大学卒業からボディビルに出会うまで
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帝京大学卒業後の4月、THINKフィットネスに入社し、鈴木はトレーナーとしてのスタートを切った。1ヶ月半の研修の場は、かつてマッスル北村がトレーニングを積んでいたノース東京[8]。
当時のノース東京は本野卓士、荒川孝行、林久司など、鈴木曰く「実にコアなメンバー」が揃っていた[8]。

鈴木がボディビル大会出場を意識するきっかけになったのは入社1年目の夏に行われた社内レクリエーションでのことであり、その年の4月に中野ヘルスクラブが閉鎖となり翌月にウエスト東京がオープンしたためTHINKフィットネスに入社したボディビルダーの小沼敏雄が「そういえば、すごく大きな子がいるよね」と切り出したことによる。
この話から鈴木がボディビル大会に出ることが決まっていった[8]。
鈴木はこの時のことを「本当に出ようと燃えていた訳ではなく、失礼な話ですが、本当に軽い気持ちでした」と後にムックで述懐しており、この時点では全く本気ではなかった[9]。
褒めてくれたのもリップサービス程度にしか思っていなかったと話している[9]。
しかし、田代誠から「いい体をしているから、出てみたらいいよ」と評価されたことでその気になり、出場を強く決めた[9]。