http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki21-30/taiheiki-22-1.html
>畑六郎左衛門、敵外に引へたる程は、態あり共被知ざりけるが、敵已一二町に責寄せたりける時、金筒の上に火威の胄の敷目に拵へたるを、草摺長に著下て、同毛の五枚甲に鍬形打て緒を縮、熊野打の肪当に、
>大立揚の脛当を、脇楯の下まで引篭て、四尺三寸太刀に、三尺六寸の長刀茎短に拳り、一引両に三■の笠符、馬の三頭に吹懸させ、塩津黒とて五尺三寸有ける馬に、鎖の胄懸させて、

>畑六郎左衛門は敵軍がまだ遠方に控えている間は、意識して無視を続けていましたが、敵がすでに一、二町付近まで攻め寄せてきた時、突入に移るため、鉄板で補強した胴の上に、
>緋縅で敷目(鎧の札が三列になったもの)に嚇した鎧を草摺りを長く垂らして着け、同じ錣を五段に下げ鍬形が打たれた兜の緒を締めて、熊野産の頬当てに、膝頭まで届く長い脛当てを草摺りの中にまで引き上げて身を守りました。
>そして四尺三寸の太刀と三尺六寸の刀を柄の先の方を握って、
>一引両(新田の紋)に三州浜の紋が付いた笠印を三頭の馬に付けて、塩津黒と言う五尺三寸もある馬に鎖の付いた兜を装着した上、

上の太平記の記述は
http://photozou.jp/photo/show/1849954/202339631
上の畑時能の武装が書いてあると言う事の様だが
馬に鎖の兜を装備と有るが
上の絵では皮鎧らしき物に成っているから
此れは誤りなのかだが
長い草摺を装備した大鎧と言うのは
http://www.toyota-rekihaku.com/bunka/02_kougei/win/01.html
上に似た様な物なのかだが

>金筒の上に火威の胄の敷目に拵へたるを

此れは鉄板で補強した胴と有るが
鉄板と言うのは初期の桶側胴の様な物なのかだが