繰り返し行うと分かりますが、本筮法は、やり方をしっかり体得すれば、他のやり方とは
全然違うところがあります。

略筮(というものは無いと思っていますが)でも中筮でも、心の中で数を数えたり、乾坤震巽…
と唱えなくてはならないが、本筮は4本ずつ切って余りを順に徐す作業なので、心を限りなく
空にできるのです。作法の体感が本質的に全然別です。

これをありがたくも繋辞上伝 第9章を身読しながら行った時に、陰陽不測乃神が、最初に
天地を創り、四時を運行し、閏を徐して祭りとし、復年の再閏の祭において斎戒したという
宇宙創成と世界の運行そのままが、筮具手中において体感でき、易理の本質が見えてくる
ような別心情が現れてくるという経験を本当に無限にしております。

本筮法こそは易の粋であって、仕方なしに他の何をやるにせよ、これの深い修練と体感なしに、
何も語り得ないであろうという確信があります。
本筮が聖典にただ一つ述べられているからこそ、それのみが正法だということはもちろんですが、
その確信が深まる、浅学ではございますが私の体感を、述べさせて頂きました。
ご丁寧なご質問、誠にありがとうございました。少しでもお役に立てば幸いです。