【小無難】日月神示 まったりスレ 第ニ巻
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明鏡の水面映るは我が姿
風が紋たて岸めざす
まわりまわりてすすみゆく
石の上にて
あそびこころ 日本神話で出てくる剣は、折れない心とか信念に思える。 天ノ川
地にうつした
橋立よ
真なき世に道みつけ
道なき道をひらきゆく
浜と浜とが繋がれて
できたる道に己がみつ
桜山にて 天ノ川よく眺めてましたね。
神話を想い御二人が逢えますようにと願ってた。
乙女な心も持ち合わせていたんでしょうね、きっと。 鏡は写すもの
理を持って覗けば真がうつり
欲を持って覗けば偽がうつる
玉はなんだろうか 子供の頃って冒険心のかたまりで、毎日ワクワクしてたな。 玉は大人目線で言うと日々精進ですかね。
子供目線だと冒険心。 真ん中は隠されているんだ。
月読しかり火須勢理しかり。
剣と鏡が揃えば玉が出る。
真中出る。
玉ウツル。 ありがたやありがたや。
神様方の御話。おやすみなさい。 人は入れ物として、二つ揃えたら空にしとけということですか。 一神教と多神教。
西洋には一神教が根付き、東洋には多神教が根付いた。
どちらも真理でありどちらも足らない。
一神であり、多神であり凡神。
神示には神武天皇様の時、岩戸が閉じたとある。
皇を名乗ったことで岩戸が閉じたわけではなく、岩戸が閉じたから皇を名乗られたのだろう。
二極性を深く体験するために作られたこの世界。
岩戸が閉じ、神から分離し得られる体験、必要なことだったし分離を選んだのは人の集合意識だろう。
分離だけでは戻れなくなる。
神武様は戻る時のために道を残そうと思われた。
皇が親として人民を想い、子である人民が皇を敬愛する型、神界の型を降ろされたんだろう。
不安や迷いがあられたんだろうか、やむなしという気持ちで皇に就かれたんだろう。 >>823
その認識で正しいだろうな
向こうと行来が出来なくなった以上、残された人々を率いて行かなければならなかった
たとえそれが神代の事を隠して人皇を名乗らねばならなかったとしても、それは必要な事だった 神武帝の事の大戸は少し前に一部だけ開かれた
それから少しずつ閉じて今は殆ど開いてはいないが、必ず開け放しの日は来る
その時からが永遠に変わらない世界の初め 地の五つの岩戸はある時に一度に開く
今は開け放しの為の下準備、それからは自由な世界
何をやっても必ず物事が生まれ、実らぬ事のない世は必ず来る
長い冬の苦労も初春で報われるだろう、この年で事々区切、あと一厘は突如来る ふと思ったのですが、拝読したいと思うのは
理への探求ではなく単に欲求や好奇心なのかも知れませんよね…。
松の途中までですが。
おやすみなさい。 神武天皇様のことは岩戸に閉じたのではなく、岩戸に秘めた、岩戸に隠した。
閉じた開くで履き違えると見誤る。 神武天皇様のことは岩戸締めとしているだけ。
このことは開け閉めもない。
表面上Sleep状態にしか知覚できないだけ。 一厘は突如来ない。
一厘はすでに生じているが、生じてもいない。
一点の・(ほち)から渦が生じ、拡がり呑み込んで行くが如く現れを生ずる。
その様が突然来たかかのように映る者達もいるだろう。
まだまだだ。 おはようございます。
今日は木の曜日。
しっかり根を張り、どしりと腰掛け、樹木が黙々(木々)と成長するが如くお仕事の日ですよね。
今日も一日頑張らせていただきます。 >>829
確かに一般に示すには軽率だったな、すまない
>>831
その通りだ、目に見える物事の裏で動く方達は・からここまで一人々々歩んできた、もう少しで円が出来上がる(本人達は何度も円を完成させて来た、・の中にはまた・が幾重にもある)という事
一般の人の目に映るのは、ある日ある時突如として見えるというだけだ どうにも解りてはならず、判らねばならず、で、仕組みを全体に伝える事は非常に難しいな
いずれは頭の中を見せたり見たり出来る世界が来るが、今の世界では中々難渋する >>834
補足する
本人達は・から始まって円を完成させるだけだが、外から見ると初めの初めと、初めとは一回り違う、それが鳴門の渦だ
右回りと左回りがあるが、原点と結末は決まっている、これは魂であるから変えられる事はない
経過と結末の先に生まれる事は、当人達次第で幾らでも変わる、善も悪も無く、この前もこの先も永遠に生じ続ける そういえば因幡の白兎の神社に行ったのだけど、ハクト神社と読むらしいですね。
ハクトは八九十?とか考えてたら、社の土台の石に二十八紋の菊が彫ってあって、八九十足しても27だあと1は神様の一力だろうかとか妄想してた。
シンボル学的なインスピレーション湧かないのだけど、面白いね。 https://youtu.be/_0Vkwzbg7vQ
手水で清めてたらこれが流れてきて、最初「ええ?なんで軍歌!?」て思ってたらかわいい歌だった。 水が甘く感じられて良かったですね。
般若心経カッコイイですね。
ギャーテギャーテがリピートされてて素敵だったし
最後のはハーモニーが綺麗でした!
本場流はガーテガーテパーラーガーテみたいな。 因幡の白兎の神社の事をふと思ったのですが、
八九十では27ですので、
八九に土台の土だと丁度28かなと。
神様が座すれば、菊の紋章の弁の数とも合致するかなと。
なんて事を夜も明ける頃に思った次第でした。 ギャーテーのところいいですよね。
行くものよ行くものよ彼岸目指し行くものよだっけ、御釈迦様が応援してくれてる気がして嬉しい。 おはようございます。
その様な意味だったかも知れませんね。
ただ、私は魔除けとして以前から、その箇所だけは唱えてましたかね。 そうですね。
親は不動に崖の上から決して手は出さずに、
優しいまなこで見守っているのでしょうね。
じゃないと、そのさき子は生きていく上で大変でしょうから。
親は常に見守っている。
苦労は背負ってでもと。
でも、断崖絶壁で雪もあり寒そうでしたね。
何度でも難度でも這い上がる。その姿はとても可愛いかったです。
親の愛情と子の生への真っ直ぐさ素敵でした。 先日、高千穂の天岩戸神社行ったのだけど、天安河原の杜周りに無数に賽の河原見たいに石が積んであるんだよね。
ボーッと見てて、家族連れが石を積んでたんだけど、お父さんが土台の一番大きい石、お母さん兄妹と積んでピラミッドが出来た。
本来のかたち。
大きな者が下から支える。
家族レベルだと本来の形が出来るのに、枠が大きくなると逆になる。 政教分離という言葉が世の中おかしくしたと書きたいのだが、言葉がまとまらない。 >>850
政教分離は良い
宗教的支配とは黄泉の支配であるからだ
死と黄泉の支配を打ち砕かなければならない にぎ輩
我が我がと
にぎ我し
ならば何価を
無し遂げん 夢描く
妄想構想
思考する
此れを何と
喩えるか
自由自在に
現在「いま」想ふ
そう考えると現在は幸せな時代だなと。
辛辣な時は、言葉にすら残せないだろう…。 幸せを求めれる幸せ。
権利を訴えれる下地。
生き方を考えれる時代。
足りてるよね。 銀河。
渦巻き状。
渦を巻くには渦の中心と渦を構成する沢山の星が必要。
各々光る星々が、出揃い真ん中座られる。
神々合力大息吹、嬉楽しの大息吹、美しきかなこの銀河、思い思いの色光る。
妄想 こと足りる
みち未知るかな
皆の願い
其々に彩る姿
輝きし
三千世界照らしたもう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています