男時代劇・第三部
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暗殺されても
日本国に何の影響も無さそうなのは
七代将軍? 白馬に乗ってパカラッパカラッ・・・
ヒヒーン!
暴れん棒将軍!!
ダダダーン、ダーダーダーダーーン
カコヨス 百合子は大地真央と系統が近い感じがあるからUESMのタイプかも知れないね >>151
TDSK「だが断る!!!!!!11」
そして江戸から逃亡。 UESMよぅ・・・
世の中には、晴らせぬ恨みを抱えたまま、
毎日毎日泣きながら、無念の死を迎えた、
そんな弱い者達が居るんだ
お城の奥で贅沢三昧のあんたにゃわかるまい
誰かが恨みを晴らしてやらにゃ、みんな御陀仏だぜ・・・
グサッ! でもUESMだって三男坊だからともすれば冷や飯喰らいだったからな。 長七郎江戸日記、見てたな〜
「俺の名前は引導代わり、迷わず地獄へ落ちるがよい!」と決め台詞を叫び、
バッサバッサと斬るのだが、 長七郎に付き添うじい様(名前失念)も一緒になって斬ってる。
それを見ては「あっ、じい様に斬られた。あいつ迷って地獄に落ちたぞ」
と弟と二人で喜んでたもんだ。 貧乏旗本の三男のくせに
なに立派な服装してんだよ
ろくに洗ったこともないような
薄汚ない着流しで出演しないと
作り物臭がプンプン漂う 目安箱に投稿されて、
採用された意見としては
小石川療養所が有名だが、
採用されなかった意見には、
どんなものがあったのか。
くっだらないこと書いたのとかありそうだな。 >>170
「UESM、オイラのケツがモゾモゾするから掻いてくれや!」
「やいUESM、チンカス溜まったからしゃぶってくれや!」
まぁこういったものばかりだったんだろう。 歴史書によると
目安箱に投書する際は、住所・氏名を書くことが条件で、
匿名・匿住所は問答無用でボツだったそうな。
あまりひどいことを書くと、同心や岡っ引きに調査されそうだな。 もし池波正太郎が
暴れん坊将軍の原作を書いていたら
随所に食べ物ぬ話が織り込まれていたのかな
軍鶏鍋、鰻、おでん・・・etc >>174
男色の出会い茶屋で知り合った10歳以上年上のSHNSNと部屋へ。
そしたら「これ着て責めて欲しい」と言われて、六尺というか、魚河岸の人が着てるような格好させられ、捻りハチマキをさせられた。
向こうは全裸。まあこんなのもたまにはいいか、と愛撫してたら、SHNSNが喘ぎ声の中、喋りだした。
「あ、兄上…お、おかえりなさい…た、大漁だった?ねえ大漁だった??」…オレは突然の、しかも想定の範囲を超えたセリフにポカーンとしてしまった。
SHNSNは素に戻って、「…返事して欲しい」と恥ずかしそうにオレに言った
プレー再開耳とかをなめつつ体中をさわさわと触る
「兄上大漁だった?」
「ああ大漁だったよ」
「あぁぁぁあぁすごいいいぃいぃ!な、なにが…ハァハァ…なにが捕れたの?」
乳首を舌でやさしくめながらオレは答えた
「鯛とかヒラメがいっぱい捕れたよ」
セリフを聞きオジサンはびくんびくんと身体をひきつらせた
「はっ!はぁぁぁあんっ!イイサキは?イサキはと取れたの??」 チンコをしごく
「ああでかいイサキが取れたよ今年一番の大漁だ
大漁っ!!イサキぃぃ!!兄上かっこいいいいぃぃぃい ぃくううううう!」 >>179
UESMの時代でも林檎は日本にあったぞ。
但し酸味が強めでアルプス乙女のような小型林檎だったけど。 UESM「TDSKよ、余は牛肉が食べたい!」
TDSK「何をおっしゃいますか、dでもない」
UESM「フフフ・・・牛肉の( ゚Д゚)ウマーさを知らぬな」
TDSK「牛肉なぞ食したら、顔が牛になってしまいますぞ」
UESM「ええい五月蝿い、彦根藩に命じて至急献上させるのだ!」 彦根藩「牛は貴重な労働力!UESM、御乱心か?!UESM側近のKNO殿に報告じゃ!」
紀州藩の時から側近だったKNOに罰として尻を開発されるUESMであった 彦根藩は
江戸幕府から牛の屠殺を公認されていた
唯一の藩なんだぜ
吉宗より後の時代になるが
獣肉であると公言するのは憚られたので
「薬食い」という名目で将軍に献上されていたのぢゃ 御典医「UESM、陰茎が排尿時に痛いですと?診察いたしましょう。おや?鈴口に糞が
こびりついております。陰茎が痛くなるのも当たり前ですな。
では牛の味噌漬けを薬としてお召し上がりください」
UESMの淋しい病はなかなか治らなかったw 仙台の名物料理で「はらこめし」というのがある。
酒の切り身とイクラの乗った、何とも贅沢な炊き込みご飯。
一説には、あの伊達政宗が考案したとも言われている(あくまでも一説)
なお、仙台では、伊達政宗は神にも等しい存在。
「いたちまさむね」などと読んだら心の底から軽蔑される。 松平容保と書いて「まつだいら・かたもり」
最上義光と書いて「もがみ・よしあき」
徳川家茂と書いて「とくがわ・いえもち」
何でこうなるの?
あと、明治時代だが
山本権兵衛と書いて「やまもと・ごんのひょうえ」
ヴァ〜〜〜〜イライラする キラキラネームは昔からあったみたいだな
じゃけん子供に田所って名付けてもOKにしましょうねぇ^〜 UESMは静岡の海岸で富士山バックに馬に乗ってるけど、実際の歴史上の吉宗は静岡に行くことはあったのかな。 >>193
幼少時に和歌山から江戸藩邸移住の時を皮切りに紀伊藩主就任時に和歌山へ領国下向したりして、将軍就任までに数度陸路か海路かにしろ静岡近辺は通過してる。
ただ当時は海路の頻度が多いので松原を行ったかどうかは不明。 俺も久能山東照宮は可能性あるかな、と思う。
本物のUESMが俺の地元の川越にも来てたらいいなー 平時の将軍は、
鷹狩り以外では江戸城の外に出ることは無かったから、
紀州からやって来たUESMは貴重な経験の持ち主
地元では鯨肉を食べてたのかな >>198
でも徳川将軍は家康・秀忠・家光・綱吉(館林藩主)・家宣(甲府藩主)・UESM・家茂・慶喜とほぼ半数は江戸府外に出た経験があるんよな。
まあ綱吉・家宣は比較的狭い範囲しか動いてないし、慶喜は将軍就任中は江戸に全く居なかったりするけれど。 家茂
「和宮タソ(*´Д`*)ハァハァ・・・
御公家さま(*´Д`*)ハァハァ・・・
それにしても京は遠い、遠すぎる!
今度は軍艦で行きたいな」 IESGは遠征先の大坂で掘られまくって病で死にましたとさ 終わり >>202
IESG・・・
九代将軍にして、UESMの嫡男、
でも残念な将軍・徳川家重のことか?
それとも、十四代将軍の、いえも・・・
つ、突っ込まないぞ>< UESM「IESGはきちんと話せんのかのう」
TDSK「御典医に聞きましたが、このまま変わらぬそうで」
UESM「側近どうするかのう。文武も怠っておるしの。
ところで、TDSK、今宵どうじゃ?」 UESMとTDSKのコンビは凄いよね。
それぞれ主役の番組がどっちも何シーズンも続いた長寿番組。
加藤剛のTDSKと松平健のUESMの共演見たかったな。
もっとも山口崇のUESMも好きだ。 「大岡越前」は、
他の時代劇と違って、基本的に立ち回り無しだったけど、
それでも長年愛されてきた番組だったんだな。
異色で、かつ、見ごたえのあるシリーズだったな。 理知的なTDSKのイメージから乱暴なシーンは無いんだろうね 同じ町奉行でも
遠山景元は大違いだな
アレはアレで楽しいが
てゆうか異色すぎ 八丈島は
次から次と重罪人が送り込まれて
まともな社会が成り立つのですか?
佐渡島なら
金山で強制労働させればよいが >>216
八丈で勝手な真似をしたらくさや兄貴が黙っちゃいねえぜ 八丈島は政治犯が流されることが多くて、教養の高い流人は文化をもたらし、むしろ歓迎されていた。
離島としては異例のレベルで文献がたくさん残っているのも江戸の知識人が流されたからだ。
南の島特有の穏やかな雰囲気のせいか、元からいた住民と流人が揉めるようなことも少なかった。
そういう経緯があるから最近まで流人を称える祭があったくらい。
残念ながらイメージが悪いということで名前が変わったが。 >>218
寧ろ人足寄場なんかの更正施設送りやら、軽い盗みの江戸所払いな面子の方がヤバい層。 UESM「こんな暑い日は・・・冷し中華が食べたい」
無理です 明智光秀は真夏の接待で生もの食材を腐らせたことが原因で左遷されて
それが本能寺の変に繋がった
これ豆な >>220
UESM「氷室行って氷取ってこい!」
の方があり得そうかとw 徳田新之助なら、日中から湯屋に行って水風呂に浸かるのも自由だが
UESMとなると、そうはいかぬ。
将軍様は辛いのぅ。 UESMが人前でちんちんみせるわけにもいかんだろうしな。 >>223
毎日鱚を一匹食わなきゃならんし、年に一度佃田の漁民が釣ってきた白魚食べにゃならんし、月半分以上大奥の夜伽やセンズリ禁止(家慶頃)だし将軍はツライ。 UESM
バテバテ〜
「こうも毎日毎日暑くてはかなわん・・・」
TDSK
「こんなときこそ鰻は如何?」
UESM
「それはいい!御膳奉行、今宵は鰻にしろ!」
食べ終わって
TDSK
「アッー!」 二時間スペシャルなんだな。
じいがエレキテル按摩で亡くなってしまったのに怒ったUESMがお忍びで按摩を受けに行ったところ
はまってしまう話だ。 >>231
エレキテル按摩で亡くなる爺は初代の爺がよい。 徳田新之助は財布持ってんの?
どれくらい入ってるの?二朱くらい? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています