【トラ】一番おもしろかったオートの時代【セア】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
個人的には絶対片平時代が終わり
片平・貢・島田に対して
信夫・池田・浦田・濱野ら若手成長株が
挑戦してる時代が一番見ごたえあった。
この7人+岡部だけ全国最重ハン時代。 >>173
あの頃はスポーツ新聞のオート欄は選手名じゃなくて車名のみで出ていたから
たしかに車名はよく覚えてしまう 競馬じゃないんだって言いたかったけど
まだオートレースの知名度が低かったからしょうがない 俺も西からの遠征車は今でもよく覚えている。
GアンドG、バーディーハード、イエスタデイ、ガイなど >>174
飯塚のトラ乗り 昭和30年代から平成までいたかな
井上(坊田)正広の実兄 実力は弟のほうが上で
一番強い頃でも現在で言うA級上位ぐらいか
>>175
昔は競馬と同じく主役は車、選手は屋根というタテマエだったな
客はもちろん選手で買うのだが 最近専門紙高いから買わないからわからないけど、今でもコンビニとか駅の売店とかに置いてあるの?
昔は前の晩遅くに駅の売店や近所のコンビニに買いにいったけど・・ 川口だとレース場周辺のコンビニで売ってるよ
今はコンビニのマルチコピー機で全国4競技の専門誌買えるから
そっち使う人もいる レース場周辺のコンビニだけなんだね どうりでうちの近所のコンビニでは見かけないと思った
マルチコピー機で他場のも出るんだ 時代は変わったもんだね
いろいろとありがとう 山田明 ゴーゴー
森下一夫 キングダム
武井金之助 ガッツマン
松本平蔵 キングジョーカー
山下光晴 レフトアーム
鈴木英徳 ロングビーチ
小野ゆきお ニュトッパーズ
南雲良平 ニイガタオー
宇田川紀年 バッファレンス ↑ おれ40年以上オートやってるけど それ一人も知らないぞ ダートの時代か・・ 大井の選手が多いから40年程度の経験じゃ分からないでしょ。
鈴木英徳さんが殉職したのが1969年12月の大井オート。
4輪の選手ならこの辺が有名?
平野秀幸 グランドバロー ダート時代から船橋のエース
福田守男 ハローレッド 川口舗装4輪の絶対王者
清水 明 トヨタコヨーテ 福田とともに川口を支えた強豪
橋本 弘 イナズマ 浜松所属だった優一の親父
相田勇次 フージンオー 船橋所属だったの勇美の親父
そういえば昔、松本平蔵さんが川口遠征に来たときは所属が(西日本)だったね。 伊藤博康は鈴木英徳に憧れて選手になったが歳はあまり離れていなかったな O・カードだっけ?山下光晴って山陽の山下の親父か?
めっちゃ顔が似ている 俺がオート始めた頃の飯塚勢は弱かったなぁ・・
どうにか桝崎が頑張ってたくらい。
植木が伊勢崎記念を勝った時は大騒ぎだったわww
田代や山元や内原が全盛の伊勢崎で優勝したからな。
でも船橋で飯塚勢の優勝は見たことが無かったな。 船橋の正月の地元限定の選抜だけでSGの優勝戦レベルだぞ
片平
島田
飯塚
岩田
阿久津
梅内
池葉
宮城
その他も
岩佐
斎藤利
保永
重富
板橋
藤本和
和久田
藤川靖
藤川順
・・・・ 飯塚勢の船橋バンク優勝
1976.6.1
野中 一親~ローレンス
1978.2.13
野中 一親~ローレンス
1978.6.25
竹井 博文~スピードスター(雨走路)
1980.5.5
桝崎 正~レッドマン(雨走路)
1983.9.15
吉田 光~メッサシミット(雨走路)
飯塚勢に限らず他場の選手も.ほとんど優勝は無かった様な... 俺が船橋に住んでた5〜6年の間で外来のVはほとんどなかったな・・
小林啓二・宮地良・牧田か坪井 藤本剛 田代 伊藤幸 くらいかな?
山陽勢が強かったな。
逆に地元では勝てなかった内越が遠征であっさり優勝したりしてたよ。
ああ見えて遠征で結構優勝してる。 他場の優勝選手
[川口]
1976.11.2
篠崎 実~クールMK
1978.6.13
滝口 正人~ビックチェイス
1980.7.28
且元 滋野紀~プリンス
1982.5.5
鶴久 正美~ドラエモン
[伊勢崎]
1980.7.20
田谷野勝義~エス
[浜松]
1975.9.7
上村 敏明~ミスターTR
1977.4.18
上村 敏明~ミスターTR
1985.4.30
鈴木 静男~グーテンターク
[山陽]
1977.5.3
安永 俊昭~スカイルビー
1978.1.24
加納 好和~チャンス
1980.5.27
秋田 敬吾~ザガッツ
1981.2.24
加納 好和~チャンス(雨走路)
1982.9.7
原 菊太郎~Fイェティ
1985.5.7
入江 輝義~キャッツアイ(雨走路)
1985.8.21
小林 啓二~ザシュベール
etc... 川口の開設記念?だったか嶋田と島田の優勝戦が雪でおもしろかった。 賭け式は2単しか無く全通り買っても32通りしか無かったからね。 6Rまでは6枠2連複のみ
5-6買えば当たりは8通り >>197
11レース制だったので
1~5レースが連複
6~11レースが連単
でした。
確かに連単は
5→6 6→5と2点購入すると
8通りの組合せでしたね。 前半の連複でプールして
交換の連単に突っ込むのが定番でした あと、優勝戦が10レースだったので最終11レースを見ずに帰ったお客が.結構いた様な。(最終日) 今は味気ないモニターになってしまったが
川口で今日のレース結果をチョークで黒板に書く警備のおじさん
すごく達筆で読みやすい字を書く人だった よく5−6を買ってて、6−5を買わないで悔やんだ。 車券購入窓口(買い目の札が掛かっていた)で.お釣りが貰えないので、両替専用の窓口で10000札→1000札、1000札→100円玉に.よく替えに行った思い出がある。
1→6を購入してから6→1の裏目を買うのも大変だったw 浜松5期生だったと思う、八百長疑惑で大量解雇
尾崎Mアイアン
加藤エイコオー
鈴木(政)シャイアン
渥美スーパーマン
まだいたような 4回大井オート日本選手権浜松エントリー
大村美樹雄アドミラル
提坂忠司 フロンティア
宮津時治リクオー
宮本政尚カントーオー
鈴木英徳クリーンカップ
舗装路初 お詳しいですね
自分がオートレースを始めた時は浜松は.おろか、船橋、川口でも一人もしりません.....
辛うじて山陽
秋田 敬吾~ザガッツ
藤永 敏雄~フジオー
宮路 和彦~ジンライ
吉武 孝行~Pワーゲン
飯塚
立花 明~ヤンキー
杉村 福啓~スギオー
木下 幸三~グッドハッピー
安藤 定美~ザラポール
山下 光晴~TRビルボード
原 英昭~スイトメアリー
た >>198
オイルショックまでは12R制7周回3600m競走で
6Rまで連複 おれがオート見始めた頃は1Rと12Rは4輪車レースやってたな
川口の話だけど・・ 4輪車レースもなかなか迫力あったな
デモレースでいいからできないもんかのう セアなんかやめてメグロ、トーヨー、キョクトーを復活させてくれ 鈴木秀冶 アーリーバード、ラーリーバード
準地元の浜松遠征の時は、よく連に絡んでた元大井のトップレーサー なぜかいまだに船橋の昔の車名をよく覚えている
モサ徳永 テッカメン増田 ゴライアス仲 アルピーヌ太田 >>216
俺は
徳永 静男→スパット~キングダリアン
増田 孝市→ゲッコウ~リザーブ
仲 忠司→メッツ~フィリアA
太田 孝明→アビーロード~ザ.ウイングス
かな。 なんだ小林瑞季の車名 昔懐かしいぞ あの昔の名選手となにか関係あるのか・・? >>218
小林の師匠、増田伸一が森田清一と師弟だったからな そういうことか・・ じゃあ次の車名はムサシトーコンってか・・ 浜松、伊勢崎で活躍した実力者あの森田ニ夫は
この森田清一の実弟 ちなみに森田清一と増田の親父、船橋の増田孝一は友人
川口の森田に息子を預けた 森田や佐藤竹、鶴久、阿佐美なんかが川口トップクラスで走ってた頃が懐かしいのう・・ >>225
このクラスのメンバーはあの頃トラで一日二回乗りしていた 俺にとって懐かしい選手は
小堀 利治
熊丸 忠輝
阿佐美博光
西方 昭二
山中 義治
田中健次郎
町田 正八
小松 邦久....辺りかな。 70年代前半に活躍した選手だね
この頃スリックタイヤが導入されたこともあった 片平のフジ単気筒が印象に残ってるなぁ、、
あと彼はフジ全盛の時に選手権に自分だけ
トライアンフでの参加を考えてたそうだ。 >>227
小堀 35年デビュー主な競争車呼名プリティロング レーシング ラブピース
熊丸 35年デビュー タイコウ スポット
阿佐美 41年 ライダーキック ライダーパンチ (多分このころがキャリアハイ)
西方 ? ゴールドアーム 落車前の全盛期はハンデ600mも経験 最強だった
山中 25年 西方の実兄 広島出身 アサカゼ 4級車ハイネスコ知ってたら凄い?
田中健次郎? 3,672,500円稼いで昭和32年の賞金王 八百長で引退後4輪レース界で活躍
町田 神様の師匠。 ワールドキング 浜松で殉職
小松 昭和49年頃は2級車 コトブキ カワグチ で2車乗り(2回乗り)してた。
川口オートで実際に見た記憶がないのは田中健次郎と町田正八さんだけ。
阿部ちゃんの引退式に佐藤竹男さんが来場されたのには感激。 現役時は最大派閥の長だったね。
2級車チチブ(56年)目黒498cc トラ初乗りがトーヨーキング(59年)トラ498cc(もちろん2級車)
1級車はバンブマン(61)ギャンブラー(65)チェスマン(67)ギャンブルマン(69)総て649ccのトラ
川口のドンはたぶん彼だよね。 4期3羽ガラスと6期3強が鎬を削った昭和49年ごろが川口オートレースの最盛期。
4期
吉田泰二 マックス ベリーマックス 1級トライアンフ初乗り車と2台目
鶴久正美 ハリーバードン ベンホーガン 同上
阿佐美博光 ライダーキック ライダーパンチ 同上
6期
阿部光雄 シビア ピス ここも初乗りトラと2台目の呼名
嶋田守孝 ブルドック モーリス
風間義夫 シーク ライツ
6期がトライアンフ初乗り前に練習をしている頃は夕練に3000人位は残っていた。
今は開設記念の入場人員が3000人… 時の流れの非情さに涙… 川口ホームじゃないけど6期追加
廻谷晃一ガバナー、ベニスズラン
石垣勉タマヒカリ、ノブシ
大塚計次ルパン、ファンドール
他地区なら最重ハン 𢌞谷 晃一セキシンが吉田泰二MRタイジ.風間 義夫シーク.篠崎 実クールMK.且元 滋紀プリンスらを抑えて優勝した開設記念は感動モノだった。 廻谷晃一さんは、 3級車東洋ボーイ2級車ビショップの頃から6期3強追撃の旗頭だった。
事件の後で「生きることに執着しなかった」からこその鬼神の走りだったね。
ローソクの炎の最後の如く燃え尽きちゃったのは自明の理かな。
ちなみに川口配属の6期は10人だった。 72年に3級車で殉職した佐藤神が乗るはずだった2級車を敷地が「ラブロック」として受け継いだのが記憶に残ってる。
各地区に鋭才が綺羅星の如く存在した「花の6期」オートレース歴史上最強期と言っても良いかもね。 上位3人だけに限定すれば9期だけど…
☆船橋 飯田、斎藤、藤崎 ☆川口 割愛 ☆大井 藤来三郎(廃止とともに引退)☆浜松 伊藤力示、山元正次、鈴木収 ☆山陽 加納 ☆飯塚 坂梨高行 などが
各地で看板選手として活躍していました。 >>235
老兵は死なず…ただ消え去るのみ…
という事でまた数年ROMることにする。 >>236
自分は船橋ホームなので..
斉藤 利幸~シェブロン~シャパラル~ナウシェブロン
飯田 隆啓~ルックス~セントポーリア~ジャンセン
藤崎 偉志~ラブウイングス~サフティ~ラブミー
などを記憶している。
加納 好和~チャンス
1978.1.24(良走路)
1981.2.24(湿走路)
で優勝が有りました。
特に重走路は無敵だった様な。 廻谷は最重ハンから最弱0ハンという珍しい選手
晩年0ハン再試走でまったく売れてない優勝戦で
最重ハンの銘柄級選手が数台接触落車 そして廻谷がまさかの1着優勝
3連単100万円の超大穴 3連複でも10万円
あの廻谷のウイニングランを今でもよく覚えている FX(外国為替証拠金取引)のEA(自動売買ツール)を開発・公開しております。
興味がありましたら見てみてください。
http://dcfvghbjk098.officeblog.jp/archives/7206121.html 昔船橋のフォーカス野村が2級車のトラに乗っていた時期があった
あの時は500ccのトライアンフなんかあるんだとびっくりした >>240
大体廻谷は3連単の時代にはもういなかったろ >>240
あんたそれ廻谷じゃなくて関口照明のまちがいだろ・・ 晩年廻谷が優勝戦に乗るとか…3,80切れない選手がどうして乗れるんだよ、ハンデ差300mか? ま〜関口のレースでもそこまでの配当ではない、10万前後だったような 目黒復活とか言うバカ素人は鈴菌以下だな。どうせ意味わからんだろうけどな。 >>240
爺さん、かなり痴呆が進んでるなぁ
さっさと逝っちまえよ >>248
このレースからもう8年経つのか…
それが一番驚きだわ そういえば関口照明っていつの間にか引退しちゃってるな いつごろ引退したんだっけか?
昔トラに乗ってるころは強かったよな 関口照明のトラ時代の車名がどうしても思い出せない
だれか覚えている人いる? >>253
目黒1級
ビッグアカギ
アカギオー
アカギタイヨウ
フジ1級
アカギリンドー
アカギリーダー
俺も記憶無いわ.... 関口照明のトラ初乗りは「Zオー」 2台目が「Zワン」だね。
2級時代の「アカギオーZ」から車名が受け継がれていた。
川口4期は3強が吉田・鶴久・阿佐美 次いで畠山と関口が強かった。
畠山は2級車「ジ・エース」時代は若手期待の選手だったのですよ。 >>255
thanks
俺が覚えたての頃は
ミスタータイジ(トラ)~MRタイジ(トラ)~テネシー(トーヨー2気筒)の吉田泰二が4期NO.1だった。 トーヨー2気筒懐かしいなあ
リサーチ風間やドラエモン鶴久も乗ってたな
且元のトラ、プリンスは淡い水色のフレームに銅製のマフラー、
クランクケースがユニオンジャックのペイントでカッコよかった 当時は速い選手の車は皆それなりに美しくて格好良かったな。
船橋の飯塚選手のバイクはキャブレターだけ金色に塗ってあった。 関口のトラ初乗りは昭和47年。 ビックアカギは3台目のトラ
キャリアハイは「Zワン」時代だったと記憶している。
畠山はローズレックスという車名が今でも頭に残っている 当時、3級車レコードが沢辺ベリークマモト、内原ポルシェ107の3.51
2級が山本道夫グッドオンリー3.44、1級が阿部光雄ゼロ、篠崎クールMK3.42 そういえば…昔、モーターサイクリスト(バイクの専門誌)の企画で0−400mタイムを
計ったことがあった。 参加者は2名 阿部光雄さんが「フォー」 風間義夫さんが「リサーチ」
「フォー」(トライアンフ) 12秒64
「リサーチ」東洋2気筒 12秒49
ノーマルCB750F 13秒台
向かい風のなか200m過ぎたあたりからエンジンは吹けっぱなしだったそうです。
トランスミッションが2速だから大健闘だった。
ちなみに、阿部光雄さんも東洋の2気筒に乗ったことがある。 2節だけ。
競争車呼名「ヒート」 阿部ちゃんの乗った感想が「こんなの風間しか乗りこなせないよ…」
開発は東洋内燃機と風間選手でオートレース研究(専門予想誌)が資金の応援をしていた。
故に研究にちなんで「リサーチ」と命名
夕練で外周部を慣らし走行する風間選手の姿は見る者の心を穿つなにかがあった。
競争車の開発がオートレースの未来を明るく照らすものとなると信じて疑わなかった。 当時は…
現状のオートレースを見てると「兵どもの夢のあと」の如し寂寥感がぬぐい切れない…
斜陽産業となり果てたオートレース。 起死回生の一手は夢のまた夢…… 圧倒的多数派のゴーグルマスクより篠崎や山本道夫、神矢みたいなグラサン派はかっこよかった
嶋田と伊東隆美のチンガードも忘れられない E号車の山道のメット頭巾にゴムラインがないのはグラサンだったのか
https://youtu.be/vPVgspevGQg >>263
あの頃CB750のカタログ上でのゼロヨンは12.4秒。その時期それを上回るのはカワサキのマッハ750(750SS)の12.0秒だった。
その頃だったか、ヤマハがオート用の試作エンジンを作って阿部ちゃんが川口で試乗しているのを見たことがある。
でもそれっきりで実用化されなかった。 大井でCB750使用の競走車がテストされたことがあった
シリンダーが走路をこすって落車してしまったとか シリンダーはこすらんだろ
クランクケースならわかるが >>266
ヤマハのエンジンはXS1の転用だったはず。 バーチカル直立ツイン。 ヤマハが本気で
開発に手を出せば時代は変わったかもね。
ちなみに大井オートの選手はチャレンジャーだ多かった。(舗装路のパイオニアだからね)
CB750は栗山隆が中心となって試作車を作った。(大井ファンの故人からの情報)
DOHCのCB450も試作車はあったはず。容積が3級以上2級未満で実車化されなかった
トライアンフの700ccのモンスターマシンもありました。こちらは実際にレースに出てた。
有名どころでは高沢健司のセントウイングと宮浦富夫のMTパイオニア。
500m走路ではm実力発揮とはいかず、結局一番パワーバンドがマッチするのは663ccと
記録が語っています。
ダートの時代なら498cc(当然2級車だよね)が大活躍した時期もあった。
知ってる人は知ってる強者、田中健次郎のロングウェイは時代を築いた。国産2級車が512ccまで
容積をアップしたことで強みは無くなり自然淘汰された。 トラの2級の最後を飾ったのが船橋は野村武。
(競争車呼名は忘れた)川口は吉田泰二のミニタイガーでした。
※初期の国産2級は東洋と極東が497cc 目黒が498ccだった。 タイコーとか変わり種に乗ってる選手が時々いて楽しかったな
セアのワンメイクはなんの意義もないんだからやめたらいいよに 3級車もありましたね。
確か360ccだと記憶してます。ミスターオート飯塚選手がデビューしたて
の頃、3級車で1級を追い回してました。 未だ現役篠崎実選手も3級車クールミッキーで0ハンからいつも逃げ切ってました ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています