甲子園ボウルが「東西大学王座決定戦」だったのは、始まった当初、日本には
関東と関西にしかリーグがなかったから これが日本一を決める場となったのは
当然のこと そして60年以上の歴史を刻んだ後、「大学選手権の決勝戦」という
位置づけに変わった その際、東日本代表と西日本代表で王座を争う形としたのは
東西対決という伝統を引き継ぐためだった

甲子園ボウルは終戦翌年に始まっており、これはラグビーの大学選手権やプロ
野球の日本シリーズなどよりも早かった 東西対決という形式は、長く勝てなかった
関西に奮起を促す結果をもたらしており、長い目で見れば日本国内でのバランスの
取れた発展に繋がるものといえる いま、あえて東西対決伝統という形を変える
理由はないと思う