>>634
お応えもさせて頂きましたので、こちらからもご質問をさせてください。

「実用的な易」とはどういう意味でしょうか?何か易にたくさんあるのですか?

易経の本文十翼の中で、易の使用方法は繋辞伝に書かれていますが、
易は聖人への道であり、自身の心を百姓の心から聖人の心に持っていくためのものだと
明確に書かれていますが。

その易が易であるという、あなたが根拠にしているものは何ですか?
何か自由にこれが易だと決めたらそれが易ですか?

「便所の糞を易だと呼んだら私にとってそれは易だ」というのも、その人の自己決定
だという意味ではそうですが、まったく他者から認められない信念だと思います。
そういう意味で仰っていると考えて良いですか?