【三明】菩薩の教え【相談】 [無断転載禁止]©2ch.net
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私は菩薩の弟子です。
私を通して菩薩様の教えを広めようと思います。
悩んだら相談してみてくださいな。 菩薩とは神ではありません。人々を救済しようとする修行者です。 ちなみに私のことを気にかけても仕方ありませんよ。
私は答える者 解脱って出来るものなんでしょうか?
悟りは少しは分かるんですが
暫定では不可能とみてます
結局人間は人生の上で永遠に戦い続けるしかないと考えてます 菩薩様は現存?天存?
相談の回答って霊視とかでされるんでしょうか? >11 解脱は非常に難しいのですが無理ではありません。
そう言う私も衆生成仏を目指しています。
人間である限り煩悩を無くせないと単純に思うのは当然かと思います。
しかしものは考えようです。
煩悩とは何か本質を考えていただきたいのです。
自転車を買ったら次はバイクが欲しい。バイクが手にはいれば車が欲しい。
車が手にはいれば次はベンツやフェラーリが欲しい。
欲望にはきりがないのです。それなら今ある自転車を大切にするのが正解。
バイクを手に入れるために嫌な思いをする必要まではないと思いますよ。 >12 菩薩様は天在です。
菩薩様からは色々な言葉や映像をいただきます。
現存では私には師匠は居ません。
全てこの眼と耳で経験として体験しております。
回答の多くは智恵でお答えできます。
しかし必要ならば視ることもできます。
ただ過去数千人を視て来ましたが結果として視る必要が殆んどないと知りました。
ですので今は滅多に視ません。 あなたが考える解脱とはどんなものですか?
解脱可能としたら初期はブッダ以外に解脱者がたくさんいましたが
実際には今の仏教で考えられてるものでなく
もっと簡単で単純なものではなかったでは?>>解脱 >>15 そうですね。
昔はもっと単純だったと思います。
豊かな土地があれば豊かとは言えなくとも毎日過ごすことができ、
自然の循環の中で生きて死んでいく。
その中で生きとし生けるものに感謝をして食し、
そして自らも自然に還っていく。
自らの魂を曇らせることもなく何事も赦し、
今あるものに満足して人々と笑いながら暮らしていく。
単純であり最高の衆生かと思いますよ。 話を変えます
論理学自体が悟りの一部と考えていますがどう思いますか?
無茶苦茶な思考で考えていても意味ないですし
といっても自分は勉強中ですけど 私はその理論学とは存知ませんが、
全てを理屈で判断すると言うことでしょうか。
それはそれで重要かと思いますよ。
法や智恵とは全て理りです。
神学とはオカルトとして扱われますが、
そこを科学的に追求することも大事かと思います。 >>18
ええと論理学自体は世界の一部である定性にしか使えません
グラデーションする灰色にどこから白で黒か線は引けませんし
サッカーでまだ試合が終わってないのにどちらが勝ったか試合中は決められません
万能ではないのですね
生兵法ですけど >19 大乗仏教ですか。
間違っている部分だらけかと思いますが個人の自由ですからね。
個別の宗教を信心する人を責める気は全くありません。
ただ個人的な意見として全ての人を救うと言う大乗仏教の教えは良いのですが、
多くの宗派に分かれてしまい、仏の教えを部分的に小分けして部分部分の教えしか伝えていないことが間違えではないでしょうか。
全てを統合すればやっとシンプルな仏の教えに戻るのです。 ブッダが生きてるときは
解脱者はいるか?
と聞かれたら阿羅漢全員が
我らがそうだ!
と答えますが
でも現代で
解脱者はいるか?
と聞かれても応えられる僧侶は
残念ながらいないでしょう
今の仏教は解脱自体のとらえ方がおかしくなってる気がします
気がするだけですが >>19
20レスつかないと落ちることを忘れてました
どうもすみません >>21 理論学ですか・・私は無学ですが理論的な思考は好きです。
例えば、、幽霊が見える時と見えない時の理論とか考えています。
私は結構視える、聞こえるタイプなのですが視える時は大抵キーーーーンを耳鳴りが始まって、
来たな!とすぐにわかります。
つまり高周波の場合に近づいて来たと体感して知っています。
音と光は意外ですが単なる周波数の違いだけで同じなんです。
虹は7色に見えますね。
内側が青色で外に向かって周波数が低くなって赤くなっていきます。
赤を越えると赤外線となり音となって見えなくなります。
つまり霊が見える時は霊が近づいており高周波で色がつくのです。
ちなみに発光しているわけではないので懐中電機などの外部光源がないと見えないです。 >>23 僧侶についてもほとんどが利益優先ですからね。
以前、菩提寺に家の墓の裏に積み上げられている暮石の無縁仏が毎晩水と香をくださいと懇願しにくるので、
供養をしてあげてくださいと電話したのですが、、、
「幽霊などいるわけないだろ!」と怒られました(^^;
この僧侶は一体何を今までして来たのかと情けなくなりました。
結局後日自分で供養に行きました。 そもそもなんで墓に幽霊がいるんだよ
霊界との通信機か? >>27 まだ何の知識もない時だったのですが、
お盆休みの初日にお墓参りに行ったんですよ。
色々トラブルで16時頃になってしまい夕暮れの中で掃除していたんですが、気がつくと私一人。
うちのお墓の裏側に無縁仏の小さな暮石が50棟ほどぎゅうぎゅう詰めにまとめられているんです。
すると突然無縁仏の暮石群から若い娘の声でお線香くださいな。お水くださいな。と話しかけてくるんです。
その頃はよくわからずに怖くて逃げ帰ったのですが、
その日から毎晩百鬼夜行のように入れ替わり立ち替わり幽霊や妖怪が現れて襲われるようになったんです。
それでお寺に電話したのですが相手にされずと言うわけです。
2−3回殺されかけましたが腹をくくって深夜に部屋を暗くして正座して、
いいからそこに座りなさいとなだめ、説法を数日続けて収まってからお参りと読経で供養して来ました。 >>28 いやいや、、私は路傍の石ころ程の価値もないものです。 >>31
私は解脱できる時期に達した時に、解脱を自ら諦め菩薩となりました。
力は隠しています。見破られたことは神にしかないですね。
路傍の地蔵さんは、もう菩薩の道に入ったのでしょうね。 >>31
謙遜で言ってる可能性もありますが、人はものすごい存在に出会ったときには自分の価値が何もないように感じられるのです。
せめて、自分は普通の一般人と同じ価値があるととおもってください。 菩薩様に映像を見せて頂いたとありますが、幾つか教えてください。
それと、菩薩様は老衰・病死・事故死・自死とかについてどのように思われていられるのか教えてください。 理論学じゃなくて論理学です
正しい思考の形式や法則を研究する学問です
自分が勉強してるのは初心者向けの本ですけど難しいです
難解で詳しくは全くわかりませんが >>35
私がよく見せていただく映像ですが、
何か相談があると弥勒菩薩様のところに伺います。
多くの時間、弥勒様は地球の大気圏から宇宙を眺めています。
私はなぜ人々は争うのか。争いをなくす方法はないのですか?と聞きました。
彼は静かに言います。ここから地球を見てごらん。
あの小さな光の瞬きが例え戦争の光としても.....それがこの宇宙にどれほどの意味があるのでしょうか。
永遠のように続く時の中で人が憎しみあい、争い、人が死に、それでも何事もなく宇宙の真理は変わらずに続いていく。
この宇宙の中では争いや戦争でさえ無意味なのです。
この意味を全ての人が理解するまでは無意味な争いは無くならないでしょう。
など、宇宙を一緒に見ながらこのような話をしています。 >>35
老衰・病死・事故死・自死についてですが、
人は生きている間に常にカルマを背負って生きます。
大きく死について、誰も逃げれることもなく必ず死にます。
恐る必要など全くありません。
恐る人は生きている間に大きな罪を背負ってしまった人です。
輪廻転生で背負ったカルマは必ず清算しなければいけません。
ですので死に方はそれぞれ天から受けた定めとも言えます。
老衰は天寿をまっとうするので幸せです。
病気や事故で死ぬ方は予め予定された運命です。
自死については天寿を放棄する訳ですから大罪として最も大きなカルマを負うでしょう。 >>39 霊が留まっているのはいくつか理由があります。
・死んだことに気がついていない。
・強い思いを残しており現世に縛られている。
・自死などの大罪を犯して霊界への帰還が遮られている。
大雑把にこんな感じですね。
現世に留まることによって輪廻転成のリングが止まっている状況です。 争いのなかに、魂のきらめきというものがあります。
人は窮地などに立たされた時に、究極の決断を迫られます。
相手を助けるか自分が助かるかです。
自分を捨て相手を助けた時、魂のきらめきが起こりそれは尊いものですが、それすらも無意味なのでしょうか? >>43 自殺者を霊視してみると多くの場合が死ぬ時の苦しみで本来生きる期間は苦しみ続けますね。
人は生まれる時にこの人生で何を学ぶかの課題を背負って生まれて来ます。
前世に於いて背負ったカルマも清算する予定できています。
清算の過程が苦しいからといって清算せずに自死を選んでしまった場合、
修行の放棄として永遠とも言うべきの苦しみも追加されてしまいます。
ここは霊界の決め事ですので誰も救ってくれません。 カルマっていうのは今生で全部清算される予定のものなの? >>44 多分それは自己犠牲の範囲かと思われます。
正確に言えば相手に感謝されることで魂がきらめくのです。
もちろん現世に於いて人に感謝されることはそのひとの魂を磨く行為ですのでとても良い行いです。
魂は人の中に於いてのみ磨かれます。
喜びを分かち合い愛し愛され何事においても感謝する気持ちが大切です。 争いや戦争でさえ無意味。
その弥勒菩薩と不感症で慈しみ悲しむ心を失ったのか。
お前さんはどこと繋がっているのだ。 >>47
回答ありがとうございます。
腑に落ちる答えで、満足できました。 >>46 カルマが大きければとても1世で返済できないことが多々あります。
数世で少しずつ清算する場合もありますが自分の子供の死などの悲しい出来事で清算する場合もあります。
また現世でも常に新しいカルマを背負っていくので出来るだけ借金にせずにカルマを増やさない努力や、
苦しいことを進んで笑顔でするなど清算できるものは出来るだけ進んですることが輪廻転成の輪から外れるコツとなります。 >>48
弥勒はそれすらも超越しておる…のだといいのだけど…
過程の中で感じる心はとても大事なものですよね。 一応私も菩薩のはしくれだから言っておくよ。
争いに意味はなくともすべてのものに意味は見いだせることはできるよ。
それがなかったら、人と人との正しい交流も無意味になってしまうよ。 >>50
そこまで大きいカルマがあると地獄に行ってるか、地獄じゃなくても三悪趣のはずでは? 争いがあるからこそ、和合があるのだ。
相対の世界は、相対するものが互いに活かし合うのだ。
超越と言うのは、相対の世界を知った上でだ。
知らぬものは超える(越える)ことが出来ない。
霊覚が芽生えるとよく騙され、勘違いし、おかしなこと始めるんだよ。
万人が通った道だ。
ハメルーンの笛吹きになるなよ。 >>54
おかいたのどこかで会った波動だが…
まあいいや 光の中しかしらなければ、明るいと言うことはわからないのだ。
暗闇があるからこそ、光を知覚しえるのだ。
昼間には星が見えないだろ。
街明かりのない真っ暗な自然の中では星がよく見えるだろ。
反対のものがないと、反対のものを知りえないんだ。
相対の秘密を解き、実行に移せたものがマスターつまり解脱者となるのだ。
解脱してからも次のステージはあるがな。 悟りを得たものは無感情や不感症になるのではない。
真理を得るのに全ての感情を持ち合わせないといけない。
全ての感情の総和が本当の愛だ。
内に沸き起こる感情は凡夫も覚者も差はあらず。
覚者は遠ざけるコントロールが出来るだけだ。
弥勒菩薩たるもの涙流せずしてどうする。
小さな動物の苦しみですら涙を流す。
多くの者が死に、多くのか弱き者が恐れおののき、多くの者が痛み涙する、その戦争が宇宙規模からすれば無意味とは。
宇宙自体が全ての存在から成り立っているのに。 ステージと言う言葉を選んだがな。
解脱が完成だと、終わってしまうんだよ。
未完成から完成、完成から大完成、大完成から超完成と弥栄しゆくんだよ。
未完成であることも完全な現れなんだよ。
ステージ、次元、オウムもスピも使うなら
ただ 弥栄しゆく と言正す 霊覚は怖いのだ。
皆霊覚を得たものは騙されるのだ。
だからお釈迦さまは弟子に霊能力に偏ることを戒められたのだ。
霊覚は良く切れる剣のようなものだ。
手に入れたら切れ味わ試したくなるのだ、見せびらかしたくなるのだ。
剣を手に入れれば、まずは鞘をしっかり作ることだ。
鞘にしまっておく訓練が必要なのだ。
霊覚が備われば、備わった分、地に足をつけた生活が必要なのだ。
だから誠の神仏聖霊は黙々と磨けとおっしゃるのだ。 優しさ先走る私も、いつもこうではなく、鬼のようになる時もありますよ。ただ、そこに優しさも保有しての泣きの怒りですよ。
と、このスレを見てる人に言います。 誠の神仏諸聖霊は名乗りをあげない。
人は御名に弱いからな。
気をつけろよ… 人に説くのは難しいのだ。
誤って導いた際に大罪ともなりえるからだ。(本来罪はあらずが方便として)
お釈迦さまもイエスさまも真理の精妙なる様は口では説けないと悟られたのだ。
神仏からの勧請に苦しまれたのだ。 >>68
分かります。
私は、真理を話す以外に、己の生き様を通して弟子たちを導くつもりです。
人に処刑される運命がありますが、それもまた一興。 一つの事柄で全てを当てはめることは少し違います。
争いを無くすことが出来るか否かのお答えです。
無くすことは無理がお答えです。
もちろん陰陽の法則がある限り人の争いは無くならないでしょう。
陰陽については善悪ではありません。
そもそも善悪というものはとても曖昧で何が善で何が悪という切り分けができないものです。
弥勒様についてはとてもとてもお優しい方ですよ。
全ての人のお隣で優しく見守っています。
全ての人を助けたい。だが力になることはできない。
だからせめていつも寄り添ってくださっているのです。 物質の世界には時間と言う概念がある。
説かんとする者の背景を理解し、言葉を考え選び、言葉の配列、音の響き、その発するタイミング、呼吸、さらなる推敲、それを短時間で行わなければならない。
神仏のおられる世界では例えとして、人が一呼吸する間にでも2〜3日分の推敲が出来るからな。
だから人が人に説くのは難しいんだよ。 >>70
私は滅多に厳しくはならないのだが
悪を見つめる厳しさがなくてはならない。
これは前提条件
これがなくては強くはならないし、物凄い悪が攻めてきた時に見る目を間違ってしまう。
いい?優しさ「だけ」ではなんにもできないよ >>70
ここがあなたの正念場なのだ。
何が正しいかを自分で見極める。
それができないと若くして落第だ。 陰陽の理は三元と覚えておくといいよー。
三元と知ればその曖昧さが何か見えてくるはず。
善と悪と善悪で三つだ。
右と左と左右で三つだ。
男と女と男女で三つだ。
そして男と女から子が生まれる。
二元陰陽から三を産むのだ。 三元の例えでいうと、
優しさ厳しさ両方出すというのが正解。 甘さの中には辛さがいり、辛さの中には甘さがいる。
スイカに塩。
カレーにリンゴ。 組み合わせ次第、その配分(さじ加減)次第では両方活きる。 お地蔵さまなら尚更 慈悲の心を忘れずにな。
南無大慈大悲地蔵菩薩。
弘法大師さまがお生まれになった香川の善通寺の宝物館には鎧を纏い戦いに臨まんとする地蔵菩薩像がある。
元々地蔵菩薩さまも火炎光背だがな。
優しさの背に 真紅の炎 真理というものは、人によってまちまちだよ。
だからこそ不動の真理がある。
そこに気づいてね >>74 ありがとうございます。
とても勉強になります。
私は360度×360度で理解していました。
X軸で0という人もいれば180という人もいる。
270という人もいれば300という人もいる。
一人一人段階や立場、年齢など様々な条件があり更にY軸でもみる角度が変わってくる。
つまり一つの言葉が360×360通りの受け方がある。
ここをどのように乗り越えるかが今の私の課題なのです。 >>80
うん、素晴らしい心だ。菩薩でさえ、試練は厳しいものが何回も続くよ。
魂のきらめきは尊い。あなたは今きらめこうとしてるんだ。 争いを無くすことが出来るかどうか。
無理と言ってしまえばそれでお仕舞い。
争いは少なく出来るんだと言えば、皆で争いを少なくする創造を始めることが出来る。
結果ばかり評価される時代であるが、本来は理想とする結果に向け手を取り合い進むプロセスにこそ宝がある。
痛めつけあう争いもあれば、お互いが向上するための尊い戦もある。
陰陽は順序でもある。
善と悪と善悪。
善だけでもだめ。
悪だけでもだめ。
善悪バランス取れてるのもだめ。
順序だ。
善悪を知り、善に向かうのが、善に向かう努力をするのが真善悪だ。
正解と言うのは形や型ではない。
向かう方向だ。
進路だ。
歩む方向だ、道だ。
導くとは道を引いてあげることだ。
そこには希望の光が必要なのだ。
その光を目印に歩めるようにしてあげるのだ。 三元だから
x軸とy軸とz軸が必要なのだ。
平面から立体だ。 包丁を研ぐにも前後の動きが必要なのだ。
前進も後退もあって刃は研がれ光を増すのだ。
あなたが良き働きを為されることを本当に祈ってるよ。
光るものを持っているだけに。 真理のようなことは私はたくさん話せる。だが、1人では無理があるし私には難しい。
こういうスレに出会えて、嬉しいよ。 >>37 >>38路傍の地蔵さんありがとうございます。
>>35です。
私も映像見てみたいです。壮大ですね。
菩薩様は地球の大気圏に天界があってそこにいらっしゃるとの事。
他の惑星とかにも天界みたいな所ってあるのですか?
もし天界みたいな所があって、そこにも菩薩様的な方がいたとして、交流ってあるのですか?どんな話されるんでしょうか?
それと、自死についてですが、楽しかった日に、ただ何となく死んじゃったって場合、それが残りの天命まで続くのですか?
変な質問ですみません。 >>65 ありがとうございます。
弥勒様とは私が勝手に使っております。
名乗ってくださらないのです。
ただ、お顔がとても慈愛に満ちてお優しく、
弥勒菩薩様にそっくりなのです。
>>82 ありがたいお言葉です。
争いは無くせないとおっしゃった時に悲しげで口元に含みがあったのを覚えています。
多分82さんがおっしゃっていることと同じであったのではないでしょうか。
争いは少なからず魂を曇らせます。
そこまでして勝ったとしても、また次の争いが待っているだけ。
魂を曇らせることと業を背負うことに誠の利は無いことと世に伝えたいですね。
勝つことへの執着。それこそ煩悩。
それよりも今あるものを分け合い助け合うことでお互いの魂が磨かれることを勧めたいです。 >>86 宇宙には無数の恒星があります。
その恒星の数だけ霊界があるそうです。
恒星が発する光と電磁波が霊界の根源たるエネルギーだそうです。
霊界に満ちている電磁波を魂が肉体に電気エネルギーとして供給しているらしく、
それが脳波や神経に流れる電気として生物は使っているとか。
ですのでいくら肉をつなぎ合わせたとしても生を得れないのです。
魂が離れてしまえば電気エネルギーを得られなくなり肉体は滅びます。
逆に魂は永遠に生き続けます。
宇宙はとても広く太陽のエネルギーだけでは遠くの恒星までは続いていないそうです。
ですので独自の霊体がそれぞれの恒星圏で生命を育んでいるとか。
でも一切交流できないわけではないらしく、
太古の昔に地球に訪れて亡くなった宇宙人の多くは神として祀られており、
人々の信仰のエネルギーを得て今でも存在し続けていると伺いました。 争いをなくせない理由は何ですか?
一番聞きたいことは
智慧についてです。
智慧とは何ですか? どのように発揮され
どのようにすればそれは身に付くのか?
智慧の本質とは何か?
詳細の解説をお願いします すげえ質問来たな。
聞くと開けば やって来る
がんば。 じゃあ、俺は慈悲の本質について聞こうかな
スレ主の話で、戦争なんて超越、神仏には無関係
の下りを読んでるとどうしても疑問に思えて来た
しかも戦争はなくせないそうだし
智慧にも慈悲にも限界があるって事にも聞こえる
だからこそ忌避なるものの本質をはっきりと問うてみたい >>15
昔は解脱者たくさんいたのに何で今いないの? 解脱の実際とは?
具体的にはどうすれば解脱できる? >>22
それ、大乗仏教じゃなくて日本仏教が間違ってるんだよ
もともと龍樹という高僧が宗派を集めてまとめたのが大乗仏教だから、地蔵氏の理想が大乗仏教だよ
それが日本に中途半端に伝わったせいで勝手に分裂していった いや、大乗仏教も間違っている
少なくとも釈迦が説いた教えとは全く関係ない別物
ところで龍樹はたしかに大乗仏教を体系化したかも知れないが
どちらかと言えば密教の祖の印象の方が強いが
密教と大乗仏教はどこまで重なり合うのだろうか?
疑問と言えば疑問かな? ではその辺りもスレ主様にご説明して頂きましょう
原始仏教の在り方から
小乗仏教
大乗仏教への変遷とその意味と真実について
密教の在り方と
空の哲学の本質について
それらのどれもが仏教の教えの中核にして
誰もがはっきりと理解できてないかも知れない事柄かも
しれないですね
ではスレ主さま、宜しくお願いします >>89
本当は誰でも
争いをなくす方法を知っているのに
それをしないから。
智慧とはどのように争いを無くすかの
方法ですよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています