>>424 > 参宮橋・代々木八幡・代々木上原を
「各停しか止まらない」と小馮漉にする感覚は無い//
  >>430で書いたけどさ、
参宮橋・代々木八幡・代々木上原の3駅をまとめて、
「各停しか止まらない」と小馮漉にする感覚って、
1978年(昭和53年)以前の感覚だろ。

お上りさんしたのは、昔の東京五輪(1964年)の時かね。
当時は千代田線なんかなかったんで、訳も分からずに、
代々木競技場から代々木八幡駅まで歩かされれて、
もう、東京がヤになっちゃって、田舎に帰ってからは、
近隣徘徊を専らとする引き籠りの力゛キになって、
何も努力もしないままに相続して貸し剥がされて、
今ではグータラ貧乏占有屋ヂヂィって事かね。

なんだか笑える生涯なんだね、一方、高度成長の陰では、みたいなさ。
久しぶりに、まだ日本にこんなところがコピペを思い出したよ。
貸し剥がし前なので、ボロ屑のような家でもないのだろけどさ。
親不孝な香具師だな、オ〆はさ。

>高度成長だの、神武景気だの、オリンピックだので浮かれていた
我々は改めて農村の現状を噛み締めていた。
ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに
「息子が申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。

停車駅間違えってだけで、ここまでバレちまう惨めな生涯藁