周りで失笑が起きている。

「勉強だとー!!」

 

私も噴出しそうになった。

しかし、彼らは真っ青な顔をして真剣そのものである。

 

クチビルが震えているのがわかる。

私は最初から彼らを力づくで懲らしめてやろうとは思っていない。

 

しかし、昨今の若者は何を持っているかわからないので、もし武器のようなものを出したら子供であっても遠慮なく叩きのめす心積もりはしていた。

とは言え、見るからに多少つっぱった程度の中学生である。

 

勝負のかけらにもならない。

動物でも、人間でも勝てない相手は本能的に分かるのだ。

 

彼らは一瞬にして怖気づいて、命乞いのため3流お笑い芸人のような対応をしたのだ。「勉強」ときたか。 
子供にとって一番怒られない安全な単語が「勉強」ということで、それがこんな時に思わず口から出たのだろう。
少しからかって脅してやろうかというイタズラ心が起きたが、1人1人の顔を見るとまだあどけない。
生意気そうだが良く見ると「かわいらしさ」も残っている。
一言、二言注意して許してやることにした。
圧倒的な力の差がこうした結果を生む。
圧倒的な力の差のもとでは、悪いことをしている人間は無力になる。
法律も世間もそして圧倒的に強い相手も全てを敵にしなければいけないからだ。
無理やり暴力を振るえば、圧倒的に強い相手に正義のもとでやられることになる。

この中学生にしても、注意したのが、「弱そう」な人だったりしたらどういう結果になっていたかは分からない。
こういう解決方法を暴力的だと言って毛嫌いする人がいる。
あるとこに招かれて、空手の話をしたとき、「強くなるってそんなに大切なことですか」と棘のある口調で質問した人がいる。