>>976
そのさ、ドゥルーズとかデリダだっていうのは、境界とか超越論的なものに、多様性を見出したがるけどさ
そこにあるのは、虚しいほどの空虚でしかないと思うのだが
つまり、カントとかヘーゲルはそんなくだらない議論のために、アンチノミーとか弁証法を展開たのではないと思うのだがな
それなら、ラカンの現実界のほうが、多様性を含まないだけ説得的だと思うよ