なつかしのズロース・腰巻
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猿股やふんどしのスレがあるのにズロースや腰巻のスレがなかった
ので立ち上げました 2
うちの近くの某大衣料品店に手書きのPOPで「ズロースあります」とあった。 最近は腰巻をする人は少なくなったというか洋装化したから当たり前だ。
着物の時ですら一番の下の下着ではなく、パンツの上に着けるペチコート
みたいになっている。 昔婆さんが洋装なのに腰巻を捨てられなくてズボンを穿く時腰巻を折ってズ
ボンを穿いていたという目撃談を聞いたことがある。男でも洋服なのにふん
どしだけは最後までこだわっていた人と同じだ。 うちの施設に来ている80代のお婆さんは、
「わて、短いのはあきまへんのやわ。毛え、はみ出しますやろ。
ズロースが、やっぱええんですわ」
と言うのが口癖だ。 さすがに今は一番下の下着が腰巻というのは年寄りの芸者等の特殊な
人くらいだろうな。 80代の婆様達は一見ズロース世代みたいな気がするが元はみんな
パンティを穿いていた世代だからな。 年寄りは冬はおへそまでのショーツと長ズロースの重ねばきだろ。 お婆さん達が若い頃は戦後の物のない時代で、あり合わせの布地を使って、自分で
ズロースのようなものを作っていたそうだ。
ズロースは売ってはいたが高級品で、まだ一般には普及していなかったようだ。
ここ、関西の片田舎では、ババシャツ、ズロース、バッチは婆さんの三点セットと
呼ばれている。バッチとは股引のやや長めのもの。 戦時中は他の衣料と同じでズロースも衣料切符と引き換えの配給制みたいな
ものだった。だから戦後の物資のない時期にはカーテンの布などで自家製の
ズロースをぬったりしていた。 そう、白木屋デパートの火災(1932年)以降、ズロースの着用が普及したという
まことしやかな話があるが、これは事実ではない。
噂話の火元は白木屋の専務の談話らしい。詳しくは「白木屋ズロース伝説」で検索
を。 白木屋事件はズロース普及の一契機にすぎません。結局洋装の普及の進行が
ズロース普及の進行に直結したということでしょう。幕末維新期にズロース
が紹介されましたが、外人に嫁いだ人か女子留学生くらいしか洋装はしませ
んでしたからズロースもその人達に限りました。鹿鳴館時代も洋装する時だ
けズロースを着けて普段の着物の時は腰巻に戻るという生活でした。大正期
までは一部の上流階級婦人以外は洋装はしませんからズロースの普及もその
人達に限りました。これは女学生のセーラー服導入、都市部の女児の洋服化、
モダンガールの出現までズロースの大衆化はなかったということです。白木
屋事件は洋装化過程の途中で起きた事件と言ってよいと思います。 広瀬正のSF小説「マイナス・ゼロ」には、この白木屋の火災のエピソードが使われている。
偶然にも昭和7年の世界に来てしまった俊夫は、現地でレイ子という恋人ができる。
彼女は白木屋百貨店に勤めることになるが、火事に巻き込まれて亡くなってしまう。
そんな俊夫に知り合いの大工のカシラが慰めて言う。
「白木屋で死んだ女の人は、ズロースをはいてなかったんで、窓から落ちたんだってね。
救命ロップかなんかを伝って、もう少しで助かるとこだったのが、下で野次馬のやつらが
騒いでるもんだから、つい着物の裾を気にして、ロップにつかまってる手をはなして…」 白木屋火災は、ズロース普及に言われている程直結していないが、この話の
おかげでズロース普及の話を進めやすくなったのは確かでしょうね。「ほら
例の白木屋の火事で・・」とずっとこの話は使われたと思う。 70年代のデパート火災ではミニスカートでロープにて脱出した女性達がパン
ティが丸見えでニュースを見た翌日の学校ではその話でもちきりだった。 生きるか死ぬかの時には裾の乱れなんて構ってられない、着物ままなら旧世
代の人はノーズロのままだったみたい。NHKの朝ドラの「カーネィション」
でやってたみたいにデパートが洋服の制服を採用することによってズロース
も着用した。「カーネーション」ではズロースのことはふれていなかったが。 鹿鳴館時代は舞踏会の時だけ上流階級の人が洋装してその時だけズロ
ースを穿いたが、中には腰巻のまま洋装してつまづいてひっくり返っ
た時赤い腰巻がむき出しになって大恥をかいた政府高官の夫人がいた
そうだ。それからはしっかり洋装の時はズロースを穿くことになった。 日露戦争の頃の看護婦て白衣に白の山高のナース帽という洋装だが、
下着は腰巻のままだよ。先日雑誌でそういう春画を見た。 ズロースで思い出すのが、日本指圧協会元会長の浪越徳治郎さんが、かつてテレビ番組の中で話していたエピソードだ。
1954年(昭和29年)、マリリン・モンローが新婚旅行で夫のジョー・ディマジオと来日した際に、胃痙攣(けいれん)で
体調を崩したという。注射嫌いのマリリン・モンローために医者に代わって呼ばれたのが指圧師の浪越徳治郎さん。
その時モンローは素っ裸でベッドに横になっており、「ノーズロでした」と例の助平そうな笑顔で語っていた。 モンローはズロースではなく、パンテイをはいていたけどね。有名な地下鉄
通風口のシーン。 淡谷のり子はブルースの女王と言われていたが地方では「ズロースの女王」と
あやまって書かれたそうだ。 生理用ズロース… クロッチ分だけ、薄いゴム付きで2重にできてる ズロースとはフランス語のドロワーズすなわち西洋股引から来ている。
あのフレンチカンカンの下穿きが思い浮かべて見よう。 72歳ジジイが66歳ババアのパンティ盗む!!!!!!!!!!!
女性下着が自宅からザクザクと…“窃盗男”を逮捕
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20130425-00000023-ann-soci
千葉県八街市の無職・七五三隆容疑者(72)は3月、千葉市の住宅に侵入し、軒下の
洗濯物ハンガーに干してあった66歳の女性の下着1枚を盗んだ疑いが持たれています。
通りがかった人が犯行を目撃し、逃走する七五三容疑者の車のナンバーを通報したということです。
七五三容疑者は「どんな人がはいていたのか想像して、楽しむために取った」と容疑
を認めているということです。七五三容疑者の自宅からは約70点の女性用下着が見つ
かっていて、警察は余罪についても調べています。
↑
66歳のパンティ派手だったんだろなw
読売の地域版には
『自宅からは、家族が知らない女性用下着が約70枚発見されており』の一文があったw
家族と同居なんだ。で、妻か娘か知らないけど一枚一枚『これ、あなたの?』って確認されたのか。
72歳のジジイとしてはこれは恥ずかしいw
逃亡の恐れがなくて自宅に帰されて書類送検で済んだ所で今後の針のむしろ状態を思ったら
余生は刑務所で過ごしたいんじゃないか?w 70代のジジイだからズロース世代と思われるかもしれないが、この
爺様の若い頃にはすでにパンティ時代になっていたからな。まだズロ
ースは残っていたけどね。 この前テレビで昭和36、7年頃の映画をやってたのでチラッと見たのだが、
中に風呂屋での入浴後のシーンがあって、30代ぐらいの中年女性がはいてた
のが、すごいロングサイズのズロースだった。 都会と地方によってズロースからパンティへの移行時期は微妙に違うからな。
それに都会でも若い女性はともかく中年女性だと春夏秋はパンティだが、冬
は長ズロースなんて時代もあった。今の高齢女性だと冬はショーツと長ズロ
ースの重ね履きにしているだろうが。 雑誌で見た古い写真で干し物の旦那のパンツが初期のブリーフなのに
カミさんのパンツは長いズロースというのがあった。早い時期にブリ
ーフを穿いているから比較的若い人だろう。その奥さんだからやはり
若い人だと思う。そういう人でも冬は長いズロースを穿いていたわけ
だ。暖かい季節にはパンティなんだろうが。 下着デザイナーの鴨居羊子がスキャンティを発表したのも当時の女性が若い
世代でも春夏秋はパンティでも特に真冬は長いズロースを穿いていたりした
ので、オシャレな下着のあり方を問題提起したのである。もっともスキャン
ティといっても後のスキャンティに比べると普通のビキニパンティくらいか。 >>21
淡谷のり子
「えっ、私がズロースの女王? こりゃ、たいしたたまげた!」 世代によって
1、一生腰巻で過ごす。
2、腰巻からズロースに移ったが結局パンティは穿かなかった。
3、腰巻→ズロース→パンティと移った。
4、腰巻は経験せず最初からズロースで後にパンティに変わった。
5、最初からパンティ。
という5パターンがある。 昔はズロースとパンテイがババアかどうかの分かれ目だったな。今で
は相当高齢でもパンティ穿いている。 昔おばさんのパンティデビューというのがあった。それまでズロースだった
のが、風呂屋で同世代の人がパンティを穿いているを見たり、夫に勧められ
たりしてパンティに変わって行ったのだ。 当時住んでいた家の隣のおばさんの洗濯物のパンツがズロースからパ
ンティに変わったのを思いだした。40年前の話だけど当時は女性も
物干しざおにパンツを堂々と干していた。 ズロースにはちょうちんブルマーみたいなタイプと猿股みたいな
タイプがあった。子供たちは前者が多くおばさんや年寄りは後者が
多かったような気がしたが大人用にもちょうちんブルマーの丈が長
いやつがあった。 ゆっさ・ゆっさ♪(連投御免
ほいさっさ
もの凄い光景(◎д◎; アーロン収容所(会田雄次/中公新書)の中に興味深い記述がありました。
作者は第2次世界大戦中、ビルマ戦線で従軍中に日本の敗戦となり、イギリス軍下の捕虜収容所にとらわれの身と
なった。その間の体験を書いたのが、ビルマのラングーンにあった『アーロン収容所』である。
英軍の女兵舎の掃除をやらされたときの模様が面白おかしく記されている。(P40〜P41)
ところがある日、このN兵長がカンカンに怒って帰ってきた。洗濯をしていたら、女が自分のズロースをぬいで、
これも洗えといってきたのだそうだ。
「ハダカできやがって、ポイとほって行きよるのや」
「ハダカって、まっぱだかか。うまいことやりよったな」
「タオルか何かまいてきよったがまる見えや。けど、そんなことはどうでもよい。犬にわたすみたいにムッと
だまってほうりこみやがって、しかもズロースや」
「そいで洗うたのか」
「洗ったるもんか。はしでつまんで水につけて、そのままほしといたわ。阿呆があとでタバコくれよった」
(略)
彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに「人間」ではないのである。それは家畜にひとしいものだから、
それに対し人間に対するような感覚を持つ必要はないのだ。どうしてもそうとしか思えない。 昭和初期に共産党女性党員はズロースを穿いていたので、特高警察の拷問で
服を脱がされた時に「女のくせしやがって」と余計拷問がひどくなったそう
だ。当時は女性は一般的にズロースを穿かなかったので猿股みたいなものを
穿きやがって生意気だということだったらしい。 その際ズロース一枚で叩かれる場合とズロースまで脱がされるて拷問
される場合があったらしい。江戸時代でも女を拷問する場合腰巻はと
らないという了解事項があったらしいが、昭和初期にはそういう配慮
も無視されたらしい。 で、今の共産党は男性のみの特殊浴場を
どの様にお考えなのかね? 小林多喜二の小説「党生活者」のなかに軍需工場にビラを持ち込む
ために女党員のズロースのなかに忍ばせて身体検査をすりぬける話
があった。この女党員は以前逮捕された時ズロースまで脱がされて
拷問を受けている設定になっている。 むかしはいい仕事してたんだね
今はどうだか。。。。 寿命はさておき
年収的にはまさに、同権いや、それいじょうかも? ズロースが我が国にもたらされたのは、黒船来航による開国で来日し
た欧米婦人による、パンティが我が国にもたらされたのは敗戦による
占領で来日した米軍婦人よる。 なるほど、じゃあ反米女性はズロースかもな
でも、売ってるのかな?ズロース じゃあ革命は、デカパンティ革命でよろしかったでしょうか? 昔、ズロース・リーってタレントがいませんでしたか?
ブルース・リーじゃないですよ。 >>57
戦時中モンペの下はズロースか。でも開国後の咸臨丸の訪米団が米国
婦人のズロースの見聞を書いている。ズロースもパンティもアメリカ
からもたらされたな。 欧米だってズロースが一般化したのは、19世紀の半ば以降だろう。 風俗史は文献も少ないかとすると
今アホくさいネタのような事でもきっちり
文献を残すと後世には、役立つんだろうな
紐パン登場やヌーブラ絶滅やらか? 少数派の男女が良いと思うからなくならないのかな?
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40年前だと男もみんなブリーフ穿いてた時代だから
女でズロースってのはかなり年配だろ >>66
当時子供が高校生から大学生くらいだとボーダーラインではないかな。
五十くらいの人でもズロースからパンティに切り替えていた。 1970年代でしょ?
女性はほとんどパンティーだったと思うけど 70年代の過程で年寄り以外はズロースからパンティに切りかえてい
くことが完了していった。子供もズロースからショーツに移行が完了
する。 子供達では、男子の方がブリーフ化が先行していた。女子は50年代
末から60年代初期くらいまではズロースが優勢だったと思う。ただ
都市部から徐々にショーツが浸透していったのが60年代の過程だっ
たはずだ。それでも男子は60年代にはクラスの男子全員白ブリーフ
という状況だったのに対して女子はズロース、ショーツ、それに中間
型のカットズロースというの三つ巴状態だった。 原因は男子はズボンだからブリーフにしようがさらされるわけではな
いが、女子はスカートだから(スカートの着用率は今よりずっと高か
った)パンツがさらされるから、保守的な母親がズロースを穿かせた
ためだと考える。当時の女子児童は今の子供よりも大股を開いて遊ん
でいたため、ズロースがむき出しであった。それを知っている母親達
がショーツに切り替えるのをためらったのだろう。たしかに子供時代
記憶でもショーツが見えているのとズロースが見えているのでは全然
印象が違うからね。前者は刺激的で後者はほのぼのとしている。 カットズロースはズロースの又下部分をカットしたもの。ズロースで
は野暮ったいがショーツでは刺激的だと考える母親層に受け入れられ
た。実際女子がパンツ丸見え状態でも刺激的でなくたんにパンツが見
えているという感じだった。元々は戦後のズロースからパンティへの
移行期に過渡的に現れたものだったのが子供用に残存した。 結局女児の間でもショーツで天下統一となったのは、ちょうちんブル
マーからピッタリブルマーへの転換だと思う。ピッタリしたブルマー
だとズロースはもちろんカットズロースでも完全にハミパンとなる。
(気をつけないとショーツですらハミパンになる)もちろん70年
くらいになると中高生はほぼショーツ化していたし、小学生でもショ
ーツは浸透していた。ただ決定的なのはこのブルマーの転換である。
以降親の躾はスカートで大股を開くな、パンツ見せるなということに
なり今日にいたっている。 60年ころにブリーフだったけど女のパンツと同じ形というイメージで興奮した
当時は女子のパンツがズロースだったというイメージはあまりないけど 昭和60年ならそうでしょうけど、1960年なら東京でも女児はズロー
ス優勢でしょう。ただ若い女性はパンティが一般化していてそれが
女児にも次第に浸透し、また東京から地方都市へそして田舎へという
形で普及していったというのが実態ですね。ただ昔のことは年令が幼
ければ幼いほど記憶が薄らぐのは仕方ありませんし、まして性的な目
覚めの前ならばそんなことに注意をはらうはずもありませんので記憶
がなくて当然でしょう。 中学校の体育では、当時は女子はパンティー型のブルマーが普通だった
下がズロースじゃ必ずはみ出すんじゃないかな
女子ではみ出してる子なんか見たことがなかったので
女子はみんなパンティー穿いてるんだと思ってた そういえば、小中高の女子生徒の体操着からブルマーが消えて久しいですね。
バレーボールのユニフォームもほとんどスパッツタイプに変わってるし。 ちょうちんブルマーにはズロースがショーツ型ブルマーにはパンティ
が対応している。今のスパッツとかハーパンは下着との対応性は関係
なくなっている。 ズロースは猿股にパンティはブリーフに対応している。ただそれぞれ
普及にはズレがある。普及は圧倒的に猿股が早く、ズロースは随分遅
れた。ところが戦後パンティが先行してブリーフ普及は後追いなった
が、児童の間ではブリーフがパンティ普及に先行したということだろ
う。そのためズロースが70年くらいまで女子児童の間に残っていた。 >>77
ズロースからパンティの移行は子供達への躾がやかましくなったが、
それまではズロースを丸出しにして遊んだりしていた。それは大人
も同じでズロース全盛時代は電車の座席で大股を開いたり、人前で
ストッキングを直したりしてズロースを人目にさらしていた。(当
時はパンストはなかった)それがパンティ時代になると大人も子供
も極力パンティを見せないようにやかましく言われるようなった。
今日ではこの点日本はイスラム圏を除いて最もやかまし国のひとつ
である。−それも女社会の自主規律みたいになっている。 >>77
ズロースからパンティの移行は子供達への躾がやかましくなったが、
それまではズロースを丸出しにして遊んだりしていた。それは大人
も同じでズロース全盛時代は電車の座席で大股を開いたり、人前で
ストッキングを直したりしてズロースを人目にさらしていた。(当
時はパンストはなかった)それがパンティ時代になると大人も子供
も極力パンティを見せないようにやかましく言われるようなった。
今日ではこの点日本はイスラム圏を除いて最もやかまし国のひとつ
である。−それも女社会の自主規律みたいになっている。 ズロースが欧米で普及したのは最初は窓拭きのメイドとか、踊り子み
たいな職業婦人か、上流階級の女性の乗馬や発明されたばかりで高級
品だった自転車に乗る時の為のものだった。それがだんだんいつも穿
いている下着になり、一般にもひろまっていった。
日本でも鹿鳴館以降も洋装だった上流階級の令嬢を除けばレビューの
ダンサーや舞台女優、市電の女性車掌、看護婦等の職業夫人やセーラ
ー服を導入した女学校でズロースが用いられるようになった。当初は
ブルマーでなくセーラー服のままで体育をしていた。当然ズロースが
チラチラするが当時はズロース自体が恥ずかしいものというより下に
穿くズボンという感覚だった。 東京市電の車掌達は洋服の制服を支給されてもズロースはもっていな
かったのでデッキで仕事をしていると風でまくれあがるし、冬など寒
風で非常に冷えるということで組合の要求でズロースを要求して勝ち
取ったとそうである。当時着物が一般的でズロースは高価でなおかつ
あまり売っていなかったのである。 当時子供の頃から洋装のご令嬢様はともかく職業婦人は仕事が終わる
と職場で女学生は家に帰ると着物に着替えていた。洋装自体がとって
つけたような付け焼刃的なものだったので、洋服から着物に替える時
に多くはズロースも一緒に脱いでいた。この点鹿鳴館時代と変わらな
かったのである。(出勤する時も勿論着物で職場で洋服の制服に着替
える。当然着物でいる時はノーズロである) 元々着物だった子が女学校で初めて洋服着て家に帰ると着物に着替えて
ズロースも脱ぐ、卒業したら着物生活にもどってズロースも卒業という
世代と幼児から小学生そして女学校も洋服、家に帰ってセーラー服から
私服に着替えてももちろん洋服、卒業しても洋服生活という世代では違
いが明らか。日常的にズロースを穿いている生活なのである。 着物からセーラー服に着替えるから(といっても朝は寝間着だが)
ズロースを穿き忘れる子もいたらしい。「ズロースを穿き忘れた
お嬢さんの話」という短編小説があったぐらいである。たしかに
正式な和装下着の腰巻や長襦袢とシュミーズ、ズロースを取り替
えていたらかえって穿き忘れはないかもしれないが、当時よくや
られた略してシュミーズで洋服だけでなく和服の下着も兼ねてしま
うやり方だとシュミーズはそのままで着物とセーラー服を取り替え
るだけでよく、あわただしい出かけにズロースをうっかり穿き忘れ
る危険がある。彼女らの世代はズロースを穿かないことになれてい
るからなおさらであろう。 テレビやファッション雑誌も無い時代の流行というものは
興味深いですね。人それぞれ用途を含め考え方や家の外と中で
組み合わせまで変わる。今の情報過多はかえって
女性の本意を苦しめているかもしれませんね
また、当時の流行に乗り遅れないように
一生懸命な人も多かった事でしょう。
それは今も昔もかわらないのかな?
それに、真新しいものなら同性同士でも
こっそり持って行く人も居たでしょうね(ニガワラ
セーラー服の歴史はズロース・パンティよりも
長いのは面白いですね今は、殆どの女子学生の制服は
ブレザーに取って替わってますが、なんか寂しい思いがありますね
ブルマなんかのようになくなってしまうんじゃないかな
とかおもってしまいます。(T_T)
おれが思いついたデカパンティもズロース似た形になるかもな(ワラ
日本でのズロースの歴史は今のパンティと比べると
年数なんかどうなのでしょう? ズロースは大衆化せず
流行はパンティが広く拡大したと言う事 ズロースは男の猿股に比べて大衆化に時間がかかったが、やっと大衆
化したっと思ったら、すぐにパンティが入って来て次第にとって代わ
られたというのがほんとのところ。 近年トランクスの復活さらにボクサーパンツの流行という形で猿股が
復活すること顕著であるが、一部だが女性用にもボクサー型が用いら
れている。これはズロースの復活とも言えるがあまり見栄えの良いも
のではない。なかにはミドル丈の男物みたいなものもあって萎える。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています