世界の甲冑武器術・柔術 [転載禁止]©2ch.net
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日本や西欧に拘らず
世界で使用された甲冑を装備して行う武器術・柔術に関して
議論や情報提供をして貰いたい訳だが >>141
できるんじゃね? 薬丸兼陳何て人は、小太刀の木刀で鉄兜割ったって聞くし。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E7%B6%B1%E8%89%AF
>槍術の達人といわれた有村俊斎は鹿児島城下で次々と道場破りを行い、最後に薬丸家にやってきた。薬丸家に代わって大山が試合に応じ、大山が勝利。
相手は有村俊斎では無いと有るが
大山綱良も別の者に小太刀で槍に勝利したのかだが >>141
小太刀で鉄兜を割ったのは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E4%B8%B8%E5%85%BC%E6%AD%A6
上の薬丸兼武と言う事かも知れぬが
現実性に関しては疑問も有る様だが
>特に小太刀、槍止めを得意とした。
>他流試合の逸話も槍止めに関するものが多い。
と有るが
槍止めと言うのは
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314485863
>払いのけて、内懐に飛び込んで相手を斬るのが古流の槍止めの技だったと思います。
と言う技なのかだが https://www.youtube.com/watch?v=OLS1rsdO0Ak
上れが野太刀自顕流の槍止めなのかだが
槍を払うと言うより斬る攻撃を続けながら前進すると言う感じだが
戦場では槍側がここ迄後退するスペースは無い訳だが
刀の方が有利とは言えるのかどうかだが 足軽に具足の隙間を突くのは困難だから
雑兵物語では手足を斬れと言う描写が有ると言う事なのかどうかだが 西欧のパイク兵も鎧の隙間を槍や剣で狙うと言うのは有ったのかだが
ハルバード兵やドッペルゾルドナー等の精鋭歩兵なら有り得たと言う事なのかだが
徒武者ではどうなのかだが >>146
騎馬武者用の標準的槍では動画の槍より可成りリーチは短いだろうが
槍止めを行う刀の方が有利と迄は言えるのかだが http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E4%B8%B8%E5%85%BC%E5%AF%8C
>清水は本心鏡知流槍術の達人であるとともに示現流は二段を持っていた。兼中に対し、示現流には槍止めの技があるが、本当に止められるはずはないと竹竿で勝負を挑んだ。兼中は小太刀で竹竿の突きを止めようとしたが、止まらなかった。
槍止めも雑魚相手で無ければ
簡単に出来るのかどうかだが http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/budou/1078588832/l50
>ちなみに、明治の剣豪の高野先生の著書によると、槍に対するときは剣でなくて小太刀の方が良いそうです。
>(小太刀だと半身になるためかも知れません。)
等と有るが現実に戦国期で槍に対し小太刀で戦った者は何処迄居たのかだが http://maisov.if.tv/r/index.php?ssd_crossfight#kfc8207a
>もっともバイキングの多くは高価な剣が買えず、片手槍などで戦っていたと英語版Wikipediaにありますが。
とは言えグラディウスの様な小剣は装備していたのかどうかだが http://maisov.if.tv/r/index.php?ssd_crossfight#kfc8207a
>ただし素肌剣術としては、手首や首筋など出血しやすい場所を切って戦闘力をそぐことは有効なオプションでした。
介者剣術でも相手の具足の構造次第では此れも有効な攻撃では無いのかだが http://maisov.if.tv/r/index.php?ssd_crossfight#kfc8207a
>小太刀術にも「両手剣を片手剣で受け止めながら戦う」ことを強く意識した面があって、正面からの押し合いを避けることが立ち回りのポイントになります。
等と有るが戦場では太刀を回避するスペースは
何処迄有るのかだが http://maisov.if.tv/r/index.php?ssd_crossfight#kfc8207a
>Wikipediaの大太刀の項を見ると、大太刀・野太刀を「馬上に乗って馬の走る勢いで斬る武器」と説明しています。
>ということは、長い柄を持っていた(同項)とはいえ、大力自慢が片手で振り回すものであったのでしょう。さすがに乱戦のさなかで手綱を離したまま、大質量を移動させていたら、反動で落馬してしまいます。
http://blogs.yahoo.co.jp/hoelderlin_on_sirius/39686751.html
上の結城合戦絵詞では恐らく薙刀を両手で構えた騎馬武者が
馬を走らせているが
両手持ちの薙刀や大太刀で馬の力を加えるのは困難なのかだが
日本の立ち乗りが可能な鐙なら出来る可能性も有るのかだが 示現流の様な大振りで相手を牽制した直後に
装甲の隙間等に精密な突きを入れると言う様な技は
有ったのかどうかだが 相手がどの程度の重量の胸甲を装備しているかは
外観からは不明な場合も有るだろうが
軽い胸甲を秘密裏に装備してスピードを増すと言う方向も有るのかだが http://maisov.if.tv/r/index.php?ssd_crossfight#kfc8207a
>刀の手元近くで何かを押すより、長い刀の先端近くで何かを押すほうが力が要ります。支点から遠いところに天秤の重りをつるすなら、より軽い重りで釣り合うことは理科で習いましたね。
>これを利用して、刀と刀がぶつかったとき、相手のロングソードの切っ先をこちらの手元で受けるようにします。相手は押し負けやすくなりますし、こちらは手元近くが支点になって剣の先を自由に動かせますから、それで相手を傷つけることもできます。
此の様な技が現実の中世で使用されたと言う根拠は
有るのかどうかだが http://maisov.if.tv/r/index.php?ssd_crossfight#kfc8207a
>このほかにもロングソードを脇で抱え込んだり、剣を持つ手をつかんだりする戦い方が出ていますが、
>後者については銃剣術や小太刀術、一部の居合道ないし古流小具足に広く見られます(例えば牧秀彦[1999]、pp.201-203)。
相手の剣を持つ両手を片手で掴むと言う事も有るのかだが
果たしてどうなのかだが
剣や槍を脇に抱える技は
中世の絵が有るだろうか >ダガーはもともと非常用の武器で、左腰はロングソードの類で占められているので、
>腰の真ん前とか右腰とかに吊っていたそうです(長田竜太[2012]、第3章)。
>逆手で持っていいことはあまりないんだけれど、でも吊っている場所から抜くと逆手になってしまうので、逆手で練習してたと。
短剣を態々使用し難い吊り方をして居たのは
何故なのかだが
日本の絵でも短刀を逆手で構えている場合が有るが
此れは有利なのかどうかだが http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%BA%E5%88%80
>抜きやすいよう右腰に口を帯の下に差した刺刀は妻手指(えびらさし)または馬手差(めてざし:右手差しの意味)と呼ばれる。後に腹部を刀剣類で薙がれる危険性をより回避するために中央左寄りの腰に短い脇差を差すようになり、馬手差は次第に廃れていった。
馬手差が廃れたのは防御上の問題でなのかだが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%BF%A0%E5%8B%9D#/media/File:Honda_Tadakatu.jpg
上の本多忠勝の肖像画の様に脇差と馬手差を同時に装備した例も有るのかどうかだが
この場合は組討の際に脇差では無く馬手差が優先して使われたのかだが >>161
脇差で腹部を防護すると言うと言うのも良く分からないが
当世具足の揺糸部分は天神差の打刀で塞がれるだろうが
脇差では塞がらない様に見えるが >>161
脇差で腹部を防護すると言うと言うのも良く分からないが
当世具足の揺糸部分は天神差の打刀で塞がれるだろうが
脇差では塞がらない様に見えるし
打撃も余り止まらない様に見えるが http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/budou/1078588832/
>侍槍は9尺を定寸として上段から叩き付け臑を薙ぎ内股払い引き斬る。突く
>のはもっぱらとどめを刺すときだけ。突きは三分に引きは七分。3mの間合い
>は最強だぞ。
騎馬武者用槍も叩く攻撃が主体と言う事なのかだが
斬る攻撃も多いと言う事なのかだが http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/budou/1078588832/
>鎌の部分を使われるからこそ、厄介な相手になるのです……
>やられると手強いですよ。鎌槍は。
>この引っ掛けで、何度も得物を飛ばされたり押さえられたりしました。
鎌槍も素槍或いは鍵槍・管槍と比べ果たしてどうなのかだが http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/budou/1078588832/
>銃剣道に関しては当時フランスから師範を招聘したけど、
>当時落ち目だった柳生の宗家にボロ負けしたので、お帰りいただいて、
>古流の槍術を元にして作った、って聞いたことがあります。
此れは仏の銃剣術が日本の槍術に敗れたと言う事なのかだが
日本側の槍の長さは銃と同程度だったのかどうかだが http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/budou/1078588832/
>槍身3尺、柄9尺の大身の侍槍で、なんと柄9尺すべてにナカゴが入っていたという戦国時代の物凄い侍槍が京都の骨董屋にあったそうだw。
こんな重量の有る構造としたのは
どう言う事なのかだが 戦国期の脛当には馬が傷つくとして内側に皮が張ってある物が多いが
此れ以前には無かったのはどう言う事なのかだが
戦国期に登場した篠脛当の鎖や鎬の部分が馬を傷付けるから
皮が貼られたのかも知れぬが
此れの無い筒脛当にも何故か皮は貼られている訳だろうか http://photozou.jp/photo/show/1849954/223131174
上の商家のナエシは北斗の拳のマミヤが使用していた武器に似ているが
両端は其れ程には鋭くは無いだろうが
この様な物は戦国期に有ったのかどうかだが 西欧の鎖帷子も鎖は扁平であるから
日本の円状の断面の物より曲がり易いと言う事は無いのかだが 2つ分銅鎖の付いている鎖鎌を
2つ同時に使用した例は果たして有るのかどうかだが http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/1163478681/
>専門外だけど、大別して分銅攻撃メインを旨として鎌は保険的な位置づけの流派と、
>分銅は牽制で鎌の間合いを生み出すために用いることを旨とする流派があるらしい。
>後者は十手などの使い方に、より似ているようだ。
後者で使用する鎖は余り長くは無いと言う事なのかだが http://www.nebulas.com/tokyoshureidointernational/kobudo.html
>鎖振棒(ナシエ型分銅鎖)
>一尺二寸の鉄棒(ナエシ)に鎖と大きめの分銅が付いた特種武器。柄を持って打ち振れば分銅鎖、サカ手に持てばナエシ、両手に持って鎖で刀を絡め取り、また敵の首や手足を鎖で締め付ける事も出来る秘武器。
此れは他では見ない物だが http://jirokayo.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-5daf.html
>戦国武将・安田作兵衛・管槍・信長に一番槍をつけた男
>昔、唐津城に行った。そこで作兵衛の管槍が展示してあった。
>先日の斉藤利三の家臣である。信長に一番槍をつけていながらよく生き残れたと思う。
信長を攻撃したのは唐津城の管槍と言う事なのかどうかだが くだ槍ですが、今でも名古屋に尾張かんりゅうという流派が残っています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%85%B7%E8%B6%B3_(%E6%AD%A6%E8%A1%93)
組討有りの脇差・短刀を使用する小具足術と言うのは
刀の扱いは小太刀術と比べてどうなのかだが
小具足術の組討は長い得物を使う物より上と言う事なのかだが >*1:アメリカのM1840騎兵サーベルは"Old Wristbreaker"(古い手首破壊者)として悪名高い。
その中途半端の反りは馬の上で使えば片手持ちの突きに適さず、振り斬るの性能にもいまひとつ。戦闘の時よく使い手の手首を捻挫する。
日本陸軍の騎兵でさえ和式軍刀を拒否し、洋式直刀の三十二年式軍刀を終戦まで使用していた。
その一方、中東、インドと一部の中央ヨーロッパの騎兵たちは反り強くの片手持ち曲刀使用していた。
馬上合戦用の日本太刀と同じように、それは馬の力使えての振り斬るに適するだから。
等と有るが打刀は走らせた馬の上で使用する物では無いと言う事だろうし
突きは動画を見ると問題は無い様にも見えるが
反りの大きい打刀出現前の太刀なら
走らせた馬の上でも斬る攻撃は可能と言う事だろうか 大人になって生き物を殴ったり蹴ったりできる人間いるとしたら
それはヤクザと格闘技だけである。
この2つ以外では、なかなかお目にかかれないと思います。
普通に平凡な暮らしをしてる中でこういった光景を目の当たりにする機会は少ないと思います。
この2つの世界では、そのような行為が認められています。
一応念の為にご説明しておきますが、格闘ジムというのは文字通り
武道を学ぶ道場の事で、ケンカ事務所というのは暴力団(ヤクザ)事務所です。
ちなみに彼らの基本技は、パンチ、キック、武器(凶器)
主にケンカ技を使います。これやった後は、カラダ中アザだらけになるらしいです。
時々ガラの悪いおっさんが、合気道師範に殴りかかるらしいです。
でもご安心下さい、先生には合気技があります。これさえあれば例え暴力団員がパンチを放ったとしても、
受け流す事ができます。というか、合気道師範、暴力団と交渉してるらしいですね
ジムが経営不振に陥った時に、サラ金が保障してくれるらしいです
先生も道場経営するのにそうとう金かけてますからね。 というわけで、合気道の先生
これからもケンカ頑張って下さい応援してます。
これは余談ですが、私も幼い頃はヤンチャでした。
今思うと、東洋の格闘技に出会ったキッカケかもしれない ヤクザもパンチとキックを使います。
映画で見た事ありません?
先生と同じです。 私本当に尊敬してます合気道師範の事
素晴らしいお方です。
実力はチンピラとほぼ同等もしくはそれ以上
尊敬します! 腿へのキックと言うのはこの部分が板金化されて居ない具足には有効かも知れぬが
実際何処迄行われたのかだが
具足相手のパンチは掌打しか無いのかどうかだが
小札鎧相手には通常のパンチも有効な可能性も有るのかだが http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%93%E8%BA%AB
>当身に用いられる部分は、頭(額、頭頂部、後頭部)、肩、肘、手、尻、腰、膝、足などである。後述するが、刃物ではない道具で当てることも当身と言った。
等と有るが
具足相手に此れが全て使われたのかどうかだが http://www.rekishijin.jp/kurodakanbei/sudou/p35109/
http://www.kjclub.com/jp/exchange/photo/read.php?tname=exc_board_14&uid=4809&fid=4809&thread=1000000&idx=1&page=3&number=135&f=a.name&word=takamori
上の黒田長政の具足も10kgしか無いのかだが
兜が3kgとすると胴は足軽胴同様の4kg程度の可能性も有るのかだが
黒田長政の様に10kg程度の具足を装備していた大将は多いのかだが
防弾の意識は30kgの胸甲を装備した佐竹義宣等や
4mmの胴を装備した伊達政宗等
極一部以外は無かったと言う事なのかだが 刀が主武器の徒武者の剣技でも
槍を切断したり騎馬武者の馬を狙う事は可能なのかどうかだが 横山さんのところの先月やった模擬合戦は偉く柔術ひいきのルールだったみたいですね。 http://page13.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r128624762?al=13&iref=alt_16
>江戸時代 鎧一式 戦国古具足
試し撃ちの跡の有る此れの胸甲の継ぎ目を見ると
相当の厚さが有る様に見えるが
一般の騎馬武者用なのかどうかだが 甲冑はオーダーメイドみたいな物じゃね?
注文主の好みに合わせて色んなのが作られてるんだろうから「一般的」な仕様が云々はあんまり意味が無いと思われ。
軽い甲冑の本多候や立花候に比べて重い甲冑の伊達候や井伊候がチキンて訳では決して無いでしょう。 日本も銃が大量に使用されている割には
重騎兵の防弾が考慮されて居ないのはどう言う事なのかだが
騎馬武者は西欧のピストル騎兵と異なり基本的に銃撃戦に巻き込まれない様に動いているから
防弾は偉い人間以外考慮していないと言う事なのかだが
騎馬での逃走時も防弾より離脱速度が重視されたと言う事なのかだが 日本の場合ピストル騎兵同士の交戦は無く
足軽と一部の騎馬武者の銃撃戦後に
槍足軽・下馬した騎馬武者が近接戦をやるから
防弾は余り考慮しなくて良いと言う事なのかだが 某研究者が戦場に出ることはないのでそのような考慮は必要ないと言う事なのだが 西欧甲冑が防弾を考慮して居るとしても
フサリアの胸甲でもマスケット銃を止めるのは15mが限界だろうが
他の重騎兵の胸甲は此れより防御力は低いが
至近距離からのピストルを止められる程度の性能は有るのかだが 西欧甲冑もピストルを背後から撃たれれば防弾は出来ぬだろうし
乗馬して逃げる際は防弾は無用と言う事なのかだが
此れを追撃する騎馬武者は果たしてどうなのかだが
防弾はせず逃げる際と下馬戦闘を重視する方向も有る訳だろうか 25−40kg等の3/4鎧を装備する騎兵も
20kgのマクシミリアン鎧を装備した者と白兵戦をしたら
やられると言う事なのかどうかだが お知恵拝借。
空手のサイには指を引っかけて片手のままクルリとサイの
順手と逆手を持ち替える技?があるようです。性の短棍術でも
同じ技?があります。
さて、短棍が軽すぎて持ち替える練習を長時間しないと指が
疲れてくれません。もっと重い短棍を使って練習したいのですが、
何を代用品にすればいいでしょうか?
ちなみに短棍の形状は潰れた楕円形で一尺程度の長さです。
鍬の柄を切断して練習用の短棍を作りました。 http://www.monotaro.com/s/?c=86042&q=%91%C8%89%7E&swc=0
上の様な楕円パイプに石でも入れると言う方向も有るだろうが
サイズが合う物は有るのかどうかだが photozou.jp/photo/show/1849954/223887066
上の胴丸の脇部継ぎ目の重なり方は
組討で掴まれない様に後ろの札が上と成っていると言う事なのかだが
吹き返しは閉じられると有るが
此れは前方に閉じるのかどうかだが http://photozou.jp/photo/show/1849954/223888843
この面頬は妙に口が小さいが
防御を考慮したのかどうかだが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/223888850
この刃長約114cmの大太刀の刀身は1253年の物
外装は南北朝後期の物と言うが
対モンゴルで此の様な大太刀は使用されたのかどうかだが 太平記に出て来る指に鎖の有る籠手と言うのも
籠手に指の鎖が有るのでは無く
弓懸に鎖が有る可能性は無いのかだが バスタードソードを多数装備する15世紀末ー16世紀初期の騎士が
下馬してスイス傭兵の様にパイクを切断と言うのは有ったのかだが
パイク兵には基本的にランスで対抗したと言う事なのかどうかだが http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/
>・馬上の刀で敵に打撃を与えるには「迎え撃ち」と申して敵と我れとの摺れ違いの勢いを利用して霞打ちに叩くのをもって
最も有効とされている。これで敵の馬の面を打てば馬はそれだけでたおれる。P71
・平素より槍を叩き折るのを目的としてがんじょうな大太刀を持っていた者もおり、この場合は必ずしも太刀が不利とはいえない。P139
という箇所をはじめ、刀の使い方や有効性などを書いている箇所はたくさんある。そして金子氏は
・今ひとつ、長巻の特長は槍を叩き折ることができることである。刀でさえ槍を叩き折れるのであるから、長巻で叩かれたら
槍は往々にして折られる。P201
・したがって対等の腕前ならば、刀も槍も長巻の敵ではなく P203
とあるように、馬上においては長巻を槍や刀を凌ぐ武器とする長巻最強論者。
と有るが大太刀や長巻が槍を斬る前に
軽い槍のスピードでやられる確率の方が高いと言う事は無いのかだが
ドッペルゾルドナーの様な鎧を装備すればどうなのかだが http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/
>彼等には卵型の革製の盾はありませんが、その代わりに金属の薄片で被われた革を常用しています。
>それは左肩の上に、そしてその箇所に楯の代わりに結び付けられます。それは長さ三パルモ(66cm)、幅はそれよりも少し短くなっています。そして、左手は戦闘のために空いています。
雑魚兵が片側だけ大袖を装備している鎌倉期の絵も有るが
此れは革札のみで鉄は使用されていないと言う事だっただろうか http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/
>兵頭二十八氏が南北朝の戦の最大の特徴は馬上打物と言っていたが、
馬上での斬撃に重点が置かれたため、動きを制限する大鎧は廃れていったということだ。
刀も1m数十cmもあるような大業物もよく使われた。
馬上での斬撃で草摺を分割する意味は有るのかだが
馬上で立ち乗りした場合の肩の重量負担を軽減する為に
腰を絞る程度では動作性向上には不十分なのかだが http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/
>南北朝では騎馬武者が腹巻を、徒歩武者が大鎧を着る例が増えた。
本来騎乗戦用の大鎧だが、徒歩の弓兵が増えたためだろうか。
と言うのは初耳だが
南北朝期の絵画では歩兵が大鎧を装備している例は見ないが
足軽は大鎧は装備していたのかどうかだが >>216
足軽って動き回らなきゃならん職業だから大鎧は着てなかったんじゃ? >>217
http://learn.bowdoin.edu/heijiscroll/viewer.html
上の鎌倉期の平治物語絵巻では
徒士が大鎧を装備しているし
弓兵以外も装備している様に見えるが
果たして現実はどうなのかだが 徒士の腹巻・胴丸の重量は
足軽胴程度の4kg程度なのかだが
徒士が装備する大鎧は25−40kg等は有るのかどうかだが
体力の有る者が装備していた可能性も有るのかだが 和術慧舟會まめちしき
「和術」を「じゅうじゅつ」と読む、と言い張る知恵遅れの
西良典が代表をつとめる慧舟會西道場は、
10数年前からマリンスポーツジムの野口信貴という人間のクズが西良典に取り入って、
会員や関係者に暴力を振るったり、金銭を巻き上げるようになったため、
皆から見はなされ、やがて誰も通わなくなりました。 和術慧舟會まめちしき
「和術」と書いて「じゅうじゅつ」と読む、と言い張る知恵遅れの男、または
ヒクソンに手も足も出ず失神ko負けした男 、西良典が代表をつとめる慧舟會西道場は、
10数年前からマリンスポーツジムの野口信貴という人間のクズが西良典に取り入って、会員や関係者に暴力を振るったり、金銭を巻き上げるようになったため、皆から見はなされ、やがて誰も通わなくなりました。 漫画やイラストで具足の佩楯と脛当の間に
隙間が有る物が有るが
江戸期等の絵でこの部分に隙間の有る物は
見ない訳だが 単の身の構えで袖で脇の隙間を防護しつつ
馬や鎧の隙間を射撃と言うのは有ったのかどうかだが 絵解き雑兵足軽たちの戦いに
古い最上胴が貸具足として利用された例も有ると有るが
此れより更に古い腹巻等も貸具足として使用されたのかだが http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6104.html
>例えば、正行の弭槍(弓の上に刃を立て、緊急時に槍代わりにする補助武器)は非常に強く、
本物の槍を持参する必要が無かった(それほどの強弓を使っていた)。
加賀美正行の弭槍と言うのも
此れと弓を合わせた長さは騎馬武者の標準的槍の270cm有る可能性も有るのかだが
硬い強弓を使用していたと言うなら
槍同様に打撃武器としても十分使えたと言う事なのかだが 強弓使用の筈槍の竹も所詮茎は無いから
斬られる危険は無かったのかだが
弓の竹は焼いてあるから強度は高い可能性も有るのかだが 何かの動画でみた革の盾がけっこう凄かった
へたな金属や木製の盾より優秀 >>180
つか今残ってるのはそれと
かぎやりのさぶり流
りょうかまやりのほうぞういん流
2間すやりのふうでん流
だけでしょ 最近売出し中のキャッスルティンタジェル主催の西洋剣術というのは
本当に由緒正しい技法なのでしょうか?
宣伝の技法等を読んでみるに、日本の剣術に感銘を受けたドイツ人が
レスリングと適当に組み合わせて適当にデッチ上げただけの技法に思えるのですが。 皮の盾は木や金属の盾より斬り難いと言う意見も確か有るが
打撃武器や突く攻撃には脆い可能性は無いのかだが http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1408628967/
>1582年、2000人のサムライ(倭寇)が40人のスペインの軍隊に銃器で殺された戦い(Cagayan battles)があるわけで
>主君のいない武士が少なくとも3分の1は乗船していたと記述されてる
>それがたった40人のスペイン兵に、何百人の武士が倒されたんだ
此れは何処迄正確なのかだが
武士と言っても徒武者レベルで
貸し具足も保たない様な連中が大半で
銃は扱えなかった可能性は有るのかだが
1582時点の騎馬武者・徒武者では
極一部の者を除いて恐らく銃は扱えないだろうし
スペインの低精度の火縄銃や大砲の散弾を近距離で使う
陣地戦に敗れた可能性も有るのかだが http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1408628967/
> 1582年、フィリピンのカガヤン川付近で起こったスペイン人兵士と倭寇(日本の海賊)の
> 戦いでスペイン軍の勝利に終わりました。また戦いの中でヨーロッパのフェンシングは日本
> の格闘術よりも優れておりトレドスチールの剣は刀よりも強力で有利なことが証明されたと
> 書かれています。
白兵戦で2000対40では果たして
武器の差で勝てるのかどうかだろうし
剣の優劣が判定出来る戦いなのかだが
陣地の近距離からの火縄銃や散弾でやられた者が
大半と言う事では無いのかだが http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1408628967/
https://www.youtube.com/watch?v=nnq6NI_HGzA
>まず侍が弓矢で先制攻撃、しかし大盾によって弾かれる
侍が槍に持ち替えスパルタ兵と戦うが、ことごとく盾の前に弾かれる
侍が肉弾戦に持ち込むが、決定的な攻撃は出来ず
逆に、スパルタ兵が隠し持っていたショートソードによって負傷する
その後侍は槍から刀に持ち替えるも、大盾による防御は最後まで崩せず
最終的にスパルタ兵のシールドバッシュで転倒し、ショートソードによって止めをさされる
ホプロンで弓を完全に防護出来るなら
ギリシャ兵がマラトンで走ってペルシャ兵に突入等するのかだろうし
銃弾を止められる物では無いと言う事だろうが
近接戦も雑兵物語に手足を斬れと言う記述が有るから
此れに従って攻撃していれば果たしてどうなのかだが
ホプロンもセンターグリップ式では無いから
組討で此れが邪魔と成る可能性は有る訳だろうか ローマ兵もファルクスには盾と兜・胸甲のみでは対抗しずらかったから
手足に装甲が装備されたと言う事だろうか 共和制ローマの皮のスクトゥムで落石やピルムを防げる物なのかだが
弓に対しては木より防御力は高い可能性も有るのかだが
倭寇の貸具足の無い様な徒武者では
ハーフアーマーや胸甲・3/4鎧装備の正規スペイン兵を
倒せたのかどうかだが
雑兵物語のセオリー通り手足を狙うと言う事をすればだが
徒武者に3/4鎧を装備する騎兵を倒せる程の腕は有ったのかどうかだが 徒武者は足軽では無いから
雑兵物語に有る様な手足を斬る攻撃が
果たして主体なのかどうかだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています