訃報 長谷川信彦さん 逝去
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元世界チャンピオンの長谷川信彦さんが、11月7日に逝去されました(享年58歳)。
長谷川さんは、愛知の名門・名古屋電気高(現愛工大名電高)の出身で、愛知工業大1年生のとき史上最年少(18歳9ヶ月)で全日本選手権大会(1965年)男子シングルスで優勝した。
世界選手権大会では初出場の1967年ストックホルム大会で、男子団体、男子シングルス、混合ダブルスの3種目に優勝し、華々しいデビューを飾った。
シェークハンドの一本差しグリップから放たれる”ジェットドライブ”と、相手が打ちあぐむまで粘り倒すロビングで多くのファンを魅了。
大学の同期である伊藤繁雄、河野満らと日本の黄金時代を牽引し、小柄ながら”努力三倍”の精神で鍛錬を重ね、「ポパイ」の愛称で親しまれた。
1992年12月に念願であった卓球場「テーブルテニスガーデン・ハセガワ」をオープンし、後進の指導にあたっていた。
故人のご冥福をお祈りします。
http://www.butterfly.co.jp/news/n200511/20051107.html 一に大屋2に高島と言ってたな
いや苦手の話
でもはたから見てると一に高島2に高島という感じでした
全日本で最後に負けたのも高島だし
たしかに伊藤や河野には強かったな ラリーと駆け引きがうまくて伊藤、河野はいつも負けてた なんだそれ?気になる
昭和の選手は作戦が心理戦の要素が強すぎて笑える 長谷川は剣豪の如しだった。愛読書は「宮本武蔵」 遠征の必携品は「鉄アレイ」
徹夜練習明け、他の選手が毛布に倒れこむのを横目に「物足りない」と朝の街に走りだして行く。 バタフライ本社に記念の品々が展示されてる。渋谷浩(当時熊商)との模擬試合は迫力あったな!長谷川さんがもちろん勝ったけど、渋谷さんにも憧れてカットマンになった。 一本差しとロビング、そしてフォアのドライブ・・・ドキドキしながら見てた
いまだに脳裏に焼き付いてる 伝説のロビングを、是非どんなものか見てみたかったなあ。
全日本決勝を何度か争った高島さんが、B5サイズ時代の卓球レポートに書いてたのが、
「長谷川選手のロビングは、エンドラインいっぱいに入って、しかもバウンドが高い、低い、バウンド後伸びる、沈む、曲がる、コートの外から曲がって入るなど、変化に富んでいました」のようなことだったけど、
今の選手でこれに匹敵するのがいるとしたら、誰だろう。水谷選手とか、少し前のデンマークのメイス選手辺りかな? 氏のプレーは特異な一本差しグリップとフォアドライブ、そして粘り強いロビングが語り継がれているけれど、
ロビングからのバックハンドスマッシュが一撃必殺の武器だった。ロビングも、某選手のように自分から
下がっていくのでは無く、>>200さんも書いているとおり、相手に攻め込まれて下げられてからの攻撃的な
守備だった。今は同等のプレーができる選手っていないんじゃないかな。 引退してからも現役の代表選手を狩りまくってたのがすごいな 11月7日に
11月7日に
11月7日に
11月7日に
11月7日に スレイバーより弾まないラバーで特殊素材も無いラケット、グルーも無し
代名詞らしいジェットドライブもそんな道具じゃぁたかが知れてんだろ >>208
だから、鬼のようなトレーニングで球威をカバーしていたんでしょ。
高島規郎さんの追悼記事によると、初めて長谷川さんとボールを打った時には、その余りの球威に全くラリーにならなかったとか。それで、大学に頼み込んでスティガ社のマシンを購入して練習。
1979年にベスト16になった、後輩カットマンの五藤ひで男さんがその球をカットしたら、その猛威にボールが天井を直撃。長谷川さんを倒すには、ここまでやらないといけなかったってね。 >>209
その高島をたいへん苦手にしていた長谷川。そして、そんな高島ですら抑えきれなかったハンガリー三銃士のパワードライブ。 >>212
スピードグルー元祖のグランパが使い始めたのって、いつ頃だったのかね? 70後半から80年代がグルーとハンガリー時代
ちなみに長谷川とか当時のシェーク選手はラケットの重さで飛ばしていた
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長谷川さん、晩年には卓球王国のグルー特集に寄稿されて、グルー反対派として一家言を述べられてたな。お馴染みの、基本が大事だって。 引退後に真近で見た事あるけど、ガチでカット打ち上手かった
塗ってないのにメチャクチャ球速いしバックでもカット打ち始めるわ異次元だった >>219
現役最晩年か、引退後だったか、
今なら出来るよって、あの一本指しグリップで
バックドライブを披露されてたんだよね。
ロビングの名手だったことを思えば、
もっと若い頃に会得出来てたかもだけど、
そこはやはりフォア重視だったんだろうか。 >>219
連投だけど、↓の動画で26:33から
高島さんとのオール練習の模様が上がってるね。
https://youtu.be/y3TGrjt3VC4 >>218
長谷川さんの言う「基本が大事」って一体どういうことだったのかな
気になるな >>222
自分が目にした限りで申し訳ないけど、
タマスから独立してからの私設の卓球道場では、
「真の基本を教えたい」がモットーだったとか。
まずは、気を付けの姿勢から素振りをさせて、
体軸や腰の回転、重心移動を意識させる練習だったとか。
トップ選手に至るまで、今は体軸が崩れている人が多い。
だから、ここぞという場面で良いボールが打てない。
それで、まずは素振りの練習にかなりの時間を充てる
レッスンだったとか。 プレースタイルから、亡くなり方まで豪快そのもの。
カッコよすぎ。 伊藤もそうだけどタマスで満足に練習させてもらえなくて選手生命を潰されたな 平成入っても講習会のエキシビジョンで現役全日本出場選手にほぼ互角のラリー展開していた。
世界チャンピオンは年とっても強いと感心したのを覚えている。 最近、長谷川さんや同級生の伊藤さん、田阪さんらの現役時動画が、ちょこちょこYouTubeにアップされてるね。どれも昔の8ミリフィルム撮影だから、白黒でサイレントだけど。
中でも、ディフェンディング・チャンピオンとして臨んだ、1969年世界ミュンヘン大学のベスト16で、ユーゴのステパンチチにフルゲームで惜敗した時の動画。勝負が着いた瞬間、大きく手を広げてステパンチチに歩み寄って、抱き合って背中を叩いて讃える、笑顔の長谷川さんの麗しさには感動した。 長谷川信彦のような 卓球美 を感じられる選手は かっていなかったしこれからも出ないだろうな 1960年代はしょせん文革チャンプなんていわれて、中国の前のほうでちょんちょんやる卓球に振り回されてたけど、
1980年代後半くらいになると彼の後継といえる下がって守備固めて安全に打ち合うスタイルになったんだよな
変わったのは道具と体格で、彼が体格小さ目身体能力低めコントロール第一のはずまない回転かかりすぎない道具使ってたのに対し
後継の中国勢ヨーロッパ勢は体格もはるかにすぐれた体格ですごい道具使うようになった
彼には使いこなせない、彼の体格では無理だったって意味で進化なんだが、原型は彼だ 長谷川さんの国際試合の一部分や、
高島さん主役のバタフライビデオ (『カット』) を
YouTubeで見歩いているけど、
有名なロビングが映像で見付け切れなかったのが残念。
これがそうかな?と思えるプレイもあったけど、
中後陣からの凌ぎの両ハンドドライブ (フィッシュ?) を
少し高めにした感じで、だいぶイメージとは違った。
水谷やメイスのように、高い軌道で入って変化する
イメージを勝手に抱いてただけかな。 リアルタイム世代からいわせてもらえば
フィッシュぽいのがあったのはそのとおりだが
高い軌道主体だったよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています