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世界の甲冑武器術・柔術 [転載禁止]©2ch.net
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0001某研究者
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2015/03/11(水) 15:19:00.50ID:BDsSA2a40
日本や西欧に拘らず
世界で使用された甲冑を装備して行う武器術・柔術に関して
議論や情報提供をして貰いたい訳だが
0311某研究者
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2015/10/05(月) 15:01:28.87ID:DYPRGtss0
胴部が伊予札・草摺が本小札の腹巻が確か有ったが
胴の装甲が草摺より薄いのは不可解であるし
此れは大鎧や胴丸の下に装備して
草摺の隙間を埋める為の物の可能性は無いのかだが
0312某研究者
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2015/10/05(月) 16:15:58.22ID:DYPRGtss0
http://joukamatikankou.blog.so-net.ne.jp/2014-08-25-1
上の成瀬吉正の和製南蛮胴は大阪冬の陣の際に
大型の狭間筒で撃たれたと言う記述も有るが
厚みはどの程度なのかだが
フサリアの甲冑も同程度の大型マスケット銃で撃たれても
15m迄は耐えられると言う事だっただろうか
大阪夏の陣もこの甲冑を使用したと言うが
凹みは直さなかったのかどうかだが
0314某研究者
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2015/10/06(火) 11:32:48.98ID:HE9TTbc60
http://photozou.jp/photo/show/1849954/228734474
上のタイプの丸胴を胴丸の下に装備すれば
草摺の隙間はほぼ埋まるかも知れぬが
右側側面は無理である訳だろうか

http://business4.plala.or.jp/kyuko/html/katcyu/katcyu027.html
上の様な鉄板札使用の鉄腹巻の上に
鉄板札を使用した胴丸を装備すれば
草摺の隙間も埋まり防御力も高いのかも知れぬが
上の腹巻は1580年以降には使われたのかどうかだが

http://www.karakusa.jp/gusoku1html.html
>鉄黒漆塗紺糸素掛威腹巻 江戸時代 

上は新しい形式の鉄腹巻だが
戦国期に此れは使用されたのかどうかだが
此れを胴丸の下に装備して草摺の隙間を埋めると言う事は
行われたのかどうかだが
0315某研究者
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2015/10/06(火) 21:38:54.29ID:HE9TTbc60
太平記で因幡堅者全村が手突矢を使用しているが
此れ以降で手突矢を戦場で使用した例は有るのかだが
手裏剣術が戦場で使用された例は有るのかどうかだが

大鎧の栴檀板は脇の隙間だけでは無く
壺板と小札部分の接合部の防護も考慮している可能性も有るのかだが
0317某研究者
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2015/10/07(水) 15:51:43.64ID:fdHcbUxB0
http://photozou.jp/photo/show/1849954/209363473
大太刀・箙の同時装備と言うのも有るのかだが
乗馬戦闘すると馬に大太刀の鞘が当たらないのかどうかだが
上の様に柄が短い大太刀はまともに扱えたのかだろうし
此れは間違いでは無いのかだが
0318某研究者
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2015/10/09(金) 12:25:57.19ID:4/p65TAV0
大鎧の下の腹巻の装備も草摺の隙間を埋めるだけでは無く
壺板と小札部分の隙間も埋まるだろうが
当世具足の胴の丁番の有る接合部も槍に弱いかも知れぬし
此れも下に腹巻を装備すれば隙間は埋まると言う事だろうか
0319某研究者
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2015/10/09(金) 12:40:02.98ID:4/p65TAV0
巨大な鍬形や立物・変わり兜は実戦用では無いと言う意見も有るが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/105491430
上の様に武器を構えた状態で巨大な鍬形の有る兜を装備している絵も有るから
果たして正しいのかどうかだが
0320某研究者
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2015/10/09(金) 18:30:39.71ID:4/p65TAV0
https://twitter.com/boukenkyuu/status/652382933991292928
上は後三年合戦絵巻(1347年成立)の一部だが 
状態は悪いが立挙の有る脛当が書かれている様に見えるが
この部分は大半は鎧直垂に隠れて見えない訳だが
基本的に此れと同一の物が装備されて居ると言う事なのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/652384809306578944
上も後三年合戦絵巻の一部だが
顎の装甲の有る半首の様な物が書かれているが
此れは面頬では無く基本的に半首と言う事なのかだが
鎌倉期に此れは有ったのかどうかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/652390797447335936 
上も後三年合戦合戦絵巻の一部だが
巨大な立挙の有る脛当が有る様にも見えるが
此れは
http://photozou.jp/photo/show/1849954/202339631
上に有る脇楯の下に届く大立挙の脛当と同一の物の可能性も有るのかだが
0321某研究者
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2015/10/10(土) 08:42:41.35ID:35BjD9li0
https://twitter.com/boukenkyuu/status/652474114754482177
上も後三年合戦絵巻の一部だが
諸籠手の人物は貫を履いているし
歩兵が此れを履くとは思えないから
諸籠手を装備した南北朝期の騎馬武者と言う事なのかだが
0322某研究者
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2015/10/10(土) 09:25:52.06ID:35BjD9li0
鎖帷子は着ないが
草摺の隙間の防御力を増す為に
鎖袴だけを履くと言う例は有るのかどうかだが
0323某研究者
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2015/10/11(日) 15:16:07.48ID:es5BIuzK0
https://twitter.com/boukenkyuu/status/653090562338238464
上は14世紀(1351年成立)の慕帰絵詞(ボキエコトバ)の一部だが
左の兵は腹の下部だけ小札が有る様な鎧を装備しているが
此れは何なのかだが
右の兵の胴丸鎧らしき物は草摺の間数が腹巻の様に多いが
南北朝期の騎馬武者はこうした物は装備したのかどうかだが
0324某研究者
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2015/10/12(月) 07:44:54.38ID:tnr6vam90
http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki21-30/taiheiki-22-1.html
>畑六郎左衛門、敵外に引へたる程は、態あり共被知ざりけるが、敵已一二町に責寄せたりける時、金筒の上に火威の胄の敷目に拵へたるを、草摺長に著下て、同毛の五枚甲に鍬形打て緒を縮、熊野打の肪当に、
>大立揚の脛当を、脇楯の下まで引篭て、四尺三寸太刀に、三尺六寸の長刀茎短に拳り、一引両に三■の笠符、馬の三頭に吹懸させ、塩津黒とて五尺三寸有ける馬に、鎖の胄懸させて、

>畑六郎左衛門は敵軍がまだ遠方に控えている間は、意識して無視を続けていましたが、敵がすでに一、二町付近まで攻め寄せてきた時、突入に移るため、鉄板で補強した胴の上に、
>緋縅で敷目(鎧の札が三列になったもの)に嚇した鎧を草摺りを長く垂らして着け、同じ錣を五段に下げ鍬形が打たれた兜の緒を締めて、熊野産の頬当てに、膝頭まで届く長い脛当てを草摺りの中にまで引き上げて身を守りました。
>そして四尺三寸の太刀と三尺六寸の刀を柄の先の方を握って、
>一引両(新田の紋)に三州浜の紋が付いた笠印を三頭の馬に付けて、塩津黒と言う五尺三寸もある馬に鎖の付いた兜を装着した上、

上の太平記の記述は
http://photozou.jp/photo/show/1849954/202339631
上の畑時能の武装が書いてあると言う事の様だが
馬に鎖の兜を装備と有るが
上の絵では皮鎧らしき物に成っているから
此れは誤りなのかだが
長い草摺を装備した大鎧と言うのは
http://www.toyota-rekihaku.com/bunka/02_kougei/win/01.html
上に似た様な物なのかだが

>金筒の上に火威の胄の敷目に拵へたるを

此れは鉄板で補強した胴と有るが
鉄板と言うのは初期の桶側胴の様な物なのかだが
0325某研究者
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2015/10/12(月) 07:45:22.24ID:tnr6vam90
https://kotobank.jp/word/%E9%A6%AC%E9%8E%A7-35134
>『太平記』に畑六郎左衛門が愛馬に「鎖の冑 (甲〈よろい〉の誤り) 懸けさせ」とある。

等と有るが
鎖の兜が誤りと言う根拠は有るのかどうかだが
0326某研究者
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2015/10/12(月) 09:06:37.11ID:tnr6vam90
>>324
金筒はかなどう共読むらしいから

https://kotobank.jp/word/%E9%87%91%E8%83%B4-465137
>かな‐どう【金胴/▽鉄胴】

>鎧(よろい)の胴の一。鉄板を蝶番(ちょうつがい)で合わせた胴。鉄板の表面を布帛(ふはく)で包んだ錦(にしき)包みや緞子(どんす)包みがあり、鎧の下に着用した。

http://www.weblio.jp/content/%E9%87%91%E8%83%B4
>かな どう [0] 【金胴】
>鎧(よろい)の胴の一。鉄板を矧(は)ぎ合わせた四枚の板を蝶番(ちようつがい)でつないだ胴。後世の,最上胴(もがみどう)。

上の鎧の下に着用したと言う
金胴の可能性も有るのかだが
太平記の鉄筒がこうした構造であると言う証拠は
果たして有るのかどうかだが
0327某研究者
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2015/10/12(月) 09:08:30.86ID:tnr6vam90
>>326

http://www.weblio.jp/content/%E9%87%91%E8%83%B4
>かな どう [0] 【金胴】
>鎧(よろい)の胴の一。鉄板を矧(は)ぎ合わせた四枚の板を蝶番(ちようつがい)でつないだ胴。後世の,最上胴(もがみどう)。

最上胴は4枚胴では無く
5枚胴では無いのかだが

http://www.kjclub.com/jp/exchange/photo/read.php?tname=exc_board_14&;uid=5674&fid=5674&thread=1000000&idx=1&page=1&number=32&f=a.j_subject&word=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BE%8D%E3%81%AE%E9%8E%A7
上の一番下の毛利元就の具足は四枚胴と言うが
此れが出たのは戦国期では無いのかだが
0328某研究者
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2015/10/12(月) 09:11:09.29ID:tnr6vam90
>>326
https://kotobank.jp/word/%E9%87%91%E8%83%B4-465137
>かな‐どう【金胴/▽鉄胴】

>鎧(よろい)の胴の一。鉄板を蝶番(ちょうつがい)で合わせた胴。鉄板の表面を布帛(ふはく)で包んだ錦(にしき)包みや緞子(どんす)包みがあり、鎧の下に着用した。

金胴は鎧の下に装備したと有るが
此れだけを装備した例と言うのは
南北朝ー室町前期には有るのかどうかだが
0330某研究者
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2015/10/12(月) 09:49:53.78ID:tnr6vam90
西欧のコートオブプレートの登場時期は
確か13世紀後半だろうが
日本の最上胴に似た金胴の登場時期は何時なのかだが
モンゴル軍の槍に対抗する為に此れが出て来た可能性も有るのかだが
室町後期の最上胴が出る前迄
金胴は胴丸や腹巻の下にも
装備されていたと言う事なのかどうかだが
0331合気道屋com. ◆MASTERmyNHT/
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2015/10/12(月) 09:53:09.04ID:NA4KwVU40
これけっこう面白かったのに、もう完結しちゃったんやなあ。
https://www.youtube.com/watch?v=p4_OaD81BsQ&;list=PLRaNqHpjzx_cD6HHx-WjeVZmOqyN8jSIZ&index=10
0332某研究者
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2015/10/13(火) 09:02:46.14ID:vSO444SZ0
http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki21-30/taiheiki-22-1.html
>緋縅で敷目(鎧の札が三列になったもの)に嚇した鎧を

此れは幅広の三目札を使用した鎧と言う事だろうが
室町期には有ったのかどうかだが
此れと最上胴の様な金胴を重ねて着た場合
胴部はモンゴルが使用する様な通常の槍の突きや
片手剣は通用するのかどうかだが
金胴も対モンゴルの為に出て来た物なのかどうかだが
0334某研究者
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2015/10/13(火) 14:49:52.50ID:vSO444SZ0
http://captain-plump.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/basara-28de.html
> 「煉革黒漆塗紺糸素懸威最上腹巻」 室町後期

此れは室町後期の腹巻だが
草摺は5間に見えるし
この時点でも草摺5間の腹巻が有るのかだが
桃山期には果たして同様の物は有るのかどうかだが
 
戦国時代後期の腹が出た腹巻では
草摺5間の物は恐らく無いと言う事なのかだが
 
https://kotobank.jp/word/%E5%96%89%E8%BC%AA-597131
>喉輪
>喉と胸の上部を防護する甲冑(かっちゅう)の小具足。涎懸(よだれかけ)ともいい、同様のものに曲輪(ぐるわ)がある。発生したのは南北朝時代ごろで、
>室町時代に流行しておもに胴丸(どうまる)、腹巻に添えられた。

南北朝期の喉輪が書いてある絵と言うのは
見ない訳だが
 
http://photozou.jp/photo/show/1849954/229071819
草摺が7段と通常より長い南北朝期の大鎧も有る様だし

http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki21-30/taiheiki-22-1.html
>緋縅で敷目(鎧の札が三列になったもの)に嚇した鎧を草摺りを長く垂らして着け、

此れは上の太平記の物と同様の物の可能性も有るのかだが
草摺が六段の物や七段より多い物も
同時期には有るのかどうかだが
0335某研究者
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2015/10/13(火) 19:25:15.60ID:vSO444SZ0
http://www.weblio.jp/content/%E8%87%86%E7%97%85%E9%87%91
>おく びょうがね −びやう− 【臆病金】
>室町時代に盛行した大立挙(おおたてあげ)の臑当(すねあ)ての,後ろのすき間に当てる細長い鉄板。

脛当の背後に付ける臆病金と言うのは
南北朝期には無かったと言う事なのかだが


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B9%E5%B7%BB
>室町時代中期になると背部に背板(せいた、または臆病板とも呼ばれた)と呼ばれる部品が、主として高級な腹巻に付けられるようになる。

臆病板は室町中期の登場と言うが
臆病金よりは後の登場なのかだが
0336某研究者
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2015/10/13(火) 19:49:55.22ID:vSO444SZ0
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0049550
上は結城合戦絵巻の模本だが
臆病金らしき物が有る様にも見えるが
脛当後部を完全に塞ぐ様な物は有るのかどうかだが
0337某研究者
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2015/10/15(木) 14:59:42.61ID:oXI1hdBt0
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0090836
十二類合戦絵巻には臆病金が多数書かれている様にも見えるが
騎馬武者以外が此れを装備したのかどうかだが

http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2010-02-28
上の武田信玄の肖像画では
腿の後部を覆うタイプの古い宝童佩楯が書かれている様に見えるが
此れは少なく共1540年頃迄は使用されて居たのかどうかだが

aoijapan.jp/%E7%B1%A0%E6%89%8B%EF%BC%9A%E7%84%A1%E9%8A%98
裏籠手にも完全に総鎖が入る籠手等も有るのかだが
戦国期にこの様な物は有るのかどうかだが
南蛮鎖で無い物が入る物は有るのかだが
0338某研究者
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2015/10/17(土) 19:03:51.22ID:vs+Uu1ZD0
http://photozou.jp/photo/show/1849954/157760115
十二類合戦絵巻には15世紀前期の金砕棒(金撮棒)が書かれているのかだが
上の絵では形状は良く分からぬ訳だが


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Masuda_Motoyoshi.jpg
上の益田元祥の肖像画の鎧は
16世紀後半―17世紀前半では古い形式の大袖・大立挙脛当てが有るが
大袖は消えたが古いタイプの大立挙脛当は
可也後迄残った可能性も有るのかだが


http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki1-10/taiheiki-8-2.html
>八尺余のかなさい棒の八角なるを、手本二尺許円めて、誠に軽げに提げたり。

240cmの金砕棒の内
グリップ部は60cm程度なのかだが
此れより先の部分を持つ事も
有り得たと言う事なのかどうかだが
0339某研究者
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2015/10/17(土) 22:24:54.41ID:vs+Uu1ZD0
http://mimizun.com/log/2ch/whis/1105869242/
>樫木の棒の一丈余りに見へたるを、八角に削て両方に石突入れ・・・

此れは全体を持てる棒なのかだが
石突は突きを考慮した物なのかどうかだが
0340某研究者
垢版 |
2015/10/18(日) 10:16:45.51ID:EfBkZARe0
http://photozou.jp/photo/show/1849954/203644223
大鎧に喉輪が装備されている絵は
上の足利尊氏の1358年の物しか見ないが
喉輪も良く見る物とは形状はやや違うが
絵が間違えている可能性は有るのかどうかだが
0341某研究者
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2015/10/20(火) 12:24:24.83ID:mHOrnQOy0
槍・薙刀の間合いで組討にいきなり持ち込まれるのかと言う事は有るだろうし
古い甲冑槍術・薙刀術でも槍の構えは刀よりやや高い可能性は無いのかだが
0342某研究者
垢版 |
2015/10/20(火) 12:27:53.84ID:mHOrnQOy0
剣術でも相手が槍・薙刀の場合は
即座の組討は考慮する必要は無いかも知れぬし
構えは低くない例も有るのかどうかだが
0343某研究者
垢版 |
2015/10/20(火) 15:16:56.29ID:mHOrnQOy0
薙刀・騎馬武者用槍の1.5mも無い間合いでは
即座に組討に持ち込まれる可能性は無いのかだが
距離を考えるに即座に低く構えて対処する事は可能なのかどうかだが
0344某研究者
垢版 |
2015/10/23(金) 11:53:14.65ID:0BEnJKHb0
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri05/ri05_02035/ri05_02035_p0007.jpg
上の前九年合戦絵巻の一部の中央の鎧は
胴丸鎧なのかどうかだが

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri05/ri05_02035/ri05_02035_p0025.jpg
上の前九年合戦絵巻の一部の右端に
熊手を掛けられた騎馬武者が居るが
鎌倉期でも熊手は海上だけでは無く地上戦でも多用されたと言う事なのかだが
薙鎌と言うのも有るが此れも騎馬武者を落馬させるのに
使用されたのかどうかだが
此れ等も戦国期には槍に取って代わられたと言う事なのかだが

南北朝期の金胴は最上胴とほぼ同様と言う意見も有るが
此れの装備率はどうなのかだが
同時期の西欧のコートオブプレートも
http://www.hoashantverk.se/hantverk/hoas_rustningar/index.html
ウェズビの遺品等を見る限り板が固定されず細分されている物も多いが
此れは農民用と言う意見も有るが
騎士の物はプレート的だったのかだが

コートオブプレートも背面には鉄板は余り無いから
此処に矢を受けると鎖を貫通されて
致命傷に成り得ると言う事だろうか

戦国時代前期の槍の多用で金胴の装備率は果たして上昇したのかだが
最上胴も銃登場前には単体で使用されるのでは無く
弓に強い小札胴丸の下に装備していた可能性は有るのかどうかだが

プレートアーマー登場後でもブリガンダインを装備した騎士は居る様だが
15世紀後期に盾が廃れた後は
ブリガンダインではランスを防護出来ぬだろうから
騎士は基本的にプレートアーマー装備と成ったと言う事なのかどうかだが
0345某研究者
垢版 |
2015/10/23(金) 11:55:27.70ID:0BEnJKHb0
http://w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-88317-849-8p.html
>しかし下級の重装甲兵たち、たとえばサージェントや従騎士、そしてときとして騎士ですらも、胸甲と腹当ての下にブリガンダイン(*革や布を芯地にして金属板をつけた胴鎧)をつけるにとどまったようだ。

等と有るが
15世紀後期以降の盾が廃れた時代では軽騎兵でさえも
プレートアーマーで槍を防いでいた可能性も有るのかどうかだが

プレートアーマーの防御力向上で
15世紀後期には盾が廃れたと言うが
https://www.youtube.com/watch?v=qhknaG9ifbs
上の様なハンマー・ピックの威力を見る限り
防御力は果たして十分と言えるのかだが
斧やハンマーは兎も角
剣やランスなら十分防げたと言う事なのかどうかだが

プレートアーマーも腰部側面に板金の隙間が残る物が多いが
15世紀後半のイギリスのプレートアーマーは此処は板金で塞いであるし
ゴシック甲冑も此処は塞がっている物も有るが
15世紀前半の物は此処は基本的に隙間が有る様に見えるが
マクシミリアンアーマーやフィールドアーマーにも
此処の部分に隙間が有る物が大半に見えるが
剣や槍で此処を狙われてやられた者は
余り居なかったのかどうかだが
0347某研究者
垢版 |
2015/10/25(日) 18:17:05.95ID:y1qPK7XL0
臆病金も十二類合戦絵巻を見ると
正面の脛当との間に隙間が有るが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/101075299
上の二人武者絵では隙間は小さいか
或いはほぼ無い事が表現されている可能性も有るのかだが
0348某研究者
垢版 |
2015/10/29(木) 17:42:59.89ID:EOKUNjRa0
photozou.jp/photo/show/1849954/229537749 
此れは黒田官兵衛の有名な鎧だが
脛当は臆病金の様に後部迄装甲が有ると言う事なのかだが

photozou.jp/photo/show/1849954/228734762
この上杉景勝の鎧の脛当の後部も可也装甲が有るが

photozou.jp/photo/show/1849954/229538895
上の臆病板と言うのは臆病金の間違いでは無いのかだが
着装法は此れで果たして良いのかだが

大鎧も鉄板札を使用しているかも知れぬ金胴で補強されたなら
胴以外の部分も鉄板札で補強された可能性は無いのかどうかだが
当世具足では鉄板札の袖・喉輪・筒籠手・筒脛当は可也有るが
鉄板札の佩楯は余り無い訳だろうか

銃登場前でも
通常の本小札の喉輪の下に板金の板札を使用した喉輪や
通常の本小札製や骨牌金・鎖製の佩楯の下に板金の板札の佩楯を
槍対策で果たして装備していたのかどうかだが
0349某研究者
垢版 |
2015/10/29(木) 17:44:29.62ID:EOKUNjRa0
鎌倉期等の熊手に鎖が装備されているのは
中国の鎖龍蛇の影響と言う可能性は無いのかだが
此れは同時期に日本では使用されたのかどうかだが
新紀元社武器事典では江戸期の登場と有るが
果たしてどうなのかだが

契木に鎖竜蛇が装備されたタイプも
新紀元社武器事典に記述が有るが
鎖を装備する契木の登場時期は江戸期と有るし
此れは鎌倉期等には果たして使われたのかどうかだが
 
フサリア・コムラーデの鎧はマスケット銃を15m迄なら防護可能と言うが
六匁筒なら0距離でも貫通出来ない可能性も有るのかだが
短砲身の士筒だと口径はマスケット銃と同じだが
此れも0距離で貫通出来ぬ可能性も有るのかだが
馬がやられる可能性も高い訳だろうし
至近距離では装甲の無い或いは薄い場所を撃たれる可能性も有る訳だろうか
 
http://arms.cybrary.jp/db/impact/flail/changshaozi.html
中国の多節棍も一旦忘れられたが
宋時代に復活したと言うから
此れが鎌倉期等に日本に輸入され
契木や鎖打棒等に成った可能性は無いのかどうかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/658952172508327938
此れは後三年合戦絵巻の一部だが
初期の槍らしき物を装備した兵が居るが
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2573526/18
上の模本を見ると手鉾と有るが
槍の可能性も有るのかだが
0350某研究者
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2015/10/29(木) 17:45:27.11ID:EOKUNjRa0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%99%E5%88%80#.E5.A4.A7.E8.96.99.E5.88.80
>『大友興廃記』には柄の長さ一丈(3.03m)、刀身の長さ六尺(約180cm)という「大長刀」が記されている。

大友興廃記は江戸初期(1635年)の物であるから
この様な物が戦国期以前に果たして存在したのかどうかだが

僧兵が裏頭の内部に 
http://photozou.jp/photo/show/1849954/101057769
上に有る様な下散シコロや鎖・亀甲金・綿等のシコロを装備した兜を
付けている可能性と言うのは有るのかどうかだが

http://www.st.rim.or.jp/~success/benkei_imaj_ye.html
源平盛衰記の三井寺の僧兵は兜を装備している様だが
この上に頭巾が装備された可能性は無いのかどうかだが
0351某研究者
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2015/10/29(木) 17:46:16.50ID:EOKUNjRa0
体重250kgの真柄直隆でも
幕末の75kgの破邪の御太刀は果たして振るえるのかどうかだが
刀身2.16m 24kgの祢々切丸は
振るえる可能性も有るのかだが
 
http://dic.pixiv.net/a/%E5%A4%AA%E9%83%8E%E5%A4%AA%E5%88%80
真柄直隆の太郎太刀は175・240或いは288cmと言うし
2.16m・24kgの祢々切丸より重い可能性も有るのかだが
熱田神宮宝物館に奉納されている太郎太刀は221cm・4.5キロと有るが
此れは実戦用としては軽過ぎる可能性は無いのかだが
0352某研究者
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2015/10/30(金) 18:52:25.01ID:A4ItEIKn0
足軽や雑魚兵は手足を片方斬れば
戦闘不能と成るかも知れぬが
騎馬武者・徒武者や騎士は果たしてどうなのかだが
士気の低い者も居ると言う事では無いのかだが
0353某研究者
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2015/11/10(火) 16:59:55.89ID:JVCm41Jr0
柏書房 日本甲冑大図鑑には
総面は南北朝頃からの登場と言う記述が有るが
当時の絵でこの様な物は今の所見ないが
 
刀剣春秋 甲冑面もものふの仮装だと
甲冑面に垂が付いたのは南北朝期頃と有るが
此れも当時の絵で有る物は今の所見ないが
 
南北朝ー室町前期或いは南北朝時代永徳年間成立の
秋夜長絵巻に半頬の垂が書いてあると言うが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/229762391
上が其れの様だが
此れは半頬の垂では無く喉輪の様にも見えるし
喉輪と併用された物なのかどうかだが
 
刀剣春秋 甲冑面もものふの仮装だと
鼻の有る総面は室町前期以降の登場と有るし
鼻の有る半頬も同時期の登場と言う事なのかだが
0354某研究者
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2015/11/10(火) 17:01:49.79ID:JVCm41Jr0
秋夜長絵巻では後三年合戦絵巻と異なり
槍も割りに登場しているから
南北朝期よりはやや後の物の可能性も有るのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660235522233643008
秋夜長絵巻のこの恐らく騎馬武者には
宝幢佩楯が有る様に見えるが
遺品と異なり上部の縅糸が恐らく表に出ているが
此れは誤りでは無いのかだが
母衣は未だ固定され無いと言う事なのかだが
面具には垂が有るのか・垂に見えるのは喉輪なのか
或いは喉輪の上に面具の垂が有る可能性も有るのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660240567343820800
この秋夜長絵巻の兵の面具にも垂が有るのかだが
分割らしき物を見る限り喉輪の様にも見えるが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660241178504224768
此れも秋夜長絵巻の兵だが
シコロが1段の兜の様な物を装備しているが
此れは陣笠の原型の可能性も有るのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660241961375260672
此の秋夜長絵巻の兵も宝幢佩楯が有る様に見えるが
籠手を良く見ると裏籠手に迄鉄板が有る様にも見えるが
此れは他の兵では見ないし
間違いの可能性も有るのかだが
0355某研究者
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2015/11/10(火) 17:03:04.82ID:JVCm41Jr0
https://twitter.com/boukenkyuu/status/660242570962862080
此れも秋夜長絵巻の一部だが
此れはソケット式の槍が有ると言う事なのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660242333628108800
此れも秋夜長絵巻の一部だが
槍印の有る槍が有ると言う事なのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660243361794621440
此れも秋夜長絵巻の一部だが
騎馬武者の被っている物は
烏帽子では無い様にも見えるが
左の騎馬武者は宝幢佩楯を装備している様にも見えるが

http://www.daitouryu.com/japanese/column/top/tanomotoshirou/col_tanomotoshirou17.html
>大太刀長巻(ながまき)は、柄を、これまでの大太刀以上に長くすることで、斬馬刀(ざんばとう)としても用いられた。この長巻は、薙刀としての用途にも優れ、騎乗の武士を馬ごと斬り据える事ができた。

等と有るが
此れは長巻とは異なると言う事なのかだが
中巻野太刀よりは握れる部分は短いのでは無いのかだが

http://photozou.jp/photo/show/1849954/229782762
秋夜長絵巻の面具は上の図31の様な物であり
垂は喉輪とほぼ同様の物が装備された可能性も有るのかだが
図32−2の素掛縅の垂が付いた物は秋夜長絵巻の段階では恐らく無いだろうし
図32−1或いは32−3の様な物を
喉輪と同時に装備していた可能性も有るのかどうかだが
0356某研究者
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2015/11/10(火) 17:06:50.81ID:JVCm41Jr0
https://twitter.com/boukenkyuu/status/660331310657835008
此れも秋夜長絵巻の一部だが
籠手には鎖が有る様にも見えるし
裏籠手にも鎖は有るのかどうかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660334606047023104
此れも秋夜長絵巻の一部だが
面頬では無く頬当てに見える様な物も有るが
絵が荒いだけの可能性も有るのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660337573735174144
此れも秋夜長絵巻の一部だが
籠手に鎖や筏の様な物が装備されている様にも見えるが
果たしてどうなのかだが

http://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/GALLERY/show_image.html?id=52270936&;no=5
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541044/13
上の結城合戦絵詞には喉輪が恐らく書かれているが
此れ以前の物は
http://photozou.jp/photo/show/1849954/203644223
上の1358年の足利尊氏の絵しか今の所見ないが
此れは面具の垂の可能性も有るのかだが
 
https://twitter.com/boukenkyuu/status/660647896543420416
此れは1517年成立の清水寺縁起絵巻の一部だが
妙に巨大な垣盾が有るが
此れは乗馬した騎馬武者の保護を考慮したのかだが
機動性は有るのかだろうし
銃の時代にこの様な物は使用されたのかどうかだが
0357某研究者
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2015/11/10(火) 17:08:37.44ID:JVCm41Jr0
http://auctions.c.yimg.jp/img249.auctions.yahoo.co.jp/users/8/7/7/4/gemayama-img411x600-1386753864v0jyyc87782.jpg
足の後部に迄板金の有る甲懸も有るのかだが
戦国期には果たして有るのかだが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c4/Shosokawa.jpg
上の細川澄元の佩楯は宝幢佩楯に似ているが
足の後部は防護されず下端は分割されていない様に見えるが
此れは正しいのかだが
足の後部も防護する宝幢佩楯で
下端部が分割されない物は有るのかどうかだが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/06/%C5%8Cuchi_Yoshioki.jpg
上の大内義興の佩楯も後部は防護しないが
下端部は分割されているし
宝幢佩楯に似ているが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Masuda_Motoyoshi.jpg
上の益田元祥の佩楯は
伊予佩楯と言う事なのかだが
他の部分の装備の古さを考えると
室町前期或いは此れ以前の物と同形式の物の可能性も有るのかだが

稲富祐直も具足を二重に着ていたと有るが
此れは胴だけなのかだが
太平記でも大鎧の下に胴丸や金胴を装備している者は居るが
籠手等を二重に装備していた武者は見ない訳だが
0358某研究者
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2015/11/10(火) 17:10:08.03ID:JVCm41Jr0
新紀元社 日本甲冑図鑑には
大鎧には喉輪を胴の下にしか装備出来ない等と有るが
http://ikkaiyoroi.com/tabi31.jpg
http://ikkaiyoroi.com/tabi34.jpg
上の写真では問題無く胴の上に装備出来て居る様に見えるが
果たしてどうなのかだが
 
歩兵の熊手・薙鎌は
戦国期の槍の多用時に廃れたのかだが
騎馬武者は一部熊手を装備した者は居た訳だろうが
鎌は十文字槍に置き換わったと言う事なのかだが
歩兵の袖搦も槍の多用で消えたと言う事なのかだが
此れを装備した騎馬武者は同時期に居たのかどうかだが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fd/K%C3%B4gake_armored_tabi_1.JPG
上の甲懸は丁番で板金が接続されている様に見えるが
此れで果たして高速で歩けるのかどうかだが

https://twitter.com/katchusi/status/616437816453509120
上の二人武者絵の馬鎧は
南北朝期にも有る物なのかだが
馬鎧も鎖の馬兜以外太平記には出て来ない訳だが
0359某研究者
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2015/11/10(火) 17:12:22.64ID:JVCm41Jr0
http://photozou.jp/photo/show/1849954/229939065
笠ジコロ使用では顔の側面が防護出来なく成るから
此処を守る為に半頬が出現したと言う事なのかだが
初期の半頬は矢張り垂は無い様だが
喉輪との隙間が完全に埋まる構造では無いと言う事なのかだが

http://photozou.jp/photo/show/1849954/229939072
上のイラストの様な形式の甲懸は見ないが
果たして現実に有る物なのかだが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/203644223
上の足利尊氏の物が似ていなくも無いが
装備位置はやや上の様にも見えるが

http://photozou.jp/photo/show/1849954/229939879
笠ジコロも一番上の物が合理的と言う事は無いのかだが
重心を下げる為に下の様な形状と成った可能性も有るのかだが

新紀元社 日本甲冑図鑑には
南北朝期の鳩尾板・栴檀板は騎射戦が廃れた為小型化したと有るが
室町前期迄は騎射戦は有る様に見えるし
鳩尾・栴檀板の小型化は打物戦での腕の動作にも
対応した故と言う事は無いのかだが
 
https://twitter.com/boukenkyuu/status/661706326028910594
細川澄元の肖像画の佩楯も
良く見ると下部に切れ目が有る様にも見えるし 
此れも宝幢佩楯の腿後部を防護しない物かも知れぬが
0360某研究者
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2015/11/10(火) 17:13:42.94ID:JVCm41Jr0
切っ先のみ刃が付いた刀と言うのは
野口一成の物以外にも有るのかだが
切っ先にのみ刃を付けて或いは全体を刃引きして
棒の様に扱う刀と言うのは果たして有るのかどうかだが

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2590869/29
上は十二類合戦絵巻の寛文期の写本だが
此の様な大型の鍵が付いた熊手と言うのも
実戦使用されたのかどうかだが

http://nihontou.jp/choice03/iai/kobuki/62.jpg
上の熊手は商品の様だが
柄が補強されて居るが
現実の水軍が同種の物を使用した可能性は有るのかどうかだが
 
https://twitter.com/boukenkyuu/status/662098055836008448
此れは1517年成立の清水寺縁起絵巻の一部だが
僧衣の下に籠手・脛当迄付けた僧兵が書かれているが
騎馬武者はこの時点では未だ大袖は有るだろうし
僧衣の下に鎧を着たのは歩兵のみと言う事なのかだが
後の時代ではどうなのかだが
壺袖・当世袖なら僧衣の下に装備出来る可能性も有るのかだが
 
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1a/Ashikaga_Yoshihisa.jpg
上の足利義尚の肖像画だと
佩楯は鎧直垂の下に装備されている様に見えるが
当世具足で同様の例は有るのかどうかだが
0361某研究者
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2015/11/10(火) 17:14:56.16ID:JVCm41Jr0
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f8/Sait%C5%8D_Masayoshi.JPG
上の斎藤正義の肖像画の脛当には臆病金が有るのかだが
臆病金では無い部分の脛当も
側面部迄防護して居ると言う事なのかだが
絵の間違いの可能性も有るのかだが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1a/Ashikaga_Yoshihisa.jpg
上の足利義尚の肖像画では
宝幢佩楯らしき物を鎧直垂の下に装備している様に見えるが
佩楯の上に袴に縫い付けた古いタイプの佩楯を更に装備する可能性は
室町前期辺り迄では有ったのかどうかだが
 
応仁乱消息に額当・頬当・脇当と同時に
腰当と言う記述が有るが此れは佩楯なのか
或いは腰の着脱式の草摺或いは
草摺の隙間を埋める物の可能性も有るのかだが
 
太平記に刃長八寸の大鉞が出て来るが
此れが大鉞の刃の最大サイズなのかだが
http://dbr.library.tohoku.ac.jp/infolib/user_contents/kano/05-001041/05-001041l046.jpg
上の絵等を見ると刃長は更に有る様にも見えるが

http://www.ten-f.com/oo-masakari1.jpg
上の様な物は流石に実用の物は有るのかどうかだが
バルディッシュなら同等以上の刃長の物は有るだろうが
刃の厚さは無いと言う事だろうか

雄山閣 日本甲冑の基礎知識に
革小札製の喉輪の重量は300g
鉄札が混ぜられている物の重量は最大700g等と有るから
鉄小札が大量に使用されて居る鎧と言うのは練革のみの鎧と比べ
可也重い可能性も有るのかだが
0362某研究者
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2015/11/10(火) 17:18:54.98ID:JVCm41Jr0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%81%94%E7%9B%9B%E5%AE%97#/media/File:Adachi_Morimune.jpg
上の安達盛宗の籠手は
雄山閣 日本甲冑の基礎知識には初期の筒籠手と有るが
同時期の通常の籠手より若干横幅が有る様にも見えるが
モンゴル軍侵攻時に此れが作成された可能性は無いのかだが
使用率は低いと言う事なのかだが
 
https://twitter.com/boukenkyuu/status/662542076324659200
雄山閣 日本甲冑の基礎知識に
平治物語絵巻に座板が2枚の初期の筒籠手が有ると有るが
此れは画像の物なのかだが
見えない部分の腕の内側に3枚目の座板が有る可能性は無いのかどうかだが
 
https://twitter.com/boukenkyuu/status/662546432226779137
此れも平治物語絵巻の一部だが
座板が2枚の初期の筒籠手が有る様に見えるし
見えない腕の外側にも一枚座板が有る可能性も有るのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/662548205050032128
此れも平治物語絵巻の一部だが
座板が3枚の初期の筒籠手が有る様にも見えるが
横幅は余り無いから違う可能性も有るのかだが
 
狩衣の下に鎧を装備した等と言う記述も有ったかも知れぬが
https://pbs.twimg.com/media/B0RaRmZCQAAbyQJ.jpg
狩衣の場合袖は後部以外隙間が有るし
此処から鎧の大袖を出していた可能性も有るのかどうかだが
袖の隙間は此れの為にも有ると言う可能性は無いのかだが  
0363某研究者
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2015/11/10(火) 17:22:43.04ID:JVCm41Jr0
雄山閣 日本甲冑の基礎知識には
中世の佩楯は宝幢佩楯・伊予佩楯・菱筏佩楯しか無いと有るが
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1f/Ashikaga_Takauji.JPG
上の伝足利尊氏像の佩楯は鎖袴等と有るが
只の鎖だけでは無くカルタ金が付いている様にも見えるが
此れを装備した佩楯は中世に有る可能性は無いのかだが
 
https://twitter.com/boukenkyuu/status/662816467130277888
此れも平治物語絵巻の一部だが
雄山閣 日本甲冑の基礎知識に有る
平治物語絵巻の脇引を装備している兵は
此の者なのかどうかだが
弓歩兵が装備して居ると言う事は射撃戦に備えた物なのかだが
打物歩兵は此れを装備したのかどうかだが
 
https://twitter.com/boukenkyuu/status/662822871027154944
此れも平治物語絵巻の一部だが
ファンタジー等で敵の矢を馬上で伏せて回避すると言う例が有るが
この騎馬武者は其れを意図して居るのかだが
日本の歩兵の弓も伏せて発射する例が確か有っただろうか  

http://photozou.jp/photo/show/1849954/230109359
この大立挙脛当は全長40cmであるから
立挙が大きいと言うより脛部分が短いと言う事なのかだが
脛上部の防御力を増す為に
こうした構造としたのかどうかだが
0364某研究者
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2015/11/10(火) 17:31:18.37ID:JVCm41Jr0
http://photozou.jp/photo/show/1849954/230109365
この室町前ー中期の物と言う瓢籠手は
指先に迄鎖が有ると有るが
写真では指部は途切れているが
どの様な形状だったのかだが
この時期の物でも裏籠手にも鎖が有ると言う事なのかだが
太平記の指先迄鎖の有る籠手と言うのは
瓢は恐らく無いが手部は同様の物なのかだが
 
雄山閣 日本甲冑の基礎知識には
南北朝ー室町前期出現の広袖は打物戦用と有るから
室町前期迄の大鎧には此れは装備されたのかどうかだが
広袖も広い袖下部の端を湾曲させて
腕から外れない様にして居ると言う事の様だが
果たして何処迄役に立ったのかだが  

明徳記に五尺二寸の鍬形と言うのも出て来る様だが
此れは実戦使用されたと言う事なのかだが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/105491430
上の鍬形とほぼ同様の物の可能性も有るのかだが
 
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E8%A8%98/%E5%B7%BB%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%BA%8C
>中にも山名が郎等、因播国の住人に福間三郎とて、世に名を知れたる大力の有けるが、七尺三寸の太刀だびら広に作りたるを、鐔本三尺計をいて蛤歯に掻合せ、伏縄目の鎧に三鍬形打たる甲を猪頚に著なし、

太平記にも三鍬形が出て来る様だが
これの中央に有る物は不明と言う事なのかだが
 
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541044/11
結城合戦絵詞には剣形の前立が有ると言うが
上の右上の剣単体に見える物の事なのかだが
0365某研究者
垢版 |
2015/11/10(火) 17:55:21.29ID:JVCm41Jr0
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2590870/21
雄山閣 日本甲冑の基礎知識には
十二類合戦絵巻に剣形の鍬形が有ると有るが
此れは上の右上の物なのかだが
 
Cold Steel - Pole Axe
https://www.youtube.com/watch?v=XsE8Lxy8hRg

プレートの兜は何故か斧の逆側で殴っているが
何れにせよ致命傷は免れ得ない訳だろうか
分厚い盾を粉砕しているが
盾も革が貼ってあると割れ難いと有るが
この衝撃を止められるのかは疑問も有る訳だろうか

幕末 袖搦 捕り物道具 長柄武具 槍 袖絡 そでがらみ
http://page12.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p495468211
此の鍵の付いた袖搦は恐らく捕物用だろうが
戦場用袖搦で鍵の付いた物は有るのかどうかだが

江戸期 甲冑 一作 ●武具鎧兜刀剣
http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n160903299
此れの佩楯は鉄らしいが
板札が妙に巨大だが防御力を考慮しての物なのかだが
草摺は鉄製なのかどうかだが

★伊達重村公所伝の試し具足★甲冑武具戦国刀剣鎧兜具足弓矢鍔
http://page17.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v436843153
試し撃ちの跡は妙に大きいが
十匁筒等を試した可能性も有るのかだが
胴の重量は9.2kgと言うが
伊達政宗の胴の13.7kgよりは軽い訳だろうか
0366某研究者
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2015/12/10(木) 22:42:12.01ID:XfL7nlLX0
新人物往来社 図解 隠し武器百科に
スコップの様な石突の有る契木の記述が有るが
現物は今の所見ないが
此れは土を跳ね上げて相手の視界を塞ぐ為の物と言うが
この様な石突の有る槍等は有るのかだが
正気流の鎖鎌術では分銅で土を飛ばして目潰しとする技が有る様だが
他の分銅鎖を使う武術では有るのかだが
0367某研究者
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2015/12/10(木) 22:42:45.82ID:XfL7nlLX0
http://photozou.jp/photo/show/1849954/231359546
中国の硝子棍と同様の物が
日本で使用されて居たのかだが
余り古い物では無い可能性も有るのかだが
此れを使う武術と言うのは日本に有るのかだが
鎖打棒術に有る可能性も有るのかだが

http://photozou.jp/photo/show/1849954/231359550
双節棍も日本製の物が有るのかだが
此れも時代は不明だが
左の古代朝鮮の物の影響に関しては記述は無い様だが
3節以上の多節の物は日本に有るのかどうかだが
此れも鎖打棒術に使用法は有るのかどうかだが
0368某研究者
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2015/12/10(木) 22:43:06.96ID:XfL7nlLX0
1245年頃成立と言うMaciejowski Bibleには
コートオブプレートは無い様に見えるし
1241年のワールシュタットでは騎士はコートオブプレートは無く
モンゴル兵に包囲され弓でやられたと言う事なのかだが
0369某研究者
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2015/12/20(日) 17:49:40.18ID:57L0A9fK0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%95%E5%85%B7#.E5.BE.AE.E5.A1.B5
>微塵を竹の子の皮に包んでカートリッジ化したものを振り杖に仕込んで高速連射できるようにした名称不詳の捕具が、平安時代末期に幾つかの八幡系列の神社に奉納されて現存する。
>カートリッジ化された飛翔体はクジラの髭によってボーラの形状に展開する仕組みになっており、
>上級者は振り出し方によって射出後の展開タイミングをコントロールできる。これによって通常のボーラとは比較にならないほど空気抵抗が軽減されて飛距離が増加している。
>また、生け垣や鉄柵や雑木林を通過するときはコンパクトなカートリッジのままで、通過後に、またはターゲットに当たった時点でボーラの形に展開することによって、
>障害物の向こう側にいるターゲットを捕縛するといった、通常のボーラでは不可能な使い方も可能にしている。八幡系列の神社では遠隔捕縛に関しては右に出る性能を持つ捕具はないと伝承されてきた。[要出典]

等と言う事は
微塵は平安期に有ったのかだが
戦場ではこの様な物は使用されたのかどうかだが
0371某研究者
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2016/01/19(火) 10:20:05.50ID:bTHzomVy0
https://www.flickr.com/photos/thoog/3393114093
パイクマン鎧も上を見る限り
槍を構えた際正面と成る腰後部には装甲が無いが
此処を狙われてやられた例は多いのかだが
此処を防護している足軽胴も草摺は革札が多いから
防御力はどうなのかだが

https://www.flickr.com/photos/thoog/3482337131
パイクマン鎧を装備する前のパイク兵は
ハーフアーマーか
上の様な3/4鎧を装備していただろうが
此れも槍を構えた際正面と成る
腰後部の装甲は無い訳だろうか

http://bigano.photoshelter.com/image/I0000lTexHkZaiMY
一方で腰の後部に板金の有るマクシミリアン鎧も有るが
この様なタイプは多いのかだが
https://i.ytimg.com/vi/_ZrPMaOPrxs/maxresdefault.jpg
歩兵は上の様な腰後部に装甲の無いタイプが
使用されたと言う事なのかだが

https://www.youtube.com/watch?v=_ZrPMaOPrxs
上のマクシミリアン鎧の兜も
意外と首下部に隙間が有るが
此処を狙うのは簡単では無いと言う事なのかだが
0372某研究者
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2016/01/30(土) 10:34:36.52ID:7F1KPs/q0
日本に甲冑剣術成る物は無いと言う意見も有るが
最低でも具足の重量を考慮した構えとは成らぬのかだが
雑兵物語にも手足を斬れ或いは
顔や草摺の隙間を突けと言う記述が有るから
此れは甲冑剣術・槍術では無いのかだが
素肌剣術と異なり胴や頭を斬る攻撃は無いと言う事なのかだが
鎖や革・綿の手足や草摺は斬る攻撃は残ると言う事なのかだが
0373某研究者
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2016/01/30(土) 11:00:36.61ID:7F1KPs/q0
雑兵物語には弭槍で草摺の隙間を突けと有るが
弭槍では革の草摺も貫通出来ないから隙間を突けと言う事なのか
或いは草摺が鉄の可能性も有るから
隙間を狙えと言う事なのかだが
0374某研究者
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2016/01/30(土) 12:26:36.69ID:7F1KPs/q0
小札鎧なら胴を斬る或いは突く攻撃は有効では無いのかだが
板札化された足軽胴や一部の騎馬武者の胴では此れは無いと言う事なのかだが
兜鉢を斬る攻撃は無いが
札が細分されているシコロ部分を斬る或いは突く攻撃は無いのかどうかだが
0375某研究者
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2016/02/24(水) 09:58:09.16ID:fvc9b9/W0
馬上では打刀も刃を下に差す(天神差し)をしていた様だが
此れを抜刀術で素早く抜いて槍を斬ると言う様な事は出来るのかだが
太刀での抜刀術も確か有ったが
斬る迄の速度は刃を下にして差した打刀よりは落ちるのかだが

https://twitter.com/kawamurakeishin/status/612695239879360513/photo/1
上を見る限り太刀では刀の刃を上向きとした後抜刀と言う方向も有る様だが
此れでも刃を下にした差し方をした打刀の抜刀より高速なのかだが
打刀の刃を下に差した天神差しからの抜刀も有る様だが
此れは刃の向きを変えずに抜刀しているのかだが

https://www.youtube.com/watch?v=XUjUUe-tV5c&;feature=youtu.be
天神差しの抜刀術の場合下から切り上げるのかだが
此れで槍は斬れるのかだが
腕力が有れば可能なのかどうかだが
抜刀速度は通常の差し方の物と同等かは不明だが
槍を斬るのに十分な速度は無いのかどうかだが
0376某研究者
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2016/02/24(水) 13:16:35.66ID:fvc9b9/W0
https://twitter.com/su_kokko/status/612638925350277120/photo/1
https://pbs.twimg.com/media/CICH200VAAAu_JT.png
鎧を装備した場合打刀の通常の差し方での抜刀では袖が邪魔に成るのかだが
抜けない訳では無く抜刀速度が低下するという事だろうか
袖の無い甲冑ではどうなのかだが

https://pbs.twimg.com/media/CICH200VAAAu_JT.png
鎧の大袖を装備しても腕は上がると言うのは事実だろうが
上げる速度は低下しないのかどうかだが
反りの有る刀は力が狭い場所に集中して威力は増すと有るが
当たる面積は小さいが
力の掛かり方は直刀と比べて弱い可能性は無いのかだが

https://twitter.com/jionsaipha/status/613743557803835393
https://www.youtube.com/watch?v=Ai014_0qP84&;feature=youtu.be
>あと、僕が習っている流派では狭い場所に行く時は天神差しにします。
逆手で抜きやすくなり狭い場所での抜刀が可能となります。

此れは古い物なのかだが
屋内で新選組等が使用した例は有るのかどうかだが
逆手で一回突いた後は順手に戻すのかだが
この方法は上の動画には無い様だが
0377名無しさん@一本勝ち
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2016/02/24(水) 17:44:32.46ID:Ecfk3Sn70
>>372
あの時代の太刀ってのは蛤刃で鎧の隙間を突くか、思い切りどつき殺すかが多かったと聞くが?
甲冑纏って剃刀のような太刀だとすぐボロボロになるからだろうが。
0378某研究者
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2016/02/24(水) 22:07:21.90ID:fvc9b9/W0
通常の刀では隙間を突くか
手足等の装甲の薄い所を斬るかだろうが
鉄板札使用で厚みの有る胸甲を殴ると言うのは何処迄有ったのかだが
刀で兜を殴って昏倒させると言う技が有ったと言う意見も有るが
此れは果たして可能なのかだが
0379名無しさん@一本勝ち
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2016/02/25(木) 05:12:53.50ID:p3MHZ7hT0
槍も突くどころか叩き殺す事にも使われると聞くのだが。太刀も尺の長さも加味されれば鈍器として
殴り殺せる事も物理的に可能だと思うのだが。
0380某研究者
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2016/02/25(木) 10:05:46.67ID:k+tDRmUR0
槍なら兜を殴れば昏倒や首を潰す事も恐らく可能だろうが
通常サイズの太刀では果たしてどうなのかだが
戦国期の分厚い板札の胸甲に有効打を与えられるのかだが
https://www.youtube.com/watch?v=EDkoj932YFo
上の動画ではプレートアーマーが可成り凹んでいるが
此れの厚さはどうなのかだろうし
ここ迄の強い振りが何処迄当たるのかだが
0381某研究者
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2016/02/25(木) 10:08:29.44ID:k+tDRmUR0
明治期等に日本刀で兜割りをしていただろうが
兜を頭部に達する迄斬る事は困難の様だが
衝撃で脳震盪を起こしたり首を潰す事は
不能なのかどうかだが
0382某研究者
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2016/02/25(木) 10:21:19.58ID:k+tDRmUR0
抜刀術で刀を抜いた直後に槍を斬ると言う事は可能なのかだが
抜刀術の刀の軌道は読まれているから
此れは困難な場合も有るのかだが
敵に長物を等を投げる等した直後ならどうなのかだが
0383某研究者
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2016/02/25(木) 10:22:53.04ID:k+tDRmUR0
刀の軌道と言うのは刃筋を立たせねば成らぬ関係で
読まれ易いと言う事は無いのかだが
刀の横で殴ると言う技も無いのかだが
此れは威力は何処迄有るのかだが
0384某研究者
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2016/02/25(木) 10:24:30.61ID:k+tDRmUR0
槍の太刀打の横で殴る事は有るのかだが
余り強くやると茎が変形する可能性は無いのかだが
薙刀の太い茎ならどうなのかだが
0385某研究者
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2016/02/25(木) 10:26:19.70ID:k+tDRmUR0
袋槍・筑紫薙刀等のソケット式の物なら
柄部の横で強く殴っても問題は無いのかだが
柄を補強する蛭巻の有る茎式の古い薙刀ではどうなのかだが
0386某研究者
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2016/02/25(木) 10:28:39.35ID:k+tDRmUR0
袋槍のソケットを長目として
やや細い刃を付ければ
此れで柄の横でも殴れ
刀で柄を斬れ難くも出来るのかだが
0387某研究者
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2016/02/25(木) 18:33:27.70ID:k+tDRmUR0
基本的に刃筋を立たせねば成らぬ薙刀では
刃の軌道を読まれるかも知れぬなら
何処迄太刀打で殴る槍に勝てるのかだろうし
刃の側面や太刀打で殴ると言う攻撃は多用されたのかどうかだが
0388某研究者
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2016/02/25(木) 18:43:52.16ID:k+tDRmUR0
尾張貫流 演武V 真槍
https://youtu.be/Xompz9OJm5g
この管槍の突きは槍と比べて何処迄高速なのかだが
コンパクトな突きは可成り高速に見えるが
斬る型や太刀打ちで殴る型と言うのは有るのかどうかだが
0389某研究者
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2016/02/25(木) 19:18:28.15ID:k+tDRmUR0
2016年)尾張貫流槍術 ・ 第39回 日本古武道演武大会
https://youtu.be/ejJBGWZdx1I
演武の管槍に斬る型や殴る型が無いのは
試合用の槍に薙刀の様な衝撃緩和効果が無い故なのかだが
薙刀よりリーチが長く打撃力が有るので衝撃を緩和するのは困難なのかどうかが
最後に出て来る十文字槍と槍は
管装備では無い様にも見えるが
0390某研究者
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2016/03/01(火) 23:13:52.75ID:Gg4p9Wk90
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B0%E6%89%93%E3%81%A1
日本刀は峰側で打つことに対して弱いとされると言うが
実際に峰打ちをして破損するとは限らぬ様に見えるが
強度は刃側より低下しているが
実戦に使用して問題は無いレベルの可能性も有るのかだが
0391某研究者
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2016/03/04(金) 19:34:10.45ID:ZPW0uLOJ0
https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/rekihaku-meet/seminar/bugu-kacchuu/tk_intro3.html
南北朝期の大太刀の重ねは薄いと有るが
側面で平打ちをしても十分な強度は有るのかどうかだが
0392某研究者
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2016/03/08(火) 21:11:05.35ID:0JxiZT850
下から斬る攻撃は防御し難い等と言うが
横方向に回避される危険は無いのかだが
体で回避し難い横に斬って敵の体制を崩した後
下から斬るならどうなのかだが
0394某研究者
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2016/04/19(火) 09:53:30.14ID:nEbpG1Hp0
盾が廃れた15世紀後半以降のプレートアーマーだと
盾無しでランスが止まるのかだが
此れはランスの威力がそう高くは無いのか
プレートアーマーの防御力が高いのかだが
当り場所に拠っては落馬する危険は有るのかだが
肩等の薄い装甲をランスが貫通する危険は無いのかだろうし
脇等の隙間に飛び込む危険は無いのかだが
0395某研究者
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2016/05/08(日) 11:53:14.31ID:TUCnPjKj0
http://yakaoo.jugem.jp/?eid=1936
>ただし加齢と共に確実に上がっていく能力があります。
>それはパワーです。このパワーってやつだけは、若い人よりもある程度歳のいった人の方が強いです。
>これは空手家の角田さんがテレビで仰っていたんですが、人間は中年になった方が筋肉がつくそうです。
>胸、腕の筋肉は特につきやすいそうで、これは私自身も実感しています。
>若い頃よりスタミナもスピードも衰えたけど、パワーだけは上がっているんです。

バーナード・ホプキンスもパワーは残っていると言う意見も有るが
若い頃より向上迄はするのかだが
騎士や武士等も高齢だがパワーで勝負して
力を維持していた者も居るのかだが
0397某研究者
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2016/05/28(土) 11:48:03.64ID:8nocaC1q0
今植物状態でも後20年保てば 臓器はサイボーグ化出来るかも知れぬが 
脳再生・機械化は100年掛かるかも知れぬが 
其れ迄不老技術や冬眠技術等で 延命出来る可能性は有る訳だろうし 
脳の一部が生きていれば可成り記憶は 記憶のホログラム性等で 取り出せる可能性も有るのかだが
0398名無しさん@一本勝ち
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2016/06/04(土) 17:35:07.93ID:gcjWF2Gf0
スタップ細胞が実用化できるかどうかだが。
0399名無しさん@一本勝ち
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2016/10/09(日) 12:34:33.16ID:erLouLVe0
プレートアーマーの騎士って弱点なさそうだな
オスマン帝国の兵士たちはあんなのとどうやって戦ったんだろう
0400400
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2017/01/24(火) 23:52:28.64ID:cvSrYttmO
400げと
0401名無しさん@一本勝ち
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2017/01/31(火) 00:26:24.16ID:ga1Dcc5s0
とりあえず、戦国時代スレに鎧組討の話題があがってるよ。
0402名無しさん@一本勝ち
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2017/03/02(木) 09:42:21.08ID:THml6u870
グラディウスやスパタから中世の剣に進化したのっていつ頃?
0403某研究者
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2017/09/01(金) 21:48:59.00ID:bFzBOg/Q0
隙間の余り無いイタリア式板金鎧を着ても 
戦国期の刃長60cm・2.7m等の薙刀を受ければ 
一撃で戦闘不能と成る可能性も有るのかだが 
槍の打撃でも動きは鈍って 
腿の内側や脇等の隙間を突かれる可能性も有るのかだが 
15世紀では薙刀・金砕棒・大太刀の比率も依然多い訳だろうか
0404某研究者
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2017/09/01(金) 22:03:17.41ID:bFzBOg/Q0
https://www.tsuruginoya.net/stories/tomoegatanaginata/
古い時代の薙刀はいずれも長寸で、軍記物を見ると、冷泉隆豊の2尺5寸(約75.8cm)は例外的に短く、それ以外は、坂四郎永覚の3尺(約90.9cm)、大内義弘の3尺1寸(約93.9cm)、大塔宮・阿闍梨祐慶・筒井明春らの3尺5寸(約106.2cm)、
畑六郎左衛門の3尺6寸(約109.1cm)、塩屋伊勢守の4尺(約121.2cm)、滑良兵庫頭の5尺2寸(約157.6cm)、和田源秀の6尺(約181.8cm)余、長尾弾正や熊野人の6尺3寸(約190.9cm)、安積彦五郎の8尺(約242.4cm)余などと、超大型の記載がある。
当時は薙刀を大薙刀・小薙刀の二種に分けていたが、その区別はあいまいなものだった。豪鑒・豪仙らの4尺(約121.2cm)、澄憲や祐慶の3尺(約90.9cm)、大内義長の2尺8寸(約84.8cm)を大薙刀、
大塔宮や和田五郎の3尺5寸(約106.2cm)、薬師寺十郎次郎の2尺5寸(約75.8cm)を小薙刀、と呼んでいるところを見ると、厳密な区別はなかったことになる。

薙刀も戦国期ではこんな長い物は主流だったのかだろうし
恐らく太刀・打刀と同様の60−70cmの刃が
2−3m程度の柄に付いていたと言うのが標準なのかだが
0405某研究者
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2017/09/01(金) 22:44:41.83ID:bFzBOg/Q0
戦国期の薙刀も刀と同様の二尺三寸=70cm程度の刃長が基本であり
此れに2m程度の柄が付いた物が標準と言う事なのかだが

http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0049550
15世紀の上の結城合戦絵巻
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0090835
上の十二類合戦絵巻では槍を持つ騎馬武者らしき兵も確かに居るが
比率は薙刀・大太刀より少ないだろうか

ゴシック甲冑・マクシミリアン鎧・フィールドアーマーは腰等に隙間が多く
イタリア式甲冑よりはやや槍が通用し易いのかだが
フルプレートも1540年辺りから減少し1590年辺りではほぼ消滅したと言うなら
3/4鎧の足や腰の隙間を槍で狙うのは容易に成ると言う事なのかだが
0406某研究者
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2017/09/01(金) 22:56:27.81ID:bFzBOg/Q0
https://myarmoury.com/talk/viewtopic.php?t=19720
4) Battle Sword, German ca. 1600, the blade with imperial orb marks.
5) Hand and a Half Sword, German ca. 1580, the blade with smith’s marks
(Image and description Copyright Fricker Historical Weapons)

1580年のバスタードソードも有るが
当時の槍騎兵がバスタードソードを使用していた可能性は有るのかだが
1600年の両手剣と言うのも有るが
1678年にオランダ兵が城の守備用にそうした物を使用していたと言う意見も有っただろうが
恐らく数は少ないと言う事だろうか
イギリスが海戦用に両手剣を使用したと言う記述も有るが
此れは17世紀の事なのかだが
0407某研究者
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2017/09/01(金) 23:00:51.11ID:bFzBOg/Q0
西欧も3/4鎧主流の17世紀には騎兵のバスタードソードは恐らく無いだろうから
片手剣では日本刀に騎兵は対抗出来ないと言う事なのかだが
0408某研究者
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2017/09/01(金) 23:20:49.77ID:bFzBOg/Q0
https://i.pinimg.com/236x/62/93/05/629305e370821c8ab2d49f0b025d7726--weapons-netherlands.jpg
https://farm9.static.flickr.com/8434/7842273452_7bd8cf38f7_b.jpg
こうした3/4鎧を装備した騎兵と騎馬武者が刀で切り合えば
騎兵は軽い両手持ち日本刀に追随出来ず足を斬られる或いは
腰の側面の隙間を突かれる
或いは銃を撃つ為に大きく空いたバイザーの隙間を突かれて
やられると言う事なのかだが
0409某研究者
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2017/09/02(土) 11:40:08.57ID:b1hj3pM40
騎馬武者も少なく共応仁の乱迄は槍は多くは無いから
15世紀前半では騎馬武者の打物は
薙刀が6割・大太刀が2割・槍が2割・金砕棒や熊手・鉞が1割と言う所なのかだが
大太刀の比率は絵を見る限りもう少し多い可能性も有るのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646561526109/
15世紀前半では板金鎧は上の様な物だろうし
此れは薙刀や大太刀には耐えられるのかどうかだが
此れを槍で倒す場合は装甲が分割されている肩等を打撃して動きを鈍らせてから
腿の内側等を突くのかだが
タセットも長く突き所は余り無い様に見えるが

15世紀前半では板金鎧的な金胴の装備率は
南北朝時代よりは増えているのかだが
何れにせよ板金鎧程の防御力は見込めず重量も軽くは無いと言う事なのかだが
兜の傘シコロでロングソードの上方からの打撃は
幾らかは止まるかも知れぬが
ポールアックス迄は止まるのかどうかだが
腕の装甲重量は騎馬武者の方が可成り軽いから武器の反応性は
騎馬武者の方が上と言う事なのかだが

馬上戦では片手持ちのランスを両手持ちの薙刀・大太刀で切り払ってから
馬や人を打撃すれば騎馬武者は勝てるのかだが
余り慣れては居ないとは言え
ランスを両手持ちされて対抗される危険も有るだろうし
短い大太刀では馬を狙われる可能性も有る訳だろうか
0410某研究者
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2017/09/02(土) 13:56:17.08ID:b1hj3pM40
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0049550
1488年成立と言う結城合戦絵巻でも
槍の比率は低いし
同時期のゴシック・イタリア甲冑相手でも薙刀・大太刀を振るえば
十分な打撃は与えられるだろうが
薙刀競技でも突き技は有るし
静型薙刀ならゴシック甲冑の腰等に増えた隙間への
突きもそう難しくは無いと言う事なのかだが
結城合戦絵詞には巴型薙刀しか無いし
十二類合戦絵巻にも無い様に見えるが
http://www.pref.okayama.jp/cgi-bin/bunka/culture/controller/client/resultDetail.cgi?id=579
応永期(1394ー1427年)の静型薙刀も現存はしているから
1488年にも有る可能性は高いと言う事なのかだが
現存している15世紀以前の薙刀の大半は静型の様にも見えるが
果たして現実の比率はどうなのかだが
巴型薙刀でも威力は低いが突きは可能では有る訳だろうが
鎖を貫通するのは困難である訳だろうか
0411某研究者
垢版 |
2017/09/02(土) 14:10:56.60ID:b1hj3pM40
https://blogs.yahoo.co.jp/ym191939/22365689.html
>末期になるとさらに反りの中心が下になり、切っ先の誇張感が薄れます。
この時代になると、鎬筋は先端に抜けるものと、やや下方に抜けるものとが共存しています。   画像3 備前 景光 画像4 来国俊 画像5 元応年季 吉岡助光

薙刀も鎌倉末期から反りは先端から中央に移動して
突きを考慮した静型に近い物が主流と成った可能性も有るのかだが
同時期以降の絵では静型は見ないが此れは
絵の様式が鎌倉初期の先端の曲がる薙刀の形式を
態と残していると言う事なのかだが
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