最近ふと思うのだが、タイにはムエタイがあり、その歴史は試合やスパーリングばっかしてきた。
まあ文化として賭けの対象になってる面もあるから当たり前といえば当たり前ですが。

次に中国では中国拳法というのがあって、みんな大好き掛け試しのように手首と手首をかけあっての攻防
いわゆる推手に代表される限定された状況での攻防(約束組手)は色んな種類があり発達もしています。

そして最後に日本の沖縄唐手。これは言わずもがな、型ですね。
約束組手も自由組手もやってこなかった沖縄は型やるかマキワラ突くかが主流でした。

こう考えると

タイ → 自由組手ばっかやってきた
中国 → 約束組手ばっかやってきた
沖縄 → 型ばっやかってきた

こういう図になります。まるで神様が、それぞれの国でそればっかやらせたらどういう結果になるのか
壮大な実験をしていたかのようです。あくまで大雑把なくくりですから細かい突っ込みはご容赦で。

そして、それぞれそればっかやってきて実際における殴り合いはどれが一番強いか
殴り合いではなく生活の一部として一生を通して考えた場合、どれが有益か。
そういった面でそれぞれに長所短所があるような気がします。

普通に考えたら自由組手ばっかしてきたムエタイが強くて、殴り合いしてこなかった沖縄唐手は弱いでしょうね。
しかし、現在は違います。この情報化社会において、それぞれの良い面を残しつつ欠けてる部分を補強していってます。

その走りとなったのが、このスレの主役である本部であり、ひいてはこれを読んでる皆様に受け継がれているのです。
だからこれからも「型に何かを求める」のではなく、「何かを型にこじつける」作業を自覚して頑張っていきましょう。

キリも良いですし皆様もウンザリしてるようなので、この辺で筆を置かせていただきます。