S660の原案を会社に提出した当時、世の中には魅力的なスポーツカー、とりわけ高性能エンジンを先鋭的なデザインのボディに積んだ
『スーパースポーツカー』が数多く存在していた。しかしそれらイタリアやドイツなどのクルマたちは新車で手軽に買えるものではないこと
を非常に不満に思っていたという。「すごくて、でも買えないクルマというのは実は世間に数多いんですよね。ならば自分は、すごくて買え
るクルマを作ろうと思いましたね」。

ミッドシップの軽スポーツカーを作るにあたって、比較対象とした車両はありましたか?
「ビートやエリーゼを含め複数存在しました。ただ、それらに対して数値を基準に勝つとか負けるということを測るためではなく、感覚の部分
で良し悪しを開発チームの間で確認・共有するという目的というところが大きかったですね」。
「ビートはよく曲がってすごく面白い。でも20年前くらいのクルマだなと感じるところもあった。今の目で見るとノイズや振動とかも目立つな、と。
ただ、誤解して頂きたくないのは、ビートを否定しているわけではないんです。こうしたプリミティブなところが面白いと思える自分がありつつ、現
代の基準に慣れたドライバーが毎日使うクルマとして考えると受け入れてもらうのは相当厳しいだろうな、と。なにしろパワステがないクルマは
ほぼ初めてでしたし、駐車するとき重いんですよ」。

ビートは20年以上前の基準で作られたがゆえに現在の目では、ノイズ的要素も「込み」で楽しみとなっている。そして現在生産されているクルマ
でありながらもあえて快適性を排除して、理解しやすいスポーツ性をアピールしているのがエリーゼ。これら2台はいずれも好事家から非常に
愛されている。ホンダが新たにミッドシップスポーツカーを作るにあたっては、この2台に似たワイルトな方向性で進めた方がイメージ作りとして
はラクではなかっただろうか。
「S660を買ったお客さんに話を聞くと、初めてスポーツカーを買ったという方が意外と多いんですよ。一人でも多くの方にスポーツカーを楽しんで
欲しいという想いを込めて創ったクルマなのでとても嬉しいことなんです。ではそういう人が、ルックスに惹かれて試乗しにいって、ノイジーだった
りして、重いステアリングで駐車はしづらくてとなった場合はどうでしょう。たぶん買うという決断までいかないんじゃないでしょうか」。

こうして現代のユーザーに対する配慮をする一方で、しかしS660は乗り込んでみると、昨今の「スポーティ」をうたうクルマにありがちな少々ハード
な乗り心地や、まるでカートのようにクイックなともすれば敏感すぎるハンドリングには仕上げていない。そうしたセッティングの方が、初心者にも
わかりやすい、記号としてのスポーツカー像を与えやすいように思えるが。そうした疑問に対しての 椋本氏の回答はこうだ。

「このクルマのシャシーはいい素材を使って、滲み出てくるような奥深い味付けを目指すことにしたのです。ですからわかりやすい辛口の味付け
は自然と避けていくことになりました。あくまでも正攻法で作っていくという形です」。