個人の工夫レベルだったから後世に受け継がれないってのはわかるが、
相対稽古は本部とその仲間しかやってなかったというのは根拠が薄いだろう。
船越の投げ技がパクリだというのなら、本部十二本組手だって出版と同時にでっち上げたのかもしれないと言える。

沖縄に本土の柔術や剣術があったことは阿嘉直識遺言書みればわかるし、沖縄相撲とかもあったわけだから、
本土に紹介されるまで組手なしという方が不自然。