対人稽古があったら、すでにそれらを指す名称が昔からあるハズだが
本土の学生達によって作られた自由組手、約束組手という名称をそのまま逆輸入で使っているのが現状。
昔はなんて自由組手や約束組手は何て呼ばれてたの?って聞いても、出てこない。存在しないんだから出しようがない。
ひとつの流派が使ってんじゃなく、沖縄の全ての流派がそういう現状だからな。
フルコン、寸止め、防具組手、これらの練習形式も本土の学生や朝鮮人が試行錯誤して発案したも。
わざわざ発案しなくても沖縄にそんな練習形式があったらとっくに伝わってるって。
無いからこそ本土の学生や朝鮮人は考えたし、当然自由組手や約束組手の名前の件と同じく、これも沖縄に逆輸入
されてこれらの練習形式を採用してます。

そういう現実に都合が悪くなった一部の人達は、記録も残ってない掛け試しをあったあったと言い出して
誤魔化してる。どこの世界に対人稽古もせずいきなり目つきあり金的ありの何でもありの殴り合いに毎晩行くバカが
いるってんだよw 百歩譲ったとして、練習もせずいきなり実戦で身につけろってんなら、そもそも唐手を習う必要がない。
唐手なんか習わなくても掛け試し()に行って技術を身につければいいってことになるしな。

農作業や漁業という体を使った仕事が主だった収入の当時の沖縄において、腕折る足折る顔面を殴る目をつく金的をつぶす、だのの
一銭も儲からないどころか体を損傷して仕事に支障をきたすような行為なんか誰もやらんよ。

やるとしたら、農作業や漁業に差し支えないよう、怪我をしない練習。それがつまり、マキワラ、型、これならいくらやっても怪我をしない。
なまじ対人稽古なんてするから怪我が増えるわけで、自分のペースでマキワラ突いて型やって、それでもモノ足りなかったらチーシでも振って
ああいい汗かいた、拳タコもこんな立派なのが出来た、型で突きや蹴りを力強くやってる俺カッコイイ、きっと実戦でも何もやらないよりかは役に立つぞ!
と気持ちの良い妄想ふくらましながら日々の運動不足解消&ストレス解消という位置づけが一番コスパいいし、またそれこそが本来の唐手の役割と立場だったんだよ。