なつかしのズロース・腰巻
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
猿股やふんどしのスレがあるのにズロースや腰巻のスレがなかった
ので立ち上げました 2
うちの近くの某大衣料品店に手書きのPOPで「ズロースあります」とあった。 最近は腰巻をする人は少なくなったというか洋装化したから当たり前だ。
着物の時ですら一番の下の下着ではなく、パンツの上に着けるペチコート
みたいになっている。 昔婆さんが洋装なのに腰巻を捨てられなくてズボンを穿く時腰巻を折ってズ
ボンを穿いていたという目撃談を聞いたことがある。男でも洋服なのにふん
どしだけは最後までこだわっていた人と同じだ。 うちの施設に来ている80代のお婆さんは、
「わて、短いのはあきまへんのやわ。毛え、はみ出しますやろ。
ズロースが、やっぱええんですわ」
と言うのが口癖だ。 さすがに今は一番下の下着が腰巻というのは年寄りの芸者等の特殊な
人くらいだろうな。 80代の婆様達は一見ズロース世代みたいな気がするが元はみんな
パンティを穿いていた世代だからな。 年寄りは冬はおへそまでのショーツと長ズロースの重ねばきだろ。 お婆さん達が若い頃は戦後の物のない時代で、あり合わせの布地を使って、自分で
ズロースのようなものを作っていたそうだ。
ズロースは売ってはいたが高級品で、まだ一般には普及していなかったようだ。
ここ、関西の片田舎では、ババシャツ、ズロース、バッチは婆さんの三点セットと
呼ばれている。バッチとは股引のやや長めのもの。 戦時中は他の衣料と同じでズロースも衣料切符と引き換えの配給制みたいな
ものだった。だから戦後の物資のない時期にはカーテンの布などで自家製の
ズロースをぬったりしていた。 そう、白木屋デパートの火災(1932年)以降、ズロースの着用が普及したという
まことしやかな話があるが、これは事実ではない。
噂話の火元は白木屋の専務の談話らしい。詳しくは「白木屋ズロース伝説」で検索
を。 白木屋事件はズロース普及の一契機にすぎません。結局洋装の普及の進行が
ズロース普及の進行に直結したということでしょう。幕末維新期にズロース
が紹介されましたが、外人に嫁いだ人か女子留学生くらいしか洋装はしませ
んでしたからズロースもその人達に限りました。鹿鳴館時代も洋装する時だ
けズロースを着けて普段の着物の時は腰巻に戻るという生活でした。大正期
までは一部の上流階級婦人以外は洋装はしませんからズロースの普及もその
人達に限りました。これは女学生のセーラー服導入、都市部の女児の洋服化、
モダンガールの出現までズロースの大衆化はなかったということです。白木
屋事件は洋装化過程の途中で起きた事件と言ってよいと思います。 広瀬正のSF小説「マイナス・ゼロ」には、この白木屋の火災のエピソードが使われている。
偶然にも昭和7年の世界に来てしまった俊夫は、現地でレイ子という恋人ができる。
彼女は白木屋百貨店に勤めることになるが、火事に巻き込まれて亡くなってしまう。
そんな俊夫に知り合いの大工のカシラが慰めて言う。
「白木屋で死んだ女の人は、ズロースをはいてなかったんで、窓から落ちたんだってね。
救命ロップかなんかを伝って、もう少しで助かるとこだったのが、下で野次馬のやつらが
騒いでるもんだから、つい着物の裾を気にして、ロップにつかまってる手をはなして…」 白木屋火災は、ズロース普及に言われている程直結していないが、この話の
おかげでズロース普及の話を進めやすくなったのは確かでしょうね。「ほら
例の白木屋の火事で・・」とずっとこの話は使われたと思う。 70年代のデパート火災ではミニスカートでロープにて脱出した女性達がパン
ティが丸見えでニュースを見た翌日の学校ではその話でもちきりだった。 生きるか死ぬかの時には裾の乱れなんて構ってられない、着物ままなら旧世
代の人はノーズロのままだったみたい。NHKの朝ドラの「カーネィション」
でやってたみたいにデパートが洋服の制服を採用することによってズロース
も着用した。「カーネーション」ではズロースのことはふれていなかったが。 鹿鳴館時代は舞踏会の時だけ上流階級の人が洋装してその時だけズロ
ースを穿いたが、中には腰巻のまま洋装してつまづいてひっくり返っ
た時赤い腰巻がむき出しになって大恥をかいた政府高官の夫人がいた
そうだ。それからはしっかり洋装の時はズロースを穿くことになった。 日露戦争の頃の看護婦て白衣に白の山高のナース帽という洋装だが、
下着は腰巻のままだよ。先日雑誌でそういう春画を見た。 ズロースで思い出すのが、日本指圧協会元会長の浪越徳治郎さんが、かつてテレビ番組の中で話していたエピソードだ。
1954年(昭和29年)、マリリン・モンローが新婚旅行で夫のジョー・ディマジオと来日した際に、胃痙攣(けいれん)で
体調を崩したという。注射嫌いのマリリン・モンローために医者に代わって呼ばれたのが指圧師の浪越徳治郎さん。
その時モンローは素っ裸でベッドに横になっており、「ノーズロでした」と例の助平そうな笑顔で語っていた。 モンローはズロースではなく、パンテイをはいていたけどね。有名な地下鉄
通風口のシーン。 淡谷のり子はブルースの女王と言われていたが地方では「ズロースの女王」と
あやまって書かれたそうだ。 生理用ズロース… クロッチ分だけ、薄いゴム付きで2重にできてる ズロースとはフランス語のドロワーズすなわち西洋股引から来ている。
あのフレンチカンカンの下穿きが思い浮かべて見よう。 72歳ジジイが66歳ババアのパンティ盗む!!!!!!!!!!!
女性下着が自宅からザクザクと…“窃盗男”を逮捕
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20130425-00000023-ann-soci
千葉県八街市の無職・七五三隆容疑者(72)は3月、千葉市の住宅に侵入し、軒下の
洗濯物ハンガーに干してあった66歳の女性の下着1枚を盗んだ疑いが持たれています。
通りがかった人が犯行を目撃し、逃走する七五三容疑者の車のナンバーを通報したということです。
七五三容疑者は「どんな人がはいていたのか想像して、楽しむために取った」と容疑
を認めているということです。七五三容疑者の自宅からは約70点の女性用下着が見つ
かっていて、警察は余罪についても調べています。
↑
66歳のパンティ派手だったんだろなw
読売の地域版には
『自宅からは、家族が知らない女性用下着が約70枚発見されており』の一文があったw
家族と同居なんだ。で、妻か娘か知らないけど一枚一枚『これ、あなたの?』って確認されたのか。
72歳のジジイとしてはこれは恥ずかしいw
逃亡の恐れがなくて自宅に帰されて書類送検で済んだ所で今後の針のむしろ状態を思ったら
余生は刑務所で過ごしたいんじゃないか?w 70代のジジイだからズロース世代と思われるかもしれないが、この
爺様の若い頃にはすでにパンティ時代になっていたからな。まだズロ
ースは残っていたけどね。 この前テレビで昭和36、7年頃の映画をやってたのでチラッと見たのだが、
中に風呂屋での入浴後のシーンがあって、30代ぐらいの中年女性がはいてた
のが、すごいロングサイズのズロースだった。 都会と地方によってズロースからパンティへの移行時期は微妙に違うからな。
それに都会でも若い女性はともかく中年女性だと春夏秋はパンティだが、冬
は長ズロースなんて時代もあった。今の高齢女性だと冬はショーツと長ズロ
ースの重ね履きにしているだろうが。 雑誌で見た古い写真で干し物の旦那のパンツが初期のブリーフなのに
カミさんのパンツは長いズロースというのがあった。早い時期にブリ
ーフを穿いているから比較的若い人だろう。その奥さんだからやはり
若い人だと思う。そういう人でも冬は長いズロースを穿いていたわけ
だ。暖かい季節にはパンティなんだろうが。 下着デザイナーの鴨居羊子がスキャンティを発表したのも当時の女性が若い
世代でも春夏秋はパンティでも特に真冬は長いズロースを穿いていたりした
ので、オシャレな下着のあり方を問題提起したのである。もっともスキャン
ティといっても後のスキャンティに比べると普通のビキニパンティくらいか。 >>21
淡谷のり子
「えっ、私がズロースの女王? こりゃ、たいしたたまげた!」 世代によって
1、一生腰巻で過ごす。
2、腰巻からズロースに移ったが結局パンティは穿かなかった。
3、腰巻→ズロース→パンティと移った。
4、腰巻は経験せず最初からズロースで後にパンティに変わった。
5、最初からパンティ。
という5パターンがある。 昔はズロースとパンテイがババアかどうかの分かれ目だったな。今で
は相当高齢でもパンティ穿いている。 昔おばさんのパンティデビューというのがあった。それまでズロースだった
のが、風呂屋で同世代の人がパンティを穿いているを見たり、夫に勧められ
たりしてパンティに変わって行ったのだ。 当時住んでいた家の隣のおばさんの洗濯物のパンツがズロースからパ
ンティに変わったのを思いだした。40年前の話だけど当時は女性も
物干しざおにパンツを堂々と干していた。 ズロースにはちょうちんブルマーみたいなタイプと猿股みたいな
タイプがあった。子供たちは前者が多くおばさんや年寄りは後者が
多かったような気がしたが大人用にもちょうちんブルマーの丈が長
いやつがあった。 ゆっさ・ゆっさ♪(連投御免
ほいさっさ
もの凄い光景(◎д◎; アーロン収容所(会田雄次/中公新書)の中に興味深い記述がありました。
作者は第2次世界大戦中、ビルマ戦線で従軍中に日本の敗戦となり、イギリス軍下の捕虜収容所にとらわれの身と
なった。その間の体験を書いたのが、ビルマのラングーンにあった『アーロン収容所』である。
英軍の女兵舎の掃除をやらされたときの模様が面白おかしく記されている。(P40〜P41)
ところがある日、このN兵長がカンカンに怒って帰ってきた。洗濯をしていたら、女が自分のズロースをぬいで、
これも洗えといってきたのだそうだ。
「ハダカできやがって、ポイとほって行きよるのや」
「ハダカって、まっぱだかか。うまいことやりよったな」
「タオルか何かまいてきよったがまる見えや。けど、そんなことはどうでもよい。犬にわたすみたいにムッと
だまってほうりこみやがって、しかもズロースや」
「そいで洗うたのか」
「洗ったるもんか。はしでつまんで水につけて、そのままほしといたわ。阿呆があとでタバコくれよった」
(略)
彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに「人間」ではないのである。それは家畜にひとしいものだから、
それに対し人間に対するような感覚を持つ必要はないのだ。どうしてもそうとしか思えない。 昭和初期に共産党女性党員はズロースを穿いていたので、特高警察の拷問で
服を脱がされた時に「女のくせしやがって」と余計拷問がひどくなったそう
だ。当時は女性は一般的にズロースを穿かなかったので猿股みたいなものを
穿きやがって生意気だということだったらしい。 その際ズロース一枚で叩かれる場合とズロースまで脱がされるて拷問
される場合があったらしい。江戸時代でも女を拷問する場合腰巻はと
らないという了解事項があったらしいが、昭和初期にはそういう配慮
も無視されたらしい。 で、今の共産党は男性のみの特殊浴場を
どの様にお考えなのかね? 小林多喜二の小説「党生活者」のなかに軍需工場にビラを持ち込む
ために女党員のズロースのなかに忍ばせて身体検査をすりぬける話
があった。この女党員は以前逮捕された時ズロースまで脱がされて
拷問を受けている設定になっている。 むかしはいい仕事してたんだね
今はどうだか。。。。 寿命はさておき
年収的にはまさに、同権いや、それいじょうかも? ズロースが我が国にもたらされたのは、黒船来航による開国で来日し
た欧米婦人による、パンティが我が国にもたらされたのは敗戦による
占領で来日した米軍婦人よる。 なるほど、じゃあ反米女性はズロースかもな
でも、売ってるのかな?ズロース じゃあ革命は、デカパンティ革命でよろしかったでしょうか? 昔、ズロース・リーってタレントがいませんでしたか?
ブルース・リーじゃないですよ。 >>57
戦時中モンペの下はズロースか。でも開国後の咸臨丸の訪米団が米国
婦人のズロースの見聞を書いている。ズロースもパンティもアメリカ
からもたらされたな。 欧米だってズロースが一般化したのは、19世紀の半ば以降だろう。 風俗史は文献も少ないかとすると
今アホくさいネタのような事でもきっちり
文献を残すと後世には、役立つんだろうな
紐パン登場やヌーブラ絶滅やらか? 少数派の男女が良いと思うからなくならないのかな?
これもある意味中州か? ★★人気コピー商品★★
┏時計
┏バッグ
┏財布
┏小物
貴金属など流行の商品.
品質がよい、価格が低い、実物写真!
http://www.a-shopjp.com
http://www.fc2jp.com >>36
40年前だと男もみんなブリーフ穿いてた時代だから
女でズロースってのはかなり年配だろ >>66
当時子供が高校生から大学生くらいだとボーダーラインではないかな。
五十くらいの人でもズロースからパンティに切り替えていた。 1970年代でしょ?
女性はほとんどパンティーだったと思うけど 70年代の過程で年寄り以外はズロースからパンティに切りかえてい
くことが完了していった。子供もズロースからショーツに移行が完了
する。 子供達では、男子の方がブリーフ化が先行していた。女子は50年代
末から60年代初期くらいまではズロースが優勢だったと思う。ただ
都市部から徐々にショーツが浸透していったのが60年代の過程だっ
たはずだ。それでも男子は60年代にはクラスの男子全員白ブリーフ
という状況だったのに対して女子はズロース、ショーツ、それに中間
型のカットズロースというの三つ巴状態だった。 原因は男子はズボンだからブリーフにしようがさらされるわけではな
いが、女子はスカートだから(スカートの着用率は今よりずっと高か
った)パンツがさらされるから、保守的な母親がズロースを穿かせた
ためだと考える。当時の女子児童は今の子供よりも大股を開いて遊ん
でいたため、ズロースがむき出しであった。それを知っている母親達
がショーツに切り替えるのをためらったのだろう。たしかに子供時代
記憶でもショーツが見えているのとズロースが見えているのでは全然
印象が違うからね。前者は刺激的で後者はほのぼのとしている。 カットズロースはズロースの又下部分をカットしたもの。ズロースで
は野暮ったいがショーツでは刺激的だと考える母親層に受け入れられ
た。実際女子がパンツ丸見え状態でも刺激的でなくたんにパンツが見
えているという感じだった。元々は戦後のズロースからパンティへの
移行期に過渡的に現れたものだったのが子供用に残存した。 結局女児の間でもショーツで天下統一となったのは、ちょうちんブル
マーからピッタリブルマーへの転換だと思う。ピッタリしたブルマー
だとズロースはもちろんカットズロースでも完全にハミパンとなる。
(気をつけないとショーツですらハミパンになる)もちろん70年
くらいになると中高生はほぼショーツ化していたし、小学生でもショ
ーツは浸透していた。ただ決定的なのはこのブルマーの転換である。
以降親の躾はスカートで大股を開くな、パンツ見せるなということに
なり今日にいたっている。 60年ころにブリーフだったけど女のパンツと同じ形というイメージで興奮した
当時は女子のパンツがズロースだったというイメージはあまりないけど 昭和60年ならそうでしょうけど、1960年なら東京でも女児はズロー
ス優勢でしょう。ただ若い女性はパンティが一般化していてそれが
女児にも次第に浸透し、また東京から地方都市へそして田舎へという
形で普及していったというのが実態ですね。ただ昔のことは年令が幼
ければ幼いほど記憶が薄らぐのは仕方ありませんし、まして性的な目
覚めの前ならばそんなことに注意をはらうはずもありませんので記憶
がなくて当然でしょう。 中学校の体育では、当時は女子はパンティー型のブルマーが普通だった
下がズロースじゃ必ずはみ出すんじゃないかな
女子ではみ出してる子なんか見たことがなかったので
女子はみんなパンティー穿いてるんだと思ってた そういえば、小中高の女子生徒の体操着からブルマーが消えて久しいですね。
バレーボールのユニフォームもほとんどスパッツタイプに変わってるし。 ちょうちんブルマーにはズロースがショーツ型ブルマーにはパンティ
が対応している。今のスパッツとかハーパンは下着との対応性は関係
なくなっている。 ズロースは猿股にパンティはブリーフに対応している。ただそれぞれ
普及にはズレがある。普及は圧倒的に猿股が早く、ズロースは随分遅
れた。ところが戦後パンティが先行してブリーフ普及は後追いなった
が、児童の間ではブリーフがパンティ普及に先行したということだろ
う。そのためズロースが70年くらいまで女子児童の間に残っていた。 >>77
ズロースからパンティの移行は子供達への躾がやかましくなったが、
それまではズロースを丸出しにして遊んだりしていた。それは大人
も同じでズロース全盛時代は電車の座席で大股を開いたり、人前で
ストッキングを直したりしてズロースを人目にさらしていた。(当
時はパンストはなかった)それがパンティ時代になると大人も子供
も極力パンティを見せないようにやかましく言われるようなった。
今日ではこの点日本はイスラム圏を除いて最もやかまし国のひとつ
である。−それも女社会の自主規律みたいになっている。 >>77
ズロースからパンティの移行は子供達への躾がやかましくなったが、
それまではズロースを丸出しにして遊んだりしていた。それは大人
も同じでズロース全盛時代は電車の座席で大股を開いたり、人前で
ストッキングを直したりしてズロースを人目にさらしていた。(当
時はパンストはなかった)それがパンティ時代になると大人も子供
も極力パンティを見せないようにやかましく言われるようなった。
今日ではこの点日本はイスラム圏を除いて最もやかまし国のひとつ
である。−それも女社会の自主規律みたいになっている。 ズロースが欧米で普及したのは最初は窓拭きのメイドとか、踊り子み
たいな職業婦人か、上流階級の女性の乗馬や発明されたばかりで高級
品だった自転車に乗る時の為のものだった。それがだんだんいつも穿
いている下着になり、一般にもひろまっていった。
日本でも鹿鳴館以降も洋装だった上流階級の令嬢を除けばレビューの
ダンサーや舞台女優、市電の女性車掌、看護婦等の職業夫人やセーラ
ー服を導入した女学校でズロースが用いられるようになった。当初は
ブルマーでなくセーラー服のままで体育をしていた。当然ズロースが
チラチラするが当時はズロース自体が恥ずかしいものというより下に
穿くズボンという感覚だった。 東京市電の車掌達は洋服の制服を支給されてもズロースはもっていな
かったのでデッキで仕事をしていると風でまくれあがるし、冬など寒
風で非常に冷えるということで組合の要求でズロースを要求して勝ち
取ったとそうである。当時着物が一般的でズロースは高価でなおかつ
あまり売っていなかったのである。 当時子供の頃から洋装のご令嬢様はともかく職業婦人は仕事が終わる
と職場で女学生は家に帰ると着物に着替えていた。洋装自体がとって
つけたような付け焼刃的なものだったので、洋服から着物に替える時
に多くはズロースも一緒に脱いでいた。この点鹿鳴館時代と変わらな
かったのである。(出勤する時も勿論着物で職場で洋服の制服に着替
える。当然着物でいる時はノーズロである) 元々着物だった子が女学校で初めて洋服着て家に帰ると着物に着替えて
ズロースも脱ぐ、卒業したら着物生活にもどってズロースも卒業という
世代と幼児から小学生そして女学校も洋服、家に帰ってセーラー服から
私服に着替えてももちろん洋服、卒業しても洋服生活という世代では違
いが明らか。日常的にズロースを穿いている生活なのである。 着物からセーラー服に着替えるから(といっても朝は寝間着だが)
ズロースを穿き忘れる子もいたらしい。「ズロースを穿き忘れた
お嬢さんの話」という短編小説があったぐらいである。たしかに
正式な和装下着の腰巻や長襦袢とシュミーズ、ズロースを取り替
えていたらかえって穿き忘れはないかもしれないが、当時よくや
られた略してシュミーズで洋服だけでなく和服の下着も兼ねてしま
うやり方だとシュミーズはそのままで着物とセーラー服を取り替え
るだけでよく、あわただしい出かけにズロースをうっかり穿き忘れ
る危険がある。彼女らの世代はズロースを穿かないことになれてい
るからなおさらであろう。 テレビやファッション雑誌も無い時代の流行というものは
興味深いですね。人それぞれ用途を含め考え方や家の外と中で
組み合わせまで変わる。今の情報過多はかえって
女性の本意を苦しめているかもしれませんね
また、当時の流行に乗り遅れないように
一生懸命な人も多かった事でしょう。
それは今も昔もかわらないのかな?
それに、真新しいものなら同性同士でも
こっそり持って行く人も居たでしょうね(ニガワラ
セーラー服の歴史はズロース・パンティよりも
長いのは面白いですね今は、殆どの女子学生の制服は
ブレザーに取って替わってますが、なんか寂しい思いがありますね
ブルマなんかのようになくなってしまうんじゃないかな
とかおもってしまいます。(T_T)
おれが思いついたデカパンティもズロース似た形になるかもな(ワラ
日本でのズロースの歴史は今のパンティと比べると
年数なんかどうなのでしょう? ズロースは大衆化せず
流行はパンティが広く拡大したと言う事 ズロースは男の猿股に比べて大衆化に時間がかかったが、やっと大衆
化したっと思ったら、すぐにパンティが入って来て次第にとって代わ
られたというのがほんとのところ。 近年トランクスの復活さらにボクサーパンツの流行という形で猿股が
復活すること顕著であるが、一部だが女性用にもボクサー型が用いら
れている。これはズロースの復活とも言えるがあまり見栄えの良いも
のではない。なかにはミドル丈の男物みたいなものもあって萎える。 そう、かんがえるとパンティの普及に伴い
ブルマが普及しちょうちんからパンツ化でしょうか
ブルマの日本上陸が気になります。
あと、最近の陸上女子のユニホームは
やらしくてうれしい (とりあえずスマン ブルマーというのは米国のブルマー夫人が女性の衣服改良運動として膝下く
らいのスカートと裾をしぼったくるぶしまでのズボンの組み合わせの服着用
を提唱したが、珍妙な格好と男性社会の反発で10年もたずにやめてしまっ
た。ただしその後これを元にした女子体操服の原型が出来、やがて日本にも
紹介された。ブルマーという名はここに由来する。尚、女性の服は元来のく
るぶしまでの長いスカートの下に膝下までの長いズロースという形でズボン
型の穿く下着が生き残りやがて普及していった。 ちょうちんブルマーでも下がズロースだとハミパンする危険があった
し、実際している子がいた。下がショーツだとちょうちんブルマーな
らハミパンはなかったが。またショートパンツの学校ではズロースな
らしゃがむとハミパンどころでないズロースの股下部分丸出しだった。 >>103
あの、失礼ですが、おいくつの方でしょうか?
私らの世代では、同級生の女子にちょうちんブルマーやズロースの人はもういません
でしたが。 ピッタリブルマーが入ってきたのは東京オリンピックの女子バレーソ連チーム
からじゃないの。日本チームは緑のちょうちんブルマーだった。なんでも下着
みたいだとぴったりブルマーを日本選手が嫌がったからだそうだ。もっとも練
習用や地方巡業の試合では日本もぴったりブルマーを着用している。河西主将
のピッタリブルマーの写真を見たことがある。もっともあくまで試用で公式ユ
ニホームはちょうちんブルマーだった。五輪優勝の栄光がある為日本代表のほ
とんどの選手が所属する日紡貝塚の連勝記録がとだえるまでちょうちんブルマ
ーはつづいたと思った。メキシコ五輪では日本はややゆったりしたぴったりブ
ルマーを使用していた。 ピツタリブルマーはテレビのサインはVやアタックbPの影響で女の
子にも人気だった。学校で正式導入前に女子生徒が自主的に取り入れ
ることすらもあった。ピッタリブルマーが広まると共存不可能なズロ
ースは静かに退場していった。 昔の雑誌の記事に当時のスケ番グループがクラスのダサい女しめた時にスカ
ートめくったらちょうちんパンツだったのでさらに痛めつけてやったという
話があり記者は「それはズロースでは」と教えてやったというのがあった。
70年代に入っても女子高生でズロースというのはさすがにダサい。 ズロースからパンティに移行するのに
ブルマが一躍担っていたわけですな。
でも、ぴったりブルマーは下がパンティであっても
はみパンしてしまう事があったな(ニヤリ
学生服のスカート丈が短くなったのは
ブルマが絶滅して女子生徒が自らの足のラインを
アピールする機会が、スカートに
シフトしたのだろうか?
と思いを巡らせているのはおれ(自分)だけだろうか? ボクサータイプが増えているのも何かの役目なのだろう
短い丈のスカートをはけなくさせる作戦と考えるなら
ファッションも流行という商売の一環だろうし
知らず知らず、業界が金儲けしてるとそうなるんだろうな
長くしたり短くしたりは流行のツボだしな。 ボクサータイプは見栄えの点で劣る。いわばズロースの復活みたいなもの。
パンティラインが出ないようにしているのかもしれないが、完全の勘違い。
パンティラインは見苦しいどころか、むしろ魅力になっているし、ズロー
スみたいなもの穿いて見栄えを悪くするのは感心しない。 >>76
カットズロースは今でも一部の年配者に愛好者がいて、遠方から買いに来た
り、通販で取り寄せという人もいらっしゃるらしい。 >>111
変態を代表する貴重なご意見として受けたまわっておきます 三島由紀夫原作の映画「潮騒」の一番最初の作品でヒロインがでっかい
パンツ一枚になるシーンがあったがあれがカットズロースではないかな。
ズロースとパンティの過渡形態だと思う。 >>114
「潮騒」は5回映画化されていますが、どのコンビの映画ですか?
一番最初の作品ということは、久保・青山ですか?
潮騒 (1954年)
久保新治:久保明
宮田初江:青山京子
潮騒 (1964年)
久保新治:浜田光夫
宮田初江:吉永小百合
潮騒 (1971年)
久保新治:朝比奈逸人
宮田初江:小野里みどり
潮騒 (1975年)
久保新治:三浦友和
宮田初江:山口百恵
潮騒(1985年)
久保新治:鶴見辰吾
宮田初江:堀ちえみ 1954年ですね。小百合さんや百恵ちゃんでは、パンツ姿になってくれ
ないでしょう。そうそう小百合さんは結婚後に出演した映画でズロー
スの上からこすってオナニーをするシーンをとりましたね。 「青山は吹き替えなしで、パンツ1枚で背中丸出しの姿で演じている」
このシーンですね。
先日、映画「潮騒」(1964年)でヒロイン・宮田初江を演じた女優吉永小百合さんが、49年振りにロケ地だった
三重県鳥羽市の離島・神島(歌島)を訪れたのをニュースで見ました。ちなみに私は神島の対岸の出身です。 54年だと都会ではすでにパンティが一般化してるけど田舎ではその一
歩手前の形のショートズロースが一番進んでいるわけだ。 サザエさんのワカメがアニメでは小3設定なのにズロース丸出しなのは不思
議だ。さすがに小3だと常にパンツが見えていることはない。原作だとカツ
オの同級生もズロースがかがんだ状態ではなく、普通に立っている状態で丸
出しなのは驚く。おそらく原作者の長谷川町子さんが古い子供への固定観念
でそのようにえがいたのだろう。(60年代)もちろんリアルに小学四〜五年
生の子が常にズロース丸見え状態ということはない。長谷川先生もその点気
がつかれたのか後に修正していたがワカメの設定が原作では小1なのでワカ
メはそのままになっていた。 ちなみに長谷川町子原作意地悪ばあさんの主人公いじわるばあさんは
当初は腰巻着用設定だったが、途中からズロース着用設定に変わって
いる。洋服の場面が増えたからかもしれない。それに70年前後にな
ると都会では年寄りの間でも腰巻派よりズロース派の方が増えている
ことも反映しているのかもしれない。 中尾彬が訳知り顔で >>11 の白木屋の火事の話をしていた。 中尾のおじさん、ちゃんと若い人がわかるようにノーパンと言っていたが、
もちろんノーズロが正しい。若いタレントはノーズロと言ってもピンとこ
ないからな。 今はパンツを穿いてない状態をノーパンというが、かってはノーズロと
いっていた。現在ではノーズロとは実際にパンツを穿いていないという
ことよりも比ゆとして使っている。「彼らは原則も何もなくノーズロだ」
みたいに。昭和初期にはカフェでノーズロサービスというのがあったら
しい。元々客の悪さから身を守るためにカフェの女給がズロースを穿く
ようになったのをあえて防備をとっぱらうサービスしたということだ。 故春日一幸が非武装中立論を批判する時に言ったのが「ノーズロで
アパパのすっぽんぽん」であった。たしかにあっぱぱでノーズロは
心配だというふうになるが街頭演説としては下ネタで下品であった。 昭和初期にレビューガール(ダンサー)が金曜日に舞台でズロースを落とす
という都市伝説があったらしい。真相はダンサーがしていたさらしが落ちた
だけだったらしいが事態を重く見た警視庁はズロースを落とすことを厳禁。
他に肉色(ベージュ)のズロースを禁止ーノーズロとまぎらわしいからー
股下二寸(6p)以下のズロースも禁止を言い渡した。 警察はカフェの女給にもノーズロサービス禁止を通達したらしい。かな
らずズロースをはくようにと。共産党弾圧時には女性党員がズロースを
着用すると女のくせしてと拷問を強化したのにわずかの間に変化したも
のだ。その後白木屋事件もあったが中国で抗日闘争の一環として和服女
性の着物のまくりあげが衝撃を与えたらしい。着物を腰巻ごとまくりあ
げられて尻が丸出しにされて大恥をかかされる大和なでしこが続出した
のである。そこから現地の女性はズロースを穿くべしとなり、さらに戦
局がきびしくなるなかで銃後の守りとしてズロース、モンペの二重の防
備が本土でも奨励されるようになったわけだ。 米軍に占領された時若い世代にはズロースが広まっていて良かったわ。腰巻
のままだったら日本は未開国と思われるものな。ぎりぎり間に合ったという
感じ。 子供の時女の子達は、ズロースにスカートをはさみこんでゴム飛びとか、
まりつきとか鉄棒とかやっていたな。ズロースが丸出しにならないよう
にしていたのだろう。まりつきの時に何かの拍子にスカートがはずれて
ズロースがむき出しになっている子がいた。また鉄棒でスカートとかか
まわずやっている子がズロース丸出しで夢中でくるくる回転していた。
ショーツの子が同じようにスカートをはさみこんでもショーツの底が見
えている状態でゴム飛びやっていたのはおかしかった。 昔の女の子は道路にロウ石で絵を描いて遊んでいた。その際大股開きで
ズロースを丸出しにしていた。少数のショーツの子も同じようにしてい
たが、ショーツだと恥ずかしいのがだんだん意識されるようになったの
か、ショーツの方がだんだん増えていくにしたがって大股開きも慎むよ
うになった気がする。 大縄跳びで最初パンツにスカートをはさまなかった女子達がパンチラ
しまくりだったが、途中で男子が見ているのを意識してパンツにスカ
ートをはさみはじめたが、ズロースの子はよいがショーツの子はうま
くはさめずにスカートを手でおさえながら飛んでいた。 戦後間もない頃の引き揚げ者の支援目的のダンスパーティでズロース丸出し
で回転して踊っている女性の写真を見たことがある。 ↑
やはりこの場面でパンツ見えていないと不自然だよなという場面で
しっかりパンツを見せる、しかしそこはショーツではなく、ズロース
というところが名人芸だね。見えてもいやらしくなく描かれている。
逆に個々は見えているとしたらショーツという場合はパンツを見せな
いように描く、このくらい気を使っているわけだ。 ズロースだとほのぼのとしているから安心なんだろう。 中学時代に体育館に学年全体の生徒が集まって何かの打ち合わせで床
にすわっていたら五十歳くらいの女教師がパイプイスにすわって同僚
と談笑しているのだが、ズロースが丸見えであった。それに気がつい
た生徒達はオェーとなっていた。本当に不気味な風景だったな。 小5の時、校長室を掃除当番で雑巾がけしている六年女子が大股開きでなぜ
か全員ズロース丸出しで滑稽であった。冬だったからか、それともたまたま
みんなズロース愛用なのかひとりもパンティがいなかったのを覚えている。 冬にショーツの上から毛糸のパンツを穿くと皮膚に毛糸のパンツがふれ
てチクチクして痛いそうだ。だからズロースの上に面積の狭いショーツ
型の毛糸のパンツを穿くとのこと。 ずっと昔都内の某所を歩行中、うだるような暑さのなか、婆さんが
シュミーズ姿で家の中をうろうろしているのが道路から丸見えなの
だが、シュミーズが透けててズロースがばっちり浮き出ている。
それが股下が股と膝の中間の長さだから暑苦しそうだった。夏くらい
もっとショートなズロースにしとけばよいのにと思った。 昔は暑い時期には透けないシュミーズでズロース脱いで涼んでいた
婆さんがいたそうだ。若い頃か少なくても子供の頃はズロース穿い
ていなかった人は、ノーズロに抵抗感は少ない。 1960年前後の写真で小学生の集団がシュミーズで涼んでいるのを見た
ことがあるが、全員ズロース丸出しでも平気で下に穿く短パンくらい
の感じなのだろう。たださすがにノーズロというのはありえない。 自分が小1〜小2くらいの時にクラスの女子が友達の家の二階で遊ん
でいる時の話。夏休み中であまり暑いのでスリップ姿でいても苦しか
ったので、どうせ自分たちだけで誰も見ていないのだからとズロース
を脱いでスリップ一枚のスッポンポンで遊んでいたと聞いたことがあ
る。ただひとりショーツの子はそんなに暑くないとパンツは脱がなか
ったそうだ。ただし後で話し盛られたという気がしたのを覚えている。 子供の時に入院していた病院の非常階段に出たら、洗濯物の干し場があって
不思議なことにズロースはズロースでパンティはパンティで固まって干して
あった。病室が年代で固まっているのか、それともごちゃまぜにならないた
めなのかなと思った。 会議で泊ったホテルで皆で廊下を歩いていたらドアが全開でおばあ
ちゃんが、らくだ色のズロース姿で着替えをしていた。みんなえら
い物見せられたと閉口していた。 子供の頃には女子が鉄棒でズロース丸出しになってくるくるまわっていた。 昔中年用に薄手のズロースがはやったことがあった。あれはなんだった
のだろうか。 シュミーズにはズロースがスリップにはパンティが対応する。腰巻には
長襦袢だな。 ズロースをはじめ女のパンツのことは、朝日選書「パンツが見える。」
(井上章一)がくわしい。 小5の時六年生の清楚で美少女の児童会会長が体育館の舞台の上にいたので
地下倉庫に通じる階段の途中から見上げてスカートの中をのぞいたら、パン
ティだと思ったら白いズロースだった。やはりまだ子供なんだと思った。 ↑
白いズロースというのが定番だけれど昔は黒いズロースというのもあった。 年代的なギャップなんだろうか
画像を見ても興奮しないし色を想像しても
今一、ピンと来ないな。(下着なのにな)
おんながリアルタイムではいてるのを見かけたら
刷り込み的に興奮するのかも知れんけど
まあ、好みもあるかもしれないけど スレ違だけど
ジョギングなんかで流行ってる。ランスカもかわいくていいのう ズロースに興奮するというのは、ズロース世代の人でしょうね。
パンティが普及した後の世代にはズロースは見えてもほのぼのして
いたり、滑稽だったりするだけ。見えてドキッとしたりするのはパ
ンティ。ズロースとパンティの中間のカットズロースも見えてもた
んにパンツが見えたというだけで興奮するものではない。 今はズロースて興奮しない下着の代名詞になっているよ。AKB等アイドルも
売れる前はショーツ型のみせパンだが売れ出すと四角いパンツになるとか、
アスリートがブルマーやアンスコを嫌がってボクサー型のパンツにするとい
うのも興奮させないパンツ=ズロースという流れと一脈通じるものがある。 ただ、ズロースがチラ見えする丈のミニスカートを
はいてる女性の光景は、どうだろうか感慨深いな… アイドルのミニスカの下穿きはドロワースと言っているみたいだ。
フランス語でももひきという意味でズロースの語源になっている。 映画「風と共に去りぬ」でヒロインらが股引みたいな長ズロースで
昼寝するシーンがあった。後のシーンで踊り子達が膝上のズロース
で踊っているのを知っている、クラーク・ゲーブル扮する相手役が
そんな長いパンツ穿くのはやめろと言っている場面もあった。 モノクロームの活動写真の直後に
@・A・Bとカウントアップして声が入る映像文化
女性の下着を撮るのは斬新というか大胆ですよね
ヒロインは何とか・オハラでしたっけ? 風と共に去りぬは、カラーですよ。
スカレーット・オハラ。 スターレットじゃなく、かごんまでもなく
スカーレットでしたか。。。
しかもカラー、失礼いたしました 西部劇では結構ズロース姿が映し出されている。ズロースだとハードルが
低いのだろう。 子供の頃近所のおばちゃんの物干しに干してあったズロースのでかかった
こと(苦笑) 「八重の桜」の八重も新島八重になって洋装の時はズロース穿いたのかね。 昔の紀行文で長野の善光寺の本堂の地下が真っ暗なのだが、そこで
知り合ったばかりの女のスカートをまくったら何も言わない。さら
にズロースを引きずり下ろしたが何も言わない。そこでやらしても
らったが、戦前にもあんなとぼけた女がいたのだなと感慨していた。 昔、旅の途中で熱を出して田舎の家に止めてもらったら、まじないだ
と言ってその家の老婆がズロースを顔のところでバタバタやるものだ
から臭くて平行していたら、婆様が言うのには「これは娘っ子の猿股
だ。だども腰巻の方が効き目あるんじゃが」とのこと。若いもんの下
着でないと効き目がないらしい。−昔こういう話を読んだ記憶がある。 敗戦直後の時代、夫の復員を待つ奥さんが湯上りに部屋でズロース一枚で
涼んでいたところ、隣の家の男が入ってきたので、あわてて布団で隠した
がはぎとられしまい。逃げようとしてところをつかまって体勢が崩れてし
まい防ぐことも出来ずあっけなくズロースを脱がされてしまった。あやう
く犯されるところをそばにころがっているとっくりで男をなぐったら男は
戦意を喪失して出て行った。その間に奥さんは急いでズロースを穿いて難
をのがれたという体験談を読んだことがある。 男は隣家の奥さんとどういう
人間関係を築いていきたかったんだろうと
想像した。 戦争は嫌だよなぁ…
戦争とズロースか 本日9月1日は関東大震災から90年。関東大震災の後ズロースの
着用の必要性が一部で叫ばれたが、結局浸透しなかった。和服中心
の生活ではズロースは普及しなかったのである。 戦後まもなく住宅事情が極端に悪く、やっと借りれたアパートの一室に他人
も同居していて、ろくに間仕切りもなく夜の生活も困ったという話があった。
ようは「同居人」が寝たのを確認するまでズロースも下げれないということ
だったらしい。それにたぬき寝入りしているかもしれないし。 子供の時に銭湯で婆様二人が談笑しながらズロースを穿いていたが、その
ズロースまるで肌色の猿股みたいな奴でしかも股が割れている。不思議な
気がしたが後に和装用のズロースということがわかった。 昔、婆さん達が風呂屋に入る時和服で腰巻の婆さんは、例外なく帯
をといて着物の前をはだけると腰巻を先にはずしていたな。着る時
も着物はおってから腰巻をつけていた。腰巻一枚でくつろぐ婆さん
見たことない。江戸時代の浮世絵を見ても同じだ。(若い女だが) 婆さん達も着物の下がズロースだと脱ぎ方は分かれる。着物の前を
はだけるとズロースをさっさと脱いじゃう人とズロースを最後に脱
ぐ人に分かれた。着る時も同じ。ズロース一枚でくつろぐ人もいる。
最初にズロース脱ぐ人は腰巻時代からの延長だろう。アンダーシャ
ツを着物の下に着ている人は着物を脱いだ後にシャツを残して先に
ズロースを脱ぐ人もいる。むろん順番に上から下に脱ぐ人もいる。
パンツ一枚という姿は避けたいという心理があるようで、その伝統
的心理は、今日の若い世代の一部にまで引き継がれているようだが。 そういえば着物の前開けるとさっさとズロース降ろしちゃって
それから着物脱いでババシャツ姿でスッポンポンのやや小太りの
ばあ様達を見かけたな。着る時はその逆で結局ズロース姿をさら
さないわけだけど、上だけ着て下スッポンポンのが恥ずかしいと
思うがな。 子供の頃、小学校高学年の清楚美少女系の姉妹と風呂屋で一緒で二人とも
見られている思って、もじもじしながら、シュミーズを脱いで、そこでズ
ロースを脱ぐのをためらっていたが、脱がねば風呂に入れないので仕方な
く姉妹顔を見合わせながらズロースをゆっくり脱いで、そっとズロースを
かごに入れた。その間二人はまだ毛が生えていない恥部を手で隠しながら
体面を保とうとしていたが、隠し切れずに恥部がチラチラしていた。二人
は終始恥ずかしそうにうつむいていた。 なつかしのって、今でもズロースは現役で売ってるぞ。 昔は女達はズロースを穿く時、しっかりと穿くために屈伸運動みたいにし
て穿いていたな。その影響はパンティ時代まで残っていて屈伸運動みたい
にして穿いていた。やがて最初からパンティの世代がそんな屈伸運動など
しなくてもしっかりと穿けているのでそれを見た上の世代も屈伸運動をや
めてしまった。男がブリーフを穿く時に屈伸運動なんかしないのと同じ。
ズロース特にちょうちん型のそれは裾にぶっしりしたゴムが入っているう
えにゆったりしているので屈伸運動をしないとしっかり穿けないのだ。 そういえば女子たちはズロースを穿く時に屈伸運動みたいなことしていたな。
大人たちもパンティ穿く時に同じような動作していた。最近の女性は確かに
そんなことしない。 四十年前の女性はビキニパンティでも屈伸してパンティ穿いていた。それが
必要だと思いこんでいたのだろう。もっとも今でもパンストやガードルは屈
伸して穿いているようだ。 腰巻て元々みんな白だったが娼婦が赤い腰巻をするようになり、それが一般
にも広まったそうだ。 大阪夏の陣の絵巻に城から抜け出した女中が敵兵に腰巻一枚にむかれている
場面があったが、腰巻は白だった。 腰巻とふんどしは日本の下着文化
腰巻はスカート直穿きノーパンスタイルと似とるな 昭和初期には都腰巻という履くスタイルの腰巻が広まった。元々の腰巻は
巻きスカートみたいな感じだが、都腰巻はペチコートみたいなものだ。まあ
両方とも股部分がないスッポンポン形式には変わりがないが。 さらに進んで都腰巻のなかに股を覆う布が備わっている物もあったそうだが
そこまで行くとズロースを着物の下にも穿くようになるから、普及しなかっ
たようだ。 江戸時代の浮世絵で銭湯の女達の姿を描く時、着物をはだけてから先に腰巻
をとってしまう。着る時も先に着物をはおってから腰巻をつける姿ばかりだ。
実際は風呂場の脱衣所で腰巻一枚の人もいただろうが、どうも多数派は腰巻
姿にならない人だったみたいだ。女性はこういう時は右にならえの人が多い
からな。どうも江戸初期に風呂に入る時は湯文字という入浴専用の腰巻をつ
けたため、入浴前に着物の下で普段の腰巻と湯文字を着替えた、風呂からあ
がった後も着物を羽織ってから逆のことをしたなごりのようだ。その後は湯
文字をつけず、全裸で風呂に入るようになっても着物の前に腰巻をとってし
まう習慣だけ残ったといわれている。 白い腰巻だと汚れが目立つし、赤い腰巻だと当時性交の時腰巻をつけた
ままということが多かったというから、性交の為の着衣みたいで赤い腰
巻一枚の姿だと生々しいという心理もあったのかもしれない。尚、当時
の貧しい時代でも腰巻の着用率はほぼ100%だったそうだ。また普段着物
下から腰巻が見えていても全然うろたえなかったようだ。むしろ色っぽ
いとされた。それどころか作業の時は着物をはしょって腰巻を丸出しに
していた。 素人は腰巻つけたまま性交をする人が多かったそうだが、遊女は逆に長襦袢
の前に腰巻をとってしまうそうだ。遊女は嫌な客からのがれる時、腰巻の裾
をつかまれると捕まってしまうから、腰巻の紐をゆわかないで、布をはさんで
おくだけとのこと。こうすれば嫌な客が寝たまま腰巻をつかんでもスルリと
落ちてトカゲの尻尾切りのように逃げられるからである。だから紐をゆわいて
ないから性交の時もすぐほどけるのでさっさとはずしてしまうのだ。 問題は紐をゆわかないとはずれやすいことだ。ある花魁は花魁道中の最中に
腰巻が落ちそうになって、こらえて横道に入ってそこで腰巻が落ちたので羽
織をかぶせて目だないように拾ったそうだ。見ていた人達は気がつかなかっ
たふりをしてあげたそうだが、太夫の対処は見事だったとほめたそうな。 昔、女が袴をつけていた頃、下袴または肌袴という膝上までの穿く下着があ
ったそうだ。中国や朝鮮でも同じようなものがあるから、そちらの影響かも
しれない。ただ高温多湿の日本では不快なので、女が袴を着けなくなるとと
もに(あるいはその前に)姿を消したということだ。もしこの話が正しけれ
ば日本にも和製ズロースみたいな物があったということになる。 1930年代半ばには米国ではブリーフを売り出していたそうだ。女性用の
ショーツはもう少し早そうだが、遅くともブリーフと同じ頃には発売さ
れていただろう。ところが日本ではようやくズロースがこの頃本格的に
普及し始めた頃だ。この落差が社会の発達の差を表している。かの国と
は一時が万事こういう感じだから戦争に負けても仕方なかったのだ。 大河ドラマ八重の桜に登場した大山捨松は10年間米国に留学していたので
筋金の洋装にて、しっかりとズロースを穿いていただろう。 太平洋戦争中に占領地の大都市、マニラ、シンガポール、香港あたりでパン
ティを見つけた人間が休暇か出張で一時帰国した際に土産でパンティを買っ
てきたりしたのでは。兄貴が土産で買ってきたパンツをドキドキして広げて
見たら女性用ではなく、ブリーフだったという笑話もあった。 奥さんへのお土産でパンティを買ってきても、当時の女性は穿くのちゅうちょ
したのではないのかな。ズロースが広範囲に普及して10年もたっていないで
しょ。なかには腰巻からズロースに変わって数年という人もいたはず。いきな
りパンティは抵抗あったのでは。やはり占領軍が大量に持ち込んだ戦後になら
ないとね。 戦後まもなくのフランス映画だったか、女たちの着替えの場面でかなりでかい
パンツだったが、白や黒のパンティ姿になっていた。また同じく戦後まもなく
のアメリカの報道写真で飛び降り自殺の女性が落下して来る瞬間の撮影なのだ
がパンティが丸見えになっていた。欧米ではパンティがすでに一般化していた
のだろう。 第二次大戦の開始となるドイツのポーランド侵攻の際、首都ワルシャアへの
独軍砲爆撃の犠牲になった婦人の遺体の写真を本で見かけたが膝までのズロ
ースがスカートからのぞいていた。悲惨な写真だが当時は長ズロースがまだ
一般的だったのだろうか。開戦は9月だったがワルシャワに独軍が迫る頃に
は東京より緯度が高い地方だから寒い気候になっていたのかもしれない。 子供用にズロースがかなり売られていた時代でも、中学生以上になると
大人用に代わっていくから、大人用はパンティがほとんどになるので
必然的にパンティに移行せざる得なかった。その代わりセーラー服に
なってスカートが長くなるし、私服でもスカートが長くなるというこ
とでパンティへの移行にも親は安心していた。すぐにミニスカが大流行
するとも知らずに。 おばあちゃんは布巻いていたよ
腰曲げて立ちションをケツ出してしていた 昔は海や川で水着がない時はシュミーズとズロース姿で水遊びをしたという。
子供だけでなく母親も一緒に同じ格好で遊んだ。 バルテュスという画家の大家が書いた少女の絵では第二次大戦直前には、
すでに欧米ではバンティを穿いていたことがわかる。日本では都市部を
中心にやっとズロースが若年層に定着した頃だ。正直日本の後進性が
ショックだ。 NHKの朝の連ドラ「ごちそうさん」で主人公の義妹がアナウンサーに
なって、所謂モダンガールで洋装となり、この時点でズロース着用者確定。
主人公は和装のままなので当然ノーズロのまま。 ごちそうさんで宮崎美子演じる主人公の義母が戦後急に洋装になるが、
ズロースも同時に穿くようになったであろう。 主人公(杏)も着物の下にズロース穿いていたかもしれない。 朝ドラも新ドラマになった。主人公は明治の人だし、こちらはノーズロで
通しそうだ。 花子とアンの主人公の同級生が洋装の編集部員になって、ズロースを穿くよう
になったのだろうな。 平安時代から和服用の股割ズロースがあったというけど本当かな?
旅先の山中などのトイレがまったくないような場所でも
クナイで地面にトイレ用の穴さえ掘れば
周囲からの他人の目がある状況でも支障なく用が足せたとか
同様に
戦国時代の袴は股割れになっていて
甲冑を着て袴を履いたままでもトイレが可能だったとか
脱いでたら戦争にならないからね
最近トイレの盗撮対策で
股割れズロースの良さが再認識されて改良タイプも開発されてる
試してないけどエッチもしやすい? >>201
そのとおり
肌袴というのが平安時代からあるとされる伝説の?和製ズロースの名前
神功皇后を輩出した息長一族の社家の巫女様達は今も履いているが
近年のハイテク新素材の登場で、どんどん機能が進化しているらしい >>196
古い時代の日本の風呂には湯船などありませんでした。
風呂という言葉に水に関連する文字が使われていないことからも分かるように、
昔の風呂は海藻や薬草や水分を含ませた香木を焼けた岩の上に乗せて
蒸気とフィトンチッド(精油)を浴びる蒸し風呂で、
しかも服を着た状態で大勢で入る健康法でした。もちろん男女混浴。
アロマセラピーを目的とした蒸し風呂に入るときに着ていた帷子(カタビラ)から
温泉などで入浴のときに着る湯帷子(ユカタビラ)が派生して、
やがて浴衣と呼ばれる着物へと発展しました。
つまり日本人はもともと、着物を着た姿でお風呂に入る慣習を持っていたので
湯船に入るときに下着を脱ぐ習慣自体が新しい文化なのです。
今でも神社の神事を担当する巫女達は
湯帷子を着たまま禊(水に入って体を清める儀式)を行います。
巫女萌えマニア達が露天風呂や滝壺で待ち構えて盗撮しようにも、
裸はおろか下着姿すら撮影不可能です。
ただし、入浴や禊の前後に着替えるのを手伝う付き人達は、
巫女の裸を毎日のように見放題です。
隠しもしないので、男性の付き人達は裸を見ても何の感慨も湧かないようです。 「花子とアン」に出てくる主人公の友人醍醐さんも洋服が鹿鳴館のような
スタイルから現代に近いようなものに変わって、ズロースも膝上くらいの
ものから、ちょうちんブルマのような形に変わったのかな。花子と白蓮は
着物で通しているのでノーズロの腰巻か? 戦局が厳しくなり、もんぺを穿くようになって、それまでズロースを
穿かなかった人にもズロースが広まったそうだ。もんぺにより穿く文化
が普及したからだとのこと。 新しい朝ドラのヒロインは、スコットランド人の設定だから、当然ズロース
を穿いている。 安倍ちゃん戦前レジームに戻したいみたいだから、ズロース、腰巻復活だなw 朝が来たのあさは着物の時は腰巻で、洋装の時はズロースか?
とと姉ちゃんは子供の時は着物で腰巻、女学生の頃は洋装でズロース、
戦後はパンティか、これは凄いわ。 >>221
脱がさずに下からすぐにできるという点では昔は着物用しかなかった
おしっこが楽にできるということは当然あっちもできる
特に婦人が着物の時にはく着物用ロングガードルは縦に開くためエッチさ抜群
きついガードルがいやな向きにはフレアパンツのようなのもある
晴れ着でも後ろからできるのは昔から知られている 古いエロ本の着物プレイで見た。開くところにフリルがありそこだけ洋服チックなのが印象的。形はロングガードルで着物用はパンツなしではく。ただこの構造だとおしっこはできてもウンチはできない。昔は着物だけでなく浴衣でもこのタイプ。今は普通のパンツがほとんどでは? つまらないなー
確かに専用の下着ははかないのかもね
縦開きをはいていればゆかたや着物をうまくまくり上げるだけで下からやれる 着物用の縦開きガードルはきつきつのロングガードルがほとんど。冬には膝までの長いのまである。構造的には着物をまくりあげ、しゃがんで前を少しずらすだけですぐにおしっこができる構造。
ただし、はいたまま下に向かってするため慣れないとうまくできない。 女は完全にパンツを引き下ろさないとしゃがんでもおしっこはできないものらしい
なんというかおしっこのスイッチが入らないんじゃないか
だからうまくできないのだと思う はいたままするというのは普段とは違うんだろうな。それ用のパンツはお股のところがはずれて大きく広げることもできるが、それ用のガードルは少し開くだけでお股のところははずれない。 >>231
嘘をおっしゃいw
お股の所にフリルがついてるのを知っているのは経験者しかいない
ただやれなくても隙間からなめさせてもらったりということはみんな結構やっているはず
晴れ着の時に脚を開かせてなめるから興奮するわけです ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 下着買い放題のネットかね副業収入さいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
33SSF >>238
馬鹿野郎今まで1000万以上年金を払ってるんだ。それを耳を揃えて返してから言え
ベーシックインカムなんて怠け者の妄想だ
働けクズ働かないなら今すぐ死ねできるだけ苦しんで http://mao.5ch.net/test/read.cgi/underwear/1457759613/70
703枚セットで774円2017/10/08(日) 15:52:07.17ID:vk4upW0n
24: ◆Dq0510MAKI 10/08(日)15:38 ID:ayQ3NpuT0
Dでは買いそびれたけどAmazonで買えたわ
ラッキー
(限定特典:蓮実クレアの直穿きパンティと直筆サイン入り着用証拠チェキのセット付き)(初回限定) /BAZOOKA(バズーカ) [DVD]
├ \1,582
├ 数量: 1
├ 蓮実クレア
└ 販売: Amazon Japan G.K.
支払い方法:
└ クーポン・ポイント
やったー安くておパンツチェキ付き
限定30だから
902: ◆Dq0510MAKI 2017/10/29(日) 13:02:31.34 O
DVDの特典のおパンツは入れてあるビニールの袋の匂いしかしない
開ける時に鼻をビニール袋にくっつけて思い切り意気すったから間違いない
アダルトオークションのじゃないとダメじゃないかな
でも上下セットばっかりだからあの巨乳の方とはサイズが合わない
だから特典のおパンツしかない
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1508073706/902 デパートの通販カタログで、和装のための股割れショーツを
見たことがある。
裾は1分丈だったはずで、脱がずに小用ができる。
名称はパンティーでなくショーツの名称だった。 うちの姉貴、成人式の晴れ着の中に真っ白な股割れショーツを穿いていったな
後日洗濯物で干してあったので気付いた
うまく用を足せたのかな
懐かしい昭和の話 寒くなったらズロースを穿きたい
先日、赤ズロースを買ったので >>243
そこから指を入れて指についた匂いを嗅いで楽しんだり、なめてその娘の味をみたりするのは結構みんなやっているよ
ただし夏の浴衣は普通のパンツばかり パンティは全部捨てて、ズロースにする事にしました。 ズローズの良さを知ってから、パンティに戻れなくなった。 自分に限って言えば、ズロース生活が当たり前になったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています