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ウエイトトレーニングを始めたのは高校1年の冬であり、野球部のトレーニングの一環として行っていたが、これは周囲からの指示ではなく当時読んでいた『ノーラン・ライアンのピッチャーズバイブル』(ベースボール・マガジン社)の影響を受けたことによる自発的な行動であった[2]。
ピッチャーをやっていた鈴木は「ウエイトトレーニングは必須だ」というその本の記述に影響を受け、父に頼み込んで週刊少年漫画雑誌の広告に載っていたバーベルセットを買ってもらい、自宅で取り組むようになった[2]。
スクワット、ベンチプレス、ワンハンドのダンベルロウを始めたが、ベンチプレスがとても楽しかったので結局はベンチプレスばかりしていたが2年生に進級するころには90㎏が挙がり、卒業時には110㎏まで上がるようになった[2]。
40㎏台後半であった体重も60㎏台にまで増加、体脂肪が少ない体質だったので腹筋も割れ、プールの授業になるとクラスメートから「すごいなあ!」と言われた[4]。
野球部には1人ウエイトトレーニング好きの友達がおり、彼とはバッテリーを組んでいたが、ことあるごとに2人はウエイトトレーニングで重量を競っていた[5]。
2年生になると新しい体育館が建ち、小さいながらもトレーニングルームができたので、昼休みになるとよくウエイトトレーニングを行っていた[5]しかし高校生の当時はウエイトトレーニングに対する知識が無く、重量、回数、セット数を決めたらそれをきっちり守って同じ重量でずっとトレーニングを続け、軽いと感じるようになったら初めて少し重量を増やす程度であった[5]。