まだ私が極真会館に勤めていた頃、成増支部の星野金次郎さんという方が
交通事故で亡くなられるというアクシデントがあった。
黒崎師範の可愛がっていらっしゃった生徒さんであった。
この時、ちょうど館長は大阪に出張に出ていたので、私は置矢子夫人に進言した。
「極真会として、花輪のひとつぐらい届けてはどうでしょうか?」
「どうかしら、そんなの必要ないんじゃないの」
「でも館長もお世話になっている人ですから、ぜひ聞いてみてあげてください」
それは事実であった。星野さんのご両親がバーを経営していて、
館長も何度かもてなしを受けているのだ。
その上、お姉さんが英語を話せたので、幾度も通訳や秘書の仕事などをしていただいていた。
しかし館長の答えは「そんなことしなくていい」という冷たいものであった。
本部からは花輪ひとつ届けられなかった。結局、葬儀には私だけで出席した覚えがある。
またこんなこともあった。
先にも書いたように、大学時代私は座間キャンプで極真空手を教えていた。
ここに支部が開設できたのは、ハワイ出身のある日系二世のおかげであった。
極真会館成増支部にしても、この人のおかげで開くことができ、その後を黒崎師範が任される
かたちになったのだ。その彼が白血病で亡くなってしまった。
館長に葬儀に参列した方がいいのではないでしょうか、と伺いを立てると、
「いあや、行く必要はない」のひと言である。
しかたなく、私は座間の実家を尋ね尋ねひとりで行き、葬儀に参列したのだった。

他人の困難や死に際して平気でいられる神経が、私には耐えられなかった。
恩ある人の死を知りながら、花輪ひとつ送ることもせず、義理ある人の不幸を
見て見ぬふりをするような、そういう思いやりのなさに、もうこれ以上私はつきあうことができなかった。