【三明】菩薩の教え【相談】 [無断転載禁止]©2ch.net
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私は菩薩の弟子です。
私を通して菩薩様の教えを広めようと思います。
悩んだら相談してみてくださいな。 >>89
>争いをなくせない理由はなんですか?
→人類の最大の課題ですね。。
少しでも他人より良い暮らしや名誉などを得ようとする煩悩により人を憎んだり、
ひがんだりする小さな感情から、段々争いが始まります。
それこそ言葉の表現や受け取り方によってそれはどんどん大きくなり傷つけ合うことになります。
個人でも上記のことが起こるのに組織として関係者が多くなれば尚更。
国家レベルになると上記すら関係なく資源の奪い合いが起こり戦争となります。
これは昨夜議題に上がりました陰陽の法則です。
これは善でも悪でもありません。立場によって全員が正しい時もあるのです。
人が人として衆生を生きるには常に競争が付きまといます。
この競争が実は魂を曇らせる最大の障害になっていることに殆どの人は気が付きません。
気がつかない人は永遠に輪廻を彷徨うのです。
気がついた人は争いの輪に入らずに卒業していきます。
衆生に慣れきっている人には変わり者程度にしか思わないでしょう。
ましてこの複雑で激しい競争世界では競争をしないということは生死に関わることです。
あまりにも激しく絡み合う陰陽の球の世界では争いは普通のことなのです。
競争に敗れた人は幸いです。一旦、球の外に出て何を思うか。
あんな争いの世界にはいられない。それよりも本当の大切なものを大事にしよう。
こう思えれば卒業に近づけます。世間で流行った断捨離というものです。
隠があるから陽がある。激しく汚れたから清浄を知ることができる。
これも真理です。ですから争いが無ければ平和もないのです。 >>89
>一番聞きたいことは 智慧についてです。
>智慧とは何ですか? どのように発揮され
>どのようにすればそれは身に付くのか?
>智慧の本質とは何か?
>詳細の解説をお願いします
間違っているのかもしれませんが私の得た智慧についてお答えします。
先に述べた陰陽の法則も関わってきます。
一つの事柄について自分ならどう考えるかに始まり、
逆の立場の人は?360度の中で1度づつずらして360回考えます。
その後で視点を上下させて考えます。空の上から見た視点。雲の上から見た視点。宇宙から見た視点。
地面の下から見た視点。過去から見た視点。未来から見た視点。大自然の摂理から見た視点。
これを一通り3回ほど巡らせて、この事柄の軸、基準は何なのかを探します。
智恵とはこれを考え判断するものです。
智慧とは智恵で得た判断を基準に皆が豊かになる基準で物事を進める力です。 >>91
>じゃあ、俺は慈悲の本質について聞こうかな
私は慈悲ではなく慈愛が好きですね。慈しみ憐れむでは上から目線で嫌いです。
慈しみ愛することこそ魂を育てます。
では慈悲についてですが、一般的に慈しむとか憐れむとなっています。
でも一番大事なのは真理に於いて救うことです。
生き物が怪我をして苦しんでいる。これを見て当然助けるべく手を差し伸べます。
これは当たり前として、人生に苦しんでいる。悲しんでいる。このような方については何ができるでしょうか。
一緒に苦しむ?一緒に悲しむ?励ます?勇気付ける?
菩薩様はただ寄り添うとお答えくださいました。
何故助けることをしないのか?最初私もそう思っていました。
しかし理解しました。助けることが決して本人のためにはならないと。
悲しむことも苦しむことも幻に過ぎない。
何故苦しみ悲しむか?それは現世という幻の中で理想と違う現実に苦しみ悲しんでいるだけ。
それはその人が作り出している理想という幻に過ぎないと。
だからそれに気がつくまで静かに寄り添っている。自分で気がつかなければ意味がないのです。
ですので真に救割れる道として自分で煩悩という幻を捨て去ることなのです。 >>96 >>97
これまたお急ぎですね。
先にお伝えしますが私はお釈迦様とはまだご縁をいただいておりません。
私がご縁をいただいている方々から教わったものですのでお釈迦様のお考えに沿うものかどうか。
お釈迦様は人が如何に段階を経て悟りに近づいていくのかを説かれました。
そして人が人として何を基準として生きていくか、そしてまた死に輪廻転成を繰り返すかを説かれました。
これを小乗仏教と表現していいかも疑問ですが遍く人々を救う教えとして龍樹様が大乗仏教を説かれたと理解しております。
私も大乗仏教を理想とはしますが考えはお釈迦様が説かれた個人単位の悟りの方法が基本です。
龍樹様も基本は小乗仏教です。できるだけ多くの人を救うために理解しやすく体系化したに過ぎません。
空の教えについても当時理解しがたい魂の世界をわかりやすく伝えるための表現です。
本質は魂を磨き輝かせること。あくまで基本はお釈迦様の教えです。
密教についてはお釈迦様の教えとは関係ありません。
神仏にすがる、もしくはお力を借りることによって実現力を高める手法です。
日本に入ってきた大乗仏教はこの密教の考えと混合し、さらにお釈迦様の教えを段階ごとに細切れにしてしまったため、
各宗派単体では個人成仏が出来ない中途半端な教えとなってしまいました。 >>101
>ましてこの複雑で激しい競争世界では競争をしないということは生死に関わることです。
>あまりにも激しく絡み合う陰陽の球の世界では争いは普通のことなのです。
結局、争いが無くならない理由は
この世が陰陽原理で成り立っているからで
競争をしないと生死に関わるからですよね
>競争に敗れた人は幸いです。一旦、球の外に出て何を思うか。
>あんな争いの世界にはいられない。それよりも本当の大切なものを大事にしよう。
>こう思えれば卒業に近づけます。
争いを辞める事、敗れる事は死に向かうという事ですから
つまり卒業することは死ねと同義ですね
つまり、魂を汚さぬために死ねと仰ってる訳ですね >>102
その智慧とは人間の思考を突き詰めただけに思えますが
要するに多角的視点が知恵であって
知恵から皆が豊かになるのが智慧なら科学はその粋を究めている
訳ですが、豊かになると同時に人類は自らの首を絞めている様にも思えます
その考え方ではまだまだ智慧の本質には近づけないのではないでしょうか?
>>103
慈悲に上から目線の意味なんてないと思いますが
それはあなたの個人的感想や印象では?
そしてあなたのおっしゃる慈悲は
緊急事態には何の役にも立たないし、
まあ、やはり死ねという言葉と同義ですよね
一生懸命真面目に書いて下さったとは思いますが、なんだか納得できない答えばかりではあります。
とは言え参考になりましたので、お礼を述べさせていただきます。 まあ、死ねという結論にもそれなりに
意味はあるかとは思いますが
この世では受け入れられず、役には立たないでしょうね
知恵や慈悲を騙っているのか、あるいはその正反対を語っているのか
正反対に帰結する事に意味があるのか分かりませんが
しかしそういう考え方もあるという事で参考にさせていただきます。 まー、今まさに殺人犯にめった刺しにされて
殺されかけてる人に
>何故苦しみ悲しむか?それは現世という幻の中で理想と違う現実に苦しみ悲しんでいるだけ。
>それはその人が作り出している理想という幻に過ぎないと。
>だからそれに気がつくまで静かに寄り添っている。自分で気がつかなければ意味がないのです。
こんな事言い出す奴がいてもなー(汗)
被害者に寄り添っているのか
犯人に寄り添っているのか・・・。
こういう時に何もしない口だけのお説教野郎奴は
本当にタチが悪い罠 >>103みたいなことを言われて実行されたら
世の中病院も警察も社会福祉もイラねって事になって
地獄絵図が実現してしまう
考えようによっては阿修羅な思想かも
窮極の公平な世界かも知れないけど慈悲や慈愛じゃないわ >>100
>智慧とはどのように争いを無くすかの
>方法ですよ。
ここは正しいというか一理あるとは思うけどね
それは智慧の一つの表れかもしれないが
知恵の全てじゃないとおもオモ
>本当は誰でも
>争いをなくす方法を知っているのに
>それをしないから。
そんな簡単なものじゃないと思われ
それは知恵かもしれないが
その程度では何も解決しないわ
現実から眼を叛けて理想の世界を夢見られても困るわ
現実的な話が出来ないなら何の意味もないよ、みなさん? >>112
なぜ簡単ではないんです?
子供さんでもやってる事なのに。
出来るものを難しいと思い込んでいると
人類が何千年も同じ事を
繰り返しているんですよ。 >>113
つまり、そういうこと言っても争いになるから。 >>114
言葉と行動が一致していれば
争いにはなりませんよ。
矛盾した行動をすれば
争いになります。 >>115
言葉で、表す前にまず前提があるんだよ。 菩薩 「修行中の身ですので何も教えられる事はありません。しかし、言葉と言うの(ry」
※個人の感想です >>118
これ以上は言えない。ごめんね。
ただ、そういうものがあるということだけ。 >>119
まだ学ぶものが残ってる場合は
そういうこともあるのでしょうね。 かつての真人はかかとでゆったりと呼吸していたが、今の世俗の人間は浅はかな議論にうつつをぬかして、
あえぐようにのどで呼吸している。
(荘子) 私の言葉が全然足らなかったのでしょうね。
私がお話ししたのは神仏の視点です。
人が人の前で悲しみ苦しんでいたら当然救いの手を差し伸べるのは当然の話です。
こんな簡単なすれ違いすら防げないとは文字というのは難しいですね。 人と神仏では役割が違います。
人であるならお釈迦様が説いたものを体現して学び、
神仏になれば神仏としての行いがあります。
当然私は人です。
人としての道を誤らない軸があることも智慧。
知っているだけなら智恵です。
智慧さえあれば自分が歩んできた道を振り返り忘れ物がないかがわかるはずです。
難しいことは言いません。
人を殺めない傷つけない。
言葉を学び、衣食住足りて礼節を学び、
法を学んで智恵を得て智慧を体現する。
その上で悟りを知る。
智慧があれば悟りを得ることも可能かと思います。
逆に智慧がなければ悟りを得られません。 路傍の地蔵さんこんばんは。
戦争には色んな宗教がありますが、そこで崇拝されてる御方々は宗教戦争をどう思われているのでしょうか?
同じ星の天界なのに会わないのですか?
それとも利害戦争のくせに聖戦とか言われても無関心なのですか? >>124です。
世界には色んな宗教があります
です。戦争に色んな宗教は間違えです。すみません。 争いは辞めましょう。とは言え
辞めると殺されますけど・・・? という指摘は秀逸ですね。
負け続ければ最終的には死にます。
戦場の兵士からサラリーマン、町のお店まで皆同じ。
争いから抜け出せば
一方的に潰されるか追い出されて、
代わりに誰かが犠牲になります。これが社会集団。
でも説法好きな人はこれをスルーしちゃいます。
何故でしょう?
ちなみに人と争わなくても
人は動物を殺して食べてますけど。
これも争いですね。
弱肉強食がこの世界の掟。 何故でしょうね?
なぜ、命を糧にしないと生きていけない世界なのか?
ここを答えてもらうのが
争いと、それが無くならない理由の
本質に迫れると思いますよ?
何故ですか? 精妙なる空の色。
その空の色の全容を言葉で表すことは出来ない。
言葉は完全ではない。
不完全であるが故に精妙なるものほど完全に表現しえないのだ。
神は一語で万語を表す。
その一語に内包されるものを受け取り側で展開するのだ。
お釈迦さまは説くにあたり、一輪の花のみを手にされたことがあった。
それを解し、つい笑みがほころんだ者が1人だけあった。
その方の像は鎌倉の長谷寺に祀られている。 本当に説くなら、言葉だけでなく、言葉を発する声の温かみ、その音階、相手に向ける眼差し、己の発する波動、間合い、
相手の五感すべてに訴える必要があるのだ。
それを以ってしてでも難しいのだ。
聞くと開けば やって来る
スレ主の志しもわかる、気持ちもわかる。
無理ではないのだ。
限界があるのだ。
その限界により、訪ねて来られた方が逆に消化不良になったり、いさかいに発展するのは、双方に何の利もないのだ。 この世は相対の世界、二元の世界
善と悪
肯定と否定
など、白か黒かとジャッジメントしたくなる、もしくはしなければ気が済まないと言う傾向が生じてしまいやすいのだ。
共に栄える3つ目の道、それを生み出す、もしくは導くすべが智慧の一つの側面なのだ。
智慧の側面の一つと言ったのは、それが智慧のすべてでないからだ。 今ここに来られて質問されている方達は、あなたに論戦を持ちかけてあなたを困らせようとしているのではない。
あなたの内にあるものが招いたのだ。
皆ありがたい先生だ。
教えを広めると言ったあなたに、逆に沢山の教えを授けてくださっているのだ。
皆が笑顔になる道を。
皆が共に栄える道を。
これを考えに考え、実行し、最良なる結果をもたらしたものが智慧なるものとなる。 >>126
現代社会では競争に負けたら
収入を失い家族を路頭に迷わせるからね
子どもが居れば食べさせ進学させねばならないし
それもまた競争であって
そして金がなければできない
金がないと病気になった時も病院にさえ行けない
結局、争うなと云うコトは死ねというコトに等しい訳だね
宗教的な綺麗事に酔って/る人達はどうしようもないね >>124
宗教戦争はユダヤ教、キリスト教、イスラム教でよく起こっていますね。
まずは3つの宗教の唯一神は同じ方で太陽神なのです。
日本でいう天照大神様。上の3つと同じかは知りませんが。それはさておき。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の唯一神であるヤハウェイは自然神
太陽の無限とも言えるエネルギー神です。
簡単に言えば自然神は人間など相手にしていません。
大自然の循環が基軸なのです。
質問はその下に居るキリストやイスラム教のムハンマド(預言者)が
宗教戦争をどう見ているか?で良いでしょうか?
まず、ユダヤ教にはキリストやムハンマドクラスの人は居ません。
キリストはユダヤ教の救世主ではないとして殺してしまい、
未だに彼らの待つ救世主が現れて居ないからです。
十字軍の起こした宗教戦争などは単にカトリック教会の勢力戦争。
宗教とは全く関係ありません。キリストも面白くはないが興味すらないはずです。
イスラム教のムハンマドについてはだたの預言者ですので神でもなんでもありません。
戦争に興味があるのはむしろ死神や悪魔、もしくは欲に目が眩んだ人間でしょうね。
聖なるものは戦争には身を投じるなと言いたいはずです。
わざわざ業を増やして魂を曇らせることに命を使う必要はありません。
宗教のために個を犠牲にするようなことは本末転倒 >>126
なぜ戦いに負ければ死ぬのでしょうか。
戦争でもないのにその極論は違います。
商売をしてもサラリーマンでも争いの中心にいなくても食べていくことは出来るではないですか。
出世競争に負けた。それを悲しむのは自分自身で作り上げた自分の理想像であり、それこそが煩悩です。
人は衣食住足りれば十分です。
例えば商店街の八百屋さん、収支は厳しいかもしれませんが近隣の多くの方達と笑顔で語り合う。
この姿こそ今の世の中でとても大切なことだと思います。
誰でも嫌なことはあります。しかしそれを嫌なことと思えば永遠に嫌なことなのです。
逆に厳しい収支でも近隣の方々のためになると思えば嫌なことなど全く感じません。
現実世界に居ても物事は自分の捉え方で大きく変わります。
これが身近で出来る智慧です。 >>112
>争いをなくすのは簡単じゃない
>現実から眼を叛けて理想の世界を夢見られても困るわ
↓
>>113
>なぜ簡単ではないんです?
>子供さんでもやってる事なのに。
>>113は喧嘩好きと見たwww
そんな受け答えを辞めないと争いはなくならないよ
自覚を持とうよ
>出来るものを難しいと思い込んでいると
>人類が何千年も同じ事を
>繰り返しているんですよ。
できるんであれば、ま、やってもらいましょうか
口だけでなくね
いや〜、しかし平和にする方が簡単で
殺し合いの方が大変で難しいと思うよ?
争いの方がなかなかできる事じゃないけどね
君らは皆、根本的な基盤から勘違いしてるんじゃないかな?
それも自分で気付かなきゃいけないんでしょ?
じゃ、頑張って気付いてね >>132 路傍の地蔵さん
ありがとうございます。
人は何故祈るのか?不思議になりました。
神職に就かれてる方や修道院等の方々が世界平和を口にされますが、寂しくなりました。
とは言え、なにかにすがってしまう自分です。
神有月と言う概念のある日本の神様方ってすごく人間に近いんだなって思いました。
菩薩様も人間っぽいなって思った事のあるエピソードってあるのでしょうか?
もし大丈夫そうなら、答えられたらで。教えてください。 >>133
>なぜ戦いに負ければ死ぬのでしょうか。
>戦争でもないのにその極論は違います。
>商売をしてもサラリーマンでも争いの中心にいなくても食べていくことは出来るではないですか。
>出世競争に負けた。それを悲しむのは自分自身で作り上げた自分の理想像であり、それこそが煩悩です。
>人は衣食住足りれば十分です。
>例えば商店街の八百屋さん、収支は厳しいかもしれませんが近隣の多くの方達と笑顔で語り合う。
>この姿こそ今の世の中でとても大切なことだと思います。
なるほど。そういったお考えでしたか。
では、そのお考えを大勢の皆さんにぜひ見て頂くべきです。 >>衣食住が満たされれば
これは競争とタヒの中庸ですよね
競争に勝のが全てではないし
逃げ出して自殺するのが
正しいわけでもない これもよく昔から言われますね。
人は生きるために命を食す。
生きていくだけで次々と業を負う。
なんと罪深い生き物でしょうか。
私が弥勒様と呼ぶ方は言いました。
毎日地球には膨大な太陽の光が注ぎ込む。
その光が風を生み、雨を生み、恵の水を大地や海に注ぎ込む。
そして植物を育み、動物が恵みを得て育ち、それを食べる動物たちが死に大地に還っていく。
この循環こそが大自然であり全ての根源が太陽なのだ。
見よ。この人間が植え込んだ樹々を。見事なものではないか。
人間でさえこの大自然の循環の中に居て、緑を育んでいる。
自然と人間の共生も可能なのだ。
この言葉をいただいてから自分も自然の一部なのだと言う意識が強くなりました。
ですので食べ物を食す時はこの自然の循環を思い浮かべながら生き物への感謝。
そして根源たる太陽への感謝を忘れません。
緑を育む大地も汚さないように気をつけています。
この感謝の気持ちが生き物を食すことへの業を和らげているように感じます。 >>135 根源神(ヤハウェイや天照大神)は大自然の神ですから感謝することは忘れませんが具体的に
現世利益(健康や家内安全)を祈る神ではありません。
神社やお寺で祀られている日本の古代神話の神々や仏教の釈迦を始め如来、菩薩、
明王などは元は人間ですから、ある程度現世利益を祈ることは可能です。
これをお話しすると異論が出そうですが、例えばあなたが面接官で100人の人と面談したとします。
少なからず面接官は個人の好みやその人の人となりなどを考慮して選考するでしょう。
それと同じく神社仏閣に住まわれる神様も好みがあります。
キリスト教のキリスト始めマリア様や天使たちも同じように祈りは聞いてくれます。
キリスト教は主に憑依霊や悪魔の退治が多いですね。
共通の特徴として祈る者の信仰心と魂の浄化度が重要視されます。
魂が汚れている者には神社仏閣から排除されることはあっても願いが聞き入られることは滅多にありません。
魂が浄化されていて輝いている者が挨拶に来るとそこに祀られている神仏が出てきてくださる時があります。
勿論、各家庭にある神棚でも分霊様が宿る時もありますし、仏壇にはご先祖様が住まわれます。
ですので祈ることが無意味なんてことはありませんよ。 >>139
>この感謝の気持ちが生き物を食すことへの業を和らげているように感じます。
あの、そもそもどうしてそんな業が存在せねばならないのか?
というお話では? 何故、生命を食すとカルマがたまるのか?ですか。
生きるということは何かを殺して食べているからです。
貴方は殺した覚えはないでしょうが食べているのは貴方ですよね。
それなら貴方のためにその生き物は殺されているのです。
それは食した貴方の罪であり逃げることはできません。
殺すということは生き物の肉体を殺して魂との繋がりを断ち切ること。
人を殺すことと意味合いとしてあまり変わりません。
とても大食漢の人がいるとします。
そのひとは牛肉が好きで暴飲暴食の為に1年間で牛が一頭多く殺されたとします。
それはその人が牛を一頭殺したという事と等しい行いです。
牛のような哺乳類については人、猿、犬猫に次ぐ霊格の高い生き物です。
上の方で記している大自然の循環について、読み返してみてください。
必要以上の過剰摂取については暴食の罪となります。 もう少しだけ追記しますと、貴方が牛を自らの手で殺せますか?
牛は殺される時に涙を流して怯えます。
それだけ皆罪深いことをしていることを認識しなければいけません。 自分は牛は出来るだけ食べないようにしてますが
(値段が高いので)
鳥はよく食べます
でも竜族からみたら子孫を食べまくる悪い奴だろうなあ >>140 路傍の地蔵さん
ありがとうございます。
>>135です。
奥と言うか懐と言うか、深いです。
何となく、上司と部下の関係みたいです。結果的に人を落として上司のお気に入りっているし、
策士家でそれをやって取り入ってる人もいます。
見方や立場が変われば輝いている人になるし。
なんだか雑談になってしまいました。すみません。
それでも祈ってしまうのは自分の心の平穏の為なんだろうなって思えてきました。
違う質問です。お願いします。
度々出てくるカルマですが、私のカルマって何でしょうか?以前から知りたいと思っていたので教えて下さい。
お願いします。 鳥は頭が良いので意外にカルマはお高いですよ。
鶏はあまり頭が良くないかも? >>146 路傍の地蔵さん
>>145です。
???
146は145の御返事頂いたのでしょうか? >>147
自分に対するレスですよ
アンカーみてください >>145さん
神仏はある意味公平に見ているんですよ。
魂の浄化具合。これは立ち居振る舞いでは隠せません。
貴女は下記の自然いっぱいの環境に育った経験があるので神社の清浄な空気が落ち着くのです。
さて、貴女のカルマですが難しいことをさらっと聞きますね。。
これは菩薩様の中でも三明を得たものしか覗くことができない世界です。
簡単に言えば過去視です。
貴女は日本の江戸時代、岸和田と和歌山の間の山深いとても美しい峠道に住んで居た少女でした。
親からも親類からもとても可愛がられて愛情をいっぱいに受けています。
病気などで若いうちに亡くなりましたが魂自体はまだ若いです。
早死にしてしまったという親への罪がありますので、今の親に恩返ししてあげると良いですよ。
また、愛情をいっぱいに受けているので愛情に関しての成長は進んでいます。
これから自分の子供に受け取った愛情をいっぱいに注ぎ込んであげてください。
それにより魂の浄化は進みますよ。 >>150 路傍の地蔵さん
ありがとうございました。
>>145です。
親へ恩返し出来るように頑張ります。
ただ身体的理由で孫を見せられないので、そこはタイミングで謝ろうと思います。
兄弟の子供達に貰った愛情を贈ります。
今日、子供の事で他人にちょっと誤解されてしまった…。誤解が解ければいいんだけど。
色々教えて頂きありがとうございました。 >>151 失礼しました。カルマがそのような形で出ていたのですね。
そこまでは読み解いていませんでした。
今生では人を学んでください。
喜怒哀楽を思い切り体感してください。
そして余裕があれば知識を得ること。
貴女は成長が早いです。
忘れ物はしないようにね。 >>152 路傍の地蔵さん
ありがとうございます。
>>151です。
何度も気にかけて頂きありがとうございました。
忘れ物…ドキッです。
幼い頃から両親にずっと言われてきた事です。
今でもイジられてます。
ひょっとして伝言でしょうか。
持ち物確認するようにします。
ありがとうございました。 >>153 意味合いが違うのです。
そこいらの占い程度の意味に受け取らないでください。
とても大事な話をしますよ。
魂は植物から小動物に、そして哺乳類となり人間へと進化していきます。
大きさも色も変わってきます。
貴女の魂はまだ人間に進化してから輪廻の数が少ないのです。
まだまだ若い魂という意味です。
人間となった魂も大きさも色も進化していきます。
最終的にメロンほどの大きさとなり白化することで浄化が完了します。
人間の魂に成りたての魂は段階を経て進化するのですが、
その進化の過程で色々学ばねばいけないのです。
私が伝えている忘れ物をしないでとはその段階の学びのことです。
まず、人間として十一面観音のような人間の様々な感情を覚えること。
喜び、悲しみ 、嫌悪、不安 、驚き、悲しみ、嫌悪、怒り、驚き、慈愛、慈悲などです。
そして礼節を学び人と人の繋がりの意味合いを覚えてください。
これを得た時には誰にもいじめられませんよ。
他にも覚えることは沢山ありますが、それはまた先のお話。 地蔵さんこんにちは。忙しそうで大変ですね。
最初から見てるんですけど、地蔵さん自身に興味が湧いてきました。 私も欠点を見直し今世の役割をなんとか果たせそうです。
それはさておき、地蔵さんのいう菩薩とはどのくらい修行が進んだ者から言うのですか?
また、如来とはどのような存在ですか? 一言で言えば如来様の悟りの段階に達して居ないが、悟りを智慧として心得ている段階です。
如来様に至っては悟りを開いたこともあり衆生へお心が戻られることはありません。
死後の魂の救済をされております。
では菩薩様は悟りを開けないのかと聞かれるとそうでもありません。
菩薩様によっては衆生を救済するために悟りの段階まで自ら行かず、
留まっている方々もいらっしゃいます。
でなければ天と衆生の架け橋を行うものがいなくなるからです。
ですので多くの菩薩様は悟りを開くまでの智慧を衆生に伝えてくださいます。
そして争いごとには決しって加わりません。 >>157
回答ありがとうございます。
質問したいことが山ほど出てきます!
地蔵さんの負担にならないくらいに、また顔を出させてくださいね >>世界の存在自体が奇跡で意味がある
と思っていますがどう思います?
心理が世界にあるなら正しいと思います
まあ仮説なんですが >>159 言われている世界と心理とは?
この肉体が存在している3次元の世界についてはご存知の通り、
一定の条件が揃わなければ存在しません。
以前お話した通り霊界は構成の数だけ存在します。
ですので空気や海が存在するこの世界は奇跡の賜物としか言いようがありません。
宇宙には生命が閑散とした霊界だけの場所がほとんどですからね。
この奇跡には感謝以外の他に言葉が出てきません。 ひと段落しましたね。
このスレが落ちた時点で終了ということにします。
スレに執着するのが嫌なのでご理解ください。 >>160
何でもいいので情報です
霊でもいいし思念でもいいです
現在の科学では物理以外は証明されてないので
(ただし空間は除く)
意味が証明されれば正しくなるかもしれません
正しい論証の方法を知らないので適当ですが >>154 路傍の地蔵さん
ありがとうございました。
>>153です。
忘れ物ですが、片親が他界しているので、伝言かと思いうれしくなって。
でも勘違いだと解り寂しくなりました。
魂の段階を調べました。
今世が人の世への未練断切り人生かと最近思ってたので新しい魂って意外でした。図々しいですね。
実はロスタイムを生きている気がしていまして。
喜怒哀楽も、立場や考え方で善悪が紙一重な事も、
何が起きようと陽は昇り沈む事、わかってます。
そんな中で幸福や嫌悪を感じながら生きる。
終わる時は楽しい時に逝きたいと思いました。
ちなみにイジメ?いじられるは書きましたけど。
私は変わり者らしいのでイジメの経験はあります。
魂の話でいくと、ウンザリするほど長いんですね。
礼節はまた色々ググります。
何度も教えて頂きありがとうございました。
長文すみませんでした。 >>160
ちなみに世界は最大で宇宙全体でしょうね
それ以上はわかりません 路傍の地蔵さん
こんにちは。
質問ですが、
宇宙の視点からみると、争いや戦争でさえ無意味、つまり自然や大宇宙の循環に過ぎない、考える葦ともいえる人間に、
何故、菩薩様方は、地球に留まり衆生の救済の請願を立てたり、貴方のような人間や魂に関心を持つのか、何故死後の魂の救済を行っている存在があるのか、その理由と、
その必要性や価値があるのなら何故か、そしてどのような目的、どの方向に向かわせたいと考えていらっしゃるかを教えていただけますか?
本来なら人間というか、魂は菩薩等が、手出ししたり手を加えたり管理、関心を持つ必要性は感じません、宇宙から見れば菩薩様のされていることはある意味、無意味では無いかと思われます。
例えるなら屋久島の森のように、自然循環に任せるべき存在と思われます。
必要であれば魂とは、神々、或いは宇宙に何らかのメリットが発生する素材の一つであると考えます。
神は不要なもの、デメリットのあるものを生み出すとは考え難いです。
魂に干渉することにより、神々に発生するメリットがあるならば、どのようなもので、どんな過程を辿り完成するのでしょうか? 横出しだけど、神=愛だからじゃないかなあ
くせぇセリフだなあと思うかも知れないが、真理とは愛であり
至上の愛を以っているからこそ、すべての物事は無意味だと言っている
意味ねぇ、やめろ、何の得もねぇとかそういう感情で言ってる訳じゃなく
究極の慈愛で以って言っているのではないかな。
ただただ我々を慈愛の道、(自我(苦しみ)のない道)に導こうとしているのだろう。
愛とは利他愛。己のメリットなんか考えないんだよ。
戦や諍いは自我、エゴの究極の形だからね。 >>168 素晴らしい。
私もあなたのような方が居てくださると嬉しいです。
>>167
世界中の方々の霊格が上がれば、それだけ地球全体の愛が増え、
天界もより大きな愛に満たされます。
自然に任せるというお考えもわかりますが、
世の中には少しのヒントで大きく魂が磨かれる方々が多いのですよ。
また、この全体的な底上げを宇宙の意思は望んでらっしゃいます。
過去幾たびも間違った魂の進化を経て文明は滅ぼされています。
ですので今回は間違わないように沢山の応援も地球に来ていらっしゃいますよ。 ご回答ありがとうございます。
お二人の回答でひとつの回答かもしれないな、と感じました。
>>168
>>169
たしかに、自分の身をかえりみず他のものを優先させる行動をみると感動させられることが私にもあります。自己犠牲に美徳を感じる人は少なくありません。
真理とは愛であり至上の愛。究極の慈愛。
理由とメリットとしては、
天界がより大きな愛に満たされる、全体的な霊格の底上げを宇宙の意思が望んでらっしゃるから、でしょうか。
愛とは何ですか?どのような存在なんでしょうか。
>>59さんのレスがそうなのかな?とは思いますが、改めてお聞きしたい。
168さんの回答では、利他愛という自分を忘れ、他人のことを思うこと。との事ですが。
我を無くすこと、自分を捨てることが良いことで、我を持つことは悪い事なのですか?
では、何故自分、という意識が今ここにあるのか不思議です。自分という意識、意思が無ければ、欲もなく煩悩も起こらず、他の為により働く事が出来るし自己犠牲も簡単にできます。ですが、…自分という意識が存在します。
これは一般人の目には見えないですが、菩薩という意識、地球という意識、宇宙という意識。目に見えない意思、はそれぞれ存在する。
望みとは、利他であろうと、どのようなものであれ、欲のひとつと言えると思います。これも自分、という意識があればこそ。
意識があるのは何故でしょうか? 最近感じるのは、このインターネットの世界も無機質な世界で、ゲームなど無機質なものが人の心を満たす役割の一旦を担います。
会社も人を歯車のように扱う傾向を感じるし、自分でなくても、世間が回ります。愛を感じることも無く、無機質な感覚、空虚感は抜けませんね。
着るもの食べるものまで、殆ど多くが、意思を持たない機械が自己犠牲を厭わず作り、
物を通して人の心を満たす、喜びを作り出す利他の役割の一旦を果たすことが出来ます。
その機械には自我は存在しませんね。
自我を持つことが、無用の長物に感じます。 過去幾たびも間違った魂の進化を経て文明は滅ぼされています。
とありますが、間違った魂の進化、とは
何を間違えたのでしょうか?
間違いが起きた原因は何でしょうか。
何故幾たびも間違いは繰り返されてきたのでしょうか? 路傍の地蔵さんの回答だけでなく、
他の方の考えを伺い、様々な視点を得ることも真理をより深く知る為には有用に思いますね。
様々な言葉で表されますが、より具体性を持ち、共通の光があるように感じますね。
誤りがあれば、何が間違いか、似たように誤解する方もいるかもしれないから修正もできますね。
真理とは言葉では表しにくいですが、
考えて言語化することは非常に有意義ではないでしょうか。 >>愛
己の欲せざる所は人に施す勿れ
と
人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい
です
能動と受動に別れます
両方とも必要(礼儀と親切)
後価値観は人によって違うことが前提です >>霊格
結局人間はハイリスクハイリターンで
これからは逃げられないでしょう
諦めるしかないですね >>ついでに
正義
法律と権利
悪いことをしない
正しいことをする
秩序と自由のバランス
らしいですね(間違ってるかも)
調和
正しいことを与える
間違ってることをしない
VS
間違ってることを与える
正しいことをしない
正義のある愛愛のある正義 正直いいますと自分は正義の概念がよくわかっていません
間違ってる可能性は当たり前に有るので注意してください
どうもすみません 突然ですが相談に来ました、失礼します。
Twitterで私の顔写真や大切なものが晒されてしまいました
その人的には私が悪い事をしたので裁きだという感覚の様です
実名や住所などを載せられているわけではないのでその事に関してはどうにも出来そうにないです
問題は、心がすごく辛くて苦しくなってしまう事で
とりあえず辿り着いたのは引き寄せ系で
とても良い事を沢山知れて、自分が良い気分でいる事が大事なんだと、
そのお話の動画を見ている時は心の平穏が訪れるのですが
やっぱりフラッシュバックというかふとした時に
自分が晒されているという現実がよぎってしまい
相手に対しての憎しみとかマイナスの感情がぶわぁっと自分の全てになるような感覚になってしまい
良い気分で居られないしポジティブとネガティヴの
感情のアップダウンが頻繁に延々と繰り返されてすごく辛いです
どうしたらいいのか分かりません
何か抜け出したり楽になれる様なアドバイスとかがあればお願いします。 正義というものはとても曖昧ですね。
人が生きる上で必要な礼節や法律、政治で必要な言葉です。
礼節の延長線上で法律となりますがこのあたりから人のエゴが出て来て、
政治になればエゴだらけで正義と言わなければ説明がつかないことばかりです。
神仏の中でも天部や明王部の中には力だよりの方々がいらっしゃいます。
そこはもはや陰陽の世界。何が正義など言いようがありません。 >>179さん
それはひどい災難でしたね。
でも一つ貴女は知恵を得ましたね。とても大切なことです。
これから先も嫌なことは沢山ありますがこの知恵を知っていることでいつかは智恵となるでしょう。
起こってしまったことは戻せないでしょう。
一つ具体的な対処方法を。
マイナス感情やネガティブになった時には貴女から負の念がどうしても出てしまします。
これが強くなれば生き霊クラスの呪詛になる訳ですが、
少なからず自分にも負の念は帰って来ます。
それが自分に溜まり更に負のエネルギーが雪だるまのように積み重なります。
これは自分の魂を汚すことになります。
逆に相手から来る呪詛もあります。
それはきっちり浄化して返してあげましょう。
方法としてはとても簡単。
お風呂場で温まった後に頭のてっぺんから足先まで粗塩で塩もみしましょう。
塩もみしたらそのまま湯船に入って洗い流す。
驚くほど負の念が消え去ってとても体が軽くなります。
これを五日ほどすれば嫌なことなど忘れてしまいますよ。 >>181
具体的にありがとうございます
5日なら出来そうですね!やってみます
個人的な相談に丁寧に答えて下さりありがとうございます。 おはようございます。
「魂は地球に来る際2つに分離している(ツインソウルとか言われている)」説についてどう思われますか? 客観的なものなら白黒つくものは多いですが
客観レベルで善悪語れないのが現実ですからね
多くの霊的原理とかが科学的に証明されれば
客観的に正しい法律を組み上げることが出来るかもしれません でもそれには魂や神の存在まで証明出来るくらいの科学力が必要
いつか到達するだろうけど >>183 ツインソウルですか。
これは理屈とか経緯は全くわかりませんが、面白い体験があります。
一緒にいると陰陽の模様のように自分に足りないものを綺麗に補い合う魂が世の中にはあります。
とても安らいで相性がピッタリなのは良いのですが、
一緒にいると霊格が大きく上がるのか、周囲で霊が騒ぎ始めます。
2人で写真を撮ると必ず心霊写真が撮れてしまいます。
そして次々に心霊体験できるので良い?経験になりますよ。 地球に来ているといえばインディゴチルドレンが居ます。
魂視していると比較的若い方?20〜30代の中にアメジスト原石のような魂をたまに見かけます。
その他エメラルド原石やラピズラズリ原石なども見かけますね。
そういう方はとても正直で現代の世界ではとても住みづらく社会適応性が低いと言われています。
でも地球としてはこのような美しい魂がいるだけで周囲まで浄化してくれるのでとても助かります。
そして今10代の中には水晶の魂を持つクリスタルチルドレンが増え始めていますよ。
クリスタルチルドレンは知能や人格がとても高く人々の模範になる魂です。
この子らが成人した時に日本は大きな変革の動きが始まるかもしれません。 思ったんですが
正義って客観かも
で愛が主観
正しいこと間違ってること(科学的)
与えること奪うこと(主観的)
で組み合わせると
正しいことを与えること(教育とか)
間違ってることを奪うこと(病気治療とか)
で
正しいことを奪うことと間違ってることを与えることで
主観と(愛)と客観(正義)組み合わせば善悪が見えるのでは?
愛だけでは何を与え奪ってはいけないかわからない
正義だけでは正しいか間違いかしかわからずどうすればいいかわからない
でも二つを重ねれば善悪が少しだけ分かるかもしれません
どう思いますか? 個人的には
善は健全になっていくこと
悪は狂気に狂っていくこと
と思ってたんですが 次!
十戒のリドルが全部解けたので回答を書き込みます
仏教と関係ないので簡単に書き込みます
1私を信じろ私は裏切らない
2崇拝されてはならない崇拝してもならない
3神に頼るな自分に頼れ
4孤独はいけない協調せよ
5子供を大切にせよ
6殺すな守れ
7不倫するな愛し合え
8盗むな与えよ
9偽証するな契約は守れ
10堕落するな向上心をもて
ちなみに対応するのはモーセの十戒です
謎掛けになってるんですね 自分が正しいと思う人は
疑いなくどんな間違ったこともしてしまう
ものらしい
どうすればいいのかな? >>193 質問は少なくてちょうど良いです。
何かを押し付けようとしているのではないですので。
気づきがあれば少ない言葉でも気づきがあれば嬉しいです。
>>194 それは基準(芯)が間違っているからですね。
例えば獣は自分の食欲が満たせれば何を殺して食べても良いと考えます。
その獣は正しいと思い疑いもしません。
彼からしたらそれは確かに正しいことです。
しかし仏陀は獣は叩いて人間にしなさいと教えています。
獣でないなら人間としての教育を施すのです。
人間になったら衣食住を与えて礼節を覚えさせる。
そのあとは法を・・
つまり人間には段階があるのです。
段階を経なければいきなり獣に法を諭しても理解できません。
逆に諭した者に敵意を示すでしょう。
人を見るとき、その人がどのような段階にあるか、慎重に判断しなければいけません。
そしてその人にあった教育を施すのです。 >>170 ご質問を見逃しておりました。失礼しました。
善意であろうと助けたい、何かをしてあげたい。
それに囚われることも煩悩の一つです。
究極の目的である、悟るという目標。
そこに辿り着いた方々は衆生には戻ってきません。
それで良いと思います。
煩悩が無くなり大いなる自然と一体化することにより霊界の格が上がるからです。
菩薩様の中でも階級があり如来になる最終段階の中に衆生を救いたいという願望を捨て去ることで、
如来に至るのです。つまりその願望すらも煩悩。
私もここを見る全ての人を救えるなどとは思っていません。
先に述べた段階に達していないものに智慧を語っても気づきがないのです。
しかしゆっくりでも各段階のものにあった言葉を拾ってくれれば必ず気づきはあると信じています。
最後に意識があるのは何故か。
魂として霊界に居る間は平安な世界であり、それ以上、それ以下への変動がありません。
魂を磨くということは不安定な世界で色々な経験を経て考え、悩み、苦しみ、喜び、笑い、泣き、悲しみ、
様々な感情を経て人間として多くを学ぶことによって魂を成長させるからです。
これは当然意識がないと成長できませんね。
人間界という空の世界で自己学習させているんですね。
これは魂の修行となるからです。 50近くになってわかった事
自己に起こる事象はすべて自分の物であり、いなくなった誰かの物
どんなに悲惨な人生行路であっても、それはあなたの人生であり、誰かの人生をトレースしている
演じているだけ、役割、配役、王様と乞食
世を恨んで死んでいった奴らが哀れでならない、何故なら彼らが気付かせてくれたから、
彼ら凶悪人は非業の死でそれを教え示してくれたから サラリーマンあるあるですね。
幹部は嫌なことを押し付け合い、下に押し付ける。
押し付けられた中間役職は嫌な思いをして時に落命する。
このような中に居なくて幸いと気づいた人は運が良いですね。
もし自分が権力争いの中にいれば押し付けられるか押し付けるかで魂を大いに汚します。
その役割は任せておいて、自分は周りの人たちに親切に接することで自分の魂を磨くことに専念しましょう。 >>198
その争いの中にいて下に押し付けないようにするのも大事な成長なのでは? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています