1972年三田線
桐ヶ谷方面−大和町(和光市)方面が「大宮市西部…浦和市西部−戸田市西部−高島平−清正公前(現・白金高輪駅)…港北ニュータウン(横浜市)」に改められ、和光市駅−高島平駅間の東武高島平線計画は正式に撤回された。
1976年(昭和51年)5月に開業した西高島平駅から北進し新大宮バイパスの上下線間にあった当時未開通の自動車専用道路予定地を活用して北上し国鉄武蔵野線西浦和駅を通り大宮市西部(現在のさいたま市西区)まで延伸するという計画が立てられた。
1977年(昭和52年)8月19日 : 北池袋出入口 - 高島平出入口開通
1985年9月30日の国鉄埼京線開業の影響もあり上記の運輸政策審議会答申第7号でこの計画は削除され、1990年以降同ルートには首都高速5号池袋線の延伸区間と首都高速埼玉大宮線が順次開通した。
1990年(平成2年)11月27日 : 高島平出入口 - 戸田南出入口開通。
1993年(平成5年)10月26日 : 戸田南出入口 - 美女木JCT開通、全線開通。