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呆れたことに、ネット上では、白鵬が「モンゴルが日本の国技である相撲のルーツだとぬかしている」などと、暴言が飛び交った。
しかし、二子山親方は、1500年の伝統がある日本の相撲のルーツは、2500年の歴史があるモンゴルや中国東北部あたりだと思い、源流を見たいと熱望して、理事長を辞めた後でこの旅に臨んだのだ。
なぜなら、その地域から相撲が日本に入ってきたであろうことは、多くの歴史家が指摘していることであり、それを裏付ける壁画等も存在しているから。
宮本徳蔵『力士漂泊』もその資料の一つである。
ネット右翼の、都合よく捏造された架空の言い分を事実と信じたがる性質にはもはやつける薬はないが、今ブームに乗って相撲を見ている、特にネトウヨでもない人たちが、実は似たような「国技」観を漠然と持ちながら、日本人第一の応援に乗っかっていることは見過ごせない。
相撲は日本だけのものではない。東アジアに共通する歴史を持ち、それぞれの地域で独自の色を持つようになっただけである。

白鵬は、サンデースポーツのインタビューで、「相撲道への探究心に衰えは感じられませんが、それは相撲を楽しんでいるということですか」との質問に、こう答えてもいる。
「いや、自分は「楽しい」って言葉はあんまり好きじゃないんですよ。こんなにつらいことを、こんなに体いじめて追い込んでやることは……。たぶん、伝統文化、神事というより、今の大相撲はスポーツになってると思うんですよ。
もうアスリートなんですよ、みんな。だから結果は残さなきゃいけないし、そういった意味で、勝たなきゃいけないっていう立場にあれば、楽しいことはありません。もう必死です。」

近代化以降、特に戦後は、相撲はスポーツの要素を強めていった。だから記録も重視されるし、勝負に本気さを求められもする。何より、「勝て、勝て、日本人」の大声援が、まるでオリンピック等の国際スポーツの応援のようではないか。
伝統芸能の「国技」ではなく、国際的なスポーツだから、勝つことに異様なまでの要求があるわけだろう。そのことを白鵬が誰よりもよく感知し理解しているのは、まさにチャンピオンだからだ。