原爆にまつわる怖い話45
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
戦争を身近に感じるとみんな戦争イヤになっちゃうもんだね。 私の夫は子どもの頃から医師になりたかったみたい。
もちろん、学力的に無理でしたけどね。
でも、夢を捨てきれなかったのか、婦人科医のまねごとが大好きです。
今、一番ハマっているのは、医療器具を使うプレイ。ネット通販で買った、クスコと呼ばれるペリカンのくちばしみたいな器具でいたずらするんですよね。
「今日はどうされました?」
「不正出血があって…」
「では、ちょっと子宮を診てみましょうか?」
医師になりきって白衣まで着ている彼は、潤滑剤をたっぷり塗ったクスコを挿入しました。
すると、どんどん膣口が開き、子宮口が見えてきたみたい。
「すごいよ。おまえの内臓まで見えているぞ」
彼は体の奥を覗くと、信じられないほど興奮するんです。
戦闘態勢になったペニスを見せたので、
「普通、内臓なんかで興奮しないでしょ?変態なんだから」と言うと、いたずらっ子みたいな目で笑いました。
「次は乳がんの検診だ」
これも医療ビデオを見て研究したのか、オッパイを揉みながら両脇を上げさせ、ひきつれを見るんです。
「久々におまえのワキを見るとゾクゾクするな。ハメたくなってきたよ」
ここで、いきなり
「マンモグラフィー!」と言って、胸を手のひらで強く押しつぶしたんです。
「あ〜っ、痛い!」
「悶絶した顔、そそるね」
いつの間にか、夫は上半身は医師なのに、下半身はお尻丸出しのオス。
我慢できずに、勃起させた長いモノを膣口に押しつけます。
「先生、いけません」
私も患者になりきって抵抗していました。それでも両腕を押さえつけ、強引に入ってきます。
同時に聴診器で心音を聴き、それに合わせるようにどんどん腰の動きが速くなってきました。
「すごい脈だ。おまえの鼓動を聴くとイッてしまう」
私はバカらしいお医者さんごっこに付き合いながらも、ついにクライマックスを迎え
「ギャーッ、イク〜」と叫びました。
「ウワーッ、耳痛てぇ」
私は絶頂期、無意識に顔を上げて聴診器に向かって叫んでいたらしく、何倍にも増幅された絶叫が夫の耳に届いたみたい。
こんなプレイをしてから、産婦人科検診のたびに夫を思い出し、クスッと笑ってしまいます。 既出かもだがよくコメンテーターとして出てるモーリーロバートソンさんってめちゃくちゃ訛りもない流暢な日本語話すから見てたら広島育ちって書いてあってググッたら
父親がABCC関連の仕事してたから広島に居たんだね
ABCCっていっぱい隠してることありそうだ 一応治療くらいすれば、こんなに恨まれなかったのにな。 >>340
隠してることは山のようにありそうだけど
日本で知られてないだけで欧米あたりで共有して流してるデータも結構ありそうだ
大分前にスレでちらっと披露したけど
「原爆投下後に馬が自由になって走り回ってたから追い込んで〆て
町内の人で分けて馬肉食ったら投下後発症した血便が止まった」って話があって
(しかもその町内に住んでた複数の人の証言)
WHOかどっかが出してた放射線被曝マニュアルで被曝したらとりあえず栄養取れってのがあって
この辺はABCCが聞き取り調査した中で被爆した馬でも食ったら
ちゃんと栄養になって内部被爆より栄養失調改善効果が上回ったみたいなのを
(=とにかく栄養取れ)結論で出してそうな気がした 栄養状態が良ければ、かなり助かったということかな。 【ロック】スプリングスティーン、トランプ再選なら米国出る [首都圏の虎★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1603009050/
240 名無しさん@恐縮です sage 2020/10/18(日) 18:39:26.49 ID:A1JTtZ4z0
>>226
スプリングスティーンも初来日時にわざわざ時間を作って広島原爆資料館に行き
ショックを受けて帰りの新幹線で一言もしゃべらなかって逸話があるで
その時に何百万か寄付もしてる >>344
戦前のヒロヒトだけが美味い米の飯を食っていた日本にそれを望むのは贅沢 被害者には悪いけど原爆がなかったら戦争は終わらなかったです 原爆落とす頃には大勢は決していた
アメリカは原爆の実験をしたかったんだよ
本来攻撃しちゃいけない時期になってもアメリカはまだ爆弾落としまくってた
16日未明とかにも空襲があった デロデロ人間を大量に作り出すとは想像しなかったんじゃないのか。 ゲバラが広島で発した「悲痛な言葉」
キューバ革命の伝説的英雄、チェ・ゲバラは半世紀以上も前に訪れていました。
https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2016/05/13/0/fe/0fe1848f-ml.jpg
(左)2008年にチェ・ゲバラのスライドを前に講演する娘のアレイダさん
(右)2003年、慰霊碑に献花するキューバのカストロ議長。ゲバラとは革命の同志で、広島訪問は長年の夢だったという
革命政権が成立した直後の1959年7月に来日し、池田勇人通産相(当時)と会見した後、予定になかった広島訪問を強く希望したといいます。
1泊して慰霊碑に献花、資料館や原爆病院を訪れました。
「君たちはアメリカにこんなひどい目に遭わされて、怒らないのか」と言い残したことが有名です。
カメラ好きで知られ、本人が爆心地近くで撮影したモノクロ写真が見つかっています。
広島行きを強行したのは、多数の人びとを一瞬で殺傷した原爆の残虐性に関心をもっていたからではないかといわれています。
また、その足取りを追って、長女アレイダ・ゲバラさんも2008年に来日、広島で講演しました。
ゲバラの死後、母親から「平和のために闘うためにはここを訪れるべきだ」と記した(広島訪問時の)絵はがきを見せられたそうです。
【チェ・ゲバラ】
「痛ましいのは原爆が投下されて14年たった今年も後遺症で多くの人が亡くなっていることだ」
「資料館では、胸が引き裂かれるような場面を見た」
(帰国後キューバの新聞に寄稿)
https://withnews.jp/article/f0160522001qq000000000000000W01z10101qq000013407A 山端写真を見ると一晩で死体はあんなに片付くもんなんだな。 風景写真に黒こげのマネキンみたいな死体が写ってるけどな。 山端写真で立ち往生したトラックがあるけど。
なんで車の下に寝転んでいる人がいるんだ? マブラヴ オルタネイティヴでは原爆はベルリンに投下 リトルボーイとファットマン形が違うけどなんか意味あるの? トンデモ業界ではリトルボーイはナチス製というのがあるな。 終戦前、日本が朝鮮半島で核実験成功というのもある。
意味わからん。 なんだか知らんが原爆は日本製で天皇が爆発させたというのもあるな。 さんざん悩んで彼に別れを切り出しました。もうこれ以上、青春を無駄にはできないと思ったからでした。
彼も薄々気づいていたのでしょう、「そうか…」とつぶやいてうなだれてしまいました。そして、勢いよく顔を上げて言うんです。
「最後に1回だけ!」
「いいわ。1回だけよ」
「ありがとう!」
彼は、いきなり私をベッドに押し倒しました。
「シャワーを浴びさせて」
「無理」
彼は私を裸にすると、うなじやワキの下、それに股間の匂いを嗅ぐんです。
「いやよ、やめてよ、変態」
「そうさ。俺は変態だよ。どうせ別れるなら、最後ぐらい好きにさせてくれよ」
そう言って彼は、洗っていないオマ○コを美味しそうに舐め回すんです。恥ずかしくて、でも、気持ちよくて、私は頭の中が真っ白になってしまいました。
「マン汁がどんどん溢れてくるよ。どこから出てくるのかよく見せてくれ」
彼は、私をマングリ返しの体勢にしました。
「いや! 恥ずかしい!」
「ヌルヌルのオマ○コと顔を一緒に見ると、めちゃくちゃ興奮するな。奥のほうはどうなってるのかな?」
彼は左右の手の人差し指を同時に挿入し、穴を広げるんです。
「ああん、ダメ〜」
「ああ、もう出そうだ。全部、飲んでくれ!」
彼をはね除けようとしましたが、その状態で2本の指を抜き差しされると、体に力が入りません。そして、なんとマングリ返しのまま失禁まで…。
「おおっ、エロすぎるよ」
彼は大喜びでオシッコを口で受けてゴクゴク飲むと、自分も全裸になって、そそり勃つペニスをオマ○コに挿入してきました。
「すげえ気持ちいいよ!」
「あああん、私も〜!」
彼の変態プレイで体に火がついてしまったのか、今までに経験したことがないぐらい気持ちいいんです。
「ああ、もう出そうだ。全部、飲んでくれ!」
最後はそう言って、彼がペニスを私の口に突き刺し、大量に射精しました。
「今までは、こんなことをしたら嫌われるんじゃないかと思って我慢してたんだ。さあ、飲んでくれよ」
そう言われてゴックンした瞬間、全身が痺れるぐらい興奮しちゃいました。
彼とのセックスが、ワンパターンで退屈だから別れることにしたのに…。自分から別れを切り出した手前、復縁を迫ることもできず、自分の愚かさに落ち込んでいる毎日なんです。 >>358
リトルボーイは二つの核燃料の塊の片方をもう片方に撃ち込む。だから細長い
こっちは試作品的な感じ
ファットマンはいくつかの核燃料の塊を中心に向けて撃ち込む。だから丸い
こちらが完成形。 閃光を浴びて数秒経ったら
爆風がやってくるはずで。
とても燃えてくっ付くヒマなどない。 原爆→燃える→溶けるだから原爆被害だろ
ただ因果は正確にしといたほうがいいが。直接着火したのは何だ?やっぱ木造家屋だろうか 何も知らない人は溶けてくっついた
ガラスや硬貨は、閃光で溶けたと思うだろう。
誤解を誘う展示の仕方で非常にエグい。 ある日、母が友人から中古のパソコンをもらってきた
||||\ J('A` )し ウォン売り ウォン売り
──┐ヽ( )
│くく□
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ビルが建った
r'''~`i`''、
iJ('ー`)し'ュ,i_
._,,r''' ,,r'''i.||'| ''‐,,
,,,r''' .,,r'''i,,r'''i:||'| []. : |
l,,r'''i ,,r'''i,,r'''i:||'| .:.::|
l,,r'''i ,,r'''i,,r'''i:||'| []. : |
l,,r'''i ,,r'''i,,r'''i:||'| .:.::|
l,,r'''i ,,r'''i,,r'''i:||'| []. : |
l,,r'''i ,,r'''i,,r'''i:||'| .:.::| 幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな
仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を
持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日にはクリームパンとコーラを
買ってくれた
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた
俺は生れて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつも
より少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に
止められた
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で1人1000円ずつ払ってチケットを
買わなければいけないと言われた。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら 母は 「母ちゃんバカでごめんね」 と言って涙を少しこぼした
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって
一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれた
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように
「野球、ごめんね」 と言った。
俺は 「楽しかったよ」 と言おうとしたが、
最後まで声にならなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています