男時代劇・第三部
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同時代だと、同じ大岡でも忠相より忠光がヤバそうだね
小姓だしお仕えする西の丸様は口が不自由だし 公坊さまは口が不自由だから、うまくフェラチオができない UESM「大奥とかいうくだらぬものは、もう廃止するぞ!!」 >>495
江戸城の中で女が居ないと困る場所って、大奥だけだったんじゃないか?
身の回りの細々とした世話は小姓がするわけだし、台所だって女である必要はない。むしろ男の方が活躍している。
しかし、筆頭老中すら屈服させるとは、大奥とは、なんつう権力だよ。
吉宗の時はともかく、将軍が最高実力者ではない時期があったから(七代将軍・家継など)、
大袈裟でなく日本の権力の中枢だったんだな。おそロシア 田沼意次は小姓やってた若い頃から大奥で容姿端麗と評判だったらしいな
大奥に気に入られるのも出世の条件 松平定信(UESMの孫)
「大奥に贅沢禁止令を出したら、突っぱねられた・・・いま日本中で倹約してるのに〜〜く、くやしい!!」 UESMって二条城に行ったことが無い?
てゆうか、行ったことがある将軍様の方が少ないか。 >>502
建物こそ違うが二条城に入城したのは家康・秀忠・家光・家茂・慶喜の五将軍。
その他の将軍は生涯上洛しなかったから、将軍の京都での居城で宿舎となる二条城を見る事すらなかった。
家康・秀忠・慶喜に次いで各地を移動したUESMですら幼少・藩主時代含め上洛しなかったので、二条城を観ることは遂に無かった。 二条城といえば大政奉還
全国のホモの頭領の地位を返上した UESM、西日本の出身なのに京都には縁が無かったのか。 UESM「京に行きたいのだが、ちょっとひねって中仙道を歩いてみようかと思うが如何?」 >>507
中仙道コースなら入京可能だったんだけど、将軍が上洛して将軍職など官位叙任を受けに行かず勅使を江戸まで下向させるようになってから
ある意味幕府が事実上朝廷の影響力を減らし日本全土の差配を独自に行う根拠ともなったので、上洛する事自体が将軍が朝廷に屈するかのように映るある種のリスクになってしまったのと(だから家茂の上洛は幕府に取ってとても重大な決断だった)
例え徳川一門内最高位の御三家御三卿でも、幕命も無く許しも無しに上洛するのは謀叛と見倣されかねない危険な行為だった。
まして幕末の混乱で京都内不居住掟が崩れるまで、全国の大名は参勤交代のただの立ち寄りですら上洛するのはほぼ遠慮かさっさと通過、現役藩士を京都内に常駐させてもいけなかった。縁のある公家にも一々毎度使者を立てて交流。
京都所司代など特別職の幕臣などのみしか住めなかった程それは厳重だった。
だから部屋住み時代の気楽な身分だった頃のUESMでも上洛はまず不可な行為だったんだな。 徳田新之助を好きになるオナゴが居てもおかしくないな 対馬藩の宗氏は、九州本土までは船で来るしかないが、
そのまま知らんぷりして大坂辺りまで船で来ました、なんてことは無かったのかな。 >>514
基本、西国大名は大阪あるいは室津、兵庫までは海路で江戸へ向かう
大阪から江戸までは原則海路は認められていなかったので陸路
対馬の宗も朝鮮通信使も中仙道で江戸へ向かった 参勤交代で気になるのは、
○殿様専用の風呂桶まで運んでいった
○料理人を連れていって、行く先々で料理を作っていた
○同じ宿場に参勤交代がかち合うと、格下の一行は本陣に泊まれず、最悪の場合は野宿になったこともある >>516
東海道より中仙道の方が人気だったらしいね
理由は川止めがないので日程に狂いが生じにくいのと宿賃の安さ
彦根の井伊家も中仙道での参勤を何度も願い出たが脚下されている
本陣脇本陣は基本予約制なのだが、幕府や朝廷の急使が臨時に使うと野宿になった
当然ながら、参勤一行の武士たちのホモセックスも野外で展開された >>516
仕方無いんだよね、身辺警固と家格の関係だから。
風呂は浸かり湯より掛かり湯で、例え本陣とはいえ部屋では危ないと湯を作っては入れして家中以外の者を裸の殿様(浴衣姿)に近づけないようにするのと
万一の毒殺に備えて家中の料理人に料理をさせるって意味だから。
家格は領地が中々増やし難くなった江戸時代の武士にとってプライドと忠誠心を煽るエサの一つだったし、これを間違えるのは江戸以前の武士でも本当に死活問題になる重大事項。
家格の仕来りを侵すのはお互いやってはならない事で、上位の家格の大名ですら下位の家格の家中とのトラブル防止に気を遣っていた。 三代将軍・家光は、切れ者として(そして、ホモとして)有名だった。領地替えもバンバンやったが、その中で一つ。
常陸の佐竹公が秋田へ行くことになった。領地替えなんて悔しいから、地元水戸の美人をゾロゾロと連れていった。
更に、途中の仙台でも美女をかき集めて連れていった。
その結果、秋田は美人の国になって、逆に水戸と仙台にはブスしか残らなかったとさ。
あくまで俗説ということで。でも好きな話。 佐竹義宣の甲冑姿の肖像画って戦国大名の肖像画で1位2位を争うくらいかっこいい UESM「トゥモローよりホモろう」
TDSK「は?」 おりん「やい、新の字!たまにはあたいを出合茶屋に誘ってくれよぅ」 >>525
UESM「ああ、お前が男の娘に生まれ変わったら連れていってやろう」 >>521
あのほとんど顔が見えないフルフェイスの頬当て
エロい 直江兼次の兜は後世の贋作だと思う。
甲冑は、ただでさえ重すぎて自由な動きができなかったのに、あんな無意味な装飾なんか付けるのは愚の骨頂。 >>528
兜の前立てって月、毛虫、ムカデなどいろいろあるけど、一つくらい天を衝くようにそそり起ったチンポをあしらった兜があっても良いと思う >>528
いや戦国時代後期から安土桃山辺りの兜あんなんばっかしやぞ。
ワザワザ重量を軽くする為に張子造りにして防御力落とすわデカ過ぎて風の抵抗あるわと、実用としては意味不明なのだが
戦功を陣中にいる戦功を監督する戦目付や周囲の参戦者に証人とさせて明らかにするためだったり、本陣の位置をを配下の兵に明示するのに必要だったとか。
勿論敵にも判るが、敵に自らの武威を見せつける意味もあったという。
鉄砲伝来前後で日本の甲冑は大きく変化するけど、武将を明示する必要性が戦国後期から安土桃山の戦争にはあったって事。
但し、江戸時代制作の派手な甲冑は全く実用性も必要性も欠いた単なる見栄だったのは間違いない。 UESM「ホモで有名な家光公は、どうやって女とセクースなんぞする気になったのかのう?」 >>531
最初の女が男の娘みたいな娘だったから、まんまと引っ掛かった。 お万の方は尼さんだったから家光も「お、小坊主やん」という感じで抵抗なくヤレたのかも
最初は後ろを使ってたが間違えて前に入れちゃった時「こっちも案外良くね?」と思って色々な女を試してみたくなったのでは >>534
両刀疑惑じゃなくて両刀だったんじゃね?
薩摩藩自体がホモ王国だもん UESM「今日は目安箱を開ける日だな」
・・・・・・
或る投書「近頃、尻妊娠する貧民が増えていますが、金が無くて雄出産できません」
UESM「う〜ん、これは大変な問題だ」
かくして、小石川療養所ができました。 >>537
だよな
薩摩男色隼人お馴染みの郷中玉袋プレイのヤりすぎで、西南戦争の時にはすでに睾丸が異常に肥大して歩行も困難だったらしいしな >>538
本人も痔とな格闘に喘いでいた南町奉行TDSKの献策により、長崎からアナルの第一人者が小石川養生所に迎えられたよな UESM「TDSKよ、今日は少々変わったプレイをしてみよう」
TDSK「(やな予感・・・)」
UESM「余がそなたの顔面に腰掛けゆえ、そなたは余の玉袋を舐めるのぢゃ」
TDSK「(ぜ、ぜっ〜〜たいに、やりたくないっ><)」 >>545
そんなわけねえだろ?大岡TDSKだぜ?
ガチホモだよ 加藤剛のTDSKはちょっとゲイゲイしい雰囲気あるから、松平UESMとの組み合わせがちょうどいい UESM「TDSKよ、昨年一年間で何人死刑にしたんだ?」
TDSK「奉行所の他にも、火付盗賊改方も死刑にしてますから、正確な数はわかりませぬ」
UESM「せっかく罰を与えるなら、殺さずに何度でも掘らせればいいのに(ジュルリ)」 TDSK「掘ったイモいじるな」という言葉もございますれば・・・ 米将軍,将軍家中興の祖
オメコ将軍=UESM
ベロチュウ手コキの祖=UESM 五代将軍・綱吉がぶち壊してくれた将軍の権威を、やっとこさ建て直してくれたのが、八代将軍・UESM
でも、権威ある将軍様って、家康・家光・UESMくらいだよな >>552
いやいや、他の将軍も権威はあったよ
ただ、武家の頭領なにに男らしさというか雄を感じないんだよな
むせかえるような雄臭をさ >>553
だな。維新の時に薩摩や長州の人士が慶喜の処刑を望んだのは
「将軍慶喜を処刑する事が将軍の権威を失墜させ徳川体制の完全な破壊と終焉となり、それで始めて維新の開始」と考えてたから。 ところで、男色に造詣が深い大名旗本らは、行列の乗り物(籠)の中でお気に入りの小性と69してたってマジ? >>559
もしそれが事実だとして、
誰がそんなことを後世に伝えたのか?しかも二百年も三百年も後の時代まで。誰か本に書いたんか?
非常に恥ずかしい(*/□\*) 自分で書いたのでは?
TDSKみたいに自分が痔であることを手記に残した例もあるし。 稚児とオッサンが69かましてたりする江戸時代の絵があるよね UESMの孫にあたる松平定信が、倹約とともに風紀取締を行ったが、結局失敗したんだよな。
大奥には猛反発されるし、遊郭や岡場所も賑わいを取り戻すし。 ガトリング砲でワシの中をめちゃくちゃにかき回してくれてもよいぞ! >>565
坂本龍馬がガトリング砲の買い付けに成功したのは、アメリカでは既に旧式の「要らないもの扱い」になってたから。
いくら金があっても、最新鋭の優秀な武器はそうそう売ってくれない。
それでも日本にとっては歴史を変えるくらい驚異的な武器になったんだな。 ガトリング砲保有して実戦で使ったのは越後長岡藩と肥後熊本藩 第二次長州征伐のとき、門司に上陸した負け知らずの奇兵隊の兄貴たちは熊本藩のガトリング砲にアナルをかき回されて多くが戦死したんだぜ? 砲って一門・二門って門で数えるんだよな
門かぁ・・・ 水戸肛門「助さん格さん、不届きどもにフェラチオしてやりなさい!!」 水戸中納言光國「藤井紋大夫!ケツを向けてそこへなおれ!手討ちにしてくれる!」 UESM「なあTDSKよ、たまには肉欲を離れてのんびりと生きてみないか」
TDSK「な、何があったんですか?」
UESM「余も歳だ。ズブリだけが男の生きる道ではない」
頭ナデナデ・・・卅分連続
TDSK「う、う、UESMらしくない、いつものようにガンガン掘ってください!!」 真言宗開祖の空海が男色を日本に持ち込み
藤原頼長が武士、貴族、稚児らを食いまくり
大河で男色史やると面白そうw 燃える盛る三条殿、恐れおののく貴族、兵馬に虫けらのように殺戮されてゆく女官や庶民たち
法皇、上皇、悪左府。主役は時代の幕開けを感じさせる平氏や源氏の田舎武者たち・・・
保元平治の乱を駆け抜けたきら星の如く瞬いたホモたちの群像劇
大河ドラマ見てる茶の間に衝撃と感動を送りたいね 大詰めの乱闘で、悪の家来どもに対し、ことごとく股間に峰打ちを喰らわせ、悶絶させるUESM
最後、悪の親玉を追い詰め、「成敗!」の掛け声で、お庭番がチンコ切断 ぶっちゃけ暴れん棒将軍って、松平健の人気はまったく関係なく、北島の介入(暴力団を背景にした)でロングランに成らざるを得なかったってのはマジ? リアルタイムで放送を見ていたのに、
↑で「北島」とだけ書かれているのを
何故か北島康介と思ってしまった、
そんなトンチキ野郎は俺だけでいい 北島サブ=神奈川水滸伝=稲川会だっけ?
まあヤクザとか雄っぽくていいじゃねえか 北島御大がデビューして間もない頃、「ブンチャカ節」という曲を出した。
この曲の中に「キュキュキュ〜」という歌詞がある。作詞者の意図としては単なる合いの手のつもりが、「セクースの時にベッドが軋む音を連想させる」といふ理由で発禁処分になってしまつた。
哀れ すまん、「ブンガチャ節」だった
おまけに、発禁ではなく放送禁止だった
成敗されてくる_ト ̄|● UESMには「米将軍」という異名がありますが
江戸時代の米はうまかったのですか?
米の味に関する品種改良は戦後になってからだし(それまでは増産第一)、保存だって今よりレベルが低かったと思うから、まずい米とか結構有ったんでないかと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています