最近では、新型コロナウィルスの感染拡大による不安定な社会情勢の中で「自粛警察」という言葉が生まれた。

今までは、勝ち戦にも負け戦にも、ありとあらゆるものに便乗して動くのが疫病神であり、自然のことだった。

だが、「自粛警察」という言葉には、疫病神に憑依された者を、キチガイを排除しようとする理性のニュアンスがある。

また、米国等では、自粛を疫病神のようなものとして忌み嫌う意識の力が大きすぎて、「自粛警察警察」の作用が発生し、新型コロナウィルスの感染拡大防止策はフェイクであるというデモクラシーが出てきているが、
こちらも又、極端すぎるもので、米国病というか、いわんや疫病神が右手と左手を別人のように動かしているかのようだと、心眼によって捉えた日本人は多い。

過去に、疫病神が右手と左手を別人のように動かすような作用を、人類がこれほどまでに認識し、心眼によって深追いするような事象があっただろうか?

人類は新たな次元の入り口に立っているように感じる。