから
意味がある。
天皇家と同じ。
兼吉宗家からどころか、師範であった奥田先生
にも認められない康夫氏に兼吉宗家の跡を継承
する資格はないだろ(笑) 康夫さんが、正統な宗家継承者なら伝書類を
持ってるでしょ?
兼吉さんが、息子を亡くした後伝書類を弟との
幸吉さんに預けないで樋ノ口家に嫁いだ娘に託
した意味を察して汲まないといかんよねぇ。 奥田先生の直属の弟子たちの中でも、
康夫は落第点だろ。
目をかけてやったのに稽古から逃げてしまうし。
神域どころか持病が悪化して日常生活がどうかだろ。 >>591
「察する」とかそういうのが分派を産むんだよね。
やはり康夫氏こそが唯一血脈の継承者だよ。 兼吉宗家の許可もないのに?
伝書類もないのに?(笑) >>594
それを言うなら他会派は何の関連も無いからね。 >>595
だから、兼吉宗家の教えを守って他会派は宗家を名乗らない。
それは奥田先生の意志でもある。
兼吉宗家の教えを守らない不届きものは
康夫のみ。 何が不届き者だ。ターヘー野郎。
康夫氏の足元にも及ばない稚拙な業しやがって。 康夫より上手い奴は顕彰会の中にも沢山いるだろ(笑) 顕彰会より下ということは、素人以下ということかww >>603
世間は顕彰会とそれ以外という見方だよ。
実際他会派はまともに稽古こなせてないだろ。 そうそう。
兼吉宗家派と反兼吉宗家派(康夫派)の図式ね 反兼吉派なんて、今までの歴代の宗家に反旗を翻すようで嫌だなぁ こういう下らない中傷が顕彰会に対する嫉妬でしかないんだよな。 歴史を歪曲する顕彰会のどこに嫉妬する所がある?(爆)
中韓の歴史歪曲とそっくりだな! >>608
歴史の無い他会派に何の存在意義がある? >>609
2番目に新しく出来た顕彰会に歴史があるとでも?(笑) 会派の歴史ではなく血縁から見た根拠ある歴史のことだろ。 >>612
血縁から見ても嫡流じゃないだろ。
傍系ね。
おまけに、嫡流の兼吉宗家に認められていない。
伝書類も引き継がれていない。
残念だな傍系は。 >>614
そう。
兼吉宗家の教えを守り、兼吉宗家〜奥田先生の流れを組む。
誰かさんみたいに欲に目がくらんでない(笑) 血縁云々いっても血縁の本流が認めていなかったら意味ないよね ごめん、あんま詳しくないんだけど、「千年続いてる派」にとって、兼武の位置付けはどうなってるの?
マイナーバージョンアップ? そもそも戦前は、1000年続いているなんて言ってなかったからね(笑) 研修会も、伴氏から、って広言してた
がっかりだなー そうそう、どこの流派も箔をつけたがるんだよ。
門人達が?と思っててもね(笑) なんで解散なんやろ
会長とかになって、弟子に指導させればええのに やけど、マイナー流派で、本出して支部作ったのは相当やと思うけどな 後十年くらいしたら井谷氏のとこ訪ねてみようかな
それまでお元気で 理論武装したはいいが、結局自己鍛練が足らなかったな 辞めたというのが、所詮お稽古ごとの感覚だったんでしょう。 薬丸自顕流って結局のところ近代になって示現流から枝分かれした新興流派じゃね?
詳しく調べれば調べるほどそういう結論に落ち着くわ Wikiより
薬丸自顕流は先制攻撃を重視する流派であり、万一、敵に先制攻撃を仕掛けられた場合には、自分が斬られるより先に一瞬の差で相手を斬るか、相手の攻撃を自分の攻撃で叩き落とすかで対応する。防御のための技は一切無い。
↑
まんま示現流じゃん >>648
その通り。
平安時代から云々は、箔付けだよ。
ただし、何らかの野太刀の操法は伝わっていた可能性は高いよね。 示現流薬丸派だったとしても箔付けとしては充分だったと思うんだけどな 定寸の刀を想定したら、あんなに足幅を広くとって
腰を落としておまけに左手に右肘をつけて打つ意味がない。 津本氏の小説の影響は大きかったね。
自分も東京で習えないかと調べたしw 結構間違ってること多いけどね(笑)
小説家だからしょうがないか。 薬丸自顕流。その歴史は平安期に伴氏の流れを汲む豪族、肝付氏が大隅国に下向したときに始まる。家伝の剣技として代々野太刀の技を継承したのが肝付氏の支流・薬丸家である。(※顕彰会HP)
なるほど、伴兼行が野太刀の技を伝えた訳ではないのね(  ̄▽ ̄) その小説家がろくに調べもしないで自作に「薬丸自顕流」と書いてあるので
そう呼ぶことにしたって、安易だよなぁ 肝付某が野太刀の技を考案した、という根拠とかあるんかね? 幕末の薬丸流の門人たちも、本来の野太刀(刀長さ3尺以上)なんて使用してないしね。 でも、幕末の頃は南北朝を意識した長刀が
流行ったのは事実だし、薩摩藩では江戸時代から野太刀を備えておくのか習慣だったからな。 >>664
正式名称は野太刀自顕流とするが通称の薬丸自顕流でいくと書いてある。 昭和30年代初めに兼吉さんや奥田さんが研修会の元になった団体を作った時でさえ薬丸自顕流同好会って名前でやってんだから、正式名称がどれとか意識してないでしょ。
単に今は研修会が野太刀自顕流を顕彰会が薬丸自顕流を正式名称にしてるというだけで下らない論議。 薬丸じゃなくてちゃんとした示現流の居合ってどこかに動画あります? 示現流は居合いやっちょらんかな。自顕流は顕彰会が抜きでよくやってるけどな。 その奥田眞夫先生が、野太刀自顕流が正式名だと言われてたよね。
薬丸家文書でも、「野太刀自顕流掟」とあっても薬丸自顕流なんて名称はどこにも載ってないからね。
そもそも、薬丸自顕流という呼び名は東郷家の
示現流を「東郷示現流」と薬丸家の自顕流を「薬
丸自顕流」としたのが始まりなんだから
正式名称なわけがない。 え?だったら戦後、何故、兼吉さんや奥田さんが主体でやられてた時に薬丸自顕流同好会なんて名称で再開したのかね。その後の国体でも薬丸自顕流って名称で出てるし。普通は国のやる公式行事でエントリーした名称を正式名称として認識するでしょ。 薬丸自顕流同好会が設立したときは、兼吉先生は
主体で作られた訳じゃないよ。了解はしてるけどね まぁ最後の正統な当主が薬丸自顕流って名前でやってたんだから薬丸自顕流でも良いし、幕末に野太刀自顕流掟っての作ってるから野太刀自顕流でもよいし。どっちでも良いじゃん、それぞれが正式名称としてれば。 そもそも薬丸家の文書は兼吉先生の娘に渡されており
弟の幸吉さんや他門弟も見ることが出来なかった。
そのため、長年通称で呼ばれ続けてきた。
昭和44年に発刊された鹿児島市史に薬丸家文書の一部が掲載されたのが最初で
その辺りから、門人たちの中では野太刀自顕流と呼ぶようになってきたが
公には昭和53年頃からである。
そのため、昭和32年の設立時や昭和47年の太陽国体
の時にはまだ薬丸自顕流と使われていた。 まあ。長年磯庭園で慕われてきたのが、突然正式名称は仙巌園となったようなもの 兼吉先生も薬丸流や薬丸自顕流は通称という認識であったんだよ。
なので、呼ぶ際には通称でも全く構わないが、正式名称は?となると一つしかないよね。 >>671
自顕流には居合のようなのは伝わってないよ。
今真剣でしている、血振いや納刀は独自にしているもの。
もともと、昔から伝わってるものじゃないです。
昔から伝わってるのは、木刀で抜刀したり長棒に打ち付けたりする抜きという型のみです。 >>669
奥田派も野太刀自顕流
保存会も薬丸はつくが野太刀自顕流
薬丸自顕流は顕彰会のみだよね 何ページかは忘れたが、鹿児島県史料集34の示現流関係史料っての読んだ時、江戸期の稽古のことも書いてあって、東郷も、薬丸も、長刀と長木刀で稽古してたり、闇夜で真剣で稽古して危ないみたいな記述あったぞ。 真剣が身近にあった時代に、真剣で稽古することぐらい、あって当たり前。 稽古したというのと、流儀で技として型になって伝わってるというのは別でしょ? 現実に今、居合として納刀や血振いなどの作法から伝承されてるかといえば、伝わってないからね その伝わってないものを、さも昔からあるように演武など公の場所で行うのはどうかと思うよね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています