隴西方面は馬超の乱の最後の始末で夏侯淵と別働隊の張コウが馬超に呼応した勢力を征伐して関連した大物はほぼ討ち取って都市や集落は魏に任命された漢人による支配になって馬超の乱以前の状態に複している

諸葛亮の北伐で漢中から西へ遠回りして隴西方面で戦いつつ魏の太守達を追い払ったことでこの地域の有力氏族を懐柔したり異民族と交渉して協力を取り付けた

第一次北伐に諸葛亮が率いた兵力は5,6万人と言われていてこれだけの規模で包囲戦と懐柔を行ったから現地での懐柔もできたわけで魏延が5,000人連れて長安から西へ逃げながら魏の漢人太守の守る地域に侵入しても何もできないよ