なつかしのズロース・腰巻
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猿股やふんどしのスレがあるのにズロースや腰巻のスレがなかった
ので立ち上げました 近年トランクスの復活さらにボクサーパンツの流行という形で猿股が
復活すること顕著であるが、一部だが女性用にもボクサー型が用いら
れている。これはズロースの復活とも言えるがあまり見栄えの良いも
のではない。なかにはミドル丈の男物みたいなものもあって萎える。 そう、かんがえるとパンティの普及に伴い
ブルマが普及しちょうちんからパンツ化でしょうか
ブルマの日本上陸が気になります。
あと、最近の陸上女子のユニホームは
やらしくてうれしい (とりあえずスマン ブルマーというのは米国のブルマー夫人が女性の衣服改良運動として膝下く
らいのスカートと裾をしぼったくるぶしまでのズボンの組み合わせの服着用
を提唱したが、珍妙な格好と男性社会の反発で10年もたずにやめてしまっ
た。ただしその後これを元にした女子体操服の原型が出来、やがて日本にも
紹介された。ブルマーという名はここに由来する。尚、女性の服は元来のく
るぶしまでの長いスカートの下に膝下までの長いズロースという形でズボン
型の穿く下着が生き残りやがて普及していった。 ちょうちんブルマーでも下がズロースだとハミパンする危険があった
し、実際している子がいた。下がショーツだとちょうちんブルマーな
らハミパンはなかったが。またショートパンツの学校ではズロースな
らしゃがむとハミパンどころでないズロースの股下部分丸出しだった。 >>103
あの、失礼ですが、おいくつの方でしょうか?
私らの世代では、同級生の女子にちょうちんブルマーやズロースの人はもういません
でしたが。 ピッタリブルマーが入ってきたのは東京オリンピックの女子バレーソ連チーム
からじゃないの。日本チームは緑のちょうちんブルマーだった。なんでも下着
みたいだとぴったりブルマーを日本選手が嫌がったからだそうだ。もっとも練
習用や地方巡業の試合では日本もぴったりブルマーを着用している。河西主将
のピッタリブルマーの写真を見たことがある。もっともあくまで試用で公式ユ
ニホームはちょうちんブルマーだった。五輪優勝の栄光がある為日本代表のほ
とんどの選手が所属する日紡貝塚の連勝記録がとだえるまでちょうちんブルマ
ーはつづいたと思った。メキシコ五輪では日本はややゆったりしたぴったりブ
ルマーを使用していた。 ピツタリブルマーはテレビのサインはVやアタックbPの影響で女の
子にも人気だった。学校で正式導入前に女子生徒が自主的に取り入れ
ることすらもあった。ピッタリブルマーが広まると共存不可能なズロ
ースは静かに退場していった。 昔の雑誌の記事に当時のスケ番グループがクラスのダサい女しめた時にスカ
ートめくったらちょうちんパンツだったのでさらに痛めつけてやったという
話があり記者は「それはズロースでは」と教えてやったというのがあった。
70年代に入っても女子高生でズロースというのはさすがにダサい。 ズロースからパンティに移行するのに
ブルマが一躍担っていたわけですな。
でも、ぴったりブルマーは下がパンティであっても
はみパンしてしまう事があったな(ニヤリ
学生服のスカート丈が短くなったのは
ブルマが絶滅して女子生徒が自らの足のラインを
アピールする機会が、スカートに
シフトしたのだろうか?
と思いを巡らせているのはおれ(自分)だけだろうか? ボクサータイプが増えているのも何かの役目なのだろう
短い丈のスカートをはけなくさせる作戦と考えるなら
ファッションも流行という商売の一環だろうし
知らず知らず、業界が金儲けしてるとそうなるんだろうな
長くしたり短くしたりは流行のツボだしな。 ボクサータイプは見栄えの点で劣る。いわばズロースの復活みたいなもの。
パンティラインが出ないようにしているのかもしれないが、完全の勘違い。
パンティラインは見苦しいどころか、むしろ魅力になっているし、ズロー
スみたいなもの穿いて見栄えを悪くするのは感心しない。 >>76
カットズロースは今でも一部の年配者に愛好者がいて、遠方から買いに来た
り、通販で取り寄せという人もいらっしゃるらしい。 >>111
変態を代表する貴重なご意見として受けたまわっておきます 三島由紀夫原作の映画「潮騒」の一番最初の作品でヒロインがでっかい
パンツ一枚になるシーンがあったがあれがカットズロースではないかな。
ズロースとパンティの過渡形態だと思う。 >>114
「潮騒」は5回映画化されていますが、どのコンビの映画ですか?
一番最初の作品ということは、久保・青山ですか?
潮騒 (1954年)
久保新治:久保明
宮田初江:青山京子
潮騒 (1964年)
久保新治:浜田光夫
宮田初江:吉永小百合
潮騒 (1971年)
久保新治:朝比奈逸人
宮田初江:小野里みどり
潮騒 (1975年)
久保新治:三浦友和
宮田初江:山口百恵
潮騒(1985年)
久保新治:鶴見辰吾
宮田初江:堀ちえみ 1954年ですね。小百合さんや百恵ちゃんでは、パンツ姿になってくれ
ないでしょう。そうそう小百合さんは結婚後に出演した映画でズロー
スの上からこすってオナニーをするシーンをとりましたね。 「青山は吹き替えなしで、パンツ1枚で背中丸出しの姿で演じている」
このシーンですね。
先日、映画「潮騒」(1964年)でヒロイン・宮田初江を演じた女優吉永小百合さんが、49年振りにロケ地だった
三重県鳥羽市の離島・神島(歌島)を訪れたのをニュースで見ました。ちなみに私は神島の対岸の出身です。 54年だと都会ではすでにパンティが一般化してるけど田舎ではその一
歩手前の形のショートズロースが一番進んでいるわけだ。 サザエさんのワカメがアニメでは小3設定なのにズロース丸出しなのは不思
議だ。さすがに小3だと常にパンツが見えていることはない。原作だとカツ
オの同級生もズロースがかがんだ状態ではなく、普通に立っている状態で丸
出しなのは驚く。おそらく原作者の長谷川町子さんが古い子供への固定観念
でそのようにえがいたのだろう。(60年代)もちろんリアルに小学四〜五年
生の子が常にズロース丸見え状態ということはない。長谷川先生もその点気
がつかれたのか後に修正していたがワカメの設定が原作では小1なのでワカ
メはそのままになっていた。 ちなみに長谷川町子原作意地悪ばあさんの主人公いじわるばあさんは
当初は腰巻着用設定だったが、途中からズロース着用設定に変わって
いる。洋服の場面が増えたからかもしれない。それに70年前後にな
ると都会では年寄りの間でも腰巻派よりズロース派の方が増えている
ことも反映しているのかもしれない。 中尾彬が訳知り顔で >>11 の白木屋の火事の話をしていた。 中尾のおじさん、ちゃんと若い人がわかるようにノーパンと言っていたが、
もちろんノーズロが正しい。若いタレントはノーズロと言ってもピンとこ
ないからな。 今はパンツを穿いてない状態をノーパンというが、かってはノーズロと
いっていた。現在ではノーズロとは実際にパンツを穿いていないという
ことよりも比ゆとして使っている。「彼らは原則も何もなくノーズロだ」
みたいに。昭和初期にはカフェでノーズロサービスというのがあったら
しい。元々客の悪さから身を守るためにカフェの女給がズロースを穿く
ようになったのをあえて防備をとっぱらうサービスしたということだ。 故春日一幸が非武装中立論を批判する時に言ったのが「ノーズロで
アパパのすっぽんぽん」であった。たしかにあっぱぱでノーズロは
心配だというふうになるが街頭演説としては下ネタで下品であった。 昭和初期にレビューガール(ダンサー)が金曜日に舞台でズロースを落とす
という都市伝説があったらしい。真相はダンサーがしていたさらしが落ちた
だけだったらしいが事態を重く見た警視庁はズロースを落とすことを厳禁。
他に肉色(ベージュ)のズロースを禁止ーノーズロとまぎらわしいからー
股下二寸(6p)以下のズロースも禁止を言い渡した。 警察はカフェの女給にもノーズロサービス禁止を通達したらしい。かな
らずズロースをはくようにと。共産党弾圧時には女性党員がズロースを
着用すると女のくせしてと拷問を強化したのにわずかの間に変化したも
のだ。その後白木屋事件もあったが中国で抗日闘争の一環として和服女
性の着物のまくりあげが衝撃を与えたらしい。着物を腰巻ごとまくりあ
げられて尻が丸出しにされて大恥をかかされる大和なでしこが続出した
のである。そこから現地の女性はズロースを穿くべしとなり、さらに戦
局がきびしくなるなかで銃後の守りとしてズロース、モンペの二重の防
備が本土でも奨励されるようになったわけだ。 米軍に占領された時若い世代にはズロースが広まっていて良かったわ。腰巻
のままだったら日本は未開国と思われるものな。ぎりぎり間に合ったという
感じ。 子供の時女の子達は、ズロースにスカートをはさみこんでゴム飛びとか、
まりつきとか鉄棒とかやっていたな。ズロースが丸出しにならないよう
にしていたのだろう。まりつきの時に何かの拍子にスカートがはずれて
ズロースがむき出しになっている子がいた。また鉄棒でスカートとかか
まわずやっている子がズロース丸出しで夢中でくるくる回転していた。
ショーツの子が同じようにスカートをはさみこんでもショーツの底が見
えている状態でゴム飛びやっていたのはおかしかった。 昔の女の子は道路にロウ石で絵を描いて遊んでいた。その際大股開きで
ズロースを丸出しにしていた。少数のショーツの子も同じようにしてい
たが、ショーツだと恥ずかしいのがだんだん意識されるようになったの
か、ショーツの方がだんだん増えていくにしたがって大股開きも慎むよ
うになった気がする。 大縄跳びで最初パンツにスカートをはさまなかった女子達がパンチラ
しまくりだったが、途中で男子が見ているのを意識してパンツにスカ
ートをはさみはじめたが、ズロースの子はよいがショーツの子はうま
くはさめずにスカートを手でおさえながら飛んでいた。 戦後間もない頃の引き揚げ者の支援目的のダンスパーティでズロース丸出し
で回転して踊っている女性の写真を見たことがある。 ↑
やはりこの場面でパンツ見えていないと不自然だよなという場面で
しっかりパンツを見せる、しかしそこはショーツではなく、ズロース
というところが名人芸だね。見えてもいやらしくなく描かれている。
逆に個々は見えているとしたらショーツという場合はパンツを見せな
いように描く、このくらい気を使っているわけだ。 ズロースだとほのぼのとしているから安心なんだろう。 中学時代に体育館に学年全体の生徒が集まって何かの打ち合わせで床
にすわっていたら五十歳くらいの女教師がパイプイスにすわって同僚
と談笑しているのだが、ズロースが丸見えであった。それに気がつい
た生徒達はオェーとなっていた。本当に不気味な風景だったな。 小5の時、校長室を掃除当番で雑巾がけしている六年女子が大股開きでなぜ
か全員ズロース丸出しで滑稽であった。冬だったからか、それともたまたま
みんなズロース愛用なのかひとりもパンティがいなかったのを覚えている。 冬にショーツの上から毛糸のパンツを穿くと皮膚に毛糸のパンツがふれ
てチクチクして痛いそうだ。だからズロースの上に面積の狭いショーツ
型の毛糸のパンツを穿くとのこと。 ずっと昔都内の某所を歩行中、うだるような暑さのなか、婆さんが
シュミーズ姿で家の中をうろうろしているのが道路から丸見えなの
だが、シュミーズが透けててズロースがばっちり浮き出ている。
それが股下が股と膝の中間の長さだから暑苦しそうだった。夏くらい
もっとショートなズロースにしとけばよいのにと思った。 昔は暑い時期には透けないシュミーズでズロース脱いで涼んでいた
婆さんがいたそうだ。若い頃か少なくても子供の頃はズロース穿い
ていなかった人は、ノーズロに抵抗感は少ない。 1960年前後の写真で小学生の集団がシュミーズで涼んでいるのを見た
ことがあるが、全員ズロース丸出しでも平気で下に穿く短パンくらい
の感じなのだろう。たださすがにノーズロというのはありえない。 自分が小1〜小2くらいの時にクラスの女子が友達の家の二階で遊ん
でいる時の話。夏休み中であまり暑いのでスリップ姿でいても苦しか
ったので、どうせ自分たちだけで誰も見ていないのだからとズロース
を脱いでスリップ一枚のスッポンポンで遊んでいたと聞いたことがあ
る。ただひとりショーツの子はそんなに暑くないとパンツは脱がなか
ったそうだ。ただし後で話し盛られたという気がしたのを覚えている。 子供の時に入院していた病院の非常階段に出たら、洗濯物の干し場があって
不思議なことにズロースはズロースでパンティはパンティで固まって干して
あった。病室が年代で固まっているのか、それともごちゃまぜにならないた
めなのかなと思った。 会議で泊ったホテルで皆で廊下を歩いていたらドアが全開でおばあ
ちゃんが、らくだ色のズロース姿で着替えをしていた。みんなえら
い物見せられたと閉口していた。 子供の頃には女子が鉄棒でズロース丸出しになってくるくるまわっていた。 昔中年用に薄手のズロースがはやったことがあった。あれはなんだった
のだろうか。 シュミーズにはズロースがスリップにはパンティが対応する。腰巻には
長襦袢だな。 ズロースをはじめ女のパンツのことは、朝日選書「パンツが見える。」
(井上章一)がくわしい。 小5の時六年生の清楚で美少女の児童会会長が体育館の舞台の上にいたので
地下倉庫に通じる階段の途中から見上げてスカートの中をのぞいたら、パン
ティだと思ったら白いズロースだった。やはりまだ子供なんだと思った。 ↑
白いズロースというのが定番だけれど昔は黒いズロースというのもあった。 年代的なギャップなんだろうか
画像を見ても興奮しないし色を想像しても
今一、ピンと来ないな。(下着なのにな)
おんながリアルタイムではいてるのを見かけたら
刷り込み的に興奮するのかも知れんけど
まあ、好みもあるかもしれないけど スレ違だけど
ジョギングなんかで流行ってる。ランスカもかわいくていいのう ズロースに興奮するというのは、ズロース世代の人でしょうね。
パンティが普及した後の世代にはズロースは見えてもほのぼのして
いたり、滑稽だったりするだけ。見えてドキッとしたりするのはパ
ンティ。ズロースとパンティの中間のカットズロースも見えてもた
んにパンツが見えたというだけで興奮するものではない。 今はズロースて興奮しない下着の代名詞になっているよ。AKB等アイドルも
売れる前はショーツ型のみせパンだが売れ出すと四角いパンツになるとか、
アスリートがブルマーやアンスコを嫌がってボクサー型のパンツにするとい
うのも興奮させないパンツ=ズロースという流れと一脈通じるものがある。 ただ、ズロースがチラ見えする丈のミニスカートを
はいてる女性の光景は、どうだろうか感慨深いな… アイドルのミニスカの下穿きはドロワースと言っているみたいだ。
フランス語でももひきという意味でズロースの語源になっている。 映画「風と共に去りぬ」でヒロインらが股引みたいな長ズロースで
昼寝するシーンがあった。後のシーンで踊り子達が膝上のズロース
で踊っているのを知っている、クラーク・ゲーブル扮する相手役が
そんな長いパンツ穿くのはやめろと言っている場面もあった。 モノクロームの活動写真の直後に
@・A・Bとカウントアップして声が入る映像文化
女性の下着を撮るのは斬新というか大胆ですよね
ヒロインは何とか・オハラでしたっけ? 風と共に去りぬは、カラーですよ。
スカレーット・オハラ。 スターレットじゃなく、かごんまでもなく
スカーレットでしたか。。。
しかもカラー、失礼いたしました 西部劇では結構ズロース姿が映し出されている。ズロースだとハードルが
低いのだろう。 子供の頃近所のおばちゃんの物干しに干してあったズロースのでかかった
こと(苦笑) 「八重の桜」の八重も新島八重になって洋装の時はズロース穿いたのかね。 昔の紀行文で長野の善光寺の本堂の地下が真っ暗なのだが、そこで
知り合ったばかりの女のスカートをまくったら何も言わない。さら
にズロースを引きずり下ろしたが何も言わない。そこでやらしても
らったが、戦前にもあんなとぼけた女がいたのだなと感慨していた。 昔、旅の途中で熱を出して田舎の家に止めてもらったら、まじないだ
と言ってその家の老婆がズロースを顔のところでバタバタやるものだ
から臭くて平行していたら、婆様が言うのには「これは娘っ子の猿股
だ。だども腰巻の方が効き目あるんじゃが」とのこと。若いもんの下
着でないと効き目がないらしい。−昔こういう話を読んだ記憶がある。 敗戦直後の時代、夫の復員を待つ奥さんが湯上りに部屋でズロース一枚で
涼んでいたところ、隣の家の男が入ってきたので、あわてて布団で隠した
がはぎとられしまい。逃げようとしてところをつかまって体勢が崩れてし
まい防ぐことも出来ずあっけなくズロースを脱がされてしまった。あやう
く犯されるところをそばにころがっているとっくりで男をなぐったら男は
戦意を喪失して出て行った。その間に奥さんは急いでズロースを穿いて難
をのがれたという体験談を読んだことがある。 男は隣家の奥さんとどういう
人間関係を築いていきたかったんだろうと
想像した。 戦争は嫌だよなぁ…
戦争とズロースか 本日9月1日は関東大震災から90年。関東大震災の後ズロースの
着用の必要性が一部で叫ばれたが、結局浸透しなかった。和服中心
の生活ではズロースは普及しなかったのである。 戦後まもなく住宅事情が極端に悪く、やっと借りれたアパートの一室に他人
も同居していて、ろくに間仕切りもなく夜の生活も困ったという話があった。
ようは「同居人」が寝たのを確認するまでズロースも下げれないということ
だったらしい。それにたぬき寝入りしているかもしれないし。 子供の時に銭湯で婆様二人が談笑しながらズロースを穿いていたが、その
ズロースまるで肌色の猿股みたいな奴でしかも股が割れている。不思議な
気がしたが後に和装用のズロースということがわかった。 昔、婆さん達が風呂屋に入る時和服で腰巻の婆さんは、例外なく帯
をといて着物の前をはだけると腰巻を先にはずしていたな。着る時
も着物はおってから腰巻をつけていた。腰巻一枚でくつろぐ婆さん
見たことない。江戸時代の浮世絵を見ても同じだ。(若い女だが) 婆さん達も着物の下がズロースだと脱ぎ方は分かれる。着物の前を
はだけるとズロースをさっさと脱いじゃう人とズロースを最後に脱
ぐ人に分かれた。着る時も同じ。ズロース一枚でくつろぐ人もいる。
最初にズロース脱ぐ人は腰巻時代からの延長だろう。アンダーシャ
ツを着物の下に着ている人は着物を脱いだ後にシャツを残して先に
ズロースを脱ぐ人もいる。むろん順番に上から下に脱ぐ人もいる。
パンツ一枚という姿は避けたいという心理があるようで、その伝統
的心理は、今日の若い世代の一部にまで引き継がれているようだが。 そういえば着物の前開けるとさっさとズロース降ろしちゃって
それから着物脱いでババシャツ姿でスッポンポンのやや小太りの
ばあ様達を見かけたな。着る時はその逆で結局ズロース姿をさら
さないわけだけど、上だけ着て下スッポンポンのが恥ずかしいと
思うがな。 子供の頃、小学校高学年の清楚美少女系の姉妹と風呂屋で一緒で二人とも
見られている思って、もじもじしながら、シュミーズを脱いで、そこでズ
ロースを脱ぐのをためらっていたが、脱がねば風呂に入れないので仕方な
く姉妹顔を見合わせながらズロースをゆっくり脱いで、そっとズロースを
かごに入れた。その間二人はまだ毛が生えていない恥部を手で隠しながら
体面を保とうとしていたが、隠し切れずに恥部がチラチラしていた。二人
は終始恥ずかしそうにうつむいていた。 なつかしのって、今でもズロースは現役で売ってるぞ。 昔は女達はズロースを穿く時、しっかりと穿くために屈伸運動みたいにし
て穿いていたな。その影響はパンティ時代まで残っていて屈伸運動みたい
にして穿いていた。やがて最初からパンティの世代がそんな屈伸運動など
しなくてもしっかりと穿けているのでそれを見た上の世代も屈伸運動をや
めてしまった。男がブリーフを穿く時に屈伸運動なんかしないのと同じ。
ズロース特にちょうちん型のそれは裾にぶっしりしたゴムが入っているう
えにゆったりしているので屈伸運動をしないとしっかり穿けないのだ。 そういえば女子たちはズロースを穿く時に屈伸運動みたいなことしていたな。
大人たちもパンティ穿く時に同じような動作していた。最近の女性は確かに
そんなことしない。 四十年前の女性はビキニパンティでも屈伸してパンティ穿いていた。それが
必要だと思いこんでいたのだろう。もっとも今でもパンストやガードルは屈
伸して穿いているようだ。 腰巻て元々みんな白だったが娼婦が赤い腰巻をするようになり、それが一般
にも広まったそうだ。 大阪夏の陣の絵巻に城から抜け出した女中が敵兵に腰巻一枚にむかれている
場面があったが、腰巻は白だった。 腰巻とふんどしは日本の下着文化
腰巻はスカート直穿きノーパンスタイルと似とるな 昭和初期には都腰巻という履くスタイルの腰巻が広まった。元々の腰巻は
巻きスカートみたいな感じだが、都腰巻はペチコートみたいなものだ。まあ
両方とも股部分がないスッポンポン形式には変わりがないが。 さらに進んで都腰巻のなかに股を覆う布が備わっている物もあったそうだが
そこまで行くとズロースを着物の下にも穿くようになるから、普及しなかっ
たようだ。 江戸時代の浮世絵で銭湯の女達の姿を描く時、着物をはだけてから先に腰巻
をとってしまう。着る時も先に着物をはおってから腰巻をつける姿ばかりだ。
実際は風呂場の脱衣所で腰巻一枚の人もいただろうが、どうも多数派は腰巻
姿にならない人だったみたいだ。女性はこういう時は右にならえの人が多い
からな。どうも江戸初期に風呂に入る時は湯文字という入浴専用の腰巻をつ
けたため、入浴前に着物の下で普段の腰巻と湯文字を着替えた、風呂からあ
がった後も着物を羽織ってから逆のことをしたなごりのようだ。その後は湯
文字をつけず、全裸で風呂に入るようになっても着物の前に腰巻をとってし
まう習慣だけ残ったといわれている。 白い腰巻だと汚れが目立つし、赤い腰巻だと当時性交の時腰巻をつけた
ままということが多かったというから、性交の為の着衣みたいで赤い腰
巻一枚の姿だと生々しいという心理もあったのかもしれない。尚、当時
の貧しい時代でも腰巻の着用率はほぼ100%だったそうだ。また普段着物
下から腰巻が見えていても全然うろたえなかったようだ。むしろ色っぽ
いとされた。それどころか作業の時は着物をはしょって腰巻を丸出しに
していた。 素人は腰巻つけたまま性交をする人が多かったそうだが、遊女は逆に長襦袢
の前に腰巻をとってしまうそうだ。遊女は嫌な客からのがれる時、腰巻の裾
をつかまれると捕まってしまうから、腰巻の紐をゆわかないで、布をはさんで
おくだけとのこと。こうすれば嫌な客が寝たまま腰巻をつかんでもスルリと
落ちてトカゲの尻尾切りのように逃げられるからである。だから紐をゆわいて
ないから性交の時もすぐほどけるのでさっさとはずしてしまうのだ。 問題は紐をゆわかないとはずれやすいことだ。ある花魁は花魁道中の最中に
腰巻が落ちそうになって、こらえて横道に入ってそこで腰巻が落ちたので羽
織をかぶせて目だないように拾ったそうだ。見ていた人達は気がつかなかっ
たふりをしてあげたそうだが、太夫の対処は見事だったとほめたそうな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています