オカルト板的富岡八幡宮
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おまえら他人の不幸を願ってるばかりじゃなくて、少しは語れ >>111
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180103-00091696-nksports-soci
4人死傷の富岡八幡宮、参拝客激減「並ばずさい銭」
日刊スポーツ 1/3(水) 9:36配信
宮司の女性が先月に殺害されるなど、4人死傷事件の現場になった東京・富岡八幡宮では2日、参拝客の激減に関係者らが嘆きの声を上げた。
例年の初詣時期には約15万人が訪れ、参道や境内はスムーズに歩けないほどの人でにぎわっていた。
しかしこの日は、さい銭箱やおみくじに向かう長い列ができることは少なかった。
一方、近隣の深川不動堂には多くの参拝客が訪れた。夕方には、本殿に向かって約50メートルの行列ができていた。
千葉県松戸市の男性(70)は「数十年前から毎年、どちらも参拝しているが、深川不動堂の人混みは例年通り。富岡八幡宮は、並ばずにさい銭ができて驚いた」と振り返った。 天下の将門さんと丸腰の姉に切りつけた卑劣漢の怨霊を並べてはいかん
バチ当たるよ >>122
どっちも成田不動が調伏したるで
まかしとき >>119
ここで引いたおみくじの人間関係の欄に家族との揉め事に注意と書かれてたとかいうのどこかで見たな つか今回は宮司が見切られた結果だろ。
その程度のやつが祟るとかwww笑わせんなっつー
宮司といえどその位に相当しないって切られたんだよ。心配ないってw
彼らはおそらく、死んだ後でやっと分かっただろうがこの辺おっかないんだぞ。
八幡様境内の祭神もそうだし、ご近所の永代寺の歓喜天、
不動堂のお不動さんもそうといえばそうだが、荼枳尼天も祀られてる。
絶対不興を買ってはならない神仏の社ばっかだっつーの
立場を失うどころか、場を穢すゴミと化したモノがうろつける所じゃない。
訪れるもの、この土地で生きるものの為に神仏としても放置するわけではないようで、
早々に「俺」には縁というか綾がついた。
深川まで遠出をして何でなのか?ってやっとわかったよw
だから、まだ49日も過ぎていない以上、今日で明日での話はないけれど、
他の人が手を出さなければ暖かくなる頃には各人とも行くべき所へ行ってもらう。
神仏の裁きで純然たる決着はついて深川からは居なくなるよ。
障りは現状でも抑えられてるし、早々にその根本が無くなる。
だが、社そのものの欠いた信頼、「人」の不始末までは俺の関与できる所にはない。
そこは、八幡宮と他の神道の人間が今一度立て直さないとね。 言いたいことは解らんでもないけど
『ムーンがおしおき』ってのはそう言うもんじゃないのかな…。 でも一応、姉殺して自分も死んで、一家の膨大な財産が息子に残されたわけだな 妹に行くでしょ
殺害犯人だから、相続排除されるんじゃない 神への信仰が激減すると怨霊も大人しくなる。
神道では神と怨霊は紙一重。
神を畏れる気持ちは怨霊を恐れる気持ちと同根。 日本では古来、畏れるべき霊的存在を何でもカミと呼んできたけど
神祇信仰の基本は土着のアニミズム
人霊を意識するとしたら氏の守り神である祖霊を祀る習慣の方が
無念の怨霊を鎮めるより一般的 御霊神社などで無念の霊を祀るのは鎮めることで障りをなくすため
よく祀れば神上がりして善良な神霊になるとされる
だから人々の信仰が増せば怨霊もおとなしくなる理屈
まあ個人的に人霊は法力のある坊さんにでも成仏させてもらった方が良さそうだと思うけど >>127
歓喜天と荼枳尼天は強烈だねえ。
しかしトミオカルト八幡宮との関係性はそんなにあるのかな。 >>135
元々は同じ人が八幡宮と旧永代寺を建てたらしいね。
まあその辺はさておき、「俺」はお不動さんにお世話になってる人間。
歓喜天、というかガネーシャと呼ばれている方にも無縁ではないかな。
あの辺の参拝客は両方ハシゴする人もいるし、
土地の人間としてはどちらとも無く切実なんだろう。
と、いうことで、事態の収拾としてオカルトの方には関わる。
当初俺としては知らん土地だし、完璧に他人事なのでふーんって感じで
関わる気は無かったが、そうも言えなくなった。そう仕向けられた。故にこの因果は神仏からのもの。
神仏としてはやはり事態の収拾にもプロセスが必要らしく、そのための駒として用意されたようだ。
49日が過ぎるまではどうあれ手が出ないが、その後は早々にやるよ。
まあ神道の人間側の組織もgdgdしてるようだから、傍から障りの根本だけは収めるんだろう。
そのためのご挨拶も、行ったときに他も回ってしてある。
神仏としても土地の者、訪れる者の気持ちを知らない訳ではないということさ。 >>136
君みたいな書き込みもオカ板らしくて面白いね
神道の方で縁がある神様いる? 歓喜天のご加護をいただくなら、相当慎重にお祀りしないとだめとは聞くね。
中途半端な心づもりで勧請できる神様ではない。 >>137
俺は本来神も仏もない人間だからあんまりご縁はないんだよね。
お不動さんにしても排する、というよりは必要に迫られてお世話になってる、って感じ。 >>138
実は今回の件は俺は知りません、と言えなくなったのは割とそっちの話。
俺は何年も前の話ではあるが、街の通りに有ったガネーシャ像に対して
会釈がてら、気安いものではあったが日々お願いをしていた。
その内容とは、「どうかこの街が寂れないように、ご配慮をいただければ幸いです」ってなもん。
まあ、聖天様とか歓喜天、と呼ばれて祀られる状態はマジ誠意が必要とは耳にしていたが
ガネーシャとしては世間的には縁起物扱い的な雰囲気があるんだよね。
まあそんなだったから良いかなー、とか思ってた。
で、今回は唐突に縁が付いたので深川にろくろく予備知識もなく出向いてみた。
まあ、いろいろ首突っ込んでるから、この件自体もまあ、
積極的に動くだけの理由がなかっただけで、元々やぶさかではないんだが。
深川不動堂?ああ、八幡宮のお隣さんはそうなのか。って位なもんで、
参道を歩いていて、通りにお寺のお堂があったので
何の気なしについでにお参りをしたら、そこが永代寺だったんだな。
祀られていたのは地蔵菩薩と、歓喜天。
その時は割とふーんそうなんだ、としか思わなかったが、何となく観念した気にはなった。
何でなのか?って理由がイマイチそのときはピンとこなかったが、
後々上の話を思い出したんだよね。 ああ、これはあの時の「代償」か、と。 ちゃんと俺の側の事情を説明するのは
ずっと神仏に世話になってきた話を全部話していかないと無理なので難しい。
でもまあ、とどのつまり示されたことはこんな感じだな。
かつて俺がガネーシャに願った願いの理由は「この街の賑やかさが好きだから」であり
「俺が住んでいる街だから」ではなかった。
では、俺が知らないだけの、俺が好むような賑やかさのある所について、俺はどう思うのか?
というならば、積極的にはそう思わないだけだわな。知らないだけだもん。
実際出向いてみて、正月のあの辺の賑わいは俺は好きだったよ。
元々はこんなもんじゃない?ああ、勿体ないな、ともね。
で、そういう土地に事が起きた。
俺も記事なり報道なりを目にしたように、悪評も広まり、社に呪詛を呼び込みたがる輩さえも居る。
俺の好む賑やか損なわれるどころでさえなくなりつつある。
だがこの件は当事者の成仏、という形である程度までの事態の収拾は成される。
他人の成仏に関ってきた「俺」ならば、その方策は持っているだろう、という話
おそらくは他にも手筈はありそうなもんだし、俺は当然その可能性はあるだろうとは思うが、
俺にも関与の用意はしろと。 恐らくは、だが、あそこに縁のある誰かもまた深川の何れかの寺社にお願いもしたんだろう。
その願いは、かつて俺が願ったものと等しい、或いは生活のかかったより切実なものでもあるんだろう。
その心情もまた、ほかの場所に対して願った俺ならば、わが身のものとして理解できるだろう、と。
で、元々色んな縁あった相手の成仏を願い、関ってきた俺ならば手を貸す余地も有ろう、と。
世話になっている不動明王のお堂があり、かつて願った相手である歓喜天(ガネーシャ)も永く祀られる所。
俺が好むような賑やかさもまた永く続いてきた所。多くの者が関わる場所でもあるのに、
俺が良しとしない、呪詛の影もまた土地そのものに及びつつある。
そして俺と同じような願いを持った者がいて、その者では容易く手が届かないものを俺は持っている。
ならば、縁さえつけば、その「誰か」の代わりに事を成す事に異議はなかろう、という話。
と、言う事で俺としては脈絡のないところから縁がついた。
こういう形で願いの代償を払わされる、という見方もあるけれど
これはある意味かつての「願いの真実、誠意」を問われている話でもある。
その願いが真実であったならば、断ることはなかろう、願うからには真摯であれと。
俺が動きさえすれば、誰かの願いの一端は叶う。個人ではなく、あの土地に関わる者すべてに恩恵がある。
俺としても、「ご利益」って実際どうやって寄こしてくれるんだろうね?って言うのは疑問にはあったけど、
こういう形で成される事もあるって話だわな。
面倒事に巻き込まれて代償を払わされる俺は災難であり不幸なのか?といえば否。
なぜならば、他人の事とはいえ、確かにご利益ってのはあるんだと、
ある意味一番いいところで見せてもらえるのだから。 まあ、本来深川の神仏のどなたかだけ、って話でもない筈。
というのは脈絡ない所から縁がついて成仏に関わったことは過去に何度かあるからね。
この手のやり方はお不動さんでもある筈。だが今回は拒む余地はない、というだけ。
人の世の因果は人の行いによって巡るもの。
だから人の手によるプロセスが必要な場合もある。
歓喜天は厳格な〜ってのはそういう約束によって何らかの巡る因果の一端を担わされるって事はあるかもね。
商いならば、その誠意ある生業によって関わる多くのものにも恩恵がなされるということ。
故にその誠意を違えることは許されない、って事だね。
反故にするってことは、その願いさえも嘘って扱いにされるならば、当然揺り返しも来るというもの。
願いをその人相応かなえてくれる直接的なご利益がある反面、反故の反動も覿面にあるって話。
まあ、どうあれ、ほかの人が手を出さなければ俺が手を出す。
土地に関わる誰が知らずとも、ご利益はやっぱりあるって話。
残念なのは、今回マイナスがゼロに戻るってだけなのがねえ。
それと、失われた信頼回復はまた別のアプローチがあれば良いのだけれど。 >>138
一般人で聖天さんを勧請する(開眼像を供養する)のはほぼ無理だと思うけど
(行者の指導でもあればともかく)
祈祷受けるだけにしても、生半可な気持ちじゃダメだといわれるね
ご利益が高いと言われる神仏には私利私欲をぶつけてお礼をしない人もいるから
戒めで聖天さん、荼枳尼天さんを舐めるなよと言われてるのもあるだろう >>140
>「どうかこの街が寂れないように、ご配慮をいただければ幸いです」
あの事件以降、マスゴミや野次馬が見物しに行ったりして
以前より注目が高まったのは確かだ。
良くも悪くも寂れない状態にはなったんじゃないかな。
祈願する時は事細かに状況設定してお願いしないと
斜め上の方向で願いが叶うよ。
実際何度も実体験してる。 >>148
弟は本懐遂げたから思い残すことなく地獄送りだよ
姉とbマリコが死んだ自覚がなくてバチバチ争ってそう
bマリコは姉の死後、長子のポジションに収まろうと計ってたフシがあるからね
神社奥に収まって贅沢しようと目論んでたんだろう >>147
いや、俺が願ったのは別街に対してだよ
まあ元々心配するような場所でもないけどね
>>149
まだ49日過ぎてないから居るよ
つか自殺だから放置してるとあの世に渡ることすらできない。 強大な怨情を増大させて周辺の怨霊を吸い込んでいる。 真如苑は仏教の振りをした、ただの教祖一家崇拝の新興宗教なのだから
今回の教祖一家像を中央に持ってきた事は騙される人が減るであろうと
プラスに考えるべきですね。
それにしても東大教授が真如苑に講演に来て教祖一家像が信仰するかしないかの
分かれ道になりそうですねと言ったことを忘れたのだろうか?
それとも真如苑はとうとう化けの皮が剥がれつつあるのだろうか?まあ
どちらにしても上層部の言うことが絶対な真如苑の末端の信者は、洗脳
されたままで、なんとも思わずに今まで通り信仰し続けるのでしょうね。 神仏「人間も、それ以外の星の者達も、皆私が生み出した存在だからね」
神仏「自分の書いた小説の登場人物が作者について讃え崇める様なものだ」
人間「なんかイタイなそれ」
神仏「………………」 >>153
もこな「人間も、それ以外の星の者達も、皆私が生み出した存在だからね」
もこな「自分の書いた小説の登場人物が作者について讃え崇める様なものだ」
人間「なんかイタイなそれ」
もこな「………ぷぅ。」 神道の八百万の神は自然精霊や祖霊の神格化されたもので
一神教の神みたいな万物の創造主ではないよ 古代の神道w
どこで何を教わったか知らんがアホまる出し >>160
天之御中主神を信仰していた地域や時代があったという歴史的事実があるわけではなく
大和朝廷の都合に合わせて編纂された記紀に神名として出て来るだけだからね
朝廷が国を統一する前の地方独自の伝承は表の歴史から消されてるし、
魏志倭人伝に出て来る邪馬台国などの国々が実在したものか、どのような神を奉じたかもわからない
ただ漠然と言えるのは大和に征服された各地にもそれぞれの神と信仰文化があったはずで
神奈備や磐境といった概念が古代のアニミズムから伝わるものであろうということくらいか 仇討ち、って…本人潔白ならそうだろうけど、浪費と女遊びで放逐されたクズの
逆恨みじゃん それで仇と言われたら、尻ぬぐいさせられてる家族は堪らないよ 逆恨みだろうと、なんだろうと、“復讐の成就を祈願する”のにふさわしい‘神’。 どうだろ
ドロドロした怨念の持ち主に罰を当てる神かもよ
姉を討ち果たした弟夫婦も血まみれで死んでるし
ここの宮司家は欲深で神社の土地や祭日の高額な賽銭等を
私財にして贅沢した所業が一番罰当たりと思うけど >>164
あーそれ「神」じゃなくて
単なるろくでなしの自殺者だから。
んでもって、神仏から早々に駆除されるように手配もされてるような扱いだよ 茂永は祀られてもいないし当然論外
164は富岡の八幡様のことを言ってるんでしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています