トレーニングで得られる筋同化の量に個体差が有る様に、
怠惰な生活を送り続けた時に何処迄筋肉が異化し続けて下げ止まるのかの個体差も大した物だと思うのだよ、
知人(女体・補助器具無しでの生活動作に不自由を感じている風でもない)の和式トイレでのスクワットの仕方の説明を聞いていると。

その知人は和式トイレで屈む際、ゆっくり最後まで力を抜かずに屈み込む事が出来ないらしい。
つまり途中のパラレル辺りで動作を止めたりする事は出来ず、ハーフ辺り?で自重が支え切れなくなり、
がくんと一気にアウトゥーグラスの位置迄沈んでしまうのだそうである。腿と脹脛の脂肪のクッションでむにゅっと止まるのであろう。
立ち上がる時も当然ゆっくり立ち上がる事が出来ず、反動を利用して一気に上迄行くしか無いらしいのだ。
それが子供の頃から当たり前の和式動作なので、それを不自由と感じはしないと云う事の様だ。

仮にそれぐらいの筋力なのだとしたら、自重スクワットでも過重と言えるだろう。
10RMどころか、パラレルで1RMに届かない訳だからな。
自重スクワットの筋肥大効果を謳うその雑誌記事の想定している読者層は、
自重スクワットで筋肥大効果が出るぐらいの筋力の持主達なのであろう。

自他の共通性に関する我らの認識とは、便所の個室の様に分断されていて、
自分に当て嵌まる事が他者に当て嵌まらない事例に直面して意外に思う事は、
他者の個室の中での行動が偶々見えてしまった時にきっと起こるであろう驚愕と恐らく同じなのだ。