ଲ(ⓛ ω ⓛ)ଲ大本教では霊魂というものがあるんだという霊媒現象を目の前に見せて下さった。それは私の霊魂の進歩に非常に役立ったわけです。
その頃の大本教では、信者たちが集まって、鎮魂帰神の練習をするんです。
「麗を滞造して、天之御中主神と一體とならんことを期す」というのが鎮魂でありま。帰神というのは、神懸り。という意味で、心が神に帰って行く。そうしていると、神が懸ってきて、自分がしゃべろうと思わないことをしゃべったり、自動的に手が動いて字を書いたり、いろんなことをやるんです。それが必ずしも最高の神様なんて出て来ない。最初は低いのが出てくるのであります

人間の霊魂も、色々の状態の者が霊媒にあらわれてくるのです。その中に、
「私は、いま暗いところに、沢山の人と一緒に居る」と言うような霊魂に、
「あなたは何宗を信じとったのか?」ときくと、
「私は真宗を信じとって、死に際に「南無阿弥陀佛》を唱えたんです。それなのに、やっ
ぱり暗いところに居るんです」というのもあるんです。そういうことを霊媒の研究で、わ
たしは目前に見せられて、最初びっくりしたのであります。
真宗の教えで、死に際に「南無阿弥陀佛」と唱えたら極楽浄土に行けると教えられてい
た人が、その死に際に念佛を唱えてもやはり霊魂が暗いところに居って、そして悩んでい
でたらめ
るのがあるんですね。それで、ああいう他力宗教というものもいい加減な出鱈目なものな
んだなあ、と私は思い、やっぱり人間は苦しみを通して魂を鍛えて努力して初めて境遇も
よくなるのである、と思わざるを得なかったのであります。