【実践王子】本部朝基【琉球唐手】
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本部 朝基 もとぶ ちょうき
1870年5月5日(明治3年4月5日) - 1944年4月15日) 沖縄県出身の空手(旧称・唐手)家。
「琉球の名門本部家に生まれ、唐手の戦闘術、すなわち実践の強勇に至っては、郷里に誰も知らない人はいない大剛者」
(『キング』大正14年9月号)[1] と評されたように、20代の頃から伝説的な強さを誇り、戦前「最強空手家」と称えられた空手の大家である。
日本傳流兵法本部拳法(本部流)の開祖。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%9C%9D%E5%9F%BA
本部朝基は、明治3年(1870年)、本部御殿の当主・本部按司朝真の三男として、首里赤平村(現・那覇市首里赤平町)に生まれた。
童名は「真三良(三郎)」、あだ名は、その身軽さから「本部御殿の猿御前(サーラーウメー)」、「本部の猿(サールー)」などと呼ばれた。
御殿とは王族が住む邸宅のことで、同時に王族の尊称でもあった。
本部御殿は尚質王(1629年 - 1668年)の第六王子、唐名・尚弘信、本部王子朝平(1655年 - 1687年)を元祖とする琉球王族であり、国王家の分家として、日本の宮家に相当する地位にあった。
また、本部御殿は、代々本部間切(現・本部町)を領する大名であり、琉球王国最大の名家の一つであった。
沖縄時代
本部朝基は幼い頃から武を好み、数えで12歳(満11歳)の時より、首里手の大家・糸洲安恒を唐手の家庭教師として招き、長兄・本部朝勇とともに師事した。
糸洲に師事した期間は7、8年だったと言われる。
成長するにつれて、首里手の大家・松村宗棍や佐久間親雲上らにも師事した。
また、泊手の大家・松茂良興作にも師事して、特に組手を教わった。
朝基は「武これ我、我これ武」というほど唐手の稽古に打ち込み、上記の諸大家以外にもおよそ名のある武人はすべて訪ねて教えを乞い、実際に立ち会い、唐手研究に没頭した。
本部家に訪問した武術家が帰る時には、玄関口で待ち伏せして「おじさん!手(空手)をしましょう!」と声をかけるほど手に熱中していた。 江戸時代の剣道道場は試合をしないものだから、同じ門派でも我が派には秘伝があるとか
技を伝えた家系図みたいな伝書があるから正統だとか
口で言い争っていたのだが、その状況に似ている。
で、その間に様々な技を近代的かつ合理的にした、千葉周作の北辰一刀流の前には
なすすべもなく、幕末以降は多くの流派が消えていった。
御殿手自体は合理的かつ実戦的で、上原先生も隠れ武士として
他流派の挑戦を受けてきたが
下らない派閥争いや名称にこだわり、実戦を無視し、ただ保守することだけが目的となってしまった
今の御殿手も似たような運命をたどるかもしれない。
御殿手も本部拳法も海外勢は、ボクサー相手ならどうかとか
タックルされたらどうするかとか、実に研究熱心だ。
今後、本部流は日本より海外で発展してゆく気がする。 だからそれは北辰一刀流と同じ様に独自の流派を名乗ればいいんだって
御殿手と称して新しいのを作るから悪い
御殿手は古流なんだよ >>398
上原先生も型を創作しています
だけど上原先生は宗家だったし、みんな上原先生創作とわかってやっている
池田のは創作と断らずに広めてるから悪質なんだよ まあ、御殿手自体が三戦を元手と言ってますしねぇ・・・
朝勇先生から伝わって、名前が無かったのを上原先生が名前を付けた技もあるみたいですし。
自分は西の方の御殿手をやってますけど、どっちにも肩入れしたくないし
正直、この手のネチョネチョした話を聞かされると心底ウンザリしますね。
中国拳法だと、同じ名前の拳法でも山西派とか何々派とか
お互いに認め合って交流しているのに
こう言った陰湿なのは日本特有ですよ。
中国人は伝統を守りつつも、現代の格闘技に対応する柔軟性を持っていますが
日本は何かというと直ぐに派閥争いを始めますから。
御殿手も武道団体というより、原理主義の宗教みたいになってきてますし・・・ 結局、外から捏造だと言われていたのを今度は内ゲバに向けてるんだろうね。今でも、元手?そんなのは空手に無い。捏造だ!という人はいるしね。
しかし原理主義の宗教か。言い得て妙だな。
上原先生(ご本尊)
宗家(ご本尊を祭り、団体の権限を持つ教祖様)
その他信者たち
今の御殿手はこんな感じになってるからな。排他的で、それぞれが主張する原理主義以外は認めず
その癖「伝統」という念仏・お題目を唱えて内にこもっている宗教団体ね。
本当にね、陰湿な身内争いなんてしてる暇があったら、目を外に向けて他流派と交流試合とかやれば良いのに。
武道を始める人ってのは、強くなりたいとか、鍛えたいってのが動機だったりするけど
入ってみればデントーデントーのお題目で、同じ宗教の違う宗派がいがみ合うみたいな状況だものな。そもそも伝統芸がやりたいなら、浜千鳥や天川を琉球舞踊として習うよって話だ。
これだから人がどんどん減っていくんだよ。 普通、空手の古い流派でもせいぜい大正以降の成立だろ。
御殿手みたいなのは稀にも稀。 あれはぶっちゃけ口実みたいなもんで、根底には私怨がからんでるんじゃないか・・・とも思うよ。
5ちゃんで個人名出してギャーギャー言ってる時点で非常識すぎるしね。
しかし、目をつり上げてあれこれ言う人もいれば、逆に残った内部の人間でも内心でそれを冷ややかに見ている人もいるし
口には出さないけど、え?何であれで破門なの?と思っている人間もいる。
ま、時間が経てば何だかんだで元の鞘にもどるでしょ。 なんか御殿手は進化すべきみたいなこと言ってるやついるけど、御殿手は古武道で継承と保存が第一だからね >>404
伝統空手って近代空手と名乗るべきだよね
主流派ではあっても伝統なのか微妙だし >>410
フルコンと比較した場合の分類だからね。
自分で伝統派なんて名乗ってないよ。 >>407
今の宗家は大阪だからそっちの方じゃないかね >>411
伝統派空手やってますと名乗る奴ならいるよ >>406
だろうね。あの件は私情がからんでると思うよ。
だって、中身は丸々御殿手で基礎練習用に一つだけ、これは新しく作った練習ですと紹介されてるだけなのに
自分の名前で何々流と名乗ったら今度は逆にパクりだ!!って難癖つけられるもの。 あ、そうなの?
合掌って新しく作りましたって断り入ってるの? 初めて聞いた話だし、気になったから取り寄せて見てみた。
確かに俺の道場ではやったことないけど
「合掌は半身になる動きを体に馴染ませるため、手之元などを参考に新たに作られた動作である」と書かれている。
ほかはまぁ、普通に御殿手かな。蹴りの所で防具を使った練習も載ってるけど
上原先生は防具を使わなかったとか言えなくもない。
んー、これだけをもってして自分の名前で流派興せって無茶すぎないか?御殿手の技というより基礎練習だし。
上地流やった田中さんが一つだけ、新しい練習を紹介して他は上地流なのに田中流って無理すぎだろ。 サンクス
本の方か
DVDも見てみたい気もするんだが、確認の為だけにあの値段出すのもな… 池田御殿手
しかし息子達が上原清吉の内弟子だったと嘘を言ってしまうのはまずいな >>417
俺は図書館で借りた。最寄りにはなかったけど県内で取り寄せが出来るてゆうて。
写真だから動作が良くは分からないけど、合掌は準備運動とかラジオ体操みたいな感じだった。
上原先生の浜千鳥や上原先生自身が作った長刀や槍なんかの武器類の写真がのってたり
埼玉の古い春風館の高野先生や朝基先生が巻き藁を突いてる写真もある。
朝基先生の道着は厚手で柔道着みたいだな。
巻末に上原先生の座談会が文章に起こされていたり、白熊やナイハンチもあってなかなか面白かった。
御殿手の全体像というか、練習の道筋を図にした様なのが分かりやすくて良かったかな。
全体的に初心者向けの入門書って感じで黒帯以上がやる事や細かい技法は載ってないね。
一人で練習するときとか型や浜千鳥の順序を覚えるのに良いかもしれない。
中立的に見ても正直、この本の何が問題なのか分からん。
後、生前の上原先生の動きを体に着けたセンサーで科学的データとして、十年間にわたって取ってる古い本もあったから
それも一緒に借りた。こっちは資料的にかなり面白い。昔の組織図と今は結構違うんだな。 >>419
二冊目のが破門のきっかけになった方かな?
一冊目は破門後? >>420
詳しい時期は分からないけど一冊目は2015前後。
古い方の二冊目は上原先生の生前の出版だし、
まだ宗家でおられた先生も内容について序文を寄せていてらっしゃるから関係ないと思う。 とある時期から色々とおかしくなってしまったと感じる。昔から沖縄で上原先生に師事していた人たちがいるわけだけども
上原先生から型稽古じゃなくてボクシンググローブなんかを使った実戦的な組手稽古をしていた。
型に収まってしまうと実戦の手、合戦手ではなくなってしまうという教えで。
先輩後輩はあったけど、みんな先生の下であることには変わりなかった。
そこに比較的後からゴニョゴニョの人(I氏ではない)がアレアレなだけで、ムニャムニャとか言い出したから
変な事になってしまった。昔から上原先生に習ってた人たはそりゃさ、アレだよ。
沖縄の聖道館も・・・おっとゲフンゲフン。
まあ、やたらと異様なまでに名前にこだわっている事からわかるでしょ。
腫れ物を扱う感じだけど、しょうがない。 本部道場が御殿手下手だから舐められるんだろうなあ…
正直もっと頑張って上手くなって欲しい
本部拳法もあって大変なのはわかるが まだ存命の本物の師範からみっちり指導受けるといいのにね 上原先生は宗家だったから創作できたが、弟子が無断で創作したら即刻破門にしていた。どの古武道流派でも当たり前の話。 本部朝基の夫婦手構えって裏拳の形になってるけど、なんかメリットあんの?
撮影用? 素手で闘う時は手の甲を相手に向けるのが基本だよ
ボクシングでもな 沖縄宜野湾の聖道館って、上原清吉先生が開いた道場でしょ。
いわば、本家本元みたいな所が何で公認道場じゃないの?
HPには分派は認めないとか、このHPの公認じゃなきゃ御殿手ではないとか
色々と書いてあるけど。 典型的な御家騒動だね
たしか柳生新陰もそんな感じで分流がゴタゴタしてる >>434
>>435
ずいぶんと感情的な文章だなぁ〜
確かに武道の世界は色々と面倒で奇妙なことがあるものだし、分からなくはないけど
それにしても、なんだろね。自分の信じているもの以外は認めない
宗教の信者みたい。こんなことをグチグチ聞かされる門下生はたまったもんじゃないでしょ。
武道を習いに来てるのに派閥闘争やら、組織のグダグダなんて知ったこっちゃねーっての。 >>436
いやここで非難されている人達は明らかに詐欺師でやばいでしょ
勝手に段位発行と大学教授詐称って派閥闘争以前の問題 でも上原先生の息子さんの話ではないよね、これ
なんで独立してるのかは気になるね 破門なんて、よっぽどえげつないことしないとならない。
大学教授を詐称するとか、はっきり言うと犯罪でしょ。
無断で免状出すのも、それでお金もらってるんだったらやはり犯罪。 >>438
昔は同じ会としてやっていたんだけどね
御殿手・本部拳法も、一枚岩ではないんだよ。
多分、これからの方針で割れたのだろう。
あくまでも伝統ということで、動作の一つ一つを寸分たがわず伝えることのみにこだわり
練習は全て上原先生から教えられたもの以外はやるべきでは無いと考える人たち。
伝統という殻にこもっていないで現代の競技や試合を見越して、
新しい効率的な練習も取り入れたりするべきだし
そもそも空手は中国武術が伝わって時代に共に変化してきたのだから
伝統ととして伝える型と試合とかの実戦技を分ければ良い考える人たち。
御殿手は元々は型がなかったのだけど、上原先生の作った型だと
連盟系の大会の演武で都合が悪いから、演武向けに型を少し変えたものも加えて
大きな大会にも出て存在をアピールすることで人を増やすべきだと考える人たち。
道場によっては他の武道の経験があったり、同時に他の格闘技ジムに通ってる人は入門を許可しない所もあるけど
そういった事を気にするべきでは無いと考える道場もある。
方針の違いだから破門というより脱会という感じなのだが
それに対して御殿手を名乗ることは許さないと言う人がる。
でも言われる人は自分の先生は上原先生だから、そんな事をあんたに言われる筋合いは無いと思っているのではなかろうか。
後は人間関係だね。○○さんが後から自分が先生みたいな態度を取りはじめて
しかも○○にだけ伝わっている秘伝技があるとか言い始めたから 改変しても、そもそも本部流の形で全空連の試合に出場できないでしょ。
出たければ、全空連が認めている他流派の形をするしかない。 戦争を生き延びた上原先生のもの以上に実戦的な本部流なんてあるんだろうか? >>444
https://ameblo.jp/naga-f11/entry-11485160280.html?frm=theme
> ところが話はどんどん進められ議論が尽くされないまま改変された「ジッチン」が理事会で披露され、昨年ある市の空手大会の型競技にその改変された型が流派の同意を得ないまま本部御殿手の型として出場しました。 まあ、もはや本部御殿手というより上原流空手だからね。
今や朝勇先生の手を見た人はいないし、技の記録も無い。
それが存在していたとしても今の御殿手が同じとは証明も出来ないし。
合気道の実在しないと言われている御式内と一緒だと思うよ。
合気道が剣道から出来たのと同じで、上原先生が名前付けた御殿手の元になった武器術はあったのかもしれないけど。
取手にしたって、昔は按司の手にしかなかったという訳でも無い様だし。 >>446
それ、地元の全空連とは関係ない大会でしょ。
全国規模の大会には出場できないね。 >>441
松尾左近先生本、何故か近所の図書館にあった。
正確には大学空手部で指導してたらしいな。
流派は左近流を名乗って一応区別してる。 その一部の弟子のひとりが先生に内緒で印刷された段位状に印鑑を押して
こっそりと段位を発行し、その審査料などを自分の懐に入れていた。
その人物(A氏)は達筆だったので恐らく授与される人の名前等も自分で書いたのだろうと思うが
それを行ったのは教職についている人物で、後に先生にばれて他にも様々な不始末があったので
破門になったが、その親族が今沖縄本部御殿手空手古武道協会に属している >>452
その本部流の人、全空連のルールとか知らなかったんじゃ?
指定形とか得意形とか、知らないっぽいね。
あと、改変した形も出場できないよ。
少し足幅広くなったとか、微調整みたいなのは多めに見てもらえるけど。 これらは同一人物だろうか?
>>440
> 上原先生に生涯で4度挑戦した人物(ブログでは3度と書いたが実は4度である)のM氏
>>435
> 高校の教諭でありながら大学教授であると偽り、ご丁寧に大学教授の肩書の入った名刺まで作って
先生に渡した人物
>>434
その一部の弟子のひとりが先生に内緒で印刷された段位状に印鑑を押して
こっそりと段位を発行し、その審査料などを自分の懐に入れていた。
その人物(A氏)は達筆だったので恐らく授与される人の名前等も自分で書いたのだろうと思うが
それを行ったのは教職についている人物で、後に先生にばれて他にも様々な不始末があったので
破門になったが、その親族が今沖縄本部御殿手空手古武道協会に属している。
https://ameblo.jp/naga-f11/entry-11890364621.html
> A氏は上原先生に以下のようなことを要望してきました。
> ・ X 大学に本部御殿手を教える武術部を創設するので範士9段の最高段位と
師範会長という役職を与えて欲しい。
>・ 武道雑誌に連載文を依頼されたので本部御殿手を紹介するために自分にこのような内容の
免許皆伝書を発行して欲しいとわざわざ文面まで書いてきました。
http://home.kobe-u.com/hiden/
神戸大学秘伝武術部は、琉球王家秘伝武術左近流宗家 松尾兼徳左近先生の御指導により、 活動しているサークルです。 松尾さんが亡くなったのは今年だけど、審査料を着服した人はけっこう前に亡くなってるみたい。 >>442
〇〇さんを宗家にしたのはその上原先生なんだけどな もともと上原先生は御殿手は空手じゃないから、形はやらなくていいという教えだった。
上原先生が作った形も空手っぽくなく、試合に出ても勝てるような形じゃない。
弟子が形をしたいと言っても、させなかった。
上原先生が亡くなって、形をやりたいと言い出す弟子が現れた。
形をしないと沖縄空手界では認められない。上原先生の教えは間違っていたとか言い出した。
上原先生が作った形では試合に勝てないから、こっそり改変して弟子を出場させた。
もちろん改変は認められていないから、バレたら流派の恥になる。
勝手に上原先生の形を改変したことを問題視する人も。結局改変した人は処分されて流派を出た。 >>456
今の御殿手におけるゴタゴタの元凶の全てがそこにある。
上原先生にしてみれば朝勇先生への義理を果たしたかったのだろうけど
血筋だけでなく人間性をしっかり見極めるべきだった。
直径である朝勇先生の息子さんが戦争で絶えた時点で、諦めるべきだったんだよ。
そうすれば、血筋だけで手と流派への名前にこだわって、
単に方針の違いで独立しただけの人たちや、自分の考えと違う人たちを
後から破門しただの、御殿手を名乗ることは許さないだのと
ネチネチしたトラブルが起きる事も無かった。
空手に流派無しとは良く言ったものだ。
琉球の古老たちは本土の剣道の流派が擬似的な家制度化をすることで
意味の無いトラブルを抱えているのを見て流派が家制度化する愚かさを知っていたのだ。 本部御殿手は一子相伝だと言ってたのは上原先生だったと思うが。 まあ、本来なら朝茂先生に伝わるはずだったのだし、たまたまお鉢が回っただけだからねえ。
上地流は古流派としては人が多いし、海外でも盛んに練習されて組手の国際大会でも活躍してるけど
それは血筋にこだわらずに門派を広げていったからだよね。
こういっちゃ失礼だけど本当の話、今の御殿手の先生方でミドル、シニア、マスターズの組手大会や棒術試合で良い成績を出せる人はいないよ。
フルコン系のパワーやスタミナ、上地流の鍛え上げられた肉体、
松濤館の鋭く速い刻みと先を取る読み、剛柔流の重い突きと強い下肢、
型稽古ではない乱取りで打ち合う棒術を研究している流派等々に対応出来る御殿手の人はいないのが現実。
相手が空手ならまだしも総合格闘技やキックボクシングが相手だと手も足も出ないだろうね。
そりゃそうだよね。伝統だからとか秘伝技とか試合では使えない実戦技だからとか言い訳ばかりだし
下らない身内争いや名前ばかりにこだわっているのだから。
実戦技というけれど今の御殿手では、仮に試合ではない真剣勝負だとしても他流派には敵わないよ。
可能性があるとしたら、他の武道をやっていて御殿手に来た人たちだろうね。 >>458
それに古老は精々薩摩行って示現流を習った事があるくらいで、本土の剣道事情など知るはずがないだろ
今みたいに情報が溢れてる時代でもあるまいし
妄想乙 血筋や名称にこだわるのは馬鹿げているって言うんだったら、なぜ御殿手に入門したのかね。上原先生はむしろそれらを重んじていたけどね。
フルコンの試合に出たければ、そっちの道場に入門すればいいんじゃないか? こんなとこでぐちぐち言う暇があったら、自分に合った道場やジムを探せば良いかと。 >>460
こんな中学生高校生レベルの思考なら古流に関わらない方がいいんじゃないかな… 身分詐称、段位状の偽造、傷害事件で上原先生に破門された人を教えてください。 説明するのが面倒くさいだけだが、460みたいな考えなら関わらなきゃいいだけなのは間違いないだろう
競技やれば良い 破門されたのに段位で荒稼ぎした人と、免許が無いのに無断で道場を開設した人と、型や歴史を捏造した人を教えてください
https://ameblo.jp/motoburyu/entry-12350659292.html https://ameblo.jp/naga-f11/entry-12369516076.html
これって多分、上原清吉先生の聖道館への当てこすりだよね。
関東の方の道場は、本部流御殿武術とか、琉球古武術 本部御殿手って名乗ってるみたいだし
琉球王家秘伝って入れてるのは聖道館だから。
http://udunti.jp/index.html
つまり自分とこは公認で、聖道館は本物じゃないですよって暗に言ってるんだろ。
同じ沖縄なのに良くこんな事できるよね。ちょっとした事で顔を合わせる事もあるだろうに。
沖縄の道場同士って険悪なんだな。
前は同じ会でやってたのに一体彼らに何があったんだ・・・? ここのことでしょ。
ttps://www3.hp-ez.com/hp/hidenbusou/page4/bid-409361 今時上地流を古流と認識してるやつがいるのか…
フィジカル高めれば戦えるんなら、逆説的に今のまま技術を伝えてればいいな 昔、この流派に居た事がる。
スレが上がってたから懐かしくて覗いてみたけど、競技志向だったり
身体や心を鍛えたいという目的なら他にした方が良いんじゃないかと思う。
なんや知らんけど関西の人は関東の人を嫌っているみたいで、組織的にめんどくさくて聞きたくもない嫌な事を色々と聞かされたし、
入っても幻滅して辞めて行く人が多いから、関西の道場なんて高齢者ばかりだったよ。
上原氏の動きとは大きくかけ離れてたし、基礎的な身体能力も練られていないのが感じられた。
自分と同時期に入った人たちもそれらで辞めたもん。
そもそも、一子相伝なのに多人数稽古があるて完全に矛盾してるわな。
他流派からは、今時一家の一子相伝て漫画かよて言われとるのに、秘伝とか一子相伝とかどこどこの流派は実戦的じゃないとか言って何かと他流派を下に見ててる人が少なくなかったし。
埼玉とか東の方はどうだかしらんけども、西の方は自分がいた頃とと比べても今はかなり縮小しとるんやないかな。 >>475
関東を嫌っているというのは関東全体なのか、例の関東の一派を指してるのかわかりませんが、何年位前の話ですか? 多人数稽古があるのは、昔は一子相伝では無かったからだと個人的には思うよ。
柳葉刀や直剣を両手に持つのはそのまんま中国武術だから、それらが伝わって本部だけではない
琉球の有る程度の身分集団の中で普通に伝わっていた武器技だったのではないかと考えている。
武道と言うのは色々な流派が交わって切磋琢磨する中で対策を練ったりして技が深まったりするのだから
逆にいえば一子相伝で門外不出というのは狭い範囲でしか通用しないとも言える。
一子相伝とか秘伝武術と言うより、きっと薩摩との関係か何らかの事情で本部だけが細々とやるしかない状況になってしまったというのが真相でしょう。
しかしまあほんと、どんどん人が減って新しく入った人もいつの間にか来なくなるし
技術も後退して世代交代の危機だってのに何をやってるんだかね・・・
たまに本気で他に移ろうかと思う事があるよ。
そこまで名前にこだわるならいっそ、本当に長男だけの一子相伝でやったら?まあ昔ならいざ知らず現代じゃ直ぐに失伝するだろうけど。 しかし、そうなってくると上原氏がどこから多人数技を取り入れたかだな。
一子相伝の親子だけで多人数の練習なんて無理だし
フィリピン時代のフィリピン武術か中国武術が有力候補かな そんな習わないと出来ない様な多人数稽古か?
数年試行錯誤すれば出来るだろ
どの稽古の事を言ってるんだ? 多人数稽古と言っても基本1対1の繰り返しだろ
当てはまらないものがあるなら教えてくれ いや、自分は興味が有るだけのただの通りすがりだから知らないけど、数年試行錯誤すれば出来る程度のものなんだね。
演武会で見た事が有って、バンザイアタックで何やら妙な事やってるなと思ったけどなんか納得した。 通りすがりに多人数稽古を語っても意味がわからないだろうから勝手に誤解してていいですよ なるほど「秘伝」で自分たちだけが「分って」いて、他の流派がやってる多人数稽古は
「分っていない」んですね〜^^;
なぜ捏造だとか、色々と言われているのか意味が分りました。有難うございます^^ 御殿手の多人数稽古の意味が分からない、ととるのが普通にだろ
もうお帰り ハイハイ、取ってくださいと出す突き?みたいな面白い動作や
切られに行くバンザイアタックを頑張ってください。
応援してますね〜^^ 捨て台詞はよくない。
こういうのは見ても分からんし
文字で説明されても分からんよ。
機会があれば共に練習しよう!
悪い性格も直そう! 有難うございます^^でも遠慮しておきます。僕が武道をやる目的は強くなる事ですし、その目的はここでは果たせそうもありませんから。
それにあなたはそうでも無いみたいだけど、ブログとかHPとかスレを見ると陰湿で性格の悪い人ばかりみたいですしね。
それに自分のやってる多人数稽古の方が意味が分るし、排他的ではないですからね〜^^ あの多人数稽古とほぼ同じの、本土の柔術諸流にもよくあるよね。
私がいたところも、乱稽古として八方から襲ってくる相手を次々と投捨てていくのがあったし、他流でも似た稽古法があったとよく聞く。
合気道や大東流でも似たことをやってたし。
本土から持って来たんじゃないの? 御殿手習ってると逆に特別な練習に感じないんですよね…
御殿手は元々合戦の為の技術で、術理的にもああなるのが自然なので
上原先生の映像だと正直わかりにくいので、参考にするなら最近の演舞の映像をお勧めします 近代武道に慣れてるから多人数稽古を特別に感じるだけで、柔術で色んなところがやっている通り、昔はありふれた練習だったんじゃないですかね? 御殿手って本土の柔術の影響がありそうに見えるんだけど、何か関係あるのかな。
何か雰囲気というか発想が大東流や石黒流とか近代柔術に似てる気がするんだよね。 多人数の稽古は本土の柔術ではよくあるけど
空手には全く無いよね。
一子相伝の御殿手にあるのが不思議。
いつか御殿手の歴史が解明されることを楽しみにしてるよ。 合気系以前の多人数捕りというと石黒流しか出てこない。 >>494
一時期取手の技は八光流のパクリと噂された時期もあった
実際は沖縄で行われた八光流の講習(一日15分×4日間、合計一時間程度)に参加しただけだった
ttps://www.motobu-ryu.org/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E5%BE%A1%E6%AE%BF%E6%89%8B/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E6%B8%85%E5%90%89%E5%85%88%E7%94%9F/?mobile=1 しかもその前から取手を教えてた記録があって、噂を雑誌に書いた人は謝罪した
何度でも湧いてくるから何回でも書いておこう
しかしあの多人数稽古が一子相伝だったところからは出ないというのは理解出来ない
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