【元前頭筆頭】史上最強の若者頭☆花ノ国☆part.15【敢闘賞・金星】
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前スレ
【元前頭筆頭】史上最強の若者頭☆花ノ国☆part.14【敢闘賞・金星】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/sumou/1579502175/
令和2番目の前スレが急に落ちてしまったので建て直しました。
記録と記憶に残る、名実ともにナンバー1若者頭・花ノ国の凄さ、魅力について大いに語りましょう!(^O^)
プロフィール
【四股名】花ノ国明宏 (はなのくにあきひろ)
【最高位】東前頭筆頭
【本名】野口明宏
【生年月日】昭和34年10月15日
【出身地】大阪府藤井寺市
【四股名歴】野口→大三杉→花乃国→野口→花乃国→花ノ国
【所属部屋】花籠→放駒
【初土俵】昭和50年春
【新十両】昭和58年夏
【新入幕】昭和63年春
【最終場所】平成6年九州
【通算成績】605勝593敗21休/1196出(118場所)勝率.505
【十両成績】190勝193敗7休/382出(26場所)
【幕内成績】159勝189敗12休/347出(24場所)勝率.457
【三賞】敢闘賞1
【金星】1個
【各段優勝】幕下1回
【身長】185cm
【体重】146kg
【得意手】右四つ、寄り、上手投げ
【ニックネーム】ノグチ 花ノ国 明宏(はなのくに あきひろ、1959年10月15日 - )
大阪府藤井寺市出身
放駒部屋(入門時は花籠部屋)
最高位:東前頭筆頭(1989年11月場所)
本名:野口 明宏(のぐち あきひろ)
身長:185cm、体重:148kg
得意手:右四つ、寄り、上手投げ
現在は、若者頭・花ノ国
来歴
相撲好きの父親から幼少期より鍛えられた。1975年(昭和50年)3月場所初土俵。
重い腰を生かした典型的な四つ相撲で、右四つからの正攻法の攻めで番付を上げ
ていった。1983年(昭和58年)5月場所新十両。十両時代に当時の師匠(元横綱
輪島)の不祥事で放駒部屋へ移籍したが、以降はめきめきと力を付け、ご当所
の1988年(昭和63年)3月場所で新入幕を果たした。三役には惜しくも届かな
かったが幕内中-上位で健闘。同年9月場所では13日目を終わって2敗と優勝争
いに絡む活躍、最終的に11勝4敗の好成績で敢闘賞を受賞、1989年(平成元年)
9月場所では横綱北勝海を破る金星をあげた。また不調時ではあったが小錦と
相性が良く、1988年と1989年に限れば3勝4敗とほぼ互角の星を残している。
しかし小錦が復調して以降は勝てなかった。
その一方で、1990年(平成2年)3月場所の7日目に、「昭和の大横綱」と言わ
れた千代の富士の通算1000勝目の対戦相手として、相撲界の歴史に名を残すこ
ととなった(決まり手は「掬い投げ」)。当の花ノ国は千代の富士戦の敗戦後、
記者陣に対して「これで自分の名前が歴史に残るのは、ついてないですよ。プ
ロ野球で言うなら、まるで王貞治(巨人)に本塁打世界記録の756号を打たれ
た鈴木康二朗投手(ヤクルト)みたいじゃないですか」と、大好きな野球に例
えて苦笑混じりに嘆いていたという(余談だが、自身は阪神ファンである)。
また、千代の富士の53連勝の始まり、大鵬を超えた46連勝の時の相手も花ノ国
である。
力士生活の晩年は肘の故障などにより、幕内と十両の往復を繰り返した後に幕
下へ陥落、1994年(平成6年)9月場所後に引退。若者頭に転向した。 花ノ国 明宏(はなのくに あきひろ、1959年10月15日 - )
大阪府藤井寺市出身
放駒部屋(入門時は花籠部屋)
最高位:東前頭筆頭(1989年11月場所)
本名:野口 明宏(のぐち あきひろ)
身長:185cm、体重:148kg
得意手:右四つ、寄り、上手投げ
現在は、若者頭・花ノ国
来歴
相撲好きの父親から幼少期より鍛えられた。1975年(昭和50年)3月場所初土俵。
重い腰を生かした典型的な四つ相撲で、右四つからの正攻法の攻めで番付を上げ
ていった。1983年(昭和58年)5月場所新十両。十両時代に当時の師匠(元横綱
輪島)の不祥事で放駒部屋へ移籍したが、以降はめきめきと力を付け、ご当所
の1988年(昭和63年)3月場所で新入幕を果たした。三役には惜しくも届かな
かったが幕内中-上位で健闘。同年9月場所では13日目を終わって2敗と優勝争
いに絡む活躍、最終的に11勝4敗の好成績で敢闘賞を受賞、1989年(平成元年)
9月場所では横綱北勝海を破る金星をあげた。また不調時ではあったが小錦と
相性が良く、1988年と1989年に限れば3勝4敗とほぼ互角の星を残している。
しかし小錦が復調して以降は勝てなかった。
その一方で、1990年(平成2年)3月場所の7日目に、「昭和の大横綱」と言わ
れた千代の富士の通算1000勝目の対戦相手として、相撲界の歴史に名を残すこ
ととなった(決まり手は「掬い投げ」)。当の花ノ国は千代の富士戦の敗戦後、
記者陣に対して「これで自分の名前が歴史に残るのは、ついてないですよ。プ
ロ野球で言うなら、まるで王貞治(巨人)に本塁打世界記録の756号を打たれ
た鈴木康二朗投手(ヤクルト)みたいじゃないですか」と、大好きな野球に例
えて苦笑混じりに嘆いていたという(余談だが、自身は阪神ファンである)。
また、千代の富士の53連勝の始まり、大鵬を超えた46連勝の時の相手も花ノ国
である。
力士生活の晩年は肘の故障などにより、幕内と十両の往復を繰り返した後に幕
下へ陥落、1994年(平成6年)9月場所後に引退。若者頭に転向した。 新スレ遅い。
何年振りだよ!
待ってたよ。
大歓迎!! 日刊スポーツの紙面でも取り上げられた名スレなのに。
数年ぶりのご無沙汰とは如何に! 令和4年に向けてこのスレを繋ごうではありませんか?好事家の皆さん! こんな名スレを絶やしてはいけません。
今こそ花ノ国の話題で大相撲界を盛り上げてましょう! 花ノ国が大好きな大相撲ファンの皆さん!
今こそ立ち上がろうではありませんか? フレー、フレー、花ノ国!
頑張れ、頑張れ、花ノ国! 右の相四つの栃乃和歌(現・春日野理事)に圧倒的に強かった花ノ国 >>1
取り敢えず、スレ立てに感謝します!
花ノ国研究会サン、ありがとう!! お。面白そうなスレじゃん。
花ノ国は前頭筆頭まであがったんだっけ?
十両の時って110キロくらいしかなかったね?あと花乃湖に花ノ藤、駒不動、秀ノ花、 輪鵬なんてのもいた。
昭和50年代後半の話。 最近の相撲板は落ちやすいんだな
10ほど連投しますか・・ 幕内在位24場所347回出場で159勝、敢闘賞1回、1横綱から金星1個、2大関から4勝っていうコスパの良さ 瞬間的にかなり強かったんだろうね
運良く三役いけば若者頭はできないしどうなったか 怪我がなければひょっとしたら三役にまでなっていたかも知れないし、
三役が無理でも若貴曙時代まで平幕上位で活躍していただろうな 個人的には入幕4場所目で旋風を巻き起こした昭和63年秋場所よりも、
10勝を挙げた平成2年秋場所の方が勢いが有ったと思う。 入幕は遅く殆どの勝ち越しがハチナナ止まりだったが、
平幕の中位から上位で安定していた。 千代の富士とは10回対戦して1度も勝てなかったが、ガップリ四つで渡り合っていた。
最初に千代の富士と対戦した際に立ち合い変化にいったときには鳥肌が立った。 入幕を狙えるまでは十両と幕下を往復してパッとしなかったが、
十両上位で二桁勝利してから勢いが付き、幕内に定着するようになった。
幕内での輝きは一瞬だったが、名脇役だったと思う。 幕内に定着した頃は右四つがっぷりの取り口で、栃乃和歌との右の相四つの力相撲は見ごたえがあった。
差し身の良さも逆鉾と遜色ないレベル。
立ち合い変化もよく決まった。 怪我したとは言え、十両に転落した時に次世代で活躍する魁皇や千代大海や玉春日等と対戦したな うろ覚えだが、新入幕の貴乃花を下し、若乃花には初顔合わせから連勝だったと思う。 花ノ国への思い入れをこれだけ書いたら落ちないかな?
現段階で思いつくのは以上です。
これで28レス目。
あとは、他の方にお委せします。 花ノ国は大阪日日新聞の郷土出身力士の欄に長い事出てたから憶えてるよ こんなスレが立ってたんだ〜
リアルタイムで観ていたが昭和63年の秋場所と平成元年秋場所の花ノ国は神憑っていた まだ成長途上だったが幕下時代の北尾(双羽黒)と保志(北勝海)にも負け知らずだったな >>34
北尾には生涯対戦成績が勝ち越していたはず 今、調べたら花乃国 vs.北尾は3勝1敗で花ノ国の勝ち越しですね 上記は、幕下で1番・十両で3番の結果です。
幕内では取り組みがありませんでした。 平成元年秋の北勝海(現・八角理事長)戦はもはや芸術だったな ちょっと話がズレるが、CSとはいえ大相撲いぶし銀列伝のような番組があると次に花ノ国が出るのかもと楽しみになるな あの久島海戦でのケガが無かったら、一度は三役になれてたかな 花ノ国は輪島に胸を合わせて稽古つけてもらった世代だよな 花ノ国は腕の筋力の強さなら北天佑より強かったと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています