【トラ】一番おもしろかったオートの時代【セア】
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個人的には絶対片平時代が終わり
片平・貢・島田に対して
信夫・池田・浦田・濱野ら若手成長株が
挑戦してる時代が一番見ごたえあった。
この7人+岡部だけ全国最重ハン時代。 廻谷晃一さんは、 3級車東洋ボーイ2級車ビショップの頃から6期3強追撃の旗頭だった。
事件の後で「生きることに執着しなかった」からこその鬼神の走りだったね。
ローソクの炎の最後の如く燃え尽きちゃったのは自明の理かな。
ちなみに川口配属の6期は10人だった。 72年に3級車で殉職した佐藤神が乗るはずだった2級車を敷地が「ラブロック」として受け継いだのが記憶に残ってる。
各地区に鋭才が綺羅星の如く存在した「花の6期」オートレース歴史上最強期と言っても良いかもね。 上位3人だけに限定すれば9期だけど…
☆船橋 飯田、斎藤、藤崎 ☆川口 割愛 ☆大井 藤来三郎(廃止とともに引退)☆浜松 伊藤力示、山元正次、鈴木収 ☆山陽 加納 ☆飯塚 坂梨高行 などが
各地で看板選手として活躍していました。 >>235
老兵は死なず…ただ消え去るのみ…
という事でまた数年ROMることにする。 >>236
自分は船橋ホームなので..
斉藤 利幸~シェブロン~シャパラル~ナウシェブロン
飯田 隆啓~ルックス~セントポーリア~ジャンセン
藤崎 偉志~ラブウイングス~サフティ~ラブミー
などを記憶している。
加納 好和~チャンス
1978.1.24(良走路)
1981.2.24(湿走路)
で優勝が有りました。
特に重走路は無敵だった様な。 廻谷は最重ハンから最弱0ハンという珍しい選手
晩年0ハン再試走でまったく売れてない優勝戦で
最重ハンの銘柄級選手が数台接触落車 そして廻谷がまさかの1着優勝
3連単100万円の超大穴 3連複でも10万円
あの廻谷のウイニングランを今でもよく覚えている FX(外国為替証拠金取引)のEA(自動売買ツール)を開発・公開しております。
興味がありましたら見てみてください。
http://dcfvghbjk098.officeblog.jp/archives/7206121.html 昔船橋のフォーカス野村が2級車のトラに乗っていた時期があった
あの時は500ccのトライアンフなんかあるんだとびっくりした >>240
大体廻谷は3連単の時代にはもういなかったろ >>240
あんたそれ廻谷じゃなくて関口照明のまちがいだろ・・ 晩年廻谷が優勝戦に乗るとか…3,80切れない選手がどうして乗れるんだよ、ハンデ差300mか? ま〜関口のレースでもそこまでの配当ではない、10万前後だったような 目黒復活とか言うバカ素人は鈴菌以下だな。どうせ意味わからんだろうけどな。 >>240
爺さん、かなり痴呆が進んでるなぁ
さっさと逝っちまえよ >>248
このレースからもう8年経つのか…
それが一番驚きだわ そういえば関口照明っていつの間にか引退しちゃってるな いつごろ引退したんだっけか?
昔トラに乗ってるころは強かったよな 関口照明のトラ時代の車名がどうしても思い出せない
だれか覚えている人いる? >>253
目黒1級
ビッグアカギ
アカギオー
アカギタイヨウ
フジ1級
アカギリンドー
アカギリーダー
俺も記憶無いわ.... 関口照明のトラ初乗りは「Zオー」 2台目が「Zワン」だね。
2級時代の「アカギオーZ」から車名が受け継がれていた。
川口4期は3強が吉田・鶴久・阿佐美 次いで畠山と関口が強かった。
畠山は2級車「ジ・エース」時代は若手期待の選手だったのですよ。 >>255
thanks
俺が覚えたての頃は
ミスタータイジ(トラ)~MRタイジ(トラ)~テネシー(トーヨー2気筒)の吉田泰二が4期NO.1だった。 トーヨー2気筒懐かしいなあ
リサーチ風間やドラエモン鶴久も乗ってたな
且元のトラ、プリンスは淡い水色のフレームに銅製のマフラー、
クランクケースがユニオンジャックのペイントでカッコよかった 当時は速い選手の車は皆それなりに美しくて格好良かったな。
船橋の飯塚選手のバイクはキャブレターだけ金色に塗ってあった。 関口のトラ初乗りは昭和47年。 ビックアカギは3台目のトラ
キャリアハイは「Zワン」時代だったと記憶している。
畠山はローズレックスという車名が今でも頭に残っている 当時、3級車レコードが沢辺ベリークマモト、内原ポルシェ107の3.51
2級が山本道夫グッドオンリー3.44、1級が阿部光雄ゼロ、篠崎クールMK3.42 そういえば…昔、モーターサイクリスト(バイクの専門誌)の企画で0−400mタイムを
計ったことがあった。 参加者は2名 阿部光雄さんが「フォー」 風間義夫さんが「リサーチ」
「フォー」(トライアンフ) 12秒64
「リサーチ」東洋2気筒 12秒49
ノーマルCB750F 13秒台
向かい風のなか200m過ぎたあたりからエンジンは吹けっぱなしだったそうです。
トランスミッションが2速だから大健闘だった。
ちなみに、阿部光雄さんも東洋の2気筒に乗ったことがある。 2節だけ。
競争車呼名「ヒート」 阿部ちゃんの乗った感想が「こんなの風間しか乗りこなせないよ…」
開発は東洋内燃機と風間選手でオートレース研究(専門予想誌)が資金の応援をしていた。
故に研究にちなんで「リサーチ」と命名
夕練で外周部を慣らし走行する風間選手の姿は見る者の心を穿つなにかがあった。
競争車の開発がオートレースの未来を明るく照らすものとなると信じて疑わなかった。 当時は…
現状のオートレースを見てると「兵どもの夢のあと」の如し寂寥感がぬぐい切れない…
斜陽産業となり果てたオートレース。 起死回生の一手は夢のまた夢…… 圧倒的多数派のゴーグルマスクより篠崎や山本道夫、神矢みたいなグラサン派はかっこよかった
嶋田と伊東隆美のチンガードも忘れられない E号車の山道のメット頭巾にゴムラインがないのはグラサンだったのか
https://youtu.be/vPVgspevGQg >>263
あの頃CB750のカタログ上でのゼロヨンは12.4秒。その時期それを上回るのはカワサキのマッハ750(750SS)の12.0秒だった。
その頃だったか、ヤマハがオート用の試作エンジンを作って阿部ちゃんが川口で試乗しているのを見たことがある。
でもそれっきりで実用化されなかった。 大井でCB750使用の競走車がテストされたことがあった
シリンダーが走路をこすって落車してしまったとか シリンダーはこすらんだろ
クランクケースならわかるが >>266
ヤマハのエンジンはXS1の転用だったはず。 バーチカル直立ツイン。 ヤマハが本気で
開発に手を出せば時代は変わったかもね。
ちなみに大井オートの選手はチャレンジャーだ多かった。(舗装路のパイオニアだからね)
CB750は栗山隆が中心となって試作車を作った。(大井ファンの故人からの情報)
DOHCのCB450も試作車はあったはず。容積が3級以上2級未満で実車化されなかった
トライアンフの700ccのモンスターマシンもありました。こちらは実際にレースに出てた。
有名どころでは高沢健司のセントウイングと宮浦富夫のMTパイオニア。
500m走路ではm実力発揮とはいかず、結局一番パワーバンドがマッチするのは663ccと
記録が語っています。
ダートの時代なら498cc(当然2級車だよね)が大活躍した時期もあった。
知ってる人は知ってる強者、田中健次郎のロングウェイは時代を築いた。国産2級車が512ccまで
容積をアップしたことで強みは無くなり自然淘汰された。 トラの2級の最後を飾ったのが船橋は野村武。
(競争車呼名は忘れた)川口は吉田泰二のミニタイガーでした。
※初期の国産2級は東洋と極東が497cc 目黒が498ccだった。 タイコーとか変わり種に乗ってる選手が時々いて楽しかったな
セアのワンメイクはなんの意義もないんだからやめたらいいよに 3級車もありましたね。
確か360ccだと記憶してます。ミスターオート飯塚選手がデビューしたて
の頃、3級車で1級を追い回してました。 未だ現役篠崎実選手も3級車クールミッキーで0ハンからいつも逃げ切ってました 飯塚将光の浜松遠征列伝
3級車ガーファンクル主力トラの30前
2級車キャロル主力トラの10前
1級単気筒アップタイトで当時圧倒的エース、ビーチ山元の同ハン外
トラでの成績であーだこーだ言われることもあるが下級車時代から実力は他を圧倒してた 3級車といえば飯塚選手のあとになるが船橋の沢辺のベリークマモトが超速かったな 沢辺の3級車レコードは当たり前だが破られる事のない不倒記録
沢辺和秀 ベリークマモト 船橋 1976.5.31 3.51 それまでの3級車最高タイムはミッキーの3.52
当時3級車(350cc)では限界のタイムと言われていた 1978年、俺は船橋の帰りに湾岸で
俺の相棒 スズキGT38で3,40でかっとんで帰ってたけどな バイクのカラーリングは飯塚ホージョウが一番。
紅い車体にホイールは黒。
船橋のバックのスタンドから見ると
走路にタイヤが食いついているように見えて
スゲーかっこよかった。 合掌。 おおGTサンパチね ラムエアシステムの2サイクル2気筒ね
あの当時珍しいエンジンで人気あったよね
おれはヤマハXS650で船橋から川口までとぼとぼ帰ってた 遠かった・・ 内原も3級車ポルシェ107で3,51の記録持ってるよ >>285
スズキGTサンパチ、ゴーゴー、ナナハンは3気筒 スマソ 3気筒だったね
GTナナホンは珍しい水冷2サイクル3気筒エンジンだったね 3級車の連続優勝!
沢辺 和秀
1976.3.13~1976.3.19
ベリークマモト(東洋)
内原 孝志
1977.3.6~1977.3.15
ポルシェ107(目黒)
多分.3級車で連覇は2人だけだと思われる。 そうだね、飯塚や篠崎が3級車の頃はまだ優勝戦制度じゃなかったからね レース終了後の夕練で沢辺が新タイヤの当り付けにコーナーを
高速で逆ハン切ったまま回ってるの見て感激した。
タイヤが外向いてるのに車はコーナーを回ってたw 船橋以外のファンは沢辺がどのくらい強い新人か見たことがないし知らんな 沢辺 和秀
11期(1952.11.17生)
ガッツクマモト(目黒3級)
ベリークマモト(東洋3級)
ヒノクニ(極東3級)
ブロークマモト東洋2級)
グレートKS(東洋2級)
シラヌイ(東洋1級)
ビバクマモト(東洋1級)
Vクマモト(東洋1級)
WXクマモト(フジ1級)
Wクマモト(目黒1級)
プレイメイト(フジ1級)
ミッキーメイト(目黒1級)
3級車時代がインパクト抜群だった! 選手会の年金が満額出る最後の時に引退した
単年度赤字転落から6年、経営改善が見込めなくて、この2年後船橋と浜松が民間委託
http://autorace.jp/old_site/info/racer/41206-intai.html ↑ これいつのニュース? 何年前に辞めたんだ? 何年だかでてない。 2004年にやめてるんだ もう14年も前か なんか最近まで走ってたような気がしたけどな [各地区3級車の優勝者]
船橋
1976.3.13
沢辺 和秀ベリークマモト(東洋)
1976.3.19
沢辺 和秀ベリークマモト(東洋)
1976.9.17
沢辺 和秀ヒノクニ(極東)
1980.6.1
岩田 行雄タイムマシン(目黒)
伊勢崎
1977.3.6
内原 孝志ポルシェ107(目黒)
1977.3.15
内原 孝志ポルシェ107(目黒)
1978.5.22
鈴木 清市クールガイ(目黒)
1980.2.12
田代 祐一サンロード(目黒)
1980.6.2
田谷野勝義シャドー(目黒)
川口
1976.3.1
井沢 芳雄グランプリ(目黒)
1976.7.20
宍戸 繁ショック(目黒)
山陽
1976.9.14
進藤 敏彦ビバアメリカ(目黒)
浜松
優勝者無し
優出3着2名
1978.4.3
鈴木 辰巳バイソン(目黒)
1980.4.14
笹本 伸吾Vアルファ(目黒)
飯塚
優勝者無し
優出者が1名~一回のみ。
1978.9.5
宮田 耕治ビッグアイ(目黒)
*優出8着 へえ、竹井や松田英や植木常、鶴橋あたりは3級で優出すらなかったのか 田代のサンロードって車名は、自分の親父が千葉の習志野でやってたスナックの名前。 [飯塚オートレース場2級車の優出者一覧]
PART-1
1975.6.24
前山 繁樹リーベ(東洋)1着
1975.6.30
和久田正勝(船橋)クレナイ(目黒)7着
1975.9.9
大谷 博志リチャード(目黒)1着
1975.9.15
大谷 博志リチャード(目黒)8着
1976.2.17
前山 繁樹リーベ(東洋)1着
1976.7.20
山本 道夫(山)グッドオンリー(目黒)4着
1976.5.23
竹井 博文スリルスピード(目黒)3着
1977.6.13
谷口 武信ザジェンマ(目黒)6着
竹井 博文スリルスピード(目黒)8着
1977.6.27
田原 勝久Lカツ(目黒)7着
1977.11.7
松田 英之ヒデ(目黒)7着
1978.3.13
竹井 博文スリルスピード(目黒)5着
1978.3.21
松田 英之ヒデ(目黒)3着 [PART-2]
1978.4.24
中村 勝エスブリット(目黒)6着
1978.7.17
中村 勝エスブリット(目黒)8着
1978.10.10
堀 勉チェイサー(東洋)5着
1978.10.30
堀 勉チェイサー(東洋)3着
1979.1.16
鈴木 辰巳(浜)ナイスガイ(目黒)7着
平田富士夫スーパーカー(目黒)8着
1979.7.3
田中 守ドーム(目黒)8着
1979.8.16
田中 守ドーム(目黒)2着
1980.4.21
田中 守ドーム(目黒)2着
1980.5.19
宮田 耕治メッセージ(目黒)5着
1980.7.7
藤川 近スターダスト(目黒)7着
1980.9.15
鶴橋 文夫イージーキラー(目黒)2着
1980.12.1
植木 常男オフコース(目黒)1着 すごいデータだね
できたらお願いなんだけど
オートの歴代親子レーサー一覧みたいなもの出してもらえないかな
すごく興味あるんだけど [PART-3]
1980.12.30
植木 常男オフコース(目黒)6着
1981.1.20
植木 常男オフコース(目黒)8 着
1981.3.23
植木 常男オフコース(目黒)3着
1981.4.13
田谷野勝義(伊)エス(目黒)5着
1981.5.5
鶴橋 文夫イージーキラー(目黒)4着
1984.10.29
永富 高志ザダッシュ(目黒)8着
1985.2.12
大庭 俊二デルン(目黒)8着
1985.3.12
永富 高志ザダッシュ(目黒)6着
坂根 明夫ザメランコリー(目黒)7着
1985.12.2
水崎 正二アイウィル(目黒)5着
まとめて打ち込め無かったので、三分割しました。 >>306
永富って17期だけど1985年にまだ2級乗ってんの?
同年に19期水崎の名前があるが、だとしたら永富は3級→2級期間が凄く長かったのかな 昔はそういう選手は結構居た
親方の許可が下りなくて延々三級車に乗るヘボとかな
夏だけ単気筒に乗るなんてパターンも多かったな 永富は87年には目黒二気筒でオールスター出てるのだが、>>306の情報をマトモに信用すると一級単気筒が86年の一年のみという事になるのだが
>>308
そんな誰でも知っとる事したり顔で書くなよ w >>309
そもそも1級単気筒って1年じゃなかったか? >>309
1985.9.10
永富 高志ウルフェン(フジ1級)
優出4着が有ります。 単気筒と2気筒をコンディションに合わせて
とっかえひっかえして乗ってる選手なんて一杯いたよ。
船橋の池葉なんて夏場は調整が楽な単気筒ばかり乗ってた。 >>312
おぬしニセ池葉弘だな 久しぶりだな 元気にしてたか? >>312
二級車と一級単気筒の話してるのだか、ガイジか? 昔の客は血気盛んで、こういうしょうもない事ですぐ喧嘩が起きたもんだ >>307
17期は1982年05月30日登録だから85年に2級はおかしくない
1985年登録の19期水崎は最初から2級車 >>317
誰もおかしいと言ってないのに何を言ってんの?
バカなの? 昔自称森田庄三郎なる元レーサーに入場門前で一日予想売りつけられた
確かに昭和44年浜松春スピ制してる実在人物なんだけど本当に本人だったんだろうか 問題
今日の準々決勝進出者でトラ乗りの経験者を全てあげよ トラに乗ってないが、小さいエンジンでトラに勝つためにスタート力を磨いてたな 菊池幸一の絶頂期は最重ハンからバンバン優勝していたけどな
最後は常時0ハンで最弱の選手になっちゃったな
ある意味廻谷に似ている トラは動物園に行ったって乗れません ウマなら乗馬クラブで乗れます トラはOHV、フジ、セアはOHC
エンブレの利き方が全然違う。 >>331
あの頃は菊池の実父が脳の病気で大変な時期
全選手が忖度で応援したのは有名すぎる話 そういうのが許されたいい時代
いつからか日本人は野暮で無粋になった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています