【実践王子】本部朝基【琉球唐手】
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本部 朝基 もとぶ ちょうき
1870年5月5日(明治3年4月5日) - 1944年4月15日) 沖縄県出身の空手(旧称・唐手)家。
「琉球の名門本部家に生まれ、唐手の戦闘術、すなわち実践の強勇に至っては、郷里に誰も知らない人はいない大剛者」
(『キング』大正14年9月号)[1] と評されたように、20代の頃から伝説的な強さを誇り、戦前「最強空手家」と称えられた空手の大家である。
日本傳流兵法本部拳法(本部流)の開祖。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%9C%9D%E5%9F%BA
本部朝基は、明治3年(1870年)、本部御殿の当主・本部按司朝真の三男として、首里赤平村(現・那覇市首里赤平町)に生まれた。
童名は「真三良(三郎)」、あだ名は、その身軽さから「本部御殿の猿御前(サーラーウメー)」、「本部の猿(サールー)」などと呼ばれた。
御殿とは王族が住む邸宅のことで、同時に王族の尊称でもあった。
本部御殿は尚質王(1629年 - 1668年)の第六王子、唐名・尚弘信、本部王子朝平(1655年 - 1687年)を元祖とする琉球王族であり、国王家の分家として、日本の宮家に相当する地位にあった。
また、本部御殿は、代々本部間切(現・本部町)を領する大名であり、琉球王国最大の名家の一つであった。
沖縄時代
本部朝基は幼い頃から武を好み、数えで12歳(満11歳)の時より、首里手の大家・糸洲安恒を唐手の家庭教師として招き、長兄・本部朝勇とともに師事した。
糸洲に師事した期間は7、8年だったと言われる。
成長するにつれて、首里手の大家・松村宗棍や佐久間親雲上らにも師事した。
また、泊手の大家・松茂良興作にも師事して、特に組手を教わった。
朝基は「武これ我、我これ武」というほど唐手の稽古に打ち込み、上記の諸大家以外にもおよそ名のある武人はすべて訪ねて教えを乞い、実際に立ち会い、唐手研究に没頭した。
本部家に訪問した武術家が帰る時には、玄関口で待ち伏せして「おじさん!手(空手)をしましょう!」と声をかけるほど手に熱中していた。 >>452
その本部流の人、全空連のルールとか知らなかったんじゃ?
指定形とか得意形とか、知らないっぽいね。
あと、改変した形も出場できないよ。
少し足幅広くなったとか、微調整みたいなのは多めに見てもらえるけど。 これらは同一人物だろうか?
>>440
> 上原先生に生涯で4度挑戦した人物(ブログでは3度と書いたが実は4度である)のM氏
>>435
> 高校の教諭でありながら大学教授であると偽り、ご丁寧に大学教授の肩書の入った名刺まで作って
先生に渡した人物
>>434
その一部の弟子のひとりが先生に内緒で印刷された段位状に印鑑を押して
こっそりと段位を発行し、その審査料などを自分の懐に入れていた。
その人物(A氏)は達筆だったので恐らく授与される人の名前等も自分で書いたのだろうと思うが
それを行ったのは教職についている人物で、後に先生にばれて他にも様々な不始末があったので
破門になったが、その親族が今沖縄本部御殿手空手古武道協会に属している。
https://ameblo.jp/naga-f11/entry-11890364621.html
> A氏は上原先生に以下のようなことを要望してきました。
> ・ X 大学に本部御殿手を教える武術部を創設するので範士9段の最高段位と
師範会長という役職を与えて欲しい。
>・ 武道雑誌に連載文を依頼されたので本部御殿手を紹介するために自分にこのような内容の
免許皆伝書を発行して欲しいとわざわざ文面まで書いてきました。
http://home.kobe-u.com/hiden/
神戸大学秘伝武術部は、琉球王家秘伝武術左近流宗家 松尾兼徳左近先生の御指導により、 活動しているサークルです。 松尾さんが亡くなったのは今年だけど、審査料を着服した人はけっこう前に亡くなってるみたい。 >>442
〇〇さんを宗家にしたのはその上原先生なんだけどな もともと上原先生は御殿手は空手じゃないから、形はやらなくていいという教えだった。
上原先生が作った形も空手っぽくなく、試合に出ても勝てるような形じゃない。
弟子が形をしたいと言っても、させなかった。
上原先生が亡くなって、形をやりたいと言い出す弟子が現れた。
形をしないと沖縄空手界では認められない。上原先生の教えは間違っていたとか言い出した。
上原先生が作った形では試合に勝てないから、こっそり改変して弟子を出場させた。
もちろん改変は認められていないから、バレたら流派の恥になる。
勝手に上原先生の形を改変したことを問題視する人も。結局改変した人は処分されて流派を出た。 >>456
今の御殿手におけるゴタゴタの元凶の全てがそこにある。
上原先生にしてみれば朝勇先生への義理を果たしたかったのだろうけど
血筋だけでなく人間性をしっかり見極めるべきだった。
直径である朝勇先生の息子さんが戦争で絶えた時点で、諦めるべきだったんだよ。
そうすれば、血筋だけで手と流派への名前にこだわって、
単に方針の違いで独立しただけの人たちや、自分の考えと違う人たちを
後から破門しただの、御殿手を名乗ることは許さないだのと
ネチネチしたトラブルが起きる事も無かった。
空手に流派無しとは良く言ったものだ。
琉球の古老たちは本土の剣道の流派が擬似的な家制度化をすることで
意味の無いトラブルを抱えているのを見て流派が家制度化する愚かさを知っていたのだ。 本部御殿手は一子相伝だと言ってたのは上原先生だったと思うが。 まあ、本来なら朝茂先生に伝わるはずだったのだし、たまたまお鉢が回っただけだからねえ。
上地流は古流派としては人が多いし、海外でも盛んに練習されて組手の国際大会でも活躍してるけど
それは血筋にこだわらずに門派を広げていったからだよね。
こういっちゃ失礼だけど本当の話、今の御殿手の先生方でミドル、シニア、マスターズの組手大会や棒術試合で良い成績を出せる人はいないよ。
フルコン系のパワーやスタミナ、上地流の鍛え上げられた肉体、
松濤館の鋭く速い刻みと先を取る読み、剛柔流の重い突きと強い下肢、
型稽古ではない乱取りで打ち合う棒術を研究している流派等々に対応出来る御殿手の人はいないのが現実。
相手が空手ならまだしも総合格闘技やキックボクシングが相手だと手も足も出ないだろうね。
そりゃそうだよね。伝統だからとか秘伝技とか試合では使えない実戦技だからとか言い訳ばかりだし
下らない身内争いや名前ばかりにこだわっているのだから。
実戦技というけれど今の御殿手では、仮に試合ではない真剣勝負だとしても他流派には敵わないよ。
可能性があるとしたら、他の武道をやっていて御殿手に来た人たちだろうね。 >>458
それに古老は精々薩摩行って示現流を習った事があるくらいで、本土の剣道事情など知るはずがないだろ
今みたいに情報が溢れてる時代でもあるまいし
妄想乙 血筋や名称にこだわるのは馬鹿げているって言うんだったら、なぜ御殿手に入門したのかね。上原先生はむしろそれらを重んじていたけどね。
フルコンの試合に出たければ、そっちの道場に入門すればいいんじゃないか? こんなとこでぐちぐち言う暇があったら、自分に合った道場やジムを探せば良いかと。 >>460
こんな中学生高校生レベルの思考なら古流に関わらない方がいいんじゃないかな… 身分詐称、段位状の偽造、傷害事件で上原先生に破門された人を教えてください。 説明するのが面倒くさいだけだが、460みたいな考えなら関わらなきゃいいだけなのは間違いないだろう
競技やれば良い 破門されたのに段位で荒稼ぎした人と、免許が無いのに無断で道場を開設した人と、型や歴史を捏造した人を教えてください
https://ameblo.jp/motoburyu/entry-12350659292.html https://ameblo.jp/naga-f11/entry-12369516076.html
これって多分、上原清吉先生の聖道館への当てこすりだよね。
関東の方の道場は、本部流御殿武術とか、琉球古武術 本部御殿手って名乗ってるみたいだし
琉球王家秘伝って入れてるのは聖道館だから。
http://udunti.jp/index.html
つまり自分とこは公認で、聖道館は本物じゃないですよって暗に言ってるんだろ。
同じ沖縄なのに良くこんな事できるよね。ちょっとした事で顔を合わせる事もあるだろうに。
沖縄の道場同士って険悪なんだな。
前は同じ会でやってたのに一体彼らに何があったんだ・・・? ここのことでしょ。
ttps://www3.hp-ez.com/hp/hidenbusou/page4/bid-409361 今時上地流を古流と認識してるやつがいるのか…
フィジカル高めれば戦えるんなら、逆説的に今のまま技術を伝えてればいいな 昔、この流派に居た事がる。
スレが上がってたから懐かしくて覗いてみたけど、競技志向だったり
身体や心を鍛えたいという目的なら他にした方が良いんじゃないかと思う。
なんや知らんけど関西の人は関東の人を嫌っているみたいで、組織的にめんどくさくて聞きたくもない嫌な事を色々と聞かされたし、
入っても幻滅して辞めて行く人が多いから、関西の道場なんて高齢者ばかりだったよ。
上原氏の動きとは大きくかけ離れてたし、基礎的な身体能力も練られていないのが感じられた。
自分と同時期に入った人たちもそれらで辞めたもん。
そもそも、一子相伝なのに多人数稽古があるて完全に矛盾してるわな。
他流派からは、今時一家の一子相伝て漫画かよて言われとるのに、秘伝とか一子相伝とかどこどこの流派は実戦的じゃないとか言って何かと他流派を下に見ててる人が少なくなかったし。
埼玉とか東の方はどうだかしらんけども、西の方は自分がいた頃とと比べても今はかなり縮小しとるんやないかな。 >>475
関東を嫌っているというのは関東全体なのか、例の関東の一派を指してるのかわかりませんが、何年位前の話ですか? 多人数稽古があるのは、昔は一子相伝では無かったからだと個人的には思うよ。
柳葉刀や直剣を両手に持つのはそのまんま中国武術だから、それらが伝わって本部だけではない
琉球の有る程度の身分集団の中で普通に伝わっていた武器技だったのではないかと考えている。
武道と言うのは色々な流派が交わって切磋琢磨する中で対策を練ったりして技が深まったりするのだから
逆にいえば一子相伝で門外不出というのは狭い範囲でしか通用しないとも言える。
一子相伝とか秘伝武術と言うより、きっと薩摩との関係か何らかの事情で本部だけが細々とやるしかない状況になってしまったというのが真相でしょう。
しかしまあほんと、どんどん人が減って新しく入った人もいつの間にか来なくなるし
技術も後退して世代交代の危機だってのに何をやってるんだかね・・・
たまに本気で他に移ろうかと思う事があるよ。
そこまで名前にこだわるならいっそ、本当に長男だけの一子相伝でやったら?まあ昔ならいざ知らず現代じゃ直ぐに失伝するだろうけど。 しかし、そうなってくると上原氏がどこから多人数技を取り入れたかだな。
一子相伝の親子だけで多人数の練習なんて無理だし
フィリピン時代のフィリピン武術か中国武術が有力候補かな そんな習わないと出来ない様な多人数稽古か?
数年試行錯誤すれば出来るだろ
どの稽古の事を言ってるんだ? 多人数稽古と言っても基本1対1の繰り返しだろ
当てはまらないものがあるなら教えてくれ いや、自分は興味が有るだけのただの通りすがりだから知らないけど、数年試行錯誤すれば出来る程度のものなんだね。
演武会で見た事が有って、バンザイアタックで何やら妙な事やってるなと思ったけどなんか納得した。 通りすがりに多人数稽古を語っても意味がわからないだろうから勝手に誤解してていいですよ なるほど「秘伝」で自分たちだけが「分って」いて、他の流派がやってる多人数稽古は
「分っていない」んですね〜^^;
なぜ捏造だとか、色々と言われているのか意味が分りました。有難うございます^^ 御殿手の多人数稽古の意味が分からない、ととるのが普通にだろ
もうお帰り ハイハイ、取ってくださいと出す突き?みたいな面白い動作や
切られに行くバンザイアタックを頑張ってください。
応援してますね〜^^ 捨て台詞はよくない。
こういうのは見ても分からんし
文字で説明されても分からんよ。
機会があれば共に練習しよう!
悪い性格も直そう! 有難うございます^^でも遠慮しておきます。僕が武道をやる目的は強くなる事ですし、その目的はここでは果たせそうもありませんから。
それにあなたはそうでも無いみたいだけど、ブログとかHPとかスレを見ると陰湿で性格の悪い人ばかりみたいですしね。
それに自分のやってる多人数稽古の方が意味が分るし、排他的ではないですからね〜^^ あの多人数稽古とほぼ同じの、本土の柔術諸流にもよくあるよね。
私がいたところも、乱稽古として八方から襲ってくる相手を次々と投捨てていくのがあったし、他流でも似た稽古法があったとよく聞く。
合気道や大東流でも似たことをやってたし。
本土から持って来たんじゃないの? 御殿手習ってると逆に特別な練習に感じないんですよね…
御殿手は元々合戦の為の技術で、術理的にもああなるのが自然なので
上原先生の映像だと正直わかりにくいので、参考にするなら最近の演舞の映像をお勧めします 近代武道に慣れてるから多人数稽古を特別に感じるだけで、柔術で色んなところがやっている通り、昔はありふれた練習だったんじゃないですかね? 御殿手って本土の柔術の影響がありそうに見えるんだけど、何か関係あるのかな。
何か雰囲気というか発想が大東流や石黒流とか近代柔術に似てる気がするんだよね。 多人数の稽古は本土の柔術ではよくあるけど
空手には全く無いよね。
一子相伝の御殿手にあるのが不思議。
いつか御殿手の歴史が解明されることを楽しみにしてるよ。 合気系以前の多人数捕りというと石黒流しか出てこない。 >>494
一時期取手の技は八光流のパクリと噂された時期もあった
実際は沖縄で行われた八光流の講習(一日15分×4日間、合計一時間程度)に参加しただけだった
ttps://www.motobu-ryu.org/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E5%BE%A1%E6%AE%BF%E6%89%8B/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E6%B8%85%E5%90%89%E5%85%88%E7%94%9F/?mobile=1 しかもその前から取手を教えてた記録があって、噂を雑誌に書いた人は謝罪した
何度でも湧いてくるから何回でも書いておこう
しかしあの多人数稽古が一子相伝だったところからは出ないというのは理解出来ない
元々合戦様の手なんだから 何度でも書きますが御殿手は合戦の手で、最初から多人数を意識して作られています それを実際多人数相手にやってみれば、直ぐにああいう稽古、演武になる 日本の人口は関東が一番多いのは事実だし、あちらさんで興味を持った人は埼玉かIさんの所に行くのが当然だろう。
うちなーでも特に事前知識無く、上原先生の道場というだけで聖道館に行く人はいるだろうし。
HPやブログであそこは公認じゃないとか、あそこは破門した所だとか言うのは
そういう、普通の門下生たちや無邪気に通ってる子供たちをも非難していることになっているのだが、それを分っててやってるのかね。
かつては同じ会としてやっていたのに、何でこう嫌らしいことになっちまったんだか・・・
俺はもう何が良くて何が悪いのかサッパリ分らんよ、本当に。悲しくすらなってくる。
武で精神を鍛えるどころか、どんどん石頭になって了見と視野が狭くなってるだろ。 知識がない人を食い物にして、某国みたい。空手だと思って入門したらテコンドーだったみたいな。 間違って入って気に入らなければ移籍すればいいんだし、気に入ればそこに
いればいいだけかと。
まあいまどきネットで確認してから訪ねると思うけどね。 八光流説は否定されてるね。
では、大東流大阪から流入説はどうよ?
全然検証されてないけど
こっちの方が現実的じゃないかな?
何か全体的に設定が大東流に似てるんだよね >>501
一対一でやってた術理を、上原先生の代になって実際に複数でやってみたら自然とこうなるというの話だと読めんのかこいつは…
読解力無いから空いてするのがしんどくなってきたな
>>502
門下生や子供批判にはならないだろ
責める文なんて一つもない
彼らは被害者
合気系はイメージで語ってるだけで議論にならんからパス 沖縄のあそこと関東のあそこの奴らは合同で練習したりしてんだから放っときゃいいっしょ。
非公認同士でひっついてんだからお似合いだわ。
ま、「本家本元」としては是非とも別の名前に変えてもらいたいものだがね。
例え長く上原先生から習っていたとしても、それが上原先生の道場だろうと
本部に伝わるから本部御殿手なのに笑止千万よ。 上地家ではない上地流は上地流じゃないんだ・・・へえ、初めて知った。 上地流も宗家が高弟を大半破門にして、上地流名のるを禁止したから、みんな昭平流に流派名変えたとか めんどくさ・・・ってかアホくさ。
海外でも空手人口が激減して格闘技に流れてるっていうけど
こういう日本人特有のネチョネチョしたの見るとそれもそうだと思うわ >>510
上原先生がなんて言ってたか学んでからこいや 関東の例の所も沖縄の聖道館も上原先生に師事して、その技を伝えている事には変わらないし
前は同じ会でやっていたのだから彼らを詐欺師と言うなら
そのまましっぺ返しで帰ってくるぞ。
武を学ぶもの、他人をどうこう言う前に自分の足元を良く見るべし。
競うなら、どっちが正当だのと下らん事より技で競え。 按司武術由来の上原流空手か名前に執着せずに剛柔流とか和道流みたいな号にして、
他みたいに開けた流派にしとけば良かったのだよ。
他流だって東恩納寛量先生とか安里安恒先生とか、比較的少数の人が伝えていて弟子の数も少なく人柄を見極めてから
教えていたのだからそれだって有る意味では秘伝と言えなくも無い。
それを宗家だけの一子相伝だの秘伝だの、他の空手や格闘技に染まると御殿手は理解できないだの
当時の沖縄では実戦的な練習をしていた、唯一の武術だのとしたからこうなってしまった。
そりゃ、他の流派からすればカチンとくるだろうし捏造と言いたくもなろうさ。俺は逆に外の人の気持ちの方が良く分かるよ。
外からは色々言われ、内は内でゴタゴタやってて技も衰えてるのに、変なプライドだけは高いんだから人が減るのも必然だよ。 たぶん御殿手はこれから海外中心で広まっていくかもね。沖縄の流派ってそういうところが多い。 似非、捏造、破門、無免許、段位偽造、身分詐称、傷害事件、審査料着服、真剣で上原先生に立ち会って負けたetc
大変っすね ぶっちゃけ、御殿手のカリスマは上原先生だからね
カリスマがいたのに今時、時代錯誤な血筋にこだわるか世襲問題の弊害が出るんだよ。
仮に、朝勇先生の子孫が御殿手を習い始めたらどうすんの?更に面倒な事になるぞ。
それと御殿手の人は上原先生を神格化しすぎだね。マジで宗教かよって入った時思ったもの。
確かに自分も上原先生動きを見て入ったけど、何かと言うと思考停止して全てにおいて上原先生上原先生だもんね。 朝勇先生の子孫が継いでくれたら宗家筋は喜ぶと思うよ 宗家が喜ぶだけで、一般会員の気持ちを無視してるからこの様なんじゃないかね。 全体的に言って、古流とか日本の中国拳法でも試合や組手をしないとこは
正当問題とか技の実戦性の妄想とか奇妙なとこでワチャワチャやり始める傾向がある。 伝統的な所は、昔から武術に限らず揉めまくり。
だけど、試合やってる現代武道も分裂したり、他派を罵ったり似たような事をしていて
色々問題を抱えているから、
もうこれは武道団体の伝統かもしれないと思ってる。 上原さんが上手かったから、それ以降の人達が下手に見えてしまう。
ところで、本部流の歴史ってどこまでが本当なのかな?
実際は、本部朝勇が編み出したもので、箔づけのために歴史を捏造したんじゃないかな? >>517
もうそうしてるでしょ。海外支部も増えて、門弟も実際は上原先生の頃より増えている。
経歴詐称とか段位偽造する人たちを無理に引き止めたり、戻ってきてもらおうとしてストレス抱えるくらいなら、海外の弟子たちや温厚な国内の師範たちと楽しくやった方が気楽。 聖道館の人たちも手道館の人たちも個人的に知っているけど
常識的な社会人だぞ。別に全然悪い人たちでは無いというか、普通に良い人たちだ。
上原先生も池田さんの息子さんたちを可愛がってたし、聖道館も立派な人らだ。
どちらも今はちょっとした方針の違いで独立しているだけで、
彼らは御殿手の事を真剣に考えているし上原先生の技術もしっかり伝えている。
しかし詐欺師とか被害者とは良くもまあ、そんな事が平気で言えるな。
やはり大人がしっかりしてないとダメだな・・・。子供は大人の悪いところを直ぐに真似する。
武だけをを学んでもいつまでも精神が子供のままだ。 >>524
捏造といえば、琉球王家は尚氏だろって疑問に思ったね。
尚氏の分家は色々あるみたいだし
分家を王家と言うなら、源氏や平氏も天皇家になってしまう。
多分、中国の武器と薩摩の剣術とかが元ネタじゃないの。
で、その裏の手として本土の柔術の逆技や指取りとかを取り入れたとか。
でもここの人って妙にオリジナリティとか、家だけの一子相伝(笑)にこだわるよね。 お互い関わりたくないみたいだから、それぞれ本部流、池田流、上原流でやればいいかと。
それならすっきりするし、自分たちが好きなように創作なり改変すればいい。 本部御殿は血縁的な距離が源氏平家とは大分違うぞ
皇室でいう宮家に相当する
今と違って当然宮家の数が多いんだが
琉球王族であることは間違いない
王家かと言われると? 昔に通ったことあるけど、習うだけ無駄だよ。
だって、合戦手の動作とか取手とか、家元(宗家)にだけ御殿手らしい特別な技とかが
あって秘伝になってるって言うのだもの。それ聞いた時笑っちまったよ。
本当にそうだとしても、一生懸命練習している一般生徒にそんな事言うなよってww
正直、教わるより上原さんのDVDとかを見た方が参考になったしね。
精神修行という点でも他流派の方が良いよ。人が多くて組織としての積み重ねがあるから
子供の習い事での教え方とか、突き蹴りを習っても何故人に使ってはいけないのかとか子供への諭し方が上手。 なんかたまに中の人アピールする奴と昔習ったって奴がいるが、中身にネットでわかる以上の何の具体性もないから嘘っぽいな 意拳とかの方が良いかもね。上原さんも対戦して強さを実感したみたいだし
意拳はオープンでちゃんと教えてくれるみたいだから。
極真とかフルコン、ムエタイや総合の選手も参考にしていて実力アップに繋がっているって言うし。 >>531
君がそう思いたいなら、それで良いよ。
それも含めて、全然体質が変わってないってか、相変わらずだなあとしか思わんけど。 成りすましかどうか知らないけど、上原先生の教えを知っていたらそういう秘伝はあると思うけどね。
そういう教え方が理解できないのだったら、上原先生に師事していても向いてなかっただろうね。
別の流派に行った方がいい。 春風館は糸東会に所属した時期があったり、JKFの試合に出たりしてるみたいだが、池田先生のアイディアかな。 御殿手は黒帯か黒帯取ってから少しした当たりで、
いつの間にかフェイドアウトしていく人が本当に多い。 春風館は今の御殿手の組織が出来る前からある道場で、昔からそんな感じだった。
池田さんは元は春風館の出身で、先代の高野玄十郎先生に教わっていた。
次に息子さん達も一緒に親子で上原先生の所へ。
だから、手道館と春風館、上原家はそれなりに繋がりが深い。 >>537
その辺りが多いね。沖縄だと、ひょんな事でバッタリなんてあるけど
他の空手流派に行ってそっちの方が続いているっていう人が多い。 なんか単発IDでの一部の人の推しが多いね。
どこの人が成りすましてるのかだいたいわかった。 ここが秘密主義で排他的なのは相変わらずなんだねえ・・・
他の流派は先生も生徒から共に学ぶっていう、空手の「道」を歩いているけど
ここは道場生を理解させようとか自分たちが変わろうという気はさらさらなくて
理解できなければ他に行きなさいというスタイル。
他の流派はお互いに交流しているけど、御殿手は他流派には理解できないとか
一子相伝の秘伝だからとか変なプライドだけは高い。 関西でも少しだけ交流があったというだけで道場名やホームページの紹介欄に誰々に師事やら胡散臭いのが多い。 推しと言うより、前は一緒の会でやってたから今でも個人的に繋がりのある人が擁護しているのでしょう。
一方で個人的なのか感情的なものなのか知らんけど、独立した道場を嫌っている人がいると。 独立道場は沖縄には、聖道館だけでなくて修武館や練武館もあるね。 R館の人は嫌ってたね。演武会の設営とかで嫌なことあったし。
見下されてる感もあった。 上原翁が若き頃イケメンだったのを今更知った。ハーフ? 今更このスレ見つけて見てみたら、せっかくの本部朝基先生のスレなのに御殿手の話(それもドロドロの内輪揉めの話)だけじゃないですかー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています