その年の同志社は準決勝で早稲田にトライ数4−2で負けました。(得点は24−8)
ゲームは終始同志社が押し気味であったものの、早稲田のオフサイドを誘うプレーに見事に嵌って、
2つのPGを決められ、得点の上では早稲田がリードを守り続けました。
前半を6点差で終え、後半の巻き返しが期待されたのですが、
同志社の選手がインゴールに入るまでに腕の中でボールをファンブルしたとの誤審があり、
同点となった筈の同志社のトライが認められず、気落ちしたところに10点差となるトライを取られ、
残り時間から逆転不可能と同志社の緊張が切れたところにパントのラッキーバウンドが、
ノーマークの早稲田の選手の胸に収まりトライ、ゴールを追加されたところでノーサイドとなりました。
早稲田はその後法政との決勝に18−3で勝ち、三菱自工にも勝って日本選手権連覇と言う、
学生唯一の快挙を達成しました。
日本選手権後、早稲田の選手は同志社戦が一番苦しかったとインタビューに答えていましたが、
早稲田との試合直前の控室で、同志社の監督は選手を集めて、
「お前達は勝てないだろうが、負けて元々だから思い切ってやれ」
と激励し選手をグラウンドに送り出したそうです。
普通試合前に態々「勝てないだろう」と先入観を持たせる監督なんていないと思うのですがね。